覇の道も一歩から④

 来客用の椅子もなかったので、紅茶を淹れている間、バラカは僕のベッドに腰掛けてもらった。僕も普段はそうしている。


「はい、どうぞ」


 可愛らしい花柄のティーカップを差し出した。これも貰い物である。


「ありがとうございます。本当に私がこちらを使わせてもらってよろしいのでしょうか」


「うん、僕はこっちの方が使い慣れてるから」


 僕は風情の欠片もないステンレス製のマグカップで紅茶を飲んだ。


(うん、美味い)


「とても美味しかったです」


「喉も潤ったことだし、そろそろ行こうか。ちょっと休んだだけでもかなり楽になったような気がするよ」


「お疲れでしたら、もう少し休んで行ってもよろしいのですよ」


「そうしたいのは山々だけど、そうもいってられないからね」


 僕は気だるい体に鞭打って腰を上げた。


 家を出ると、腰が少し曲がったぼさぼさ白髪の老婆が佇んでいた。


「くたばったって聞いてたけど、まさか女を連れ込むほどピンピンしているとはね」


 僕の顔を見るなり、老婆は恨めし気にいった。


「どうしてこんなところにゴブリンが居るのですか? しかも、人の言葉をしゃべっています」


「いや、この人はアパートの大家さんだよ」


 僕はバラカの勘違いを訂正した。


 大家さんは何を塗っているのか知らないが、日陰で見ると青鈍色にびいろの肌をしているので、初対面の人は大体驚くのである。


「ゴブリンが建物を管理しているのですか!?」


 バラカは目を丸くした。


「バラカ、一旦ゴブリンから離れようか。――ところで大家さん、何か用事ですか?」


「家賃の支払いは三日後だよ。二週間もほつき歩いて、きちんと払えるんだろうね」


「はい、大丈夫だと思います」


 バラカにも気を遣われる財布状況だが、依頼さえこなせばここの格安家賃くらいは払えるはずだ。


「あたしゃそれを言いに来ただけだよ。じゃあね」


 大家さんはそう言い残すと、はす向かいの家屋に帰っていった。


「感じの悪い人ですね」


 バラカはつまらなさそうにいった。


「僕のことを心配して様子を見に来てくれたんだから、そんな邪険じゃけんにしないでも」


「そうでしょうか。私の目にはとてもそうは見えませんでしたけれど」




 ちょっとした寄り道を挟みつつ、僕たちは冒険者ギルドへとやって来た。


「ファハドく~ん!」


 扉を開けるや否や、シャザーが抱き着いてきた。


「お久し振りです。色々と心配をかけて、ごめんなさい」


 僕は胸に顔を埋めたまま謝罪した。


「謝っても許さないんだから。罰として、ファハド君は私に抱き着かれるのを拒否したらいけません」


「今までも許可していないのに抱き着いてきていましたよね!?」


「あれはあれ、これはこれよ」


「えっと、そろそろ放してもらえませんか?」


「だーめ、枯渇したファハド君成分の補給が完了してないわ」


 シャザーはさらに強く僕を抱き締めた。


(う、息が……)


「そこの女、いつまでファハド様に抱き着いているのですか」


 バラカは制すような声でいった。


 一応冒険者ギルドへ入る前に、大人しくしているようにといっておいたが、一分も持たなかった。


「見たことない顔ですね。どちら様ですか?」


「あ、この人はバラカです。冒険者になりたくて外の世界から来たそうです」


「ふーん。そういう割には随分と懐かれているように見えるわね」


 シャザーは懐疑の表情を浮かべた。


「困っていたところに声をかけたら、こんな感じになりまして」


「はい。私はファハド様に身も心も捧げると誓いました」


 バラカは堂々ととんでもないことを口走った。


「ちょっとどういうことなの!? 私とは遊びだったの!?」


 シャザーも負けじと根も葉もないことを言い返した。


「その話、詳しく聞かせてもらってもよろしいですか」


「シャザーさん、話をややこしくしないでください。バラカも落ち着いて」


 僕は二人の仲裁を試みるも、無力だった。


「あなた、本当はファハド君の何なんですか?」


「あなたこそ、ファハド様に付きまとうのはやめてください。迷惑です」


 バラカとシャザーはバチバチと火花を散らした。


「僕の話を聞いて……」


「ひぇ~、おっかねえな。止めに入ったらこっちに飛び火しそうだ」


「あ、ハリール」


「ようファハド、泣きたくなったらいつでも俺の胸にも飛び込んできていいんだぜ?」


「それは遠慮しておくよ、臭そうだし」


「おま、久々に顔を合わせた友に対する第一声がそれか!?」


「うそうそ。ハリールも僕が行方不明になって心配したよね……」


 僕は心苦しい気持ちでいっぱいだった。


「いいや、心配なんてこれっぽっちもしてないぜ」


 ハリールはけろりといった。


「え……?」


 予想外の返答に、僕は存外ショックを受けた。


「心配っていうのはそいつのことを信頼してないからするもんだろ? 俺はファハドが絶対帰ってくるって信頼してたからな」


 ハリールは親指を立てて、気障な白い歯を光らせた。


「また変なこといってる」


 僕はくすりと笑った。

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