猫派⑤

 それから一分と経たないうちに、木蔭からけたたましい叫び声があがった。


 野良猫でも捕まえたのかという叫び声だった。


「ちょっと、放しなさいよ!」


「大人しくしていなさい。貴様は我が主の慈悲で生かされているだけなのですよ」


「意味わかんない! 私、まだ何もしてないわよ!」


 僕は声のする方へと駆け寄り、その人物を見て唖然とした。


「ムルジャーナさん?」


 あのいつもどこか人のことを見下しているムルジャーナが、首根っこを掴まれて地面に組み伏せられていた。


「ほう、主の知り合いの方でしたか」


「いいえ、敵です。きっと、ファハド様の寝首を掻こうと後を付けてきていたに違いありません」


 バラカは容赦なくいった。


「いやいや、敵ではないよ。だから、カミールももう放してあげて」


「はい」


「まったく、急に遅いかかってくるなんて非常識だわ。手首を痛めたから、後で治療費をいただくわよ」


 ムルジャーナは手首を擦りながらいった。


「ムルジャーナさん、どうして冒険者ギルドから僕たちのことを付けていたの?」


 僕の中にはまだムルジャーナに対する恐怖心が拭えておらず、表情筋がうまく動いてくれなかった。


「なっ、そんなことするわけないでしょ! 付けていたっていうなら証拠、証拠を出しなさいよ!」


「そんな子供みたいなこといわないで。それとも、僕の仲間が嘘をついてるって言いたいのかな」


 僕は珍しく怒った感じでいった。


 呪い装備を押し付けられた時でさえ、怒りという感情は沸いてこなかったのに、仲間のことを悪くいわれるのは許せなかった。


 尤も、呪い装備を押し付けられた時は怒りを通り越して、悔しさと惨めさしかなかったような気もするが。


「やっぱりそうだわ……」


 ムルジャーナは謝るわけでも逆上するわけでもなく、合点がいったという顔をした。


「何がそうなの?」


 僕はムルジャーナの意見を伺った。


「あなたが私に呪いをかけたんでしょ! だから私に不幸が続いているんだわ!」


「呪いをかけたっていうなら、呪い装備を渡してきたのはムルジャーナさんの方な気がするんだけど……」


「だからその腹いせに、私を呪ったんでしょ! 自分だけ不幸になるのは嫌だから、誰かの足を引っ張らずにはいられなかったんだわ!」


 ムルジャーナは感情任せにわめき散らした。


「僕は全然不幸になっていないし、ムルジャーナさんのことも恨んでもいないよ」


「いいから、あなたも不幸になりなさいよ!」


(えええええ)


 自暴自棄気味なムルジャーナをどうにか宥めようとしていたが、僕の手には負えないかも知れなかった。


「ファハド様、こんなのに構っていても時間の無駄です」

「うんうん、弱すぎるし放っておいても無害」


 バラカとレイラは鋭い皮肉を口にした。


「馬鹿にしないで!」


 ムルジャーナは土を握り締めると、それを僕の方へ目掛けてぶちまけた。


 その瞬間、カミールは咄嗟に僕の前に体を滑り込ませた。


 パラパラと、カミールの背に土のかぶさる音がした。


「大丈夫ですか、我が主よ」


「あ、うん」


 ただの土なので、当たったところで怪我すらしないだろう。ちょっぴり不快な思いをするだけだ。


「ムルジャーナといったか、ファラオに対する不遜ふそんな態度、本来であれば貴様の行為は死罪に当たるものだ。しかし、我が主は血に染まった覇道は望んでおられない」


「な、何よ、脅しのつもり!?」


 ムルジャーナはへっぴり腰になりながらも負けじと言い返した。


「早々にこの場から立ち去りなさい。そして、二度と我が主に近付くことは許しません。もし次にその顔を見かけたら、相応の罰を受けてもらいます」


 カミールは声を張り上げず、しかし凄みのある声で警告した。


 これで、ムルジャーナの心は折れた。


「何で私が、あなたが全部悪いのに……!」


 ムルジャーナは泣きじゃくりながら、とぼとぼと村の方へと帰っていった。


「何とかしてあげられないかな」


 去り行くムルジャーナの背を見て、僕は気の毒に思った。


「ファハド様、お人好しすぎます! そういうところもいいんですけど!」


(バラカは僕のことを止めたいのか止めたくないのかどっちなんだろうか)

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