7話:半月が笑う
「嫌よ嫌よも、好きのうち、だろ?」
「離して。大声出すよ」
「やってみろよ、紫苑。明日から、お前の居場所なくなるけど。転校3日目でハブられたくないっしょ」
怖い。正直、めちゃ怖い。いやだってさ、背は同じか低いぐらいだけどさ。僕は陰キャだし、向こうは陽キャのリア充だ。勝負にならない。
だから、僕はこう考える事にした。こいつらはただのホブゴブリンだと。
僕は、紫苑に絡むその二人の男子に対し――口を開いた。
「にゃ、何してんだよ!」
めちゃくちゃ噛んだ!! あ、紫苑が笑うの堪えているのが見える。
「あん? お前誰だよ?」
「同じ制服じゃん……ってかお前、同じクラスの陰キャ……なんだっけ? 名前しらね」
二人の男子が鬱陶しそうに僕を見つめた。一瞬で、相手にならないと思ったのか、もう僕に興味をなくしている。
「一里、来てくれたんだ」
紫苑がそう言って僕に笑いかけてくれた。そしてその手で、スマホを弄っているのが見えた。
「こいつらがウザそうだったからさ。つい」
僕は笑えたと思う。
グイッと、一人の男子――いやホブゴブリンAに僕は襟元を掴まれた。
「え、何お前、もしかして紫苑を助けようとしてる系? マジで? 陰キャなのに? かっちょいいいねえええ!! 」
「紫苑が好きなんじゃねえの。乳でけえし」
ホブゴブリンBがにやついて紫苑の胸を触ろうとする手を伸ばした。
「紫苑がお前みたいな底辺の相手をするわけないだろ、家帰ってアニメでも見てろよ!」
僕を押し飛ばそうとホブゴブリンAが腕に力を込めようと瞬間に、僕はあえて――
そのまま足を相手の膝裏に掛けて、相手の力を利用しつつ地面へと投げる。
それは【
僕は背はそれなりに高いものの、筋肉の付きが悪く、戦士には向いてないと言われた。だけど、そういう奴にはそういう奴なりの戦い方があると……教えてもらったのだ。
まだ身体が鈍っていない事に感謝しつつ、ホブゴブリンAが頭を打たないように地面から10cmほど手前で寸止めする。
「へ?」
ホブゴブリンAは何が起こっているか分からないといった表情だ。
「陰キャ、
僕はそう言って、パッと手を離した。
ゴン、という痛い音と共に、頭を地面に打ったホブゴブリンAが悶える。
それに合わせて、紫苑が吼えた。
「あんたらのグループなんて、こっちからお断り! 陽キャとか陰キャとか知るか!」
紫苑の胸を触ろうと手を伸ばしたホブゴブリンBの股間に、紫苑によって綺麗な前蹴りが叩き込まれた。
「あッがッ……!!」
声が出ないほどの痛みに、股間を押さえて倒れ込むホブゴブリンB。
「一里っ!」
走り寄ってくる紫苑の手を僕は掴み、一緒に走り出した。
駅を通り過ぎて、僕らは走る。
あいつらも、風も置き去りに。
紫苑は走りながら大声で笑っていた。
「あははははは!! 見た、あいつらのあの顔! それに一里も、〝にゃ、にゃにしてんだよ!〟 って! 噛み噛みじゃん!! ウケる!!」
「うるせえ! めっちゃ緊張してたんだよ!!」
僕は怒鳴り返す。耳と尻尾をなびかせて走る紫苑の姿は凜々しくて、何よりも美しかった。
僕らは笑い合いながら走った。
疲れて、途中から僕らは手を繋いだまま線路沿いを歩く。薄闇と電車の通過する音に紛れ、紫苑がポツリと言葉を漏らした。
「一里、ごめん。あたし、凄く自分勝手な事言ってた」
「いや、紫苑の言う通りだった。僕は逃げていただけだ」
「私の理想を……押し付けただけだったのに」
「構わないさ。それに答えるのも、僕の仕事さ」
「仕事?」
「あ、いやなんでもない」
あの時――ロアに置き去りにされた僕は、死ぬかもしれない戦いに挑んだ。そういえば、あの時の相手も……ホブゴブリンだったな。結局、僕はロアに助けてもらったけど、僕なりに戦う背中は見せられた。
それから、ロアは僕の最高のパートナーとなった。
僕はビーストテイマーとしての第一歩は、多分あの時に初めて踏み出せたんだ。
「いつか、話してね。異世界の話。一里が何を見て、何を感じて、何を為したか」
紫苑の言葉に僕は頷いた。
「うん。何となくだけど……それが紫苑に耳と尻尾が生えた理由に繋がっている気がするんだ」
「やっぱり犯人は一里だったか! 開廷! 判決、有罪!」
紫苑がそういって、僕にじゃれてくる。
「紫苑法廷、即断即決すぎる!」
「あはは!」
紫苑は本当に嬉しそうに笑った。僕も釣られて笑う。
こんなに笑ったのは久々な気がした。
そのまま僕は紫苑を彼女の家の近くにある、例の公園の前まで送った。
「一里、今日はありがとう。格好良かったよ」
「明日が怖いけどね」
あいつらがどんな風に僕に報復してくるか。ああ、学校休みてえ。でも休んだら紫苑がひとりぼっちだ。それはまずい。
「あいつらの事なら、大丈夫、ほら」
そう言って、紫苑がスマホを取り出すと、レコーダーの録音を再生した。そこから流れるのはあの二人の男子の下卑た声だ。
「ずっと録音してたから、なんかあればこれで脅す。割と最低な事言ってたし。もう陽キャだから~とか陰キャだから~とかそういうのを取り繕うのは止める。普通に教室でも一里と喋るし、あいつらはともかく他の子とはこれまで通り仲良くする」
そう言い切った紫苑は良い表情をしていたと思う。
「……やっぱり僕が助けなくても良かったんじゃ」
「それでも、格好良かったし嬉しかった。じゃ、また明日ね、一里」
彼女は笑顔を僕に向けると、そのまま背中を向けて去っていった。
その笑顔の残像を僕をいつまでも見つめていた。
こうして、僕は紫苑の出した試練を見事にクリアしたのだった。ここから先は……まあ僕次第だろう。
「……努力、すっかなあ」
そんな事を言いながら僕は夜空を見上げた。そこには相変わらず半月が浮かんでいる。だけど、今はなぜか馬鹿にされている気がしなかった。
帰りますか。明日のお弁当の仕込みしないとな。
なんて考えながら家に戻ろうとする僕に――声が掛かる。
それは低い、獣の唸り声のような……男の声だ。
「よお……少年。良い夜だな」
公園の入口にある、逆U字の形をした防護柵に一人の男が腰掛けており、月を見上げていた。口元には煙草。高そうなスーツを着ているが、襟元はだらしなく開けており、会社員というよりはホストのような軽薄な雰囲気を感じる。
「……誰ですか」
僕は警戒する。なぜだろうか、この男からは、嫌な匂いがする。
「今宵は良い月だ。半月は良いよなあ。新月は暗くなるし、三日月はどうにも不気味だ。その点、半月は良い。形も分かりやすいし、何より――
男が立ち上がった。背が高く、伸ばしっぱなしのブリーチした髪。無精髭を生やした、その顔はワイルド系と呼ぶのだろうが、僕からすれば不衛生にしか見えない。
だが間違いなく僕とは違い、異性にはモテるタイプの男性だろう。
「君は随分と臭うな」
「はい?」
「
男はそう言うと、僕の肩にポンと手を置いて、そのまま立ち去ろうとした。
だけど、僕には分かる。僕の勘が囁くんだ。この男、
「待ってくれ、あんた、何者だ」
僕の声を、猫背気味に丸まった背中で受けたその男が、振り返りもせずに、ただ煙草を持った方の手を上げた。
「ただの動物好きのお兄さんだよ。また、どこかで会う日も来るだろうさ」
そして、男は闇に溶け込むように消えていった。僕は、追うかどうか迷ったが、結局その場から動けなかった。
「なんだよ……あいつ」
しかし、それを確かめる術を僕は持っていなかった。
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