4話:嘘つきと狼

 

 その後、僕と紫苑はたわいもない話でしばらく盛り上がり、午後21時を過ぎた辺りに解散することにした。陰キャで女子とろくに話したことのない僕は、紫苑みたいな可愛い子と普通に会話できることに感動していた。


 僕今、陽キャになってるよね!?


「今日はありがとう。時間遅くなったけど大丈夫?」


 店を出た紫苑が僕へと振り返りながらそう言った。


「あー、僕の家、母さんと二人暮らしだから。母さんは夜の仕事だからこの時間は家にいないんだ。紫苑の方こそ大丈夫?」

「実はいうと門限は19時だったり……」


 ふふふ、と笑う紫苑。それは、仕掛けた悪戯がいつバレるかを楽しみにしている、子供のような笑顔だった。


「それ、怒られるんじゃない?」

「かもね。ま、いいんだよ。あいつらの都合で振り回されてばっかだから」

 

 紫苑はきっぱりとそう言い切った。どうやら紫苑の家庭は円満というわけではなさそうだ。


「そっか。ま、色々あるからね。じゃあ家まで送るよ、もう遅いし」

「大丈夫。こう見えて、あたし結構強いからね」


 紫苑が拙いシャドウボクシングの真似をするので、僕は笑ってしまった。余計に心配になるよそれじゃ。


「それでも送らせてよ。僕は心配性でさ」

「ん、分かった。じゃあ送ってもらおうかな」


 僕の言葉を受けて、紫苑が嬉しそうに頷いた。尻尾がぱたぱた揺れているところを見ると、間違った行動ではなさそうだった。


 そうして僕は自転車を押しながら紫苑と歩き始めた。なんだか、良い雰囲気な気がする。


「あのさ紫苑、その尻尾と耳はいつも見えてるの?」

「ん? うーん、出たり引っ込んだりしてるかな? でも、出る頻度は増えてる気がする。特に今日、一里に会ってからは良く出る」


 怒っているのか笑っているのか分からないような口調でそう言う紫苑は、まっすぐ前を向いたままだ。

 僕はその綺麗な横顔を見つめる。こうやって一緒に歩いてるだけでも何だか幸せだ。


 だけど、そんな気持ちになりながらも僕は、無意識で周囲に警戒し、夜空を見上げた。だけど当然、上からの襲撃者なんてものはおらず、ただ月光が優しく辺りを照らしているだけだ。夜に魔物を警戒せずに出歩ける日本は、やはり良いところだなあだと実感できる。


 横で揺れるふさふさの尻尾。それを見て、異世界での旅を少し思い出し、ふぅ、と息を吐いた。僕がこちらに帰ってきた日。それと同時に紫苑の耳と尻尾が生えてきたのが偶然とは思えない。


「やっぱり僕がなんらかの要因なのかもなあ」


 僕らが歩く道の横には小さな公園があり、その入口を通り過ぎながら紫苑が僕の呟きに反応する。


「ま、一里が怪しいのは確か。でも、今は証拠不十分」

「証拠が揃ったら?」

「噛み付いてやる」


 冗談っぽく歯を剥き出してにして僕に唸り声をあげる紫苑に、僕は世界で戦っていけるレベルのその可愛さに悶絶するのを我慢して、怖がるフリをした。


「そ、それは怖いな」

「うわ、全然怖がってない。一里は演技下手くそ」


 拗ねたような顔付きで紫苑が顔を逸らす。表情豊かで見てて飽きないなほんと。


「正直者と言ってくれ」

ではあるけどね」

「へ?」


 紫苑が僕に振り返る。その顔に浮かぶ表情からは、僕は何も読めなかった。

 綺麗だし、笑顔だけど、笑ってない。


「家そこだから、もうここでいい。また明日ね」

「え、あ、ちょっと待っ――」


 僕が制止しようと手を伸ばすも、紫苑はそれを置き去りに、スタスタと去っていった。伸ばした手をどうすればいいか分からず、そのまま後頭部に持っていき、頭を掻く。


「参ったな……」


 普通に会話は出来ていても……まだまだ女子は未知の生物だという事を僕は実感した。

 紫苑とは仲良くなれた。そう信じてはいるけども、まだまだ、距離がありそうだ。


 その辺りは人も魔獣も同じか。すぐに信頼関係が築けたらビーストテイマーなんてジョブはいらない。少しずつ、縮めていくしかないんだ。


 だけど。

 

「嘘つきか……」


 ビーストテイマーであったことか。【テイム】のスキルを紫苑に使ったことか。

 どちらのことなのか。それとも両方か。


 まあいずれにせよ、たった一日で何かが変わるわけではない。

 とりあえず明日は部室に行って稲荷川に話を聞いてみよう。それにこうなってくると、他にも魔獣がいるかもしれない。


 なんてことを考えながら僕は帰路についた。

 

☆☆☆


 翌日。

 クラス内での紫苑は昨日と変わらないオタクに厳しい系ギャルのままで、僕には一切話し掛けてこないし僕も関わらないようにしていた。棲み分けが大事なのだ。猛獣とネズミは一緒には生きられない……弱肉強食……南無。


 ただ紫苑からはラインが頻繁に来た。同じようなギャル系の女子と陽キャ系男子と喋りながらも、器用にスマホを操作して僕にメッセージを送ってくる。


 僕と紫苑は離れた位置に座っているが、彼女の前に立つギャルの声がやたら大きいせいで、会話が僕のいる席にまで聞こえてきた。


「そういや紫苑さー、昨日なんか早速呼び出しくらってなかった?」

「はあ? 誰に聞いたし」

「誰でもいーじゃん。つうか誰に? もしかしてコクられた!?」

「そんなんじゃないって」

「俺、見たぜ~。なんか陰キャっぽいやつだったな。あれ? あいつは確か……同じクラスの」


 ……っ! やばい! 見られてた!?

 もし紫苑を放課後に呼び出したのが僕だとバレたら、やばい。めちゃくちゃやばい。あいつらみたいなリア充に目を付けられたら絶対に

 それはもう最悪を意味する。幸い、うちの学校はそれなりに偏差値も高く、真面目な生徒が多い割にユルい校風のせいか、あまりイジメを見掛けることはなかった。それでもやはりヒエラルキーはあり、そして弄りキャラ、弄られキャラは存在する。


 僕ら陰キャは、どう足掻いても弄りキャラにはなれない。だから頑張って身を潜めて、せめて弄られキャラにはならないようにしているのだが……。


 僕は相当にやばいことをしでかしてしまった事を今さら後悔する。紫苑の犬耳と尻尾が気になりすぎて、絶対に普段ならやらないことをしてしまったし、今思えば校内じゃなくて、帰り道とかに話し掛ければ良かった。


 複数の視線を感じる僕は、トイレにでもとりあえず逃げようかと席を立とうとした瞬間に、スマホの通知音が鳴った。


 それは紫苑からのメッセージで、珍しくとても短くシンプルなものだった。


『ごめん』


 僕がそれを読んだ瞬間に、紫苑の声が耳に飛び込んで来る。


「はあ? 相手が誰であっても、あたしが素直に行くわけないじゃん。見間違いでしょ」


 そう言い切った紫苑にギャルが同意する。


「だよね~。ウチも、もし呼び出されてもブッチするわ~。あ、もしコクられそうだったら、それ動画撮ってユーチューブにアップしたら面白いんじゃね!?」

「それやばっ! 俺動画撮るわ!」


 陽キャ男子がケラケラ笑っている。僕には、それの何が面白いのか理解できない。


「あ、ユーチューブと言えばさ――」


 紫苑の言葉で話題が切り替わり、僕への視線が無くなった。僕は急いでラインで紫苑に、


『マジ助かった』


 と送った。するとすぐに返事が返ってくる。


『なんとか誤魔化せましたけど……すみません』

 

 紫苑の方を一瞬だけ見ると、露わになっていた犬耳と尻尾が垂れており、落ち込んでいるのが一目で分かった。表向きは友人達と笑ってはいるけど。

 

 なぜ彼女は僕に謝っただろうか。助けてもらったのは僕の方なのだが。


『一里に呼び出された事を隠してしまいました。後ろめたいことも、隠す必要も、全くないのに』


 なるほどね。いやでも、仕方ない。だって紫苑が住んでいる世界と僕のいる世界は全然違うのだから。端から見れば一緒かもしれないが、高校という閉鎖空間内では、その隔絶は絶対なのだ。


 だから、紫苑が僕と話したことを隠すのは仕方ないし、僕は気にしない。

 

 さて、どうしたもんかと後頭部をぽりぽりと掻いたあとに、ゆっくりと文面を作っていく。

 

『気にしなくていいよ。元はと言えば僕のせいだし』

『咄嗟に、良い言い訳が思い付きませんでした。ごめんなさい』


 放っておくとずっと謝ってきそうな雰囲気だ。


『じゃ、お詫びにお昼でも今度奢って貰おうかな』


 なので、僕は軽い気持ちで冗談っぽくそう送った。別にこんなものは約束でも何でもない。友人同士で、お前今度おごれよ~とか言って許すためのただの儀式だ。


 のはずだったのだが……。紫苑からの返信を見て、僕は天を仰いだ。


『分かりました。では、とりあえず今日のお昼を一緒に食べませんか?』


 違う、そうじゃない……だけど、そうですそれです! 

 神よ……あのクソ女神以外の神よ……ありがとう。


 光すらも置き去りに、僕は僕史上最速のタイピングで、『喜んで!!』と返信した。


 お昼までの間、紫苑の事が気になりすぎて授業が頭に入らなかったのは言うまでもない。

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