03 友の言葉

「フィーネ殿? いまなんと申された?」

「お兄ちゃんを襲ったのって、ファントムなんじゃないかな」


 あまりに唐突で突拍子もないフィーネの発言に、エイミたちは顔を見合わせる。


「ファントムが? フィーネ、どうしてそう思うの?」

「だって、ファントムなら時空を自由に移動できるでしょ? それに、ラディカさんの占いで出た『混沌』って言葉……」


 エイミたちははっと息を呑む。フィーネが言わんとしている意味が理解できたからだ。

 ファントム――次元の狭間に潜む、人ならざる存在。その正体や動機は不明だが、世界を混沌に陥れようと企てており、これまで幾度もアルドたちの前に立ちはだかってきた最大の敵である。


「もしファントムがお兄ちゃんを狙ったんだとしたら……っ!」

「フィーネ!?」


 膝から崩れ落ちたフィーネにアルテナが駆け寄る。

 フィーネの両目からは滂沱の涙がこぼれ落ちていた。今まで堪えてきた感情が、考えないようにしてきたことが、自ら言葉にしたことで決壊したのだろう。


「もしお兄ちゃんがいなくなったら、私……」


 子供のように泣きじゃくるフィーネ。彼女になんと言葉をかけていいかわからず立ち尽くす一同。

 と、そんな中で一人、使命感に心を燃やす者がいた。


(むむ……まるでお通夜みたいなムードですわね)

(彼女の哀しみ……私には完全に理解はできませんけれど……)

(まだ泣くには早い。それだけはわたくしにも理解できますわ!)


 読書家のシンシアだが、彼女の辞書に「諦める」という文字はない。

 書物の中に閉じ込められ長い年月を過ごすうち、再び外に出ることを諦めてしまっていた過去。しかしある日、本当に突然、ある人物が彼女に手を差し伸べてくれ、外の世界に抜け出すことができた。今でも記憶の中でキラキラと宝石のように輝きを放っているその奇跡が、彼女に〝希望を抱き続けること〟の尊さを教えてくれたのだった。

 そして、その恩人と再会できた時の、あの全身が稲妻に貫かれたような喜び――それを感じられるチャンスはまだきっとフィーネにも残されているはずだ。


(あの時お姉さまの目を覚ましたように……ここはわたくしが、一発気合を入れて差し上げなければ!)


 強く決心したシンシアがつかつかとフィーネに歩み寄ろうとした、その時だった。


 〝パン!〟


 乾いた音が響く。

 アルテナがフィーネの頬を張った音だった。


「フィーネ、立ちなさい! 泣いてる場合じゃないでしょ!」


 アルテナが叫ぶ。両目を真っ赤に腫らした親友に向かって。

「……え?」

 打たれた頬の痛みも忘れたように呆然とした表情で、フィーネは目の前にある親友を見つめ返す。


「お兄さんがいなくなっちゃうかもって、不安になる気持ちはわかるよ。私だって……」


 まだ魔獣と人間が争っていた当時――魔獣軍がミグランス城に攻め込み、そこで魔獣王であったアルテナの兄ギルドナは戦いに敗れ、最期の言葉を残して消滅した。アルテナの目の前で。

 今となっては遠い昔の出来事のように感じるが、あの喪失感だけはいまだ鮮明に覚えていた。


「でも、あの時私たちは敗れてしまったけど、今こうしてフィーネの隣に立っていられてる。ギルドナ兄さんも私も、フィーネとアルドさんたちに救われたの。フィーネだってそうでしょう? あの時はアルドさんがフィーネを助けるために戦かった。だから、今度は私たちがアルドさんを助ける番だよ。……兄さんは違う考えみたいだけど、私はそう思ってる」

「アルテナ……」

「それに! アルドさんを取り戻したいと誰よりも願ってるのはフィーネでしょう!? だから泣いたらダメ! アルドさんを、そして私たちを信じて、立ち上がって!」


 選んだ道は違えど、ともに世界の行く末のために命を賭した兄妹と兄妹。それはこの場で唯一人、アルテナにしか言えない言葉であり――だからこそ、フィーネの心に深く突き刺さった。

 消えかけた炎が、再び燃え上がるのを感じる。

 全身に熱い血が巡り、打たれた頬が今さらになってじんじんと痛む。


「――ありがとう、アルテナ」


 フィーネは立ち上がった。


「わたし、諦めない。お兄ちゃんを助けるまでは、絶対に!」

「うん!」アルテナが優しく微笑む。「やっぱりフィーネはそうでなくっちゃね」


 フィーネは涙を拭うと、二人のやり取りを黙って見守っていた仲間たちにぺこりと頭を下げた。


「お願いします。アルドお兄ちゃんを助けるために、皆の力を貸してください!」


 ようやく元気を取り戻したフィーネに、仲間たちが力強く頷いてみせる。


「当然でござるよ。だがその頼み、しかと承ったでござる!」

「ええ。アルドを見つけて、今度はフィーネから一発かましてあげなきゃね!」

「ワタシの往復ビンタの権利はフィーネさんに譲渡シマスノデ!」


 先ほどまで沈鬱な空気に包まれていた場に、にわかに活気が戻る。

 その様子を見ていた他のメンバーもそれぞれ口元を緩ませていた……ただ一人を除いて。


「……ええと……?」


 片手を振り上げた姿勢のまま固まっているシンシアに、ソフィアが背後からそっと近づく。


「ふふ。あなたの〝それ〟、彼らには余計なお世話だったみたいね」

「うう……お姉さまったら、意地悪を言わないでくださいまし……」


〝ビーーッ! ビーーッ!〟――突然鳴り響いた機械音に全員が顔を向ける。

 鳴ったのはヒスメナの通信端末だった。


「こちらヒスメナ。……なんですって?」応答したヒスメナが驚きの声を上げる。

「そう……了解。この短時間でよくやってくれたわね。ええ、後はこちらで何とかするわ」


 短くやり取りをして通信を切ったヒスメナが一同を見渡し、厳しい口調で告げた。


「フードの男が見つかったわ。狙い通り、エアポートのカメラに映っていたみたい」

「本当!? やったわね!」

 舞い込んだ吉報にエイミが嬌声を上げるが、ヒスメナは険しい表情を崩さないまま、こう続けた。

「いえ、それが……突然、姿を消したらしいの」

「姿を消した? どういう意味でござるか?」

「そのままの意味よ。オペレータによると、エアポートのある地点で忽然と消えたらしいわ。そしてこうも言っていたわ。『』……と」


 〝空中に現れた穴〟――それだけで十分だった。


「時空の穴ね!」エイミが叫ぶ。

「となると、本当にファントムがかかわっている可能性が高くなってきたでござるな」

「フィーネさんの予想がクリティカル・ヒットデス!」

「しかし、どの時代のどの地点へ行ったかわからなければ意味がない。他に手がかりはないのか?」

 沸き立つ面々とは裏腹にクロードが冷静に指摘をする、が。


「……あるわ」


 そう答え、ヒスメナはようやく不敵な笑みを浮かべた。

「その男は消える直前に何かを呟いていたらしいの。口の動きから人工音声に復元したところ、ある単語をピックアップできたみたい」

「ある単語って?」

「『セレナ』――あなたたちならわかるでしょう?」


 ヒスメナに視線を送られたエイミたちは、思わず顔を見合わせる。


「セレナ海岸ね! すぐに向かうわよ皆!」


 エイミの掛け声を号砲に全員が走り出す。

 ついに尻尾を掴んだ。何が目的かは知らないが、フードの男はセレナ海岸にいる。

 そこで今度こそすべての決着をつける。

 フードの男の企てを阻止し、アルドを――我らが主人公を取り戻すのだ。

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