5話:狼を弁当で釣る


 昼休み。

 校舎から離れた位置にある部室棟前。その建物はデザイン性の欠片もない三階建てだが、部室棟としては十分に機能している。


 僕と紫苑はわざわざここで待ち合わせをしていた。流石に、教室を一緒に出てすぐに並んで歩いて行くわけにはいかないからだ。


 僕に数分遅れて教室を出た紫苑が、こちらへとやって来るのが見えた。

 耳も尻尾もない状態の紫苑が小さく手を僕に挙げた。

 

「お待たせ」

「僕も念のために部室の鍵取りに行ってたから、今着いたとこ。でも紫苑、さっき教室出る前にお昼誘われてたけど大丈夫?」


 教室を出る直前に、紫苑が友人にお昼を誘われていたのを僕は聞いていたのだ。


「大丈夫、先生に呼び出されたって適当の嘘をついたから」

「そっか。なんかごめん。僕がリア充でイケメン陽キャ男子だったら、そんな事しなくても良いのに」

「……行こ」


 なぜか少し怒っているように見える紫苑が僕の横を通り過ぎ、部室棟へと入って行く。僕はため息を付き、その後についていく。


 僕らは人目につきにくい部室でお昼を食べるついでに、昼休みはいつも部室にいる稲荷川に話を聞こうと思ったのだ。


 文芸部の部室は三階の一番奥だ。先輩曰く、角部屋で一番良い部屋らしいが……。


 文芸部と書かれたプレートが掲げてある扉を、僕は開けようとするが、鍵が掛かっていた。


「大体いつも稲荷川がいて、それ目当てで後輩や先輩達がいつもいるんだけどね。ちょっと早く来すぎたか?」


 僕は持っている鍵で開けると、中へと入る。


 部室の真ん中にテーブルと折りたたみ椅子。その横にホワイトボードと掃除用入れのロッカー、そして窓際には古ぼけたソファ。


 シンプルだけど、居心地は決して悪くない。


「お邪魔しまーす。へー、案外片付いている」


 先輩らは掃除はしないしすぐに散らかすので、この部室が清潔と秩序を保てているのは僕のおかげだ。稲荷川がキレイ好きなおかげで、最近は先輩らも協力的だが。


「ま、適当に座ってよ」

「うん」


 そう言って、窓が見える席に紫苑が座る。僕はまずは窓を開け、なぜか部室内に置いてある小さな冷蔵庫を開けて、麦茶の入ったプラスチックの容器を取り出した。これも、やかんも、それを沸かす為の卓上コンロも、全て代々この文芸部に受け継がれてきたものらしい。


 僕は紙コップを二つ取り出すと、二人分入れ、テーブルへと運ぶ。


「ん、ありがとう。凄いね。冷蔵庫まであるんだ」

「個人的は、シンクとかの水回りが欲しいんだけどね。掃除するのめんどくさいんだ」


 僕は、一瞬の間でめちゃくちゃ迷った末に、紫苑から一つ空けた席に座った。


 それに対し特に思うところはないようで、紫苑は黙って持っていた手提げ袋から、なんだか高そうな包みに入ったパンを取り出した。


 僕は自分で作った弁当を取り出す。


「美味しそうだね」

「ん? そうか?」


 一段目は、一見するとただの白飯だが、実は間におかかが挟んである。二段目はおかずで、卵焼きと茹でたブロッコリー、タコさんウィンナーと昨日作ったきんぴらゴボウとコロッケの残りが入っている。


「うん。なんか家庭的で、お母さんのお弁当って感じ」


 なぜだろうか、紫苑のその顔はなぜか寂しそうだった。彼女が持っているパンの包みを良くみると、高い事で有名なパン屋のやつだった。


「自分でいつも作ってるから全然そういう感覚はないな」


 うちの母さんはお金を稼ぐことは得意だが、家事の事に関しては潰滅的だった。ゆえに小学校に上がってからは、家事を僕がするようになったのは自然な流れであり、自衛でもあった。この世にはガチで塩と砂糖を、醤油と油を色が違うだけで同じだと思う人間がいるのだ。


「自分で? 一里が作ったってこと?……まじで?」


 目をまん丸にして紫苑が僕を見つめる。あ、耳と尻尾が生えてきてる。可愛いなあ……。


「まじで。料理と掃除と洗濯とその他諸々は僕の担当でね。弁当作りも中学からやってるから慣れた」


 朝帰ってくることが多い母さんの為に朝飯を作るついでなので、弁当作りはさして負担でもないし。


「……あたし、そういうの全然できない」

「別に、良いだろうさ。する必要なく生活できてるならそれで良いと思う」

「お弁当とか一回も持たせてもらったことない。いつもどこかの高いパンとかサンドウィッチとか」


 不満そうに口を尖らせる紫苑。僕からすれば、贅沢だなあ……としか思わない。


 パンをまるで、それが義務かのようにモソモソと食べ始める紫苑になぜか若干引け目を感じながら僕は弁当に箸を付けた。


 チラチラこちらを見てくる、紫苑の尻尾が揺れている。あの揺れ方は……言いたい事があるけど言えない時の揺れ方だ。この場合は……多分――


「あー、僕の手作りで嫌でなければ、一口食べてみる?」

「食べるっ!」


 ガバッと、紫苑が僕の方へと乗り出してくる。その目はキラキラしており、尻尾がブンブン揺れている。


「う、うん。あ、言っとくけど味には期待しないように」


 僕は、壁際の棚の引き出しから割り箸を取り出し、紫苑に渡した。弁当箱の蓋の裏におかずを少しだけ取り分けると、彼女へと差し出す。


「ん、じゃあ交換」


 紫苑が代わりに僕にくれたのは、小さく、丸っこいパンだった。


「さんきゅ。高そうなパンだな……」

「一個500円ぐらい」

「高っ!! うそ!? こんなちっこくて丸いので?」

「フランス産の高級小麦とエシレバターと使ってるから、らしい」

「まじかよ……釣り合わないぞ……」


 と僕は心配していたが、紫苑は上品な箸使いで僕の作ったおかずを口に入れるとゆっくりと咀嚼した。細く白い喉が上下するのを見て、僕は顔が熱くなる。


「……美味しい。凄くおいしい!」


 紫苑が僕へと笑顔を向ける。尻尾を見る限り、嘘ではないようだ。嬉しそうに食べる紫苑を見て僕の表情が緩くなっていく。窓から、初夏の風が吹き込んできて、遠くで吹奏楽部が練習している音を運んできていた。


 どうしようもなく平和で、愛おしい時間だ。


「口に合って良かったよ」


 僕は一安心しながら、紫苑にもらったワンコインもする丸っこいパンを頬張った。……おお、本当にただのパンだ。惣菜とか一切入ってない、ただのパン。だけど、小麦の甘みとバターの塩味が効いているおかげで、そのまま食べても美味しい。


「これは……500円の価値があるか僕には分からないけど、美味しい」

「うん。でも、毎日それだと飽きる。うちの母親も父親も、食に無頓着だから」

「毎日は飽きるな」

「でしょ。昔は手作りお弁当に憧れたけど、作ってくれる人いないし、作り方も分からない」


 まあ、慣れたら簡単なんだけどね。


「毎日とは言わないけど、時々で良いなら僕が作ってこようか? 時々、二人暮らしでは有り余るぐらい食材が増える時があってね」


 と僕が言った瞬間に、ガタリと音がして、横を見ると紫苑が立っていた。


「えっと……」


 あれ、なんかミスった!? そういう流れだよね!?


「……対価はなんでしょうか」


 まっすぐに僕を見つめる紫苑の耳と尻尾に動きはない。というか言葉が丁寧になってるよ。


「え、いや、対価とか別に」

「駄目です」


 むっとする紫苑に僕はどう返そうか迷った末に、こう言ってしまったのだった。


「じゃあ時々で良いからさ、こうやって一緒にお昼食べようよ。今日だけ、とかじゃなくて」


 僕はドキドキしながら紫苑の反応を待った。今日、一緒なのはあくまでお詫びとしてだ。だけど、これっきりというは少し寂しい。


 僕は、ガラにもなくそう思ってしまったんだ。


 そんな僕を見て紫苑は――犬歯を覗かせる、ぶっちぎりに可愛い笑顔を浮かべ、頷いたのだった。


「うん! あ、お弁当箱ない」


 笑顔から一気にしょげた表情になる。そういえば、教室ではいつも笑っているだけだったけど、僕の前だと結構表情豊かなんだよね、紫苑。


「うちも母さん用のしかないな」


 もうほとんど使ってないけど、流石に赤の他人が使ったやつは嫌だろうし。


「今日、放課後に買いに行こうかな! 一里も一緒に行く?」


 紫苑が自分の提案に嬉しそうに笑う。僕に、いや、この世界に生息する全ての雄生命体に、これを拒否できる奴はいるのだろうか? いやいない。


 なので勿論僕は、即答した。


「行かせていただきます!」


 こうして、僕は紫苑との放課後デートの約束を取り付ける事に成功したのだった。

 

 

 僕は楽観的だった。何もかもが上手くいっていた。だから、僕は浮かれて忘れてしまっていた。異世界での旅で嫌というほど経験したというのに。


 物事が全て怖いぐらい上手くいっている時に限って――があると。


 忘れていたんだ。

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