第28話 さようなら宮原文星

 中学生に上がる頃、両親の死因を知った。

 ショックや悲しみはほとんどなく信じられないくらい冷静にそれを捉えていた。

「彼らのように生きると僕も死ぬんだな」

 というのがそのとき思ったことだ。

 考えてみればあのときから既に俺はちょっとおかしかったのかもしれない。

 それからの人生は少しは楽しかったとしても常に絶望と虚無と共にあった。

 贅沢を言うなと言われても知らない。自分の人生が幸せであるかどうかを決めるのはどう考えても自分だ。


 理科室ではその翌日も紛争が繰り広げられていた。

「じゃあこれはどう説明するの! 『ガソミソガールズ、池袋BLITZ破壊!』ってちゃんと出てるんだから!」

「ただのネットの噂だろ」

「噂じゃないもん。ちゃんとした記事だもん」

「ああん? 東スポオンラインじゃねえかこりゃ。どこがちゃんとした記事だ」

「い、一応新聞社だし」

「あそこの記事はプロレス関係以外ぜんぶウソなんだよ。あらら逆に身の潔白を証明しちまった」

 イオは必死に己の主張を繰り広げているが、ドクター・ヘルは余裕の表情でその言葉を受け流していた。

 英二も苦笑い顔でギターの調音なんぞをしながらそれを見守っている。


 ――そこに。静かに歩み寄る影があった。


「えっ――!」

「誰……?」

「おまえは――」


 現れたのは化け物だった。

 サイヤ人のような肩パットのついた黄金のマント、上半身裸にゴキブリのように黒光りしたピチピチのホットパンツという服装で、長い黒髪をジェルでパキパキに固めて垂直におったてている。顔にはピエロのような赤いつけ鼻。真っ白に塗られた顔面から裸の上半身にかけて、ありとあらゆる卑猥な英単語が毛筆で書かれておりまるで耳なし芳一の海外版だ。そしてなぜか脇に古ぼけたノートパソコンを抱えている。ひどく珍妙なかっこうであるといえるが、なぜか面白さや愛嬌のようなものは一切なく、ただただ陰鬱で醜悪だった。

 ――案の定というか予想通り、イオと英二がその正体を見破るのにそれほど時間はかからなかった。

「セイくん!?」

「文星か!?」

 怪物は壊れた人形のように首をガクンと前に倒した。

「風邪ひいて学校休むって……」

「おまえってそういう芸風だったっけ?」

 怪物は二人を無視し――

「おいクソ野郎」

 そのしわがれた醜い声でドクター・ヘルに語りかけた。

 さすがの女怪物も唖然としている。

「文化祭でマイクを握ることにした。叫ばせろ。ZAZENは俺が殺す」

 脇に抱えていたノートパソコンを膝に叩きつけてまっぷたつに破壊した。

 ヘルの表情は困惑からやがて笑顔に変化して――

「お、おおおお! そうか! 待っていたぞ! その言葉!」

 そういって怪物に抱きついた。

 怪物が怪物に抱きついて見苦しいったらなかった。

「イオちゃん」

 怪物は今度はイオに語りかける。

「ジゴク・ファイヤー・ガソミソガールズの言牙――ようするに歌詞――を書いているモンスターXっていうのは僕のことさ。黙っていたけど僕は彼女の仲間だったんだ。つまりキミとZAZENの敵だったんだよ。ずっとキミを騙してしたんだ」

 イオは恐怖と困惑に顔面を引きつらせる。なんとなくあの途中までは楽しかった遊園地のことが思い出された。

「聞いてよ。自分のテーマ詞まであるんだぜ」

 抱きついているヘルを突き飛ばすと、昨晩一睡もしないでしたためた言牙を叫んだ。



【モンスターX】


赤トンボ舞う夕焼けの空

きれえだな

僕は脳セリーを混ぜられた 大事なムスコも爆ぜられた

生きる価値なし! 認め印押された

お役所仕事だね!

ころころころ……

あなでかい糞尿力発電所


ひまわり咲き誇る真夏の太陽

楽しいな

僕は内臓丸出し! 滑稽だな ムスメも陰部丸出しだな

死んだほうがいい届にサインを書いた

お役所仕事だね!

ころころころ……

見上げればほらブルースカイとゲルマン民族大移動


何度も轢かれたガマガエル

それでもそのたび息吹きカエル

でもジャクシは無限じゃない

いつか死を告げんじゃない?

カエルは墓もなく安らかに眠った…………………………


ならよかったんだけど

ホラみろもうすぐアレがくるぜ 地面の中から手だけ見えてる

ホラみろもうすぐアレがくるぜ 名前のない怪物 モンスターX!


モンスターX 死なずにさまよう

モンスターX 死んだからって死ねねねねねない

モンスターX ワガハイはネコ?

モンスターX さあ暴れるか?

モンスターX いや暴れない

モンスターX ムダに腐った体液で

       ちょっとばっかり迷惑だい

モンスターX ただそこにいる

モンスターX イミなんてない


 叫び終わった瞬間、ヘルの猛烈な拍手が理科室に響き渡る。

 イオはただ茫然と立ち尽くしていた。

 英二は――

「おまえがそうなった理由。俺は知ってるぜ」

 そういってスマートホンで『結果発表』のページを見せつけてくる。

「そのとおりだ」

 俺は平然とそう答えてやった。なんら感情が動くことはなかった。

「見てよイオちゃん! これが僕の本当の姿なんだよ!」

 イオの真ん前に両手を広げて立ち、ただでさえ醜い顔面をさらに歪めてわめきちらす。

「産まれたときからカスみたいな負け犬で。絶望を原動力に呪いの言葉を吐いて。それで同じくカスみたいなやつらの救世主になるんだ! かっこいいだろう!」

 イオは両手で顔を隠してうつむく。指の間からぽたぽたと水が垂れた。

「ほらちゃんと見てよ! 目え逸らしてないでさあ!」

 すると。俺の頬を強烈なビンタが襲う。

「私は――キミがキミであってさえくれれば! それでよかったのに!」

 イオはそう言い残して理科室から走り去った。

 英二もその後を追いかける――かに思われたが。

「おい文星」

 英二はなぜかギターをかき鳴らし始めた。

「おまえはバカだよ。今持っているものの大きさに気づかずにそれを捨てようとしている」

「ふん。すべてを持っているおまえなどになにがわかる」

「すべてか――」

 などと言いながらギターをジャカジャーン! と鳴らす。なんというチャラさ。バカである。

「そういうことなら今持っているもんは俺がもらっていいんだな」

 ギャルゲーの主人公でもあるまいし、それがイミすることがわからんほど俺は鈍感ではない。

 そんなことはとっくに気づいていた。

「……どうぞご勝手に」

 ギターをさらに激しくかきならす。なんだか異常に腹が立つ。

「ではそうさせていただくぜ! そして! おまえはなにも得ることはできない! おまえたちは絶対にZAZENには勝てないからだ!」

「なにを根拠に」

「俺の言葉にはおまえのへぼっちい『言牙』とやらでは勝てないからだ」

「――――! 貴様! まさか!」

 ガチャガチャギュイーーーン! ポーーーウポーーーウ!

 などというクソやかましい音を鳴らしたのち――。

「奴らに歌詞を提供しているのはこの俺だ! アイアム! ミスター・X!」

「――――――――!!」

 そういって両腕をクロスさせて『X』の字を作る。

 ちょっとかっこいいと思ってしまった。

「そうか奴らが言っていた内通者ってのは貴様か。黙っていやがって」

 そういえば名刺を渡されていたことがあったか。興味なさそうな顔をしていたクセに。

 ヤツはYESと答える代わりにジャカジャカとギターを鳴らした。非常にムカつく。

「というわけで! 貴様には一切勝ち目なし! イオちゃんは貴様なんか見捨てて俺に惚れる! というわけやな!」

 などといいながらなぜかギターをぶん投げて壁に叩きつけた。

「……ただし。今のままだったら。だけどな」

 捨て台詞とギターを残して英二は去っていく。

(俺はあいつに勝てるのか……? いやどうでもいいかそんなこと。どうせやけくそなんだ)

 後ろを振り返るとドクター・ヘルが見たことないくらいに無邪気に微笑んでいる。

「ご機嫌だな」

「あたりまえだろう。今日は私が大事に育てたモンスターの卵がようやく孵化した日なんだから」

 例え怪物のメイクをしていても、こんな風に笑っているとどうも普通の女の子に見えてしまう。

「なあ悲しいか。悲しいんだろう? 夢を失なって友達もいなくなって」

 そう言って俺のおでこを優しく撫でると――

「大丈夫。おまえの夢は私が取り戻してやるよ。クソ野郎」

 強烈な頭突きをブチかましてきた。

 痛い上に少なくとも友達を失ったのは確実にこいつのせいだ。

「よし。ではさっそく練習に向かうぞ。バイクに乗れまた例のスタジオに――」

「待て。その前に行くところがあるぞ」

「あん?」


 ★


 馬込から鶴巻温泉まではバイクでおよそ二時間を要した。

「もう着くぞ。どうする?」

「バイクごと突っ込め」

 俺たちは全速力のバイクにて露天風呂の囲いを破壊、湯舟に飛び込んだ。

「きゃああああああああああああ!」

「なんだ!?」

 さすがのZAZENも少々驚いていた。

「おいザゼン! ジゴク・ファイヤー・ガソミソガールズが宣戦布告にやってきたぞ!」

 温泉に沈むバイクに立って指をビシっと突き立てる。なかなか格好いい。

「あれぇ? アナタちょっと雰囲気変わりましたね。よりレイピーになったと申しますか、犯され甲斐がありそうですわ!」

 なんか喜んでるし、ちょっと変わったどころの騒ぎではないだろう。こいつの考えることだけはわからん。

「貴様は俺に犯されることなど不可能だ。なぜなら俺たちが勝つからだ」

 そういうと愁子はフン! などと鼻で笑った。

「あなたのようなゴミボコリ同然の凡人が? 天才のわたくしに? 冗談は顔とちんちんの皮だけにしたらいかが?」

 こいつは俺を敬愛しているのだか、バカにしているのだかさっぱりわからない。

「確かに貴様が天才でこの俺が凡人であることは認めよう。だがな。俺の中にはモンスターがいる」

「それはレイプの鬼みたいなことですか?」

(無視して)「そして凡人にしか言えない言葉もあるんだぜ」

 それを聞いた愁子とアヒトは顔を見合わせてアメリカ人みたいにやれやれと両手を広げた。

「まァいいですわ。とにかくやる気になってくださったならけっこうです。せいぜい楽しませてくださいな」

「ああ。ヘル、なにか言いたいことはあるか」

「おい愁子とやら」

「なんですの?」

「デーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーブ!」

「ではさらばだ」

 バイクを駆って走り去った。

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