6話:紫苑の試練


 放課後。


 僕と紫苑は一つ隣の駅前で待ち合わせをしていた。というのも最寄り駅の前にはスーパーや飲食店しかないので、何か買い物するとなると隣の駅前にあるショッピングモールに行くのがこの辺りの住民の定番だった。


 僕は、隣の車両に紫苑が乗っていることは知っていたし、向こうもきっと気付いているだろう。


 だけど、僕達は並んで歩くことはない。


 改札を出て、駅と直結しているショッピングモールの広場で、待っていると紫苑がやってきた。


「隣の車両にいたでしょ」


 紫苑がジト目で僕を見てくる。既に耳と尻尾は出ており、尻尾はゆっくりと揺れている。ちょっと怒っているのかな?


「バレてたか」


 僕は冗談ぽく言うと、モールの入口へとさっさと入っていく紫苑についていく。


「……別に学校出たら普通に一緒に行けば良いのに」


 隣にいる僕に、目を合わせずにそう言う紫苑。口が少し尖っている。


「いや流石に通学路と駅近辺は危険だって」

「危険ってなに」

「いや、だってほら、また今日の午前中にみたいにあいつらに」

「……あの時はそうだけどさ。でも、やっぱりおかしいと思う」


 それだけ言うと、紫苑はフロアガイドの看板を睨み始めた。


「日用雑貨なら三階だよ。お洒落なお店とかもあるし」

「ん、じゃあ三階行ってみよう」


 二人乗りのエスカレーターに乗る。僕は紫苑の前の段に立った。

 上目遣いで見てくる紫苑のご機嫌は斜めのようだ。せっかくのデートなのに。


 だけど、その理由が分からない。女性には疎い僕に、分かるわけがない。


「あ、あの店可愛い」


 紫苑が最初に向かったのは、パステルカラーが並ぶ雑貨屋だった。僕はぶらぶらと紫苑の後ろをついていきながら、揺れる紫苑の尻尾を見つめていた。


 それを見ていると、異世界での最初の相棒について思い出した。

 魔狼ライカンスロープで、名前はロア。


 僕が初めてテイムを試みた相手で、そして旅の最後まで一緒に居てくれた相棒。


 出会いは最悪だった。僕はあわや食われそうになったところで、覚えたてのテイムを使ったのだ。

 すると、それまでは恐怖の権化のようなロアの態度が軟化した。


 なぜか僕についてくるようになり、協力もしてくれた。最初はテイムが効いていると勘違いしていた。


「ねえ、一里、これどう思う?」


 思い出にふける僕に紫苑が差し出したのは、青と黄色のパステルカラーの可愛らしいお弁当箱だった。蓋にはデフォルメされた子犬の絵が描かれている。


「良いんじゃない? 可愛いし、紫苑らしい」

「……別に犬耳が生えたから、犬が好きってわけじゃないから。でも、これにしようかな。あたし、結構即断即決なの」

「決断が早いの良い事だよ」


 レジへと、大事そうにそのお弁当箱を持っていく紫苑を見て、全く似ていないのにその後ろ姿にロアを幻視する。


 テイムは、決して相手を服従させたり支配したりするスキルではない。テイムは、あくまで、相手の条件を引き出す為のスキルに過ぎないことを。


 ロアもそうだった。彼女は、テイムのスキルを使った僕に協力してくれていた。僕が危ない時は守ってくれた。だけどいつまで経っても、その関係は、ビーストテイマーと魔獣の関係ではなかった。ただ、僕は守られているだけだった。


 そして――ロアに僕は一度見捨てられた。凶悪な魔物の前に、僕は置き去りにされた。


 その時の言葉が今でも脳裏をよぎる。


〝イチリ。なぜ、君は逃げる。なぜ、君は戦わない。我ら魔狼は誇り高き戦士。我らは……戦う背中にしか追従せぬぞ。イチリ、〟 


「思ったより、早く買い物終わったね。お茶でもする?」


 会計を終えた紫苑がそう聞いてきた。幸い、機嫌は良くなっている。


「ん? ああ、そうだね。他に買い物はないの?」

「服はいっぱいあるし……別に」

「じゃあ、1階にカフェが確かあったと思うから行こうか」


 僕らは並んでカフェへと向かう。

 カフェは、それなりに混んでいたけど、二人席は空いていた。


 紫苑は、舌を噛みそうな名前の良く分からない飲み物を、僕はただのブラックコーヒーを注文し、席についた。


「明日、早速お弁当作ってみるよ」

「ほんと!? 嬉しい。でも、そういえばさ、今日後輩ちゃんいなかったね」

「だな。明日も部室でお昼食べようか。明日は来るだろうさ」

「うん。楽しみにしとく」


 良い感じだ。そのあと僕は、クラスの事や学校の事、この街のことを色々と紫苑に話した。彼女はそれにうんうんと相づちを打ったり、驚いたりと、くるくると表情を変えて楽しそうだった。


 あの不機嫌はなんだったのか。僕はもう忘れてしまっていた。


 だけど――彼女は忘れていなかった。


 コーヒーを飲み終えそうなタイミングで、紫苑が僕を見つめた。


「あのさ、一里」

「ん? なに?」

「あたしさ、一里に会うまではさ、陰キャとかオタクとか非リア充とかの言葉をさ、分からずに使ってた」

「……うん」


 まあ、紫苑ぐらいのルックスがあって、性格も良い子なら縁のない言葉だろうさ。


「ずっと、馬鹿にしてた。なんで、わざわざそんな暗く狭いところに行くんだろって不思議だった。出てくればいいのに、あたし達と同じようにすればいいのに、って。だけど、一里と出会って、短い間だけど一里と一緒にいて分かったの。あたしと一里は何も変わらない」

「そんなことないさ。紫苑は美少女でギャルで陽キャで……僕らとは住んでる世界が違うんだ」

「一緒だよ。勿論、陰キャだのオタクだのって馬鹿にするあたし達も悪い。でも、一里君にだって、陽の当たる場所に出てくる権利はあるんだよ。それは、誰も馬鹿に出来ない。馬鹿にさせない。あたしはそう思い直したの」


 紫苑が不機嫌な理由が分かった。僕が……怖がっているから、逃げているからだ。わざわざ待ち合わせ場所を、他のクラスの連中に見られない場所にしたこともそうだ。弄られキャラになるのが怖いからと、どうせ陰キャと言われ馬鹿にされるだけだからと、諦めて逃げてしまっているからだ。


 だけど、僕から言わせれば、陽の当たらない場所の方が心地良い事もあるんだ。


「私は一里といて、楽しいよ。耳と尻尾については良く分からないし、一里はそれについて何か隠しているんだろうけど。それでも、嫌じゃない。だけど――このまま世界が違うのを言い訳にして、逃げてる一里を見たくない


 ……勝手な事を言う。僕は納得いかない。全然納得がいかない。


 だけど、なんでこんなに悔しいんだろ。なんでこんなに胸が痛いんだろう。


 なぜかロアの声が頭の中でこだまする。


〝ビーストテイマーだからと戦わず、他者の背中に隠れる者に――我は従わぬ〟 


「ごめん、もう行くね。お弁当作ってくれるって話――忘れてくれていいから」


 何も言葉を返せない僕を置き去りに、紫苑が去っていく。

 彼女の席には、パステルカラーのお弁当箱が入った袋だけが残っていた。


 

☆☆☆



 僕は重い足を引きずりながら、ショッピングモールを出て駅へ向かった。


 何を間違えた。どこで間違えた。何度自問自答しても分からない。


 上手くいっていた。最初は怖い感じだった紫苑もなぜかテイムの後からは、優しくなったし、今日なんかずっと良い感じだった。


 なのに。


「はあ……いくら相手が人外でも……魔狼でも……女子高生なんだ。分からなくて当然、むしろ今までが奇跡だったんだ」


 僕の虚しい独り言が、風と共に消えていく。空には、半月が浮いている。まるで僕の事を笑っているかのようだ。


 月にすら馬鹿にされる僕の目に――紫苑の後ろ姿が映った。

 駅前の広場。だけど紫苑だけじゃない。彼女の前には、二人の男子が立っていた。同じクラスの陽キャ男子二人だ。チャラチャラしており、髪の毛も明るい色に染めているせいで、僕でなくたって近付きたいとは思わないだろう。


「紫苑。そう、堅いこと言わずにさ、良いじゃん。カラオケ行こうよ」

「良い。あたし、もう帰るから」

「んだよ連れねえな。奢るからさ」

「帰るってば」

「まあまあそう言わずに。アキ達も後から来るからさ、ね?」

「ちょ、引っ張るなって」


 男子の一人が無理矢理、紫苑の手を掴んだ。


「紫苑もさ、せっかく俺らのグループに入れてやったんだからさ~、ちょっとは感謝してくれても良いんじゃない? それともアレ? もしかして紫苑ってドM系? 虐められたい願望とか? 俺そういう女、好きよ?」

「はあ? 何ソレ!」

 

 紫苑の尻尾は膨らんでいるし、耳も後ろに反らせており、かなり怒っているのが見える。


 僕は、というと逃げる事を考えていた。僕が行ったところで、何も変わらない。別に、あいつらだって、乱暴したいわけじゃなくて、ただカラオケに行きたいだけだろうし、後から女子が来るなら大丈夫。


 そう、だから僕みたいな陰キャには、関係ない話だ。紫苑だって別に大丈夫……大丈夫……。


 一瞬、紫苑がこちらへと視線を向けたのを感じた。


 それは、助けを求める目ではなかった。僕を睨み付けるその目には、まるでこちらを見定めるような――そんな意思を感じ取れた。


 そこで、僕はようやく……そう、ようやく気付いたんだ。

 

 ああ、そうか。これが――

 テイムを行った僕に、紫苑が出した条件。

 僕を――心から認めて信頼関係を築くために紫苑が出した……試練。


 僕が紫苑に使ったテイムは、ちゃんと効果があったんだ。

 ロアと同じだ。心をさらけ出してそしてこちらの誠意を、決意を、勇気を、見定めていたんだ。


「全く……まさかこっちでも有効とはね。あのクソ女神、なーにがスキルは地球では使えませーん、だ」


 僕は息を吐いて、頬を叩いた。


 驚くほどに軽くなった足を僕は――前へと踏み出した。

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