第4話:凜々しいナイト様

 財布の中身があまりにも心許なかったので、近くのATMで現金を引き出した。

 高千穂は地名を聞いたことしかなく、どのくらい交通費がかかるのかは完全に未知数である。ついでに言えば行き方もよく知らない。生まれも育ちも本州の人間なので、アパートの近辺以外、九州の交通情報がさっぱり分からないのだ。

 ただしそれでも、ここ福岡からの直通ルートは存在していなかった気がする。たしか熊本を経由する筈。詳細は後で調べるとして……念のため、多めに持っておこう。黒羽と僕とで二人分かかるし。


「大学まではどうやって来たの?」

「お金のかからない手段を使った」

「つまり?」

「秘密だ。真似はしない方がいいし、出来ない。危険なんでな」


 何だか上手いことはぐらかされた感じだが、多分、色々な事情があるんだろう。気にしないことにしよう。

 券売機で切符を買い、タイミング良くやってきた博多行きの便に乗り込む。徐行でも運転してくれていて助かった。車やバイクを僕は持っていないので、遠出するには公共交通機関に頼るしかないのである。

 電車に揺られている間、暇だったので目的地までの行き方を携帯で調べた。

 予想通り、まずは博多から熊本へ。そこからバスに乗るらしい。到着予定はおよそ六時間後と出たが、霧があるためそれ以上に遅くなるだろう。

 意外と遠いな、などと思っていたその時、木崎さんから『ライン』が届いた。


『結城くんが探してましたよ!』と、可愛らしい顔文字付き。

『教えてくれてありがとう』。そう返してから、ふと、本を借りる約束があったことを思い出す。『今日の昼はごめん! 急用が入ったんだ』と追加で送った。

 返信はすぐに来た。


『大丈夫ですー、また今度で!』


 なんていい子なんだ……。

 これはここだけの話だが、彼女、実は結構可愛かったりもする。文面からも感じ取れる通り、綿毛のように雰囲気が柔らかくて、黒羽とはまた別ベクトルの美人さんだ。

 ちなみに恋人はいないらしい。が、僕は木崎さんが以前『結城くんってカッコいいですよね』と漏らしているのを聞いたことがある。つまりはまあ、そういうことだ。気付かないふりをしつつ、ささやかに応援中である。

 携帯を仕舞った。横からふと、視線を感じる。振り向けば、黒羽が僕のことを見つめていた。


「どうかした?」

「……別に」


 パッと顔を逸らし、小さく呟く。


「汝のことが気になっただけだ」


 そっけない答えに息が詰まった。

 なに、その思わせぶりな台詞は。


「あ、ああそう。どうぞご自由に」

「いい。もう満足した」

「……左様でございますか」


 からかっているんだろうか。だとしたら止めて欲しい。黒羽の凜々しさでそんなことを囁かれると、冗談と分かっていても変な気持ちを抱きそうになるのだから。

 気まずくなった雰囲気を誤魔化すべく、僕は頑張って明るめの声を作った。


「さっき確かめたんだけど、高千穂まではだいぶかかるって。今が午後一時だし、明るい内に着くのは難しいと思うんだ」

「そうか……時間が要るのは構わんが、夜になるのは良くないな。汝も私も夜目が効かない。そこを襲われたら面倒なことになる」

「師匠の居場所にもよるけど」

「山奥だ。それなりに歩くぞ」

「なら熊本あたりで一泊するのはどう? 人気の多い都会なら、あいつも少しは襲って来にくいだろうし」


 物騒な会話が他人の耳に入ると面倒なので、小声で提案する。黒羽はしばらく考えた後、頷いて了承の意を示した。


「宿泊場所はどうする」

「僕が見つける。駅前ならビジネスホテルもたくさん。手当たり次第に行けばどこか空いてるよ」

「なら、任せた」


 僅かに車体が傾いて、電車は地下へと潜っていく。窓の外が暗くなった。


「なんで僕を守ってくれるの?」


 何気ない風を装って尋ねれば、彼女は怪訝な表情を浮かべて返す。


「どうしてそんなことを訊くんだ」

「気になるからだよ。僕は君を知らない。君だってそうだろ。見ず知らずの相手のために、そこまで必死になれる理由が知りたい」


 幼い頃、狐に向かっていった誰かさんとは訳が違うのだ。

 敵は妖怪。先の一戦を見るに、黒羽も相当鍛えているのだろう。それでも戦闘は命がけになる。兵士や警官でもないのに、死を賭してまで初対面の人間を守ろうとする動機が、僕にはさっぱり思い付かなかった。

 ましてや僕みたいな一般人。イケメンでもなければ天才でもない。守る価値なんてそこまで無いだろうに。しかもあんな口説き文句まで言ってくるし……。

 黒羽が困ったように笑って、言った。


「秘密でもいいか?」

「……君がそうしたいなら」


 明らかな誤魔化しの反応に、思わず声のトーンが低くなってしまう。


「知らない方がいいこともある。……汝は、納得してなさそうだが」

「出来るわけない。だけど……実際、君は僕を守ってくれた。だから信じることにする」


 口にして改めて自覚した。黒羽がいなければ、今ごろ僕は死んでいる。

 その時点で、有り難がりこそすれ、彼女を訝しむ権利など僕には無い。だけど一方で、どうしても気になってしまう自分がいる。

 凜々しいナイト様。隠し事の中身を知りたいと願うのは、やっぱり傲慢なんだろうか。


「いつか教えるかもしれないし、教えないかもしれない」

「……どっち?」

「私にも分からない」


 黒羽がウインクをしてみせる。とても様になっていた。


「未来は現在の積み重ね、いつだって不透明だ」

「誰の言葉?」

「百パーセントの自家製だよ」


 そう言って、彼女は窓枠に肘を乗せ外の方を向く。地下なのでもちろん景色も何もない。

 またはぐらかされた。

 黒羽が自分のことを教えてくれないのは、何か特別な理由があるからだろうか。それとも、僕と必要以上に仲良くする気が無いだけか。

 もどかしさを感じつつも、無理には訊けなかった。

 瞼を降ろせば、電車の音がやけに大きく聞こえてくる。

 命をかけた僕たちの逃避行は、まだ始まったばかりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る