第3話 登校

 東京都大田区立馬込青春高校は最寄り駅の都営浅草線西馬込駅から徒歩五分のところにあった。

『徒歩五分? いいじゃん。名前こそきしょいけど』

 と思うかもしれないが、なぜか道中に昔のスーパーマリオに出てくるような信じがたい上り坂があるせいで、ちょっと疲れていつもびみょうに空気が悪くなる。特に今みたいな夏場は。

「くそあちい……ようやく梅雨が終わったと思ったらこれ……。レーワになってから日本おかしくない!?」

「だ、大丈夫イオちゃん? 顔色悪そうだけど」

「うーむ……昨日は遅くまで受験勉強して寝不足だから。慣れないことはするもんじゃないね」

「ちょっと休む?」

「イエス」

 そういって地面にしゃがみこんでしまった。こんなことは滅多にあることではない。ちょっと、いやかなり心配だ。とりあえずジュースでも買ってきてあげようか、などと考えてカバンから財布を取り出す。――するとその瞬間である。

「あーーー!」

 彼女は突如奇声を上げながら立ち上がり、さっきまでの不機嫌はどこにいったのかというような素晴らしい笑顔で坂道発進&ダッシュ。前を歩いていた女子生徒に抱きついた。

 背が小っちゃくて大変かわいらしい顔立ちの娘だった。肌を小麦色に焼いてサラサラの金髪をサイドテールにちょこんと結んだ様子はなかなかギャルギャルしい。

 ええと……なんといったかな。

「優奈ちゃん! ひさしぶりー! 今日もゲボクソかわいい!」

 そうそう優奈ちゃん。苗字はたしか小林。二年生で僕たちの一個下。

 彼女はベタベタされながらも、喜ぶでもいやがるでもなく無表情のままスタスタとイオちゃんをひきずるように歩いている。

「ねえ見てよセイくん。今日もかわいすぎない?」

 優奈ちゃんの顔をこちらに向けながらそんなことを言う。

 僕がぎこちない笑顔で優奈ちゃんに「おはよう」とあいさつをすると。


 んべ


 彼女は僕に『あっかんべー』をするや、すばしっこくきびすを返して走り去った。

 その様子を見たイオちゃんは体をふるわせて両手の拳を握りしめながら叫ぶ。

「かわいいいいい! 見たアレ!?高校生になってあっかんべーだよ!? ふつうやる!? やらないよね! 好き! 大好き! 推せすぎる!」

「……ホントかわいい女の子好きだねえ」

 幼少のころより現在に至るまで彼女の部屋は大量の女性アイドルのグッズで常に溢れ返っている。その情熱の炎は並の男性オタクなど軽く燃やし尽くすであろう。特に『ZAZEN』というグループへの傾倒ぶりは尋常ではなく、本人曰くおこづかいの99%を出資しているらしい。

「だってかわいい女の子の尊さなんていうのはそれはもうおいしいお米を作るのにかける手間暇といっしょなんだよ?」

 よくわからないことをおっしゃっているがとりあえず元気を取り戻したようでよかった。

 遅刻はしなくてすみそうだ。

「まあでも最近のアイドルって同性のファンも結構多いんだってね」

「そうそう。同性にも異性にも推しがいるっていうのが多数派」

「イオちゃんは好きな男性はいないの?」

 そんな僕のなにげないセリフに、なぜか彼女はピョンと垂直に跳びはねた。

「な、な、な、な、な!」

 どういうメカニズムかイオちゃんが恥ずかしがったり興奮したりすると、ほっぺたや耳ではなくオデコが電球みたいに赤くなる。

「なにいってんの!? 怖いんですけど! セクハラ並びにマタハラじゃないのそれって! エッチへんたい! 一致団結変態戦隊!」

 ……どうも彼女は男性関係の話が異常なほど苦手だ。

「あの……好きな男性『アイドル』はいないのって聞いたんだけど……」

「えっ! ああ……そういうことか……あせっちったよなんか……」

 真っ赤になったオデコを自分でペチペチと叩く様子に自然と頬がゆるむ。

 校門の前に立っていた先生もにっこりと微笑んでいた。

「まァZAZENが好きすぎてオトコまで手が回らないかな! うん! 興味ないってオトコなんて! たぶん!」


 教室に入るとイオちゃんの周りにわーっと人が集まってくる。まるで磁石に砂鉄が集まるかのよう。彼女の太陽のような笑顔にはそういう磁力がある。

 僕にはそんなものはない。いじめられたりのけものにされたりしているわけではないけど、どちらかというとすみっこの側だ。なにやら複雑な気持ちになる。というかちょっと落ち込む。

 だが。この日はそんな僕にもはなしかけてくれる人があった。

「あの……」

 となりの席の稲村愛さんだ。

 小柄でほっそりとしてお下げ髪にクロブチメガネという見た目通りに、大変大人しい娘で普段あまり会話をすることはない――というか彼女が誰とも滅多にしゃべらない。

「どうしたの?」

 僕は少しばかり動揺しつつもなんとか噛んだりどもったりせずに質問を返した。

「その……日直の日誌……」

「ああそっかそっか。ありがとう」

 ちょっとぎこちなく笑いかけると、彼女も控えめにニカッっと八重歯を見せて笑ってくれた。ほんのりと心が暖まる。

 彼女は用事を済ませると自席にちょこんと座り、いつものように布のカバーがかかった文庫本に目を落とした。常に学年トップの成績で特に理数系の試験では常に満点に近い、そんな彼女はいつもどんな本を読んでいるのだろうか。

(意外とライトノベルとかだったりして)

 僕はぺらぺらと『3年E組 日直日誌』と書かれたA4のノートをめくる。最新ページを見てみると、意外にもかわいらしいまるまるっこい字が書かれていた。

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