第26話 ヘルVSイオ

 ――一週間後。

「さあ今年はどんな人がいるかなあ」

 生徒会室を訪ねて、応募用紙投函ボックスを開けさせてもらうことにした。

 ……こんな風に書くといかにもあっという間に時がすぎたように思えるけど、この一週間は僕にとってずいぶんと長く感じた一週間だった。始業式の日ドクター・ヘルに言われたことを頭の中でぐちゃぐちゃにかきまぜていたからだ。

 それでも時の流れは止まってはくれない。

「もう。気が早いわねえ」

 会長が応募用紙を一枚づつ箱から取り出して読み上げていく。

「『アスタルエゴー』」

「おお去年も出てたガールズバンドだ! 演奏うまいし、特にボーカルの子がかわいいんだよなー」

「『ポイヌーン』」

「ポイヌーンって言ったらアイドルのカバーやる子たち! 踊りがうまいってのもあるけど、なにせ顔がかわいいことにしか目がいかないよねー」

「『うどんの中の世界』」

「それすなわち全員女子のヒップホップユニット! 韻の踏み方がバカっぽいというかダジャレを言うのはダレジャ状態だけどとにかく顔がいいのだ!」

「『スーパーウォシュレット』」

「知ってる! 顔しか覚えてないけどとにかく顔が激顔だったねー!」

「イオちゃんてぶっちゃけアイドルの顔にしか興味ないんじゃねーの?」

「うんそう! そう以外のなにものでもない」

「ここまで開き直った『顔ファン』も珍しいな」

 十組ほどの名前が上がり最後に――イヤな予感は的中した。

「最後は――『ジゴク・ファイヤー・ガソミソガールズ』」

 生徒会長はこともなげに眉ひとつ動かさずにその名を口にした。

 ゴキゲンよく笑っていたイオちゃんの表情が般若と化す――

「どういうこと!? まさかウチの学校の生徒だったの!? そういえば確か十六歳~十八歳だってウィキペディアには……」

 英二と顔を見合わせる。もちろんなんの解決にもならない。

「はっ! まさかザゼンと闘うためにわざわざ!?」

「彼女たちは去年も出てたわね」

 全ての黒幕である生徒会長はしれっとそんなことをおホザきになられた。

「ウソー!? あっでもそういえば、メイド喫茶に立ってたときにステージからやったらやかましい音が聞こえたようなうっすらとした記憶が……」

 なるほど僕もイオちゃんと同じタイミングでメイドコスプレをしていたので、彼女たちのことが記憶にないのは道理である。僕はイオちゃんのように自分の出展の時間以外はずっとメインステージに張り付いていたわけではないが。

「会長! やつらは出場禁止にしよう!」

「どうして?」

「奴らはとんでもないうんこバンドだよ! 会場ぶっ壊したり、観客殴ったりしてしょっちゅう炎上してるし、違法薬物を使ってるとか、旧共産圏から銃器を密輸してるとか、ワシントン条約で保護された動物食べてるとかいう噂もあるよ! ネットの情報だけど!」

 なんだかえらく詳しくなっているようだ。だいたい合ってるし。

「でも去年の文化祭では大きな問題は起こしてないのよねえ」

 それは『起こしてない』というより『もみ消した』のではないだろうか。

「でもでも! やつらの歌? やばいんだよ! 演奏はやっかましいし、歌詞がちょう反社会的で! なにせ歌詞書いているヤツがアタマおかしいの!」

「……………………」

「でもねえ表現の自由ってものがあるからそれを理由に出場禁止にはできないかなあ」

「うーーーー! でもでも!」

「ちなみに――」沈黙を貫いていた英二が口を開いた。「誰なんですかメンバーは? 応募用紙に書いてあるでしょう?」

「そ、そうか! 英ちゃんナイス!」

 心臓がドクンと高鳴る。反射的に会長の目を覗き込んだ。だが彼女は涼しい瞳で――

「いえ。書いてないわね」

 と応募用紙を僕たちに見せる。

 そこには『ジゴク・ファイヤー・ガソミソガールズ』とだけ書かれていた。

「匿名希望みたいね。けっこういるから認めてるんだぁ」

 それは自分たちに都合がいいからルールを捻じ曲げているだけではないだろうか……?

 恐ろしい人だ。

「えっ! 待って……!」

 イオちゃんはなぜか会長から応募用紙をひったくり、大きな目をさらにでっかく見開いて凝視した。

「この丸っこい字は……!」

「――!」

 背筋が凍る。もはや賽は投げられてしまったようだ。


 ★


 僕とイオちゃんと英二は理科室に走った。

 例によってドアのカギは開いているが誰もいない。

「カギかかってないんだからいるはず……」

 イオちゃんは大きく息を吸い込むと、

「稲村さああああああああああああん」

 と叫んだ。

 するとどこからともなく「うるせえな!」という声が聞こえ、掃除用ロッカーの中から人間が出てきた。現れたのは完全装備状態のドクター・ヘルだった。

 イオちゃんは一瞬めんくらった表情を見せたが、すぐに鋭い目で彼女の全身を舐めるように見渡した。

「よーく見てみればやっぱりそうだ! くそー! 騙された! あんなケンカふっかけたあと馴れ馴れしくしてどういうつもりよ!」

「さあなんのことやら。つーか遊園地でケンカした客は女優気取りの格好した変な女であんたではなかったような?」

「なっ! 服は関係ないでしょ! それにどの格好の人が言ってるのよ!」

「おしゃれガール。あれはあんたが悪いんだぜ。あんたアイドルが好きなんだってな。もし好きなアイドルの音楽を騒音とか言われたらムカツカねえか?」

「うううう! うるさいうるさい! とにかく! ザゼンと同じ舞台には絶対に上がらせないんだから! これ以上あの子たち炎上させらんないよ!」


 その後しばらく口論がつづいたがまるで埒があかない。根負けしたのはイオちゃんの方だった。

「いい! ゼッタイに出させないからね!」

 部屋を飛び出し恐るべきスピードでずんずんと廊下をあるいていく。

 僕はそれを追いかけるのを途中でやめて、

「忘れ物しちゃった!」

 などと間抜けなセリフを吐きつつ、進行方向を一八〇度転換し理科室に戻った。

 一階にはもう誰もいなかったので、エレベーターに乗り込んで地下に降りる。

 ドクター・ヘルはそこにいた。

「よう。ここ座れよ」

 特に驚いた様子もなく軽い口調でそういった。

 彼女の言う通り対面に腰を下ろす。

「なんか用? それとも大好きな私と密室でもんのすごいイヤらしいことをしにきた?」

 彼女の軽口に付き合う余裕がこのときはなかった。

「僕が断ったのにエントリー用紙を出すってどういうこと? 断ったからには文化祭ステージには出ないのかと思った」

「そりゃあおまえが出ないんだったら。出る価値なんかないさ。でもな」

 左手で僕の頬に触れた。ぞっとするくらい冷たい手だった。

「必ず説得する自信がある」

「だってさ。おまえはヤリたいんだろ? 私と」

「おまえを一番評価しているのは誰だ? おまえを必要としているのは誰だ?」

 頬や顎を指でまさぐりながら異様に色気のある声で矢継ぎ早に言葉を繰り出す。まるでなにかの洗脳を受けているようだ。

「ひょ、評価なんて……一部の変な人だけだろう?」

 僕がそういうとヘルは冷ややかに笑った。

「変な人か。まあ違いねえ。でもそういうヤツにも救世主が必要なんだぜ。でなけりゃあ生きられねえ。ウチの両親がそうであったように」

「そ、そんなことは知らないよ! 言っただろう! 僕の夢は小説家になること!」

 ヘルはそのセリフを聞いてフンと鼻で笑った。

「夢って本当にそこにあるのか」

「え……」

「おまえはその場にとどまっていたいだけじゃないのか? あの娘がいてガキのころから書きなれた小説を書いて、それで夢なんか掴めるのか? ほとんどのヤツがつかめないものを?」

 大きな瞳を異様にギラつかせながら僕の両手を握ると――

「この指で本当に書くべきものはなんだ?」

 右手のひとさし指をねっとりと口に含んだ。

「なっ――!」

 舌を蛇のように絡ませながら、指が抜けそうなくらいに強く吸い上げる。

 ぷるぷるとした頬肉を指にぎゅうぎゅうに押し付ける。

 味わったことのない痛みと快楽。

 僕の表情を見て妖しく目を細めると、トドメとばかりに血が出るくらいに強く歯をつき立てた。

「ぷは……。もう一度よく考えろ。おまえが一番輝ける場所はどこか。そして忘れるなよ。モンスターXには救世主になる義務があるんだぜ」

「う。うるせえ!」

 僕は全身を振るわせながら彼女に反論する。

「こ、こ、こんなことしたって無駄だぞ! だって最高傑作が書けたんだ! 審査結果ももうすぐ出る! ヘル! キミの言っていることはなにもかも的外れだ!」

「ふぅん。そいつはよかったな」

「……ずいぶんと余裕じゃないか」

「なにがどうなろうがおまえは私のところに戻ってくるよ」

 ヘルはそういって優しく微笑んだ。


 家に帰っても指が覚えた感触がずっと消えなかった。

 胸の不安がじわじわと体に浸透し、腰の辺りがイヤな冷感に包まれる。

 風呂に入ってもなにをしても暖まることはなかった。

(でも! こんな風に不安なのもきっとあとほんのちょっとのことだ! 僕は間違ってなんていない! ……はずだ)

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