10話:二つの門、二匹の猛獣
「全く……君も人が悪い。てっきりあれ以来、女性とは話せなくなったと思っていたのだが。克服していたのならそう言ってくれれば良いのに。遠慮していた僕が馬鹿らしいじゃないか。さてでは咲妃を探しに行こうか」
ずんずん先を進む琥乃美の後を僕は追う。
相変わらず琥乃美の歩くスピードは速い。
「克服したわけではないよ。琥乃美が例外になっただけだ」
「例外? どういうことだい?」
「……また後で話すよ」
僕の勘では、おそらく琥乃美は自分の尻尾に気付いていない。紫苑に聞いたことがあるのだが、最初は感覚がさほどないらしい。
ならば、慎重にいつその話をするか考えないといけない。
「いや、しかし嬉しいよ。ああ、そうだいっくん今度の中間テストだが――」
琥乃美は嬉しそうに傾向と対策を僕に話してくれた。まるでそれさえ知っていれば満点を取るなんて楽勝と言わんばかりに。
「あのさ、琥乃美も千葉先生に今日、稲荷川の家に行けって頼まれたのか?」
「ああ。昼休みに呼び出されてな」
「なるほど……」
千葉先生が仕組んだのか。千葉先生はあんな感じだが、生徒には意外と慕われており、稲荷川や琥乃美なんかもなぜか懐いていた。おかげで、僕の事情も色々と知っているみたいだが……。
「ふふふ、こうやって二人で並んで歩くのは随分と久しぶりだ。恥ずかしながら僕は少々浮き足だっているよ。君と一緒に歩いてこうして会話が出来るなんて夢みたいだ」
嬉しそうに笑う琥乃美の表情に、珍しく僕は嫌な気持ちにならなかった。
彼女が何をしていても劣等感しか抱けなかった僕だけど……なぜかそれが少しだけ和らいでいる気がした。
紫苑のおかげかもしれないな、と僕は思った。
「そうだ、いっくん。咲妃を捕まえたら、三人で久々に夜御飯でも食べないか? 僕は久々に君の手料理が食べたいぞ」
うんうん、と自分の素晴らしい提案に頷く琥乃美。琥乃美は、昔から喜怒哀楽が分かりやすいタイプなのだが、それが出るほど感情が動く事が少ない。
なので、様子を見る限りよほど嬉しいのだろう。僕の事なんてもう忘れていると思っていたから意外だった。
「ああ、うん。まあいいけど。でも、咲妃が風邪を引いているのなら、安静にさせた方が」
「心配しなくても、どうせ仮病だよ。あの母親が風邪引いた咲妃を放って仕事に行くわけがない」
「確かに」
僕と琥乃美が向かったのは駅前のマクド〇ルドだ。
「僕の予想では咲妃は大概暇になるとここか、本屋のどちらかにいる。少し見てくるよ」
そう言って、琥乃美がさっさとマクド〇ルドに入っていく。
さて、僕はどうしようか。本屋に行ってみるか?
そんな事を考えていると、店舗からテイクアウトの袋を持った少女が出てきた。その少女は大きめのキャスケット帽を深く被っており、ふわりと裾が広がったスカートのワンピースを着ていた。
だけど、僕には見えていた。そのスカートの中に――尻尾が隠れていることが。
きっとあのキャスケット帽の中には耳があるに違いない。
だからその少女は――きっと稲荷川咲妃だ。
「……風邪の時ぐらいは、ファーストフードはやめとけ」
「っ!」
稲荷川が僕を驚いたような表情で見つめた。
「な、なんで
「見舞いに行ったが家が留守だったからな。それに途中で琥乃美に会ったから、二人で探しに来たんだよ」
「げ、
母親に叱られるのを恐れる子供のような表情で、周囲を見渡す稲荷川の様子を見て、懐かしい気分になった。
稲荷川の母は、べらぼうに甘いので、いつも琥乃美や僕が代わりに叱っていたっけ。
「いるよ。僕も話したい事があるのだけど……どうすっかなあ」
「一兄、一生のお願いがある」
そう言って、稲荷川が僕の手を持って上目遣いで見つめてくる。
待て待て、距離が近い!
しかし近くで見ると、やっぱり稲荷川は可愛い子だった。昔も可愛かったが、更に磨きが掛かっている気がする。
「……もう50回ぐらい聞いた気がするぞ。お前の一生は何回あるんだよ」
「琥乃姉には内緒にしてて! お願い!」
うるうるとした瞳で僕を見つめる稲荷川。どうやらあざとさも成長しているようだ……。
「学校休んだ理由、風邪じゃなくて本当は――その頭の耳と尻尾だろ?」
「っ!! 一兄……見えてるの?」
「ああ。それについて聞きたい事も話したい事もあるんだ」
「ふーん。じゃあさ」
まだまだ幼い顔付きだったはずの稲荷川が急に、大人の女性顔負けの妖艶な笑みを浮かべ、僕に抱き付いた。
そして僕の耳元で囁いた。
「一兄……二人っきりでさ……お話……しよっか。
その甘い声と――
「……いっくん。こんな公衆の面前で君は何をしているんだい」
前には、店舗から出てきて、僕を軽蔑するような目で見つめる琥乃美が。その頭には先ほどまでなかった、丸い獣耳が生えていた。
その丸耳は黒い毛に覆われており、白い斑点が浮かんでいる。僕はそれが
「一里、放課後は後輩ちゃんの家に行くんじゃなかったの?」
後ろを振り返ると――そこには、耳が後ろに反り、尻尾が膨らんだ――
「……前門の虎、後門の狼ってか」
僕がようやく言えた言葉はそれだけだった。
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