月夜の涙

第6話

 知らぬ間に雨でも降っていたのだろう、扉をすり抜けて外へ出た時、地面はうっすらと湿り気を帯びていた。

 だが幸いにして、今はもう止んでいるらしい。満天の星空には程遠いものの、目を凝らしてみれば、いくつか明るめの星を見つける事が出来る。もう少し待てば晴れそうだった。

 誰もいないよな? 左右を念入りに確認した後で、僕はアパートの敷地から道路に出た。

 霊体になっているおかげで他人に目撃される心配は無い。頭ではそう分かっている。しかしこうして夜遅くに出歩いていると、どことなく背徳感のようなものを覚えてしまうのだ。

 どうしてだろう。ふと、立ち止まってその理由を考えてみる。普段の僕がこんな真似をしないからだろうか。くだらない。別に今から悪事を働くってわけでもないのに。

「……どうでもいいや、早く行かないと」

 足を速める。僕の言葉が届いていたなら、今夜も彼女はあの神社にいる筈だ。あまり待たせてしまうのは悪い。

 コンビニの前を通り過ぎ、人気の無い県道を駆け足で進んでいく。片側に木々が茂り始めれば、目的地はもうすぐそこだ。彼女にどう声を掛けようかと考えながら、僕は三橋神社の古びた鳥居をくぐる。

 敷地の奥、苔むした平たい大岩の上に、彼女は座っていた。

 宝石のような瞳が僕の姿を捉えるやいなや、彼女はパッと表情を輝かせて立ち上がる。

 挨拶代わりに手を振れば、彼女もそれに応えて元気よく振り返してきた。その真っ直ぐな喜び様に僕は気恥ずかしさのようなものを覚えて、歩み寄る足取りは若干ぎこちないものになった。

「ごめん、待った?」

「いいえ。今、来たところです」

 そこで、彼女は息継ぎを挟む。

「……って、優くんなら言うのではないかなと」

 ニヤリとなった。

「そうだね、たとえ一時間前に着いてたとしても。だって決まり文句みたいなものでしょ?」

 一本取られた。そんな事を思いながら返事をすれば、彼女は、してやったりと言う風に小さくガッツポーズを決める。初対面時の印象とはまた違う、無邪気で可愛らしい仕草だった。

 二人して岩に腰掛ける。彼女は地面に目を向けながら、足だけを宙に出してブラブラと振ってみせた。

「来ないのかな、って考えてました」

「約束は守るよ」

「嬉しいです。さっきの返し、昼の間ずっと考えてたんですよ。暇だったので」

「うん、その事は本当にごめん。申し訳ないと思ってる」

「いいです。こうしてまた来てくれましたし……仕方ないんですよね? 何か、明るい内は消える? みたいな?」

「うん? んー……」

 純粋な確認の言葉に、一瞬、舌が絡まる。だがそれ以上に動揺することはなく、僕は予め用意しておいた言い訳を持ち出して応じた。

「……そう。まあ、そんな感じ。自分でもよく分かってないんだけどね。取り敢えず、こうして夜しか活動出来ないんだ」

「ドラキュラみたい」

「……いや、違うよ?」

 肩を竦める。……ちょっとわざとらしかっただろうか?

「僕は吸血趣味なんて無い、正真正銘ただの幽霊さんだからね」

 咄嗟の嘘を嘘で塗り固めていく。お世辞にも、あまり気持ちの良いものではなかった。

 生きてることを隠すためとは言え。一つ、彼女を騙す度に、胸の奥がズキリと痛む。ため息でも吐けば少しは罪悪感も和らぐだろうが、彼女に勘付かれる危険がある以上、迂闊な真似は出来ない。

 そっと、横目で彼女を盗み見た。僕がデマカセを口にしているなど、想像もしていないような穏やかな顔。それでまた、僕の良心が一欠片えぐられる。

 彼女とは、きっと明日も会うことになるだろう。明後日も、更にその先も。僕自身は、彼女が成仏するまでこの秘密を秘密のままにし続けるつもりだ。

 だけどそれは……本当に正しいのだろうか。

「優くん」

 鈴の鳴るような声に名前を呼ばれる。僕は答えの出ないその問題を、保留にするという卑怯な手段で以て追い払った。

「今日は、どこに行ってみるんですか?」

「どこがいいかな。大学生が行きそうな場所……と言っても色々あるし。可能性が高いのは駅前の一帯かも」

「駅?」

「うん。……そうか、君はこの辺りに何があるかも忘れてるんだっけ」

 僕は立ち上がって鳥居の近くへ向かう。それから手招きをして彼女を呼んだ。顔面に疑問符を浮かべた少女に、僕は遠くに見える灯りを指差しながら説明を始める。

「ここからずっと南に行くとね、マンションとかショッピングセンターとか、色々と建ってる地域があるんだ」

「あの辺り、ですよね。遠目には知ってました」

「オーケー。で、ずっと光が連なっているでしょ。あれに沿って、東西に線路が走ってる。一人暮らしの学生も結構な数があそこに住んでるし、そうじゃなくても買い物なんかでよくお世話になると思う」

「私も……行ったことがあるかもしれない?」

「一回くらいはある、筈」

 絶対に、と言ってもいい。何故かって、ここは田舎だからだ。娯楽施設のみならず、スーパーや本屋、病院や居酒屋も駅前まで赴かねば存在しない。逆に、駅前に行かずとも暮らせる方法があるのなら、この僕に教えて欲しいくらいだ。

「なら今日はそこにしましょう。物は試しです」

「よーし。……で、その前にちょっと質問があるんだけどさ」

 これからもずっと付いてくるであろう、重要な質問だ。

「移動手段、徒歩しかないけど大丈夫?」

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