第18話:夕刻の激突

 真横になぎ払われた狐のかぎ爪と、黒羽の槍とが中間で激突する。衝撃で木っ端が飛び散った。一旦距離を置き、今度は反対側から。常人には真似出来ないレベルの戦いが、常人には真似出来ないレベルの速度で繰り広げられる。

 威力にさしたる差は無いのだろう。打ち合いは拮抗していた。……いや、違う。よく見れば狐が力任せなのに対して、黒羽は攻撃を正面から受け止めることなく、横へ下へと的確に受け流している。滑らかに武器を振るう姿は、まるで中世の騎士みたいだ。

 その様子を窺いながら、僕は近すぎず離れすぎずの絶妙な距離を保つ。

 戦力的に役には立てない。下手に割り込めば死ぬだけだ。それでも万一の場合に備えて、いつでも援護に入れるよう身構えながら、僕は少しずつ後方へと歩を進めていく。

 突然、狐が黒羽との間合いを縮めてきた。これまでより格段に踏み込んで放たれた一撃を、黒羽はすんでのところで上体を逸らし回避する。


「ハッ!」


 返す刀で繰り出したキックが、狐の脇腹へもののみごとに突き刺さった。


「……どうだ!?」


 吹っ飛ばされた狐は空中で体勢を立て直す。そのまま木の枝を中継点に着地した。

 痛みはたしかにあるのだろう。口元が苛立たしげに歪んでいる。だが目立ったダメージを受けているようには見えない。投げ槍で負わせた傷も、いつの間にか回復していた。

 想像以上に頑丈だ。


「……おのれ、しぶとい」

「効くわけねえだろ。そんなんで俺は殺せねえよ」

「さて、それはどうかな。……楓」


 合図が来る。今いる場所から僕はさらに後退する。やがて戦いは茂みの中へと移った。

 ここからは見通しも悪くなる。道のりは何度も確認したが、それでも迷う可能性があった。記憶と狐と足下と。三つのことに気を配らないといけなくなったせいで、緊張も一気に倍増する。

 狐の攻撃は大ぶりで、こうして離れたところからでも、ゾッとするほどの重たさを感じることが出来た。一撃でもくらえば致命傷になりかねないそれを、黒羽は時に受け流し、時に身を引いて躱していく。

 力は狐が上なのだろう。だがスピードは、彼女の方に部があるらしい。


「クソが……めんどくせえんだよ!」


 狐の足が地を蹴る。上空から勢いをつけた攻撃なら、黒羽も受け流すのは難しい。そう考えたのだろう。

 僕は咄嗟に左手を突き出す。片手でも組める印があると、戦いの前に黒羽から教わった。

 狙うはやつの胴体。失敗なんて考えない。どれだけ事前に練習をしたと思っているのだ。


「斬!」


 簡易版なだけあって威力は落ちる。だが当たれば十分だ。

 僕が呪文を唱えた直後、狐の右足にうっすらと切り傷が生じる。狐はグラリとバランスを崩し、身体を斜めにして地面へと墜落した。


「落としたよ!」

「ナイスだ、楓!」


 黒羽が素早く追撃を加える。ハイキック。続けざまに回し蹴り。肉体と肉体がぶつかる鈍い音が響く。強烈な連撃を真っ向から受けて、狐は初めて後退の仕草を見せた。

 現在の間隔を維持しつつ、僕たちは川の方角へ向け更に進んでいく。

 壺の形をした大岩が現れた。中間地点のしるし。ここからは傾斜も強くなる。黒羽が狐を押し留めている内に、僕は木の枝を掴みながら坂を登っていく。

 今のところ、全て作戦通りだ。だが……どうしてだろう、やけに心がざわついてしょうがない。

 相手は仮にも、人間に成りすませるだけの知能を持っているようなやつだ。僕たちが積極的に戦おうとしないこと、更にはその目的まで、うすうす勘付いている可能性はある。

 このままでは終わらない。きっと、狐は考えている筈だ。僕たちの目論見とその打開策を。いや、あるいは既に……。


「おら、しつこい女は嫌われんぞ?」

「余計な……お世話だっ!」


 黒羽が再び回し蹴りを放つ。練度の高さが感じられるそれを、狐は後ろへ飛び退いて避け、苛立たしげに舌打ちをした。


「そこをどけ」

「嫌だ」

「お前に興味はねえ。楓を残してどっかに行けば、お前は見逃してやってもいい」

「嫌だと言ってる」

「……どうしてそんなに強情なんだ? 死ぬかもしれないとか考えないのか?」

「楓を守ると決めたんだ。そのためなら命を賭けたっていい」

「……ああそうかよ」


 悪態をつく狐。そのまま途端に踵を返し、霧の彼方へと姿を消してしまった。

 諦めたのか? いや、やつに限ってそんな筈はない。現に敵意を帯びた視線は、今なおどこかから浴びせられているのだから。


「……黒羽」

「動くな、楓。……すぐ見つけ出す」


 黒羽が身構えたその時、右側の茂みから影が飛びだした。


「――っ、そっちだ!」


 片足を持ち上げ、ハイキックを繰り出す。彼女のかかとが、襲いかかる狐を確かに捉え……その肉体を抵抗なくすり抜ける。一瞬前まで獣だった筈のそれは、いつのまにか木の枝に変わっていた。


「幻覚か、くそっ……」


 戸惑う黒羽。こんな状況で近付いてくるものがあれば、何であれ確かめる前に迎え撃つ。狐はその心境を利用したのだ。

 これは陽動だ。そのことに気付いた僕が警告を発しようとした時には、もう既に手遅れだった。

 本命が上から来る。黒羽は完全に不意を突かれた。


「ぐっ、あああ!」


 悲鳴と共に鮮血が飛び散った。

 黒羽が右腕を抑えてよろめく。頼みの槍は攻撃を受けた拍子に落としてしまっていた。


「っ、この!」


 反撃として放った蹴りは、これまでよりも明らかに低速だ。狐は軽々とそれを躱す。醜悪な笑みに口元が歪んでいた。

 狐の尻尾が鞭のようにしなって、黒羽の顔を激しく打ち据える。右に。左に。三度目は顎を打ち上げるように。

 吹き飛ばされた彼女はそのまま地面へと転がった。口元から血が流れている。苦しげな表情。額に浮かぶ大粒の汗は、僕のところからもハッキリと見て取れた。

 まずい。


「斬!」


 助けなきゃ。その一心で呪文を唱えるも、気が動転して上手く出来なかった。

 熊本の奇跡は二度も起きない。今こそあのレベルの力が必要なのに……!


「斬! 斬っ!」


 少しはマシになった。だが、僕からのささやかな攻撃では、狐の意識をこちらに向けさせることすら叶わない。

 狐が黒羽に近付いていく。

 弱小な僕などいつでも殺せる。面倒な黒羽をまず先に。そういう腹づもりなのだろう。

 両手を地につき、片膝を立てて、黒羽はなおも立ち上がろうとする。狐の尻尾がするすると伸び、彼女の首に巻き付いて絞め上げた。


「……っ!?」


 身体が持ち上げられていく。足をばたつかせて藻掻く黒羽を、狐は激しく上下に揺さぶり、苦しませる。


「ぐ、がっ、あがっ……!」


 弱々しい呻き声に、僕の心が氷のように冷えていった。

 黒羽が死ぬ。死んでしまう。そんなの嫌だ。彼女を失いたくない。だけど僕一人の力では、やつから彼女を助け出すなんて出来っこない。

 ……こうなったら。


「おい、こっちだ!」


 手に持っていた槍を投げつける。威力が足りないせいで黒羽のようにはいかなかったが、幸いにも命中はしてくれた。狐の注意が僕へと向く。

 これみよがしに両腕を振ってみた。


「お前の狙いは僕なんだろ。ほらここにいるぞ。捕まえれるもんなら捕まえてみろ!」


 白状しよう、僕は今ものすごく怖い。馬鹿なことしてるなと自分でも思う。でも仕方ないじゃないか。これしか策を思い付かなかったのだから。

 黒羽が傷付く姿を見てたら、自然と身体が動いていたのだ。


「……てめぇ」

「どうしたの? もしかしてビビってる? へいへーい、こっちこっちー」


 中指を立ててみたりして、あからさますぎる挑発を繰り返す。

 こいつがどうかは分からない。だが、少なくとも結城なら・・・・・・・・・乗ってくる筈だ。あいつはそういう性格だった。

 案の定、狐の額に青筋が浮かび始めた。


「……そうか。そんなに死にたいか。なら望み通りお前から殺してやる」


 興味を失ったように、狐は黒羽を投げ捨てる。

 それでいい。今すぐ彼女に駆け寄りたいところだが、流石に叶わない相談だ。無事だと信じるしかない。

 狐がゆっくりと接近してくる。この光景、どこかで見た記憶があるような……分かった、テレビだ。息を殺してシマウマに忍び寄る、ライオンたちが丁度こんな動きをしていた。

 その映像だと、シマウマはライオンに気付いて逃げ出したが、最後には捕まって食べられてしまう。

 だが僕はそうはならない。知っているだろうか。肉食獣の狩りの成功率は、高くても五割に達しないのだ。


「殺してみなよ、化け物」


 吐き捨てるように放った言葉は、ある意味で自分への激励でもある。

 嫌な汗が流れる。狐の足が地を蹴ると同時に、僕は全力で走り出していた。

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