2話:後輩は九尾の狐娘でした
その日の夜。犬崎さんの事が頭から離れずに自宅でぼーっとしていると、スマホが震えた。
『少し話したいことがあるのですが、今から会えますか?』
それは、犬崎さんからのラインだった。事務的というか普段のキャラとは違う丁寧な文面に僕は少し戸惑う。時計を見ると、午後八時をまだ少し過ぎた程度の時間だ。母はすでに仕事に出ているし、家には僕一人だ。
やべえ。クラスの子から来たラインにどう返したらいいか分からん。
しかもギャルだし! ケモ耳だし!
僕はスマホで、〝ライン 女子への返信の仕方〟で検索し、10回ほど書き直した物を――返信した。
『大丈夫』、と。
……。だってシンプルな内容の方が良いって! キモい語尾とかスタンプは極力やめて、端的に短く……。
僕のシンプル極まりない返信は、すぐに既読がつき、返事がついた。
『じゃあ、瀬太駅前のマクドナ〇ド前で良いですか?」
『おk』
『では、20時半にそこで』
『りょ』
その後、可愛らしいデフォルメされた子犬のスタンプが付いた。
ああ! 可愛い! ラインの画面越しでも可愛いよ犬崎さん!!
「でも……やっぱりなんかキャラが違うな……ギャルはこんな感じなのか?」
そんな事を考えながら、僕は何を着るか迷ったすえに、迷うほど服を持っていない事に気付き、結局いつものジーパンにパーカーの姿で家を出た。
もう初夏という事もあり、生温い風が吹いている。上を見上げれば空には半月が浮かんでいた。その隣には赤い<第2の月>はない。
「ははっ、地球だなあ」
それがなんだか寂しいような嬉しいような、複雑な気持ちだ。
久々に乗るママチャリの揺れを楽しみながら僕は駅前へと辿り着くと、煌々と光るマクドの前へと自転車を止めた。見たところ、まだ犬崎さんは着いていないようだ。
手持ち無沙汰に店舗の横で、スマホを弄ろうとした僕だったが、背後に気配を感じた。
「あれ? あれあれ? あれあれあれ? なんで先輩が? まるで誰かと待ち合わせをしているかのように突っ立っていますねえ。いやまさかそんな訳ないかー、だって先輩って陰キャだし、オタクだし」
僕が恐る恐る振り返ると、テイクアウトの袋を持った美少女が僕に向かって意地悪そうに目を細め、笑みを浮かべていた。スレンダーな体型に控えめなおっぱい。背は犬崎さんと同じぐらいに低く、スカートから覗く太ももが眩しい。
金髪に近い明るい色に染めた髪をボブカットにしたその美少女の名は――
幼少期から顔見知りであり、僕が所属している文芸部の後輩で、そこに所属するオタクや陰キャを小馬鹿にする事を生きがいにしているような奴だ。だけど、ルックスだけは良いせいで、その存在は許されていたし、同級生や先輩はそれでもこの後輩を可愛がっていた。
だが、僕は違う。ちょっとルックスが良いからと調子に乗っているこいつに、異世界から帰った今の僕ならガツンと言えるはずだ。
「アッアッ……えっと」
「会話になってないですけど?」
駄目でした。ううう……もしかしたら犬崎さんと喋れた流れで話せるかと思ったが、普通の女子は無理だ……。稲荷川とは幼い頃は普通に喋れていたのに、高校で再会してからは全然駄目だった。
「駄目ですよー先輩。陰キャは陰キャらしく家に引きこもってないと。こんなところにこんな時間に立っていると、まるでデートの待ち合わせしてる陽キャみたいですよ~? まあ先輩には一生縁のない話ですね~」
ぺらぺら喋る稲荷川の背後に、見覚えのある姿が現れた。
「お、犬崎さん!」
「流石、陰キャ、話も聞いてないし目も合わせられないんで……え?」
僕が稲荷川を無視して手を上げると、その背後にいた犬崎さんがコクリと頷いた。犬崎さんは制服のままだったし、なぜか犬耳も尻尾も見えない。無くてもパーフェクトに可愛い。
「もしかして、待たせた?」
「いや、少し僕が早く着きすぎただけだよ。時間も、ほら、今丁度午後20時半」
どうやら、耳や尻尾がなくても犬崎さんとは普通に会話できるようだ。それに僕が少し安心していると、口をぽかんと開き、いつもの細い目を見開いていた稲荷川がようやく声を絞り出した。
「え、マジで待ち合わせ? しかもこんなギャルと? え? 待って」
「
なぜか、犬崎さんが敵意剥き出しで稲荷川を睨む。うおー怖え。あれ、最初僕に向けていたやつよりずっと凶悪な眼差しだぞ。一部界隈の男子は喜びそうだが……。
「え、あ、えっと」
犬崎さんの迫力に負けた稲荷川が、あわあわしながら後ずさる。
「
犬崎さんがそう吐き捨てた。どうやら僕と稲荷川のやり取りを聞いていたらしく、僕が言われたセリフをそっくりそのまま返された稲荷川が顔を真っ赤にして、今度は僕を睨んでくる。
なんとも珍しい姿だ。黙ってたら可愛いのになあ……こいつ。
「い、
懐かしい呼び方をする稲荷川だったが、あれ……。なぜか稲荷川の頭にさっきまではなかったはずの――尖った、縦長の二等辺三角形の
待て待て……まさか、犬崎さん以外にも魔獣がいたのか!?
落ち着け……まずは冷静になろう。僕は深呼吸すると、口を開いた。
「彼女は、僕のクラスに今日転校してきた犬崎紫苑さんだ。僕の待ち合わせ相手だよ。んで、犬崎さん、こいつは僕の文芸部の後輩の稲荷川咲妃。口は悪いし、性格もアレだが、一応後輩なんだ。勘弁してやってくれ」
なぜか稲荷川相手でも急にすらすらと言葉が出た。ケモ耳が生えただけで話せるようになるとか僕、ちょっと単純すぎない?
「一里君がそう言うなら……」
犬崎さんが視線を稲荷川から話して、ため息をついた。
「うそだ……夢だ……幻だ……狐に化かされているに違いない……あの一兄が……いや……嘘だ!」
ブツブツ言いながら、稲荷川が走り去っていった。いや、狐なのはお前の方だろうが。
あの耳と、尻尾。僕でなくても分かる。
ナインテール。それは魔獣の中でも最も高い魔力と知力を持っているとされ、扱いは難しいものの、上手く使役出来れば最高のパートナーとなる狐系のモンスターの最上位種だ。
僕も、異世界では散々苦労して、一匹のナインテールをテイムしたっけ。まあ大変だったのは使役してからだったが……。
そんなことをふと思い出した。そういえばあいつは元気にやっているだろうか。
「さっきの子、狐みたいだった」
そう、犬崎さんがポツリと呟いた。うん、確かに、狐耳も尻尾も痺れるほど似合っていた。ずる賢く小悪魔みたいな稲荷川にはぴったりだ。やっぱり美少女は何をプラスしても可愛いからずるいよなあ……
じゃなくて。
「え、犬崎さんにも見えてた?」
「うん。いきなり耳と尻尾が生えてびっくりした」
どうやら、犬崎さんにも見えていたらしい。だけど、僕の覚えている限り、異世界に僕が行く前の稲荷川には耳も尻尾も生えていなかった。つまり……僕がこっちに帰ってきてから生えてきたのか、もしくは元々あって、見えていなかっただけか……。
「……あたしと一緒だ」
「だね」
なんだ? 美少女にだけケモ耳が生える呪いでも蔓延しているのか? だとすれば朗報だが……そんな訳がない。
「とりあえず、入ろっか。あと、あたしのこと、紫苑でいい」
ぷいっと、マクドの入口へと顔を向けた犬崎さんがそう呟いた。
「へ?」
「犬崎って名字、あたし嫌いだから」
なるほど。名字で呼ばれるのが嫌いなら仕方ない。というかなぜか僕もナチュラルに下の名前で呼ばれてるし。ギャルはそういうものなのだろうか。ならば、遠慮無く呼ばせてもらおう。
「えっと、紫苑さん」
「さんも要らない」
マジかよ。
「じゃあ、紫苑」
「ふふ、それでおっけ」
「じゃあ僕も、君、いらないよ」
「……っ! わ、わかった……一里」
なぜか僕以上に動揺する犬崎さん……じゃなかった紫苑の頭に、先ほどまでなかった犬耳とブンブンと揺れる尻尾が見えた。
ああ……可愛い過ぎる。ギャルっぽくて第一印象が怖い感じだった分、耳と尻尾の可愛さのせいで一気に好感度が爆上がりしてる。ギャップ萌え? という奴だろうか。
「素晴らしい……」
「え? 何が?」
「なんでもない」
僕は誤魔化すように適当に注文し、二階の一番奥の席に座った。学生の集団が騒ぎ、仕事帰りの社会人が黙々と食事をこなしている中で、僕の前に座った紫苑が口を開いた。
「あのさ……この耳と尻尾の事なんだけど」
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