第25-8話 姫野美姫 「わたしの秘密」

 下を見ると、くらくらする高さだ。思わず木の幹にしがみつく。


 その前の枝には、ジャムパパが足を投げ出して座っていた。尻尾が枝にくるりと回って身体を固定している。


「腰を下ろして、その細い枝を持って……」


 ジャムパパに言われたように態勢を変える。ああ、座ったほうが怖くない。


 ジャムパパの手にはカップと瓶があった。


「ええっ! お二人、こんなとこで飲んでるの?」


 ヴァゼル伯爵は涼しい顔で笑った。


「今日は里の中が騒がしいので。ここなら月もよく見えますし」


 月を見上げる。うわ、ほんとだ。ここだとより綺麗に見える。


 しばらく月を眺めていた。異世界人の二人は、こんな木の上でも器用に酒を注ぎ、黙々と飲んでいる。


 この三人だけというのも珍しい。気になったことを聞いてみよう。


「伯爵、この間のあれ、ほんとの所はどうなんです?」


 あれとは、主従の呪いだ。呪いを解くことはできるのか、できないのか。


「ほほう、人の秘密を暴きにきましたな。満月に免じて話しても良いですが、秘密を一つ聞くのなら、秘密を一つ渡すのが礼儀です」


 秘密? そう言われても何も思い浮かばなかった。


「ヒメノ、今日は色々とあった。お前は大丈夫か?」


 ふいにジャムパパが微笑んだ。辛いと言いそうになり、あわてて言葉を飲み込んだ。よくよく考えると、この二人は若者ばかりの28人を背負った大人だ。


 やろうと思えば、自分たちだけで生き抜くほうが楽だろう。この二人の前で弱音なんて、言ってはだめだ。


「うん。ぜんぜん。ありがとうジャムパパ」

「そうか。無理するなよ」


 ジャムパパはそう言って、またカップに口つけた。このリザードマンに最初に会った時は怖かったはずだけど、もはや何が怖かったのか、細かく思い出せない。


 一つ、思いついた。この二人になら言っても問題ないことだ。


「キングとプリンスがいるんだけど、どっちって言われたら、少しキングのほうが好きかな」


 ヴァゼル伯爵が笑った。


「それはたしかに、秘密でありますなジャム殿」

「そうだな。若いというのは素晴らしい」


 二人の顔が「微笑ましい」といった感じだったので、わたしはイタズラ心が芽生えた。


「あら? それは、お二人も同じですよ。友松あやちゃんは、ジャムパパのほうが少し好き。遠藤ももちゃんは伯爵でしょ」


 二人が見合った。


「関根瑠美子ちゃんは、ジャムパパかな」

「セキネ……毛を抜く能力の子だな。俺とはあまり接点がないが……」

「ツルツルの肌が好きなんだって。ジャムパパの肌を洗いたいって言ってた」


 ぶほっ! とジャムパパは葡萄酒を吹き出した。


「隅に置けませぬな、戦士よ」

「伯爵も人のこと言えない。絵の具スキルを持つ毛利真凛ちゃんは、伯爵を描くのが夢」

「むむっ、畑のほうから感じる視線の気配は、毛利殿であったか」


 ヴァゼル伯爵、覚えがあるようだ。


「でも、クラスのみんなは、基本的に二人が好き。思えばキングとプリンスの大人版みたいなもんですよね」


 ジャムパパは困った顔で、ツルツルの頭を撫でた。ヴァゼル伯爵も眉を寄せている。


「伯爵、わたしの秘密はこんなところでどうでしょう?」


 わたしの秘密は言った。さあ、伯爵! 次はあなたの番ですよ。


「おしえて下さい。主従の呪いは解けるのですか?」


 ヴァゼル伯爵が目を細めた。やっぱり、こうやって月明かりの下で見ると、吸血鬼にそっくり。透き通るような白い肌、そこについた赤い唇が動いた。


「任を解く、または去れ、言葉はどうでも良いですが、主人に放逐ほうちくされれば呪いは消えます」

「えっ、そんな簡単なの?」

「はい。他言無用に願います」


 あきれるほど簡単だ。そしてそのままにしている意味もわからない。


「それ、もう解いたほうがいいんじゃ……」

「いえいえ。あの男の申し訳なさそう顔は、少し楽しいので」


 ジャムパパが笑った。


「人の悪い大人よの」

「戦士よ、それで言えば、あなたはどこにも行かないので?」


 トカゲの戦士は夜行族の言葉に考え込んだ。


「去ったほうが良い、と考えることはある」


 いまさら去る? 言葉を挟もうとしたら、またジャムパパは話し始めた。


「だが、去れぬな。夢のような生活だ。俺自身が、ここの生活は捨てれぬ」

「ジャムパパの夢のような生活? ここが?」


 わたしは里を見下ろした。


「ヒメノたちは違うかもしれぬ。だが俺のいた世界では戦ばかりでな。こんな豊かな生活を夢見ていた」


 そうか。戦いの部族。そんな話をどこかで聞いた。


「これから里も人が増える。俺がいないほうが良いとも思えるが……」

「ジャムパパ、それは……」


 わたしの言葉をジャムパパはうなずいて止めた。


「どこにも行かぬ。さきほどの話がそうだ。俺は皆に好かれた。28人の子供。人生はもう、充分かもしれぬ」


 わたしは身震いがした。


「ジャムパパ、言い方が不吉」

「そうか?」

「うん。もう言わないで」


 本気で、お願いした。


「わかった」


 ジャムパパはカップに酒を注ごうとしたが、空だった。


「しまった、さきほど吹き出したのが悔やまれるわ」


 空き瓶を逆さにし、惜しそうに眺める。


「あのー、どちらかに、誰かいますか?」


 下から聞こえた。ノロさんだ。


「これはノロ殿。いかがされました?」


 上から声をかけられ、ノロさんがおどろいてこっちを見上げた。


「あ、伯爵。ジャムさん、姫野さんも?」


 ノロさんに手を振る。


「今日はみんな、寝れないだろうと思って、お茶を配ってました。そしたら、どこかから声がすると思って」


 樹の上の三人が目を合わせた。


「ノロ殿、少々、お待ちを」


 伯爵が急降下していく。ノロさん気の毒。


「ひゃあ!」


 案の定、下から悲鳴が聞こえた。あっという間にノロさんが樹の上の人だ。


 ノロさんに紅茶を作ってもらい、満月を見ながら飲む。これすごい贅沢かも。


「たしかに」


 ヴァゼル伯爵、わたしの心を読んだのかと思ったら違う話だった。


「ジャム殿が言うように、夢のような世界なのかも、しれませんね。以前に月夜でも見ながらノロ殿の茶が飲みたいと言いました」


 伯爵は月にカップを掲げた。


「今宵、その夢は叶いました」

「うむ。これもまた夢のような、ひと時であるな」


 ジャムパパもそう言って、カップの紅茶を美味しそうにすすった。


 ノロさんだけが、話がわからずキョロキョロしている。


「秘密の暴き合いをしておりまして。ノロ殿も何かあれば」


 ヴァゼル伯爵、さすがにノロさんには、ないって。そう思ったらノロさん、真剣な顔になった。


「誰にも言わないで欲しいんですが……」


 えっ! あるの?


「27人がキングを助けようとして、落ちた。みんなはそう思ってますが、実は違います」


 いきなりの話でわからなかった。ジャムパパと伯爵も同じような顔をしている。


「助けようとしたのは26人まで。僕はびっくりしてただけ」

「ええっ? じゃあなんで」

「魔方陣が閉じそうだったんで、自分で飛び込んだんです」


 すぐに返す言葉が見つからなかった。


「ノロさん、せっかく残れたのに……」

「姫野さん、でも、このクラスじゃないと僕は生きていけそうにないよ」


 ヴァゼル伯爵は複雑な顔だ。わたしもそう。


「ヒメノ」


 ふいにジャムパパに呼ばれて顔を上げた。


「あの約束は、もはや守れそうにない。俺にとって28人は、すべて代えがたい存在だ」


 あの約束とは、最初のころに言った「守る順序」だ。わたしは返す言葉が見つからなかった。


 学校に通っていた時から、女子の間では「このクラスは奇跡」という声は多かった。今はどうなんだろう。ジャムパパ、ヴァゼル伯爵、カラササヤさんだってそう。異世界に来て出会った人たちもまた、奇跡なのかもしれない。


 今さらになって、自分の担っていた役割の重さに心が震える。その震えを隠すかのように、わたしは満月を見上げ、ゆっくりと紅茶を飲んだ。

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