キルケニーキャットと災厄獣

三谷一葉

一匹だけで充分だ

1、荒野で見つけた小さな花

 見渡す限り、荒野が広がっていた。

 かつては洒落た都会だったのだという。

 いくつもの高層ビルが立ち並び、道の両脇にはブランドショップや高級レストランなど、宝石のように綺麗な店がずらりと続いていた。

 アスファルトの道には塵ひとつなく、街路樹の緑が目に優しい。

 スーツを着た男女は、人混みを縫うように忙しく歩き回り、仕事が休みの私服姿の人間はのんびりと買い物を楽しんでいたそうだ。

 今はその面影は残っていない。

 高層ビルは崩れ落ち、綺麗な店は瓦礫の山に変わった。かつて人々の目を楽しませていた緑は、もうどこにもない。

 スーツの男女と買い物客は姿を消して、代わりに紺色の戦闘服に身を包んだ守護兵団ガーディアンが巡回するようになった。

 一般人の立ち入りは、固く禁止されている。

「ありゃあ、これは厄介だねえ」

 崩れかけたビルの残骸の影に、二人の守護兵ガードマンが身を潜めていた。

 どちらも若い女だった。一人が双眼鏡を覗き込み、もう一人が光線銃を片手に周囲を警戒している。

「いち、にい、さん、し、ご··········うーん、いっぱいいるねえ。二人じゃ厳しいな。応援呼ばないと駄目かなあ」

 双眼鏡を覗いていた方が、のんびりとした口調で言う。

 小柄で細身の女だ。肩まで伸ばした黒髪を、うなじのあたりで一つに結んでいる。頬が丸く目が大きい。年齢は二十代半ばあたりだろう。

 額には武骨な保護用ゴーグル。

 腰には大きなウエストポーチ。

 手首には小さな腕輪型の通信機。

 足元はがっちりとした厚底ブーツ。守護兵の標準装備である。

「え、嘘。そんなにたくさんいるんですか」

「十匹以上。団体さんだね」

「ついてないなあ」

 光線銃を手にした守護兵がため息をつく。

 こちらは女にしてはかなりの長身だった。少年のように刈り上げた髪は薄い金色だ。

 胸元や腰まわりに女性らしい膨らみはあるものの、肩幅が広くがっしりとしているため、遠目からでは男性のように見える。

 年齢は小柄な守護兵よりもやや下、まだ二十歳になるかならないかというところだった。

「あ、でも今のところはまだ小型のやつばっかりだから。大型いないだけまだラッキーかもよ、梨乃りのちゃん」

「それ、全然ラッキーじゃないですからね、美夜子 みやこ先輩」

 珠野たまの美夜子が覗く双眼鏡の向こう側。

 そこには、かつての洒落た都会を完膚なきまでに破壊し、荒野へと変えた元凶がいた。

 体長は、おおよそ平均的な成人男性と同じぐらい。頭部は爬虫類のようにつるりとしているが、首から下には犬や猫のような白い毛を生やしていた。

 人間と同じように、二本の足でのんびりと歩いている。その足は、鳥の鉤爪のようだった。前足からは長く鋭い爪が伸びている。

 長い尻尾は硬い鱗に覆われていて、時折鞭のように振り回して地面を叩いていた。

 爬虫類のような頭に、獣のような胴体、鳥の手足を持つ化け物────災厄獣さいやくじゅう

 いつ彼らが生まれたのか。何を目的としているのか。知っている者はいない。

 ただ、街を破壊し人に危害を加える存在だということだけは、わかっている。

 災厄獣から人々を守るのが、守護兵団の仕事である。

 双眼鏡を覗いたまま、美夜子は左手を口元に寄せた。手首の通信機に向かって囁く。

「こちら珠野。A地区五番通りを巡回中、災厄獣の群れを発見しました」

「────数は?」

 無線機から、女の声が返ってくる。

 一條いちじょうケイト・優里亜ゆりあ。美夜子と梨乃が所属する守護兵団ガーディアン第五部隊の隊長は、まだ二十代の若い女性である。

 階級や身分などの差は天と地ほどもあるが、入隊した時期だけなら美夜子と同期だ。

「今確認できる範囲では、十三。私と梨乃ちゃん二人だけだと、ちょっと厳しいですねえ。五匹ぐらいだったら、距離さえあれば何とか」

「む、無理です無理です無理です、無茶言わないでください先輩」

「すぐに応援をやるわ。あんたたち、それまでそこで大人しくしてるのよ」

 梨乃がぶんぶんと首を横に振り、通信機からは地を這うような低い声がした。

 美夜子はけらけらと笑う。

「やだなあ、冗談ですよ冗談。いくら何でもこの数相手に特攻なんて────」

 軽口の途中で、美夜子は息を呑んだ。

 双眼鏡の向こう側。災厄獣は相変わらず、ゆったりとした足取りで歩いている。

 その中で、二匹だけ先行しているものがいた。後続を引き離し、土煙を巻き上げながら美夜子たちの方へ近づいてくる。

「────二匹、先行して来るものがいます。何かを追いかけている··········?」

 ────キィィィエエアアァァァッ!

 先頭の災厄獣が吼える。

 獲物の動きを封じるための、攻撃のための咆哮だ。まだ距離があるため皮膚の表面がびりびりと震える程度で済んでいるが、至近距離であれを浴びると拳で殴りつけられるような衝撃に襲われる。

(獲物がいなければあんな風に鳴いたりしない。何を追っている?)

 美夜子は双眼鏡を二匹の災厄獣から離して、その先にいる追いかけられているものを探した。

 崩れかけたビルや、瓦礫の山の隙間。そこから、ちらちらと姿を覗かせる何かがいる。

「────見つけた」

 二匹の災厄獣のやや前方。まだ十代前半あたりの少年が、瓦礫や咆哮の衝撃に足を取られながら、必死に走っていた。

 災厄獣は雑食だ。肉でも植物でも何でも食べる。

 もちろん────人間も。

「こちら珠野。災厄獣に追われている少年を発見。保護します!」

 通信機に向かって叫ぶのと同時に、美夜子はビルの残骸から飛び出した。

 ブーツの上部にあるスイッチを押す。加速装置が起動する低い音が響いた。

 保護用ゴーグルを掛けて、双眼鏡をウエストポーチに仕舞う。視界の右端に、加速装置の起動が完了したことを示す星型のアイコンを確認した。

 ウエストポーチから、十五センチほどの小さな筒を取り出して、右手に握る。

「ちょっと先輩!」

「援護、当てにしてるからね、梨乃ちゃん!」

 追いかけてきた梨乃にそう言って、美夜子は大きく地面を蹴った。

 一蹴りで一気に三メートルほど進む。加速装置の力を借りれば、最大で時速四十キロ程度は出せる。

 あまりにも巨大な塊は回避するしかないが、多少の瓦礫は勢いに任せて弾き飛ばすことができた。

(間に合え、間に合えよ··········!)

 前方に、諦めずに必死に走る小さな影が見える。加速装置の力を借りているのに、少年までが遠い。

 ────キィィエェエェアアァァッ!

 災厄獣の咆哮。少年が大きくよろめく。

 美夜子は小さく舌打ちした。どうにか持ちこたえてくれと、胸中で祈る。

「────先輩、左側、空けてください」

 梨乃の声が聞こえる。

 反射的に、美夜子は大きく右側に身体を傾けた。

 左の頬を掠めるように、青白い光が通り過ぎた。

 光はそのまま、少年の肩を掠めるように伸びていき、災厄獣の足元に突き刺さる。

 災厄獣が、青い光の前でたたらを踏む。

 癇癪を起こした幼児のようにその場で足踏みをして、怒りの咆哮を上げようと口を開け────その喉に、青白い光が突き刺さった。

「梨乃ちゃんやるぅ! 愛してるよー」

「軽口は、いいです。さっさと何とかしてください、先輩」

 美夜子は無邪気に歓声をあげたが、梨乃の返事はそっけなかった。

 一瞬だけ、背後を確認する。

 ビルの残骸を盾代わりにした梨乃が、光線銃を構えているのが見えた。

 災厄獣の目に、肩に、足元に、青白い光が突き刺さる。

 二匹いた災厄獣のうち、より先行していた一匹が足元から崩れ落ちた。

 必死に逃げて続けていた少年は、怯えたように両手で頭を抱えていた。それでも足は止めない。

 それで良いと思う。

 梨乃の狙撃で作った時間を、諦めずに走り続けた少年の努力を、無駄にはしない。

 瓦礫につまずいた少年が転倒した。災厄獣が迫る。

 彼と災厄獣の間に滑り込むように、美夜子は大きく地面を蹴った。

「標的を確認! 攻撃!」

 美夜子の声に反応して、右手に握りこんだ筒の安全装置が解除される。

 災厄獣の胸を薙ぎ払うように振るった時には、筒の片側から赤い光の刃が現れていた。

 赤光しゃっこうじん────梨乃の持つ光線銃、蒼光銃そうこうじゅうと同じく、災厄獣と戦うために作られた武器である。

 災厄獣が大きく仰け反った。胸元にうっすらと青い血を滲ませているが、まだ致命傷には程遠い。

 目を血走らせ、口を大きく開けて咆哮しようとする。

「隙あり!」

 半開きになった口の中へ、美夜子は赤い刃を叩き込んだ。

 災厄獣が目を見開く。赤光刃は、災厄獣の喉から後頭部を貫いていた。

 青い血が、赤光刃の柄を伝い、美夜子の腕まで濡らしていく。

 しばらくそのまま静止していた。災厄獣の目から光が消え、白く濁り始める。

(よし。死んだね)

 美夜子は赤光刃を引き抜いた。

 うつ伏せに倒れようとする災厄獣の胸を蹴り飛ばす。力を失った化け物の身体は横倒しになった。

 右手が、災厄獣の血で真っ青に染まっていた。軽く振って、払い落とす。

 それから美夜子は、背後の少年の方へ振り返った。

「よく頑張ったね、少年。もう大丈夫だよ」

 少年は両手で頭を抱えたまま、うずくまっている。   

 何が起きたのかわからないという顔だ。

「私は守護兵団ガーディアン第五部隊の珠野美夜子。みゃあこさんって呼んでね」

 美夜子が来るまで、散々怖い目にあったのだ。少しでも安心できるように、振る舞わなければ。

 そう思って、出来るだけ優しく見えるように笑いかけてみたのだが────少年は、ぽかんと口を開け、呆然とした表情のままだった。

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