第29話 直前強化合宿

 そうして我々は再び熱海のレコーディングスタジオに入った。

 合宿のときと同様、今回も部屋に引きこもりひたすら作業を行っている。

 ただしひきこもり場所はあのよくわからないタコ部屋ではなく『お嬢様専用』と書かれたレコーディングスタジオだ。

 朝七時に起きるとまずは一時間のミーティング。それが終わったら夜中の三時まで十九時間休み時間ゼロでひたすら練習。

「オッケー! オッケー! ばっちりだぞ! モンスターX!」

 ジャパニーズシャウトなる行為を行うのはもちろん初めてだが自分でも恐ろしいくらい調子がよい。なにをもってよいとするかは知らないがとにかくうまくいっているという感覚だけは確実にあった。

「すごいよーモンくんX♪」

「大腸の形がいい」

 俺のノドからは空間をきりさくような恐るべき音量と音圧の叫びが勝手に噴き出してくる。人生で一度もだしたことのない声がなぜこんなにも簡単に出てくるのかまるでわからない。

 ヘルはそれがモンスターXたるゆえんだという。だったらそうなのかもしれない。

 あんまり続けているとノドと耳がおかしくなってくるが、ドクターヘルが作った薬をスプレーするとたちまち治ってしまう。いよいよ化け物になったような気分だ。

「よーし! じゃあ次はグロちゃんのシャウトいくぞ! レッドアシッドドラゴニュート!」

 十九時間という時間は瞬きをするうちにすぎてゆく。


 深夜。練習終了後、例の屋上のテラスに向かう。

 俺とヘルはここで毎晩――

「おっ来たなモンスター」

「ヘル。始めるぞ」

「ああいいよ。ヤろうぜ。そこに座りな」

「早くしろ……!」

「そんなにがっつくなって」

「ハァハァ……いいから全部出せ!」

「わかったわかった。ほらよ見せてやるぜ」

「こ、これは……甘そうだ……!」

「そりゃ甘いさ。ショートケーキだもの」

 ――一緒に甘いものを喰うのが日課になっていた。

 練習で荒みきった心を少しでもマシにするためだ。

 今日のメニューは近所の喫茶店からオーダーしたアイスドショートケーキ。ムカついているときには変に凝ったものよりもこういったパワー系を食すのが一番だ。選んだのはヘルだがこれはナイスチョイスであるといえる。

 お上品に食べるなど糞くらえ。プールのヘリに腰かけ足湯のように水に足を突っ込みつつ、フォークを直接さして糖分の塊を喰らっていく。

「モンスターX。大分その格好も板についてきたな」

 ヘルは例のポニーテールスタイルに着替えていたが、俺はずっとモンスターの格好をしていた。これを取ると自分がなくなる気がして。

「だまれ。貴様になにがわかる」

 しゃべり口調もなんかおかしかった。

 でもなぜかヘルは嬉しそうに笑っている。

「なにがそんなに楽しい」

「おまえのパフォーマンスがいいからな。機嫌がいいんだ」

「俺は機嫌が悪い」

「なんで」

「当たり前だ。俺は練習のあとにさらに新作の言牙を作っているんだぞ。おかげでほとんど寝ていない」

「ククク。だっておまえが叫ぶのが一言牙だけじゃつまらんだろう?」

 などとホザきながら慣れ慣れしく肩に手を回してくる。

「でも。新作もいいがやはり『殺殺殺イイイ殺殺自殺殺殺コロ殺殺殺殺殺殺死殺殺ガイガイ』は名作だな」

「知らん。自分の作品が素晴らしいなどと思ったことは一度もない」

「そろそろ教えてくれよ。アレは一体なんのことを書いた言牙なんだ?」

「教えない」

「なんだ意地悪なんかしやがって」

「機嫌が悪いんだ。意地悪くらいする」

 などとくっちゃべりながらケーキをぞくぞくと口に運ぶ。快楽しかない。

「まあまあせいぜいケーキ食って癒されてくれ」

 言われるまでもなくそうする。これさえあれば他のことなど大概はどうでもいい。

「そうだ。今日はこんな癒しグッズもあるぞ。季節外れだけど――」

 そういうとヘルはポケットから細い紐状のものを取り出しそれに火をつけた。

「どうだ線香花火だ」

 紐の先端からすごい勢いで真っ赤な閃光が拡散される。

 綺麗なことは綺麗だが情緒みたいなものはまるで感じられない。

「かわいいだろ」

「だいぶん邪悪な感じがするがな。自分で作ったのか?」

「花火なんてのは簡単なんだ」

「本当かよ」

「作ろうと思えば打ち上げ花火だって作れるぜ」

 この娘が科学ではなく言牙とシャウトを自らの使命としたのは人類にとって幸福だったのだろうか不幸だったのだろうか。

「そういえば去年は文化祭で小型プラスチック爆弾の爆破実験なんかやったな。今年は時間なさそうだ」

「あっそう……」

「文芸部はなんかやったのか?」

「詩の朗読。ほとんど客はいなかった」

 ……英二見当ての女以外。

「そうか……そのときにおまえの存在に気づいていれば。今頃はもっとすげえのをたくさん作れていたかもしれないな」

「三年間の間に気づいたのが奇跡だよ」

「まァそうかもな」

「どこがよかったんだあんなものの」

「全部だよ全部」

「誤魔化すんじゃねえ。ちゃんと理由を言え」

 そういうとヘルはなぜだかちょっと照れ臭そうに髪を掻き上げながら質問に答えた。

「……怒りがあらわれていたから。なにに対してなのかはわからないが、なにかに怒っている。悲しんでいる。私と同じだと思ったんだ」

「おまえがいうところの俺の中のモンスターをみつけたということか」

「そういうことだ」

「他のやつらは誰もそんなことに気づきもしなかった」

「ククク。どうやらようやく理解したようだな」

 やつはニヤりと笑いながら立ち上がった。

「いいか。おまえのことを一番わかっているのは私だ」

 俺を後ろから抱きしめて首筋にキスをすると、

「つっ……!」

 そのまま噛みついてきた。こいつはケモノか? 犬歯を思いきり突き立てながら、舌先でペロペロ舐めたり唇で吸い上げたりとやりたい放題。抱きしめる腕にも物凄い力がこもりプルプルと小刻みに震えている。燃えるような体温、背中に当たる胸の感触、心臓がバクバク動いているのも伝わってきた。

「っぷっは……!」

 やつが牙を離したときには首筋が内出血によりグロテスクな紫色に変わっていた。

 犬歯が刺さったところからは血が垂れている。

「くぅ……! はぁはぁ……!」

「そんなに息が上がるまでヤッてんじゃねえよ……!」

「くくく……。はあ……! すまんすまん。あんまりおまえがカワイイもんだからヤリすぎた」

「ちっ! どっちがモンスターだ」

「ククク。ヤリたいならおまえもやり返していいんだぜ。私のカラダの好きな場所に」

「俺には人を食う趣味なんかないんだ」

「残念。食べて欲しいなァ」

 口元についた血をぬぐいながら子供みたいに笑っていた。

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