第6話 初めての『作牙』

 自宅のリビングルームには大きなデスクトップ型パソコンがある。プログラマーである叔父が所持している高性能なモノだ。自室の小説を書くのに使用しているノートパソコンは小学生のころから使用しているコンピューターおばあちゃんなので、音楽を聞いたり映画を見るときはこれを使わせてもらっている。

 僕はどういうわけか、帰宅するやいなやスマホをそのパソコンにつないで彼女に送ってもらった音源を聞くという行動に出ていた。

 その怪音波は直接受容する耳だけでなく頭や心臓までグラグラと揺さぶり、得も言われぬ不快感・不安感が込み上げる。でもなぜか停止ボタンを押すという決断ができない。そんな不思議な感覚。

(これにコトバをつけろといわれてもなあ……)

 何回か聞いているうちに――

「ただいま!」

 タイミングがいいのか悪いのかイオちゃんが帰って来た。ガンガンに爆音を放つスピーカーを見て怪訝な顔をする。

「なにこれ。こういうやかましいの苦手……」

「えっと……英二に借りたCDなんだ!」

 などとごまかしつつ音を止める。

 耳がすっきりしてさきほどまで胸を蠢いていた不快感が一瞬にしてなくなった。

「あーなるほど。あやつ相変わらず音楽の趣味ゴリクソわるいね」

「ははは……まあそういっちゃ可哀そうだよ」

 若干の罪悪感……。まァ普段彼がパンクやらメタルやらのイオちゃんの言うところのやかましい音楽ばかり聴いているのは事実だが。

「そういえばセイくん。ぜんぜん話かわるけども」

 冷蔵庫から飲み物を取り出しつつ僕に尋ねる。

「今日稲村さんとなんの話してたの?」

「えええええっ!?!?」

「ぶッ!」

 イオちゃんはカルピスを霧状に口から噴射した。グレート・ムタもかくやという見事な毒霧攻撃である。

「げほっ! なんでそんなにおどろくのさ……朝珍しく話してるなーと思っただけだよ」

 ……そういうことか。まさかあの理科室地下での一件が覗かれていたのかと思った。

 どうでもいいけど手についたカルピスをペロペロするのはやめたほうがいいと思う。

「日直日誌を渡されただけだよ」

「なーんだ」

「イオちゃんは彼女のこと詳しいの?」

 ちょっと情報収集したいと思ってそう尋ねると予想以上の答えが返ってきた。

「モチのロンリーオンリーグローリーだよ! 私の推し女子データベースにばっちり入ってる! 私たちと同じ3年E組! 科学部所属! 身長一四七センチ! 推定体重四十キロ! 推定スリーサイズ84・58・79! 意外と乳あり! 誕生日は十二月二十七日! 血液型はA型! 成績は常に学年トップの超優等生! 特に化学の分野ではすごい才能があるみたい! 学費免除の特待生で学生寮暮らし! メガネとおさげ髪で地味な印象だけど実は相当なる美少女! わが校の隠れ美少女の筆頭! きづかない男どもはバカ! 個人的な推しポイントは笑ってくれると見える八重歯と、意外にも書く字がまるまるっちくてかわいいところかな」

「す、すばらしい充実の情報だね」

 だがジャパニーズシャウトなる活動をしていることはやはり知られてはいないらしい。

「でもなー。直接しゃべったことは全然ないや。三年間同じクラスなのに」

「そういえばそうだね」

 考えて見れば僕が三年間同じクラスなのはイオちゃんと稲村さんだけだ。なにか妙な因縁のようなものを感じてしまう。

「ちょっともったいないなー。これからはもっと話かけるようにしようっと」

 イオちゃんはカルピスのペットボトルを口にくわえたまま、自室に戻るべく階段を一段上った。が。なぜか一段上っただけで踵を返しリビングに戻りそのまま外に出てしまう。

 そしてなにやらガッカリしたような顔で戻ってきた。

「なかったよー」

「なにが?」

「ポストに手紙が」

「手紙って?」

「もー。キミの投稿した小説の結果に決まってるじゃん!」

「あー……」

「来てないよね?」

「うん」

「そっかー緊張しちゃうねえ」

「……うん」

「でも大丈夫だよ! アレまじで面白かったから! 明るくて楽しくてさ」

 そういって僕の肩を叩くと、今度こそ部屋に戻っていく。

 ――タッタッタとリズミカルに階段を上る音。

 大した力で叩かれたわけではないのになぜか肩の痛みが抜けない。

「……そういってくれるのはキミだけだよ」

 僕は口の中でそんな風につぶやいた。


 夕食は得意料理のハンバーグを作ってイオちゃんと二人で食べ、残ったもう二人分はラップをかけて冷蔵庫にしまった。

 後片付けやらなんやらを終えて自室に戻ったのは二十一時ごろ。

 僕は勉強机に腰かけると引き出しの一番下をそっと開く。中には一通の開封済の封筒が入っていた。封筒には『光映社文庫大賞』という文言と僕の住所、名前が書かれている。

 つまりどういうことか。英二やイオちゃんに発表はまだと言ったのはウソだ。

 封筒の中には審査の結果と講評が書かれた紙片が入っている。

 インターネットでは『光映社文庫大賞はいまどきWEBサイトじゃなくて郵送で発表なのはちょっと不便だが、一次審査落ちでもちゃんと講評を書いてくれるからよい』などとなかなか好評である。

 僕は震える手で封筒から講評用紙を取り出した。


評定:一次審査落選


構成:C

全体的には過不足なく無難にまとまった内容で書き慣れているなという印象は受けました。もう少しドラマが劇的に展開するように構成を工夫してもよいと思います。


文章:C

伝えるべきことを伝えるだけの最低限の文章力はあります。しかしずっとテンションが高いばかりでメリハリや緩急に乏しく、結果として単調に感じてしまいました。


設定:D

大きな破綻こそありませんが、類型的でここ最近でなんども見たことのあるような設定です。流行を意識するのもいいですがもう少しオリジナリティが欲しいです。


キャラクター:E

主人公がただの明るい好人物で魅力に乏しく感情移入することができませんでした。弱点や人間臭いところを作るなどの工夫が必要です。


総合評価:D

基本的な技術には大きな問題はなく明るく前向きな作風である点には好感が持てます。

ですが物語から伝わってくるものが決定的に足りません。

そもそも伝えたいことはあるのでしょうか?

あからさまに賞を取るために書かれた作品というような印象を受けました。

もう一度なぜ小説を書くのかを考え直してはどうでしょうか?


 今初めて読んだわけではないがそれでも頭に暗黒の雲がかかる。指摘されることは毎回似たりよったり。直そうと必死にもがくのだが具体的な方針を打ち立てることができない。これが才能がないということなのだろうか。

 僕の作品が一次審査すら通過せずに落選したのは今回が初めてではない。回数でいうと何回かはハッキリ覚えていないが割合でいうといくつであるかはハッキリしている。『連敗記録』が伸びるたびに僕の心にかかる雲は大きく黒くなり、最近では体にも変調をきたすようになってきた。心臓が異様に高鳴り、腰のあたりが凍りつきそうなぐらいに冷える。呼吸をするのも苦しくなってくる。吐き気がしてなぜか死んだ両親の顔がうかんできた。みんなこうなのだろうか。99%以上の落選するやつらは。

(……ちがうよ。今取りだそうとしたのはこの封筒ではない)

 僕は髪の毛をかきむしりながら頭をブンブンとふって雲を吹き飛ばすと、引き出しの奥のほうに収納した冊子を取り出した。表紙には『馬込青春高校 文芸部 部誌VOL84』の文字。数時間前にドクター・ヘルの胸元から取り出されたのと同じものだ。表紙についたほこりを軽く払ってパラパラとページをめくってみる。

(なんでこんな詩を評価してくれたのかなあ)

 正直詩は本職と思っていないのでわりとテキトーに書いた。

 このときも小説が落選した怒りをこめてめちゃくちゃに言葉をつないで十分ぐらいで書き上げたのを覚えている。そんな僕にどうやって『ジャパニーズシャウト』の『言牙』なんてものが書けるというのだろうか?

(イオちゃんや英二にすらあの詩は意味がわからないと……ん? 待てよ。そうだ。あいつに聞いてみよう)

 僕はスマートホンに記録された『よく使う連絡先』の欄から英二の電話番号を選択した。

 数回の呼び出し音のあとでやたらテンションの高い声が聞こえてくる。

「おお! 文星か!」

「もしもし。急にゴメンね」

「いやいや! 俺も今電話しようと思ってたところなんだ! で? で? で? どうなったんだよ!」

「ええとそれがね……」

 ベラベラしゃべってしまうものいかがなものかと思われたが、ここまで巻き込んでしまった以上、テキトウにごまかすのは不可能であろう。僕は理科室地下で起こったことを英二に話した。

「………………一筋縄ではいかねえと思ったが予想以上に大変なことになってやがる。稲村さんってあのおとなしそうな娘だよなぁ」

 さすがの英二も面白がるよりも困惑しているようだ。

「でさ。ちょっと頼みたいことがあるんだけど」

「えっ? 俺に? なんだ?」

「キミってバンドで作詞やってたよね?」

「あ、ああ。まあ一応やってるな」

 飛鳥井英二といえば一般的には文芸部員というよりはむしろバンド『ガベージ・リバー・ドラゴンボーイ』のメンバーとして知られている。パートはギター・ボーカル。イオちゃんに言わせると歌とギターは見た目からは想像できないくらいへたっぴらしいが、詞の良さには定評があり、ちょっと胡散臭い感じの業界人に名刺を渡されているのも見たことがある。

「作詞ってどんな風にやればいいのか聞きたくて」

「ええ? 書くのか結局?」

「断れなくて……」

「おめーらしいなあ」

 などとゲラゲラ笑う。いつもながらなんとも憎めない無邪気な笑い声だ。

「……ともかく頼むよ」

「そうだなあ……『カベリバ』の先輩なんかに教えられたのは――」

 ちなみにバンド名は英二の一番好きな文豪の名前から取っている。取っているというかほぼ直訳で英語にしただけだ。

「まず一番大事なのは表現したいことを作曲者に聞くことだな」

「なかなかハードルが高いなァ……」

「あとはいきなり詩っぽくしようとすると難しいからまずはシンプルな言葉で書いてみるといいかもしれない」

「なるほど」

 その他にもいろいろなアドバイスをくれた。メモを取りながら耳を傾ける。

「――まあ。そんなところかな」

「ありがとう参考にするよ。まずは彼女に電話してみようかな。気が重いけど」

「おお。なんかよくわからんけど頑張れな」

 電話を切った。どうやら三十分以上も会話していたらしく時刻はもう十時近い。

 こんな時間に女の子に電話してもいいのかな、などと少々葛藤したが僕は決心して今日新たに記録された連絡先に電話をかけてみた。少々、いやかなり緊張する。相手が相手だからというよりは普段、女の子に電話をすることがないからだ。

 ――しばらくして。

「……もしもし」

 スピーカーからおっそろしく不機嫌そうな声が聞こえてきた。

「なんかやりづれぇわ! こっちゃあ今素顔なんだぞ! 電話なんぞしてくんじゃねぇ!」

 鼓膜がビリビリと震えた。恐るべき声量である。

「なんの用だコラ!」

「あの……今頼まれた歌詞を書いていて」

「歌詞じゃなくて『言牙』だっていってんだろ!」

「そ、そう『言牙』を書くにあたってね」

「なんだよ! 早く言え! 殺すぞ!」

「その……あの曲で表現したいことってなんなのかなぁ……なんて」

「はぁ? 聞いてわかんねえのか?」

「ご、ごめん」

「いいか。あの曲のテーマはな。このゴミみたいな世界への怒りそして世界の破壊だ!」

 その叫びとともに通話は終了した。

 僕はなんともいえぬやるせない気持ちをため息とともに吐き出したのち、腕を組んで考え込む。

(破壊っていうのはいまいちピンとこないけど。とりあえず『怒り』を表現すればいいのかな?)

 また英二のアドバイスによると初めっから詩っぽくするのではなく、まずは普通の言葉で書くのがいいとのことだ。

(ええとそれじゃあ。怒りを普通の言葉で書いてみればいい?)

 そうしておよそ二十分をかけて、うんうん唸りながら書いたのが以下の文章である。



ガキのころからロクに外出もしないで10年近くもバカみたいにキーボード叩いて

毎回一次審査落ちのこのザマ

もう疲れ果てたつらい

落選をすると僕が作ったキャラクターを殺された気分になる

愛する娘を犯された気分になる

俺には才能がないのか?

俺は死ぬべきなのか?

いや違うあいつらの見る目がないだけだ

死ね! 全員死ね! 特に俺より先に入選したあの男

たったひとりわかってくれるあの子以外は全員俺が殺してやる



 ……ひどいものを書いてしまった。自分のあまりの心の卑しさに自分で驚く。すべてが自分の心をそのまま映したものではなく、筆が滑った部分もあると思いたいが。

 こんなものとても人に見せることはできない。――が。

(まあいいやこれを元がわからないくらいめちゃくちゃな言葉にしちゃえばいいんだ)

 僕はそう考え上記の詩――いや『言牙』の改修にいどんだ。


【リテラルスレイブモンスター】


銀色されこうべが狂い咲くこの部屋で

全ての指を逆に曲げるアナタ

もう手に負えない!

それがバックブリーカーに変わったとき

脳に硫酸が垂れた


指をブラブラさせちゃってタコみたい

あるきづらいし死にづらい

街にもイカやタコがいっぱいで

ぜんぜん癒されないン

蛸パがしたいよ僕関西人だから

鮮血ショウガの準備はいいか?

C’MON! FXCKOFF! がんばれ人肉くん!


リテラルスレイブモンスターWOW

ヴァギナギナファンタズム

ドウキイキギレ吐き気がする

これはつわりか? いやそんなもんくるわけねえ

そんなもんで狂うわけがねえ

さあ僕の赤い脳セリーをお食べ


リテラルスレイブモンスターWOW

プラチナムカニバリズム

ウツボドツボゲボが出そう

これはつわりか? いやそんなもんくるわけがねえ

そんなもんで狂うわけがねえ

さあ脳セリーを食べさせて

キミは何色? 嗚呼キミの顔がぜんぜん見えないよ

首が長いから……

首が長すぎるから……

きりん?



 ――僕は机に突っ伏して頭を抱えた。

 明るく楽しい創作がモットーの僕からどうしてこんな呪われた汚物みたいな醜悪な言葉が出てきてしまったのだろう。稲村さん、いやドクター・ヘルの毒にあてられたのだろうか。なにやら寒気がしてきた。

 これは書きなおすべきでは? だが気づけばもう時刻は深夜の四時。

(まァいいか。これを見れば呆れて二度と僕に頼んだりしないだろう……)

 その理屈で言えばはじめっからテキトウに書いて提出してしまえばよかったのだが……なんでこんなにも頑張って書いてしまったのだろう。

 自問自答するも答えは出ない。

 とりあえずそのことは頭のすみっこにおいやり。PCで書いた原稿(?)をいったん自分のスマートホンに送信し『できました』というコメントと共にそれをドクター・ヘルに送信した。


 ――このときにメールの送信さえしなければ。

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