第5話 ドクター・ヘル
十六時ジャストに理科室の入り口の前に立った。
ノックをするが返事はない。ドアに手をかけてみるとカギは開いていた。
失礼しますなどといいながらそろそろと部屋に入る。
中には誰もいないが電気はついていた。薬品の匂いが漂う部屋をぐるりと見回す。誰もいない理科室というものにはなんとも言えぬ不気味さが――
「……ん?」
目に入ってきたのは部屋の隅にある掃除用具を入れるロッカーだった。
そこには『ココニハイル』の文字が書かれた紙片が貼られている。
(かわいい字……。たぶん手紙の人からのメッセージ……)
どうもその指示に従ってみるしかなさそうだ。
僕は細い体をさらに縮めるようにしてロッカーの中に入って扉をしめた。すると。
――それはエレベーターだった!
ロッカーはものすごい勢いで垂直に落下する。普通のエレベーターとは比べ物にならない強烈な体が浮きあがる感覚。十秒ほど落下したのちほとんど減速することなく着地した。
落下の衝撃で扉が勝手に開く。そこに広がっていた光景は――
(……黒魔術?)
真っ暗な部屋にアルコールランプが円形に並んでいる。なにかの漫画で見たソロモン七十二柱の悪魔を呼び出す儀式のようだ。ロウソクなんかではなくアルコールランプであるところが余計に不気味で背筋が寒くなる。
そしてその円形の中央には誰かがあぐらをかいて座っている。足しか見えない。むろんどこの誰だかわかろうはずもない。
やがてその人物は地獄の釜の底から湧き上がるような重低音の声を発した。
「ドクター・ヘルのラボへようこそ」
同時にアルコールランプの火力が急激に高まり火柱が立った。
ただの炎ではない。炎色反応の授業でみたような鮮やかな赤、青、黄色、オレンジ、様々な色に輝いている。
そして強烈な光により中心にいる女性の姿が見えた。
「ククク。おののいたか? この私の姿に」
まずはその異様な服装に目が行く。五十年前のマンガでしか見たことのない鉄のトゲが生えまくった黒のレザージャケットに、狂ったようにラメとスパンコールの入った銀色のタイトスカート。そしてなぜかその上から床につきそうなぐらい丈の長い白衣を羽織っていた。
髪型のインパクトも強烈で、白銀色のワイルドにあっちこっちに跳ねた長い髪はまるで何百年も生きて魔力を纏った狼のよう。
またその異様なほどに大きな目は悪魔のごとく黒色の化粧で縁どられており、ほっぺたにはアメリカのウォールアートのようなフォントで『FUCK!』の文字。
(こいつはやべえ……所謂やべえヤツだ……!)
街ですれ違いそうになったら確実にUターンして逃げる。だがそれと同時になにか前衛芸術をみているような不思議な美しさがあるようにも感じられた。
「まあ座れよ」
異様な迫力と色気のある声でそんな風に僕に命令する。
拒否するなどとは想像もできない。
ガタガタとふるえながらも彼女と二メートルくらいの距離を取って座った。
同じ目線になって初めてわかったが、強烈な威圧感とは裏腹に実際の体格は小柄で線も細いようだ。
「もっと近づいてこいよ。顔をよく見せてくれ」
そういってお尻を滑らせるようなユーモラスな動きでほとんどゼロ距離まで近づいてくる。口元には確実に悪しきことを考えているであろう邪な笑顔を浮かべて、犬歯をむきだしにしていた。彼女は僕の頬を両手で挟み込むようにするとまっすぐに目を見つめてくる。吸い込まれそうな大きな黒目。睫毛が長い。髪の毛からはさわやかな柑橘系の香りがした。
現実感が失われる。まるで異世界にいるような感覚だ。しかし。
(やっぱりこの人は……)
僕はゴクっと唾を飲み込んだのち、震える声でこんな風に尋ねる。
「もしかしてあなたは……」
「あん?」
「稲村愛さん……?」
「な、なんだと!」
彼女は驚愕に大きな目をさらに見開いた。
「なぜわかった! ツラや声でわかるはずが……!」
「その……字の感じが似てたから」
「……そうか! 日直日誌で!」
それにその特徴的な八重歯も彼女の正体を裏付けていた。呼び出された場所が理科室ということも理系の秀才である稲村愛さんと結びつくと言ってよい。彼女が科学部に所属しているということはこのときまで知らなかったが。
「クソが! なんかだせえ!」
彼女は頭を抱えてぶんぶんと髪を振り乱した。頬にあたって少々くすぐったい。
「まあいい……いつかはバレることだ。おまえと私はこれから深い――いや深すぎる付き合いになるのだから」
「どういうこと……?」
「ククク。まずはこれを聞けい!」
手に持ったスマートデバイスを慣れた手つきで足もとに置かれた小さなスピーカーにつないだ。そして。
「さあ目覚めよ! 貴様の中のモンスター!」
「――うわっ!」
スピーカーから聞こえてきたのは凄まじい爆音だった。それもさまざまな音が混じりあったオーケストラだ。爆弾が爆発するような音、バキュンバキュンという銃声、カチンカチン! という金属音。さらには焼肉でも焼いているようなジュウジュウという音まで聞こえる。
まさに混沌。ケイオス。しかし不思議な調和があるようにも感じられた。
「いいか」稲村……いやドクター・ヘルは僕の肩に手を回すと耳元で囁いた。「おまえはこれにコトバをつけるんだ」
最初なにを言っているのかわからなかったが、混乱する脳味噌でなんとか彼女が求めているものの答えを導き出した。
「歌詞をかけってこと?」
「はあ?」
「ロックンロールのバンドかなにかやっていて、この曲に歌詞をつけろってこと?」
「――あんなもんといっしょにするんじゃねえ!」
立ち上がって僕をものすごい目で睨みつける。
「冗談じゃねえ! ロックンロールなんてやってるヤツは全員頭いかれてんだよ! 世界をぶっ壊すって目的は私らと一緒なのにやってることがガイジンのモノマネってどういうことだよ! そんなもんでなにがどうやったら世界が変わるってんだ!」
(……全部のロックバンドがそういう目的で活動してるわけではないと思うけど)
「いいか私がヤッているのはバンドではない。音楽ですらない。全く新機軸の反社会的行為『ジャパニーズシャウト』だ!」
左ひざを床につきつつ親指で自らを指し示す。
「我々の出す音にはリズムやメロディーなんかいらない。ただただ怒りの赴くままに音をぶん鳴らして、そしてそれに負けないように叫ぶだけ!」
なるほど。確かに今流れているこの音はそういうコンセプトで作られていると言われれば非常に納得できる。
「ユニット名は『ジゴク・ファイヤー・ガソミソガールズ』まあ唯一の存在である以上ユニット名なんぞいらないのかもしれないがな」
じごくふぁいやー……?
「おまえが書くのは『歌詞』ではない。言葉の牙と書いて『言牙』(コトバ)。言葉の力で聞くヤツラに嚙み付いてやるってわけだ」
なるほど。彼女の求めることはなんとなく理解することができた。だが。
「その……聞きたいことがあるんだけど」
「いいぜ。なんでも聞いてくれ」
彼女はニヤつきながら僕の髪の毛をわしづかみにした。
「つまんねえことだったら殺すけどな」
「な、なぜ僕にそんなことを頼むの?」
「ククク。それはな――」
ドクター・ヘルは全く恥じらいなく自分の豊かな胸の谷間に手をつっこむと、よれよれになった薄い冊子を取り出した。
「これはおまえの言葉だろう?」
彼女の言う通り、それは僕が今年の新入生勧誘のためにつくった詩集冊子だった。誰も新入生は入らなかったが。
「この間偶然これを手に入れた。私は震えたぜ。こいつはどれだけ狂ってやがるんだ。どれだけ世の中を呪ってやがるんだ。ってな」
「そ、そうかなあ……? そんなこともないと思うんだけど……」
「ククク。なるほどなるほど」
ゆっくりと僕の後ろに回りこみ首に手を回す。つららみたいに冷たい手だった。それとも僕の体が熱いのだろうか。ドクンドクンという心臓の音も直接伝わってくる。彼女も人間なんだな、などと変なことを考えた。
「貴様は己の内に住むモンスターに気づいていないのだな。かわいいやつめ」
そっと顔を近づけ、チャームポイントである犬歯を首筋につきたてた。
感じたことのない種類の淡い痛みが走る。心臓が痛いくらいにバクバクと動く。
「――ふう。おまえ肉柔らかいな」
悲鳴をあげそうになったところで彼女は僕を解放した。
そして。
「さあ。てめえが見ている地獄を私にも見せてくれよ」
僕の真正面に立ち自分の首を両手でしめながらそんな風にわなないた。
この状況でNOと言える人間はほぼ存在しないのではないだろうか。
僕は首を縦に振ってYESの意思を表明してしまった。
「よおし。いいかダラダラ時間とっても仕方がねえ。一晩で仕上げろ」
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