016


 朝がきた。昨夜のことはあまり覚えていない。いや覚えまいとして忘れた。


 ベッドがひとつしかないものだから「俺はソファーで寝る」と言ったのだが、「こっちで寝てよ」とわざわざ狭い寝床に連れ込まれた。


 さらに寝る時、抱き枕さながらに彼女が張り付いてきていた点については、それはもう大変だった。


 壁みたいな胸板はともかくして、普通につらがいいんだからあまり変なことはしないでいただきたい。ドストレートに言うと興奮する。


 決して俺がやましい男であるというわけではない。哲学者のニーチェ先生だって仕方ないって言ってたんだから仕方ないんだこれは。生物学的に。


 そんなこんなで明鏡止水をしながらようやく朝を迎えたわけだが。


「ほらどうしたのボケっとして、らしくないわよ? アルトはもっとはきはきしてないと」


 寝起きで焦点の定まっていない俺に、コトハが手を差し出す。昨日よりも積極的な気がするが、Lvが上がって前向きになったんだろうか。


 手を取ると、彼女は宿屋に併設へいせつされたご飯どころへと足を運ぶ。そして鬼のように注文するサンドイッチ。なるほど、朝ごはんか。


 こんな量食えないぞ、と思いきや大半はすべて彼女が平らげてしまった。華奢きゃしゃな見た目に反して意外と入るのな。あとゲームの世界だろうと飯が食えることに驚く。さすがは次世代機版だ。


「――今後の予定だけど、となり街のノルナリヤに行こうと思う。Lv的にもう転職できるはずだし」


「転職って……なに?」


「50Lvに到達すると強くなれるイベントだ。いわゆるジョブチェンジってやつ。聖堂で女神像にお祈りすると転職できるぞ」


「そんなことができるのね。……あ、それともう一つ聞きたいんだけど〝業績〟ってなにか知ってる? 昨日プロフィールを見てたら業績がひとつ追加されてたの」


 彼女に言われたところで、やっと俺もその存在に思い至る。ADRICAには業績というやり込み要素があるんだった。


「勲章みたいなものだ。特定のモンスターを倒すかダンジョンを突破するか、はたまた何らかの条件で貰えるんだけど、中には業績を獲得することでステータスUPするものもあるからできるだけ集めていきたいかな」


 改めて自分のプロフを展開してみる。するとそこには。



■業績一覧


 鋼鉄こうてつはさみ[効果:防御力+50]


 獲得条件 アスククイルの討伐



 コトハの言う通り俺も同じ業績を獲得していた。


 効果は防御力プラス50。防御力は装備やスキルでしか補えないから割と嬉しい。


「今後は業績も集めていかないとなあ、恩恵も馬鹿にならない。それじゃあ飯も食ったし出発――って何か忘れているような気が」


 呟いたとほぼ同時に、ピコンと軽快な通知音が鳴る。やけに耳慣れたSEのこれはもしや。


『ゴラァ坊主! いつになったら来やがるんだ! 早朝に武器屋の前で集合だって言っただろ、まさかビビって逃げるつもりか!』


 電子パネルから〝チャット〟タブを開いた瞬間に、に落ちた。便利なことに、この世界ではチャットも自由に飛ばせるみたいだ。


 そしてこの安い煽り文句……差出人はダグニアと記載されている。やっと昨日の約束を思い出した。


「どうしたのアルト?」


「新しい街に向かう前にやるべきことを思い出した。ちょっとイベントを済ませてくるよ」


「あれ……わたしたちまだアウラでやることなんてあったかしら」


 真顔で言うコトハもまた、あいつの存在を完全に忘れているようだった。

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