第18話 愛ちゃんと一緒
三時間ばかりさわぎにさわいで深夜一時。打ち上げはお開きとなった。
ちゃんと聞いていなかったが合宿自体もこれで大団円であろうか? 長い一泊六日の旅も終わりと思うとなかなか感慨深いものがある。
その晩の僕にはたいそう立派な寝室が用意されていた。できれば言牙作りもこんな部屋がよかったなーなどと考えながら天窓つきのベッドに倒れこんだ。
疲れ果てた僕はあっというまに眠りに落――
――ちなかった。
若干不眠症の気がある僕にはわかる。これは羊を数えようがヤギを数えようがなにしようがダメなパターンだ。
僕はさきほどのリゾートテラスに戻って外の空気でも吸う事にした。
「あれ?」
「おまえじゃん」
テラスには先客がいた。例のエッチなボンテージ水着の上に白いTシャツを着て、ビーチチェアに寝そべり文庫本を読んでいる。
「どうした?」
「どうも寝なさ過ぎて眠れなくて」
「変なの」
いつもの奇天烈なメイクをしておらず、長い髪をポニーテールに結んでいるので普段とはかなり印象が異なる。
「なに読んでるか聞いてもいい?」
「詩集」
「へえ。誰の?」
「知ってるか? 中原中也」
声のトーンもいつもよりずいぶんと落ち着いている。この声だけを聞いていたらあのようなすさまじいシャウトをするとは信じられない。
「知ってるどころか大好きだよ。なにげにけっこうシュミが合うね」
「スイーツしかりな。どの詩が好きなんだ?」
「『よごれちまつた悲しみに』かなやっぱり。ドクター・ヘルはどれが好きなの?」
「今はヘルじゃねえよ」
とはいえ眼鏡はしておらず、けっこうしゃべるので『隣の席の稲村さん』とも印象が違う。ちょうどヘルと稲村さんの中間といったところだろうか。
「えーっと……稲村さんは」
「名前でいいよ」
「……愛ちゃんはどれが好きなの」
ヘル……愛ちゃんはしばし考えたのち質問の答えを返した。
「まァ『また来ん春』あたりかな」
これは中也が二歳で亡くなった息子・文也への想いを綴った詩だ。
――なんとも胸がもどかしくなる答えである。
「いいチョイスだね」
「好きな詩人だからな。おまえの次ぐらいに」
そういってイタズラっぽく笑って見せた。
「ははは。過大評価が過ぎるよ それは」
「さっきは歌っててちょっとだけなにかが足りないような……そんな気もしたけどな」
「ご、ごめん」
「いやおまえの言牙が悪いって言ったわけじゃない。むしろ逆で私の問題だよ」
いつも自信に満ちあふれる彼女には珍しいセリフだ。やはり今の彼女はドクター・ヘルではないのだろうか。
「そういえばたぶん一個だけ叫んでない言牙があったよね?」
「『殺殺殺イイイ殺殺自殺殺殺コロ殺殺殺殺殺殺死殺殺ガイガイ』のことか?」
……あらためて他人の口からタイトルを聞かされるとじゃっかん死にたくなる。
「あれはちょっといまいちだったかなぁ?」
「バカ言うなよ。むしろ一番すげえ作品さアレは。ただ……」
「ただ?」
「いやなんでもない。つーか座れば?」と隣のビーチチェアを指さす。
けっこう足も疲れたし、お言葉に甘えた。
どうもカップル用に設計されたペアのビーチチェアらしく距離が極めて近い。
どうしても隣をちらちら見てしまう。
「ん? どうした?」
改めて彼女の『ドクター・ヘルメイク』も施されていないし、瓶底のような眼鏡もかけていない顔を見る。綺麗に整った目から鼻にかけてのライン、シャープな輪郭、ちんまりとして可愛らしい唇、そしてなにより印象的なのがその目。少し釣り目がちだけど、深い色に輝いた黒目がちな瞳、綺麗にカーブした長い睫毛、じっと見ていると吸い込まれそうになるくらいに魅力的で力のある目だ。
(そういえばイオちゃんが彼女のことをすごい美少女だって――)
「なんだよ。そんなじろじろ見て」
「い、いやその……えーっと……今ってコンタクトしてるの」
なかなか上手くごまかすことができたほうだと思う。
「してねえよ。左右ともに2.0」
「じゃあなんで普段はメガネしてるの?」
「目立たねえようにするためだ」
「どうして? むしろ目立ったほうがいいんじゃ?」
「IQ一桁のヤンキーじゃあるまいし、普段から無駄にイキり立ってなんのメリットがあるんだ? それで世界が破壊できるのか?」
世界を破壊……。以前に演奏に込めた思いを聞いたときにも言っていた言葉だ。
彼女にとってなにか重大な意味がある言葉なのだろうか?
「聞いてもいいかな」
「なに」
「ドク……じゃなくて愛ちゃんはどうして世界を破壊したいと思うの?」
「世界が腐りきっているからだ」
――どうして腐りきってると思うの?
と聞く前にその理由を教えてくれた。
「世の中に本当に幸せそうなやつがどれだけいる? 朝の満員電車のサラリーマンを見てみろ」
いらだった様子でポニーテールの先端を乱暴にいじくっている。
「私の死んだ両親もそうだった」
「両親も……?」
「やつらは社内結婚ってやつでな、同じ会社で働いていたんだ。でもどうもその会社はロクでもないところだったらしく。揃って生きる気力を失っちまった。愛するものがいるってのはそういったことの薬にはならねえらしいぜ」
彼女の両親のことは知らないので変わりに自分の両親の顔が浮かぶ。写真で見た顔しか覚えてはいないが。
「でな。思うんだ。やつらってそんなに特別不幸だったのかな? みんな同じようなもんなんじゃねえか? そりゃあ特別な才能があって人とは違う人生送ってるやつもいるよ。でもそうじゃないやつらはさ、学校は毎日同じようにすぎていって、すぐに大人になって、会社に入ったらまた繰り返し。ちょっとはおもしれえことがあっても一瞬のこと」
なぜか心臓の鼓動が早まる。顔の筋肉がゆるんで涙が出そうになる。
「なあそういうやつってどうやって生きたらいいと思う?」
「わ、わかンないよ」
「だよな。私はそれを見つけるためにジゴク・ファイヤー・ガソミソガールズをやってるんだ。まださっぱり答えは見つかってねえがな」
「それが世界を破壊するってことなの?」
「ああ」
そういうと自分でぐちゃぐちゃにしたポニーテールの毛先を綺麗に整え始めた。
「とりあえず今は。なにも答えはねえけど、絶望しているのがてめえだけじゃねえってことだけは伝えたい。そんな風に想っている」
怒っているような泣いているような表情の彼女に僕は思っていることをそのまま伝えた。
「愛ちゃんは優しいんだね」
「はあ!? なにいってやがる!」
そういうと顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。
「ごめん」
「あやまンなくていいよ!」
――しばらくして。僕に背を向けたままこんなことを小さくつぶやいた。
「ごめんな。めちゃくちゃして。でもどうしてもおまえが欲しかったんだよ。私の目的のために」
確かに冷静に考えれば彼女の僕に対する仕打ちはめちゃくちゃにもほどがある。でもなぜだかそんな感覚はとっくにどこか行ってしまっていた。だから僕は彼女にこんな風に告げる。
「いいよ。けっこう楽しかったし」
「そっか。ならよかった」
そういうとこちらを振り返って笑った。いつもの不敵な笑みや二ヤリとした笑いとは違う。ちょっと頬をふにゃっとさせただけの小さな笑顔。夜空に控えめに光る月のような微笑みだった。
「ありがとうね」
「あん? なにが?」
「キミのことを話してくれて。こんな風にゆっくり話すのは初めてだね。もっといろんなことを聞いてみたい」
すると彼女はふんと鼻を鳴らして少し頬を膨らませてみせた。
「私のことはもういい。それよりもおまえだよ。おまえのことが知りてえ」
なんだかちょっとドキっとするようなセリフだ。
「なぜおまえはあんな言牙がかける? 世の中のなにを呪いなにを憎んでいる?」
「そ、そんなたいした理由はないよ」
「それは?」
「僕は小説を書いてるんだけど――」
「知ってるよ」
「それがちっとも認められないからなんだ。賞に出してるんだけどいつも一次審査落ち。つい最近友達が大きい賞を受賞しちゃったから余計にみじめで」
「それだけ?」
「うん」
「くだらねえ――」
そうつぶやく彼女の目は遠くに浮かぶ星たちを見つめていた。
「――っていうけどさ。きっとそれってなによりも大事なことなんだよな。『夢』なんて言っちゃうと余計にくだらねえ感じがするけど」
「……うん。僕もそう思う」
「夢が叶うに越したことはねえ。そうなりゃあなにも悩むことはないからな。そういうものがあれば誰だって――」
「意見が合うね」
――そのあとはしばらく沈黙が続いた。
でもイヤではない。僕はしばらくこうしていたいな、などと考えていた。
が。愛ちゃんの方はそうでもなかったのか、突然勢いよく立ちあがると――
「でもよ! なんかちげー気もするぜ! この世にたったひとつじゃねえだろ! 夢なんてもんは!」
「えっ!?」
「うらあ!」
僕の鼻頭にかみついた! 久しぶりの狂犬プレイだ。
「なにすンだよ!」
なぜかそのときはけっこう乱暴な言葉が口をついた。でもそのことにあまり違和感もなかった。愛ちゃんも別段驚いたような顔はしていない。
「辛気くせえ顔してやがるからさ! ほらかみつきかえして見ろよ!」
そういってTシャツを脱いでプールに飛びこんだ。しぶきがかかって服がびしょ濡れになる。さらに追撃とばかりにドルフィンキックで強烈な水属性攻撃を喰らわされた。
「くっそぉ!」
僕もヤケになって服を着たままプールに飛びこむ。じっとりとかいていた汗が全て吹き飛んで気持ちがいい。だが水を吸った服の重みでどんどん沈んでいく。両手両足をバタバタ動かして辛うじてプールのヘリに指をかけた。
「あっぶ! 死ぬかと思った!」
「ははは! バカじゃねーのせめて上は脱げよ」
ヤツは牙をむき出しにしてゲラゲラ笑った。
その顔がなんとも憎らしく僕は思わず両手で水面をバシーンと叩いた。
ホントにむかつく。だけど。
こんな風に人前で感情をあらわにするなんて僕はあまりやらない。それこそイオちゃんや英二の前でも。
「なんだよ怒ったのか? いいぜどこにでも血ィ出るまで噛みついてくれて」
「言ったな! 一番エッチな部分血だらけにしてやるからな! そこで待っとけ!」
「ははは! 一ミリも動いてないじゃねえか! だっさ! マジ溺れ!」
「や、やっぱり痛いのは可哀そうだからやめておく!」
その後、彼女に手を貸してもらってなんとかプールから上がった。
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