第2話 山口イオ

 季節は夏。夏真っ盛りの七月。今朝もいやというほど天気がよい。

 カーテンを開けると強烈な朝陽が差し込んでくる。陰キャラの僕でもさすがに気持ちがよい。さわやかな気持ちで目を覚ますことができた。

 服を着替え台所に降りると女の子が制服の上からエプロンをして包丁を握っている。

 栗色ショートヘアの前髪を赤い輪ゴムでちょんまげにした、いかにも快活そうなおでこ丸出し娘だ。鼻歌なんぞ歌って大変ゴキゲン。

 だが。僕の心は不安でみたされていく。

「あの……イオちゃん。もうちょっと丁寧に……」

「――――――ぎゃあああああああ!」

「ほら! いわんこっちゃない!」

 彼女の手元から赤い液体が噴水みたいに噴きあがる。

「セイくん! 私もうだめかもしれない! お母さんとお父さんを呼んできて! 最後に二人に会いたい!」

「……落ちついてイオちゃん。トマトが汁を噴いただけだよ」

「あっホントだ」

 呼びにいくまでもなく大慌てで部屋から飛び出してきた彼女の両親は、飛び散ったトマトを見て呆れ果てた溜息をつく。


 結局朝ごはんは僕が作った。『共働きで毎日遅くまで働いて大変だから、食事は自分たちで作ろう!』との固い約束を交わしたはいいが、その約束は半分しか守られていない。

「まったく。イオのこの不器用なところ。誰に似たんだか」

「どう考えてもYOU。お母さんにでしょ」

「なるほど。それは盲点だったわ」

「天然ガールおばちゃんめ」

「姉さんは器用だったなあ。文星は彼女に似たね。イオも姉さんに似ればよかったのに」

「どうやったら叔母さんに似るのよバカバカしい」

 この会話を聞いてなにかおかしいと思うだろうか。

 さっきトマトを切って死にかけていたこの『山口衣央』ちゃんは間違いなくこの山口夫妻のご子息だ。だが僕は違う。僕の名前は宮原文星(みやはらぶんせい)という。僕の母親の『宮原美央』は今僕の対面に座っている『山口理央』さんの姉だ。つまり山口夫妻は僕の叔父と叔母にあたり、イオちゃんは僕の『いとこ』ということになる。

 ただし見た目はちっとも似てない。ぱっちり二重まぶたの可愛らしい顔立ちで、背はちっちゃいけど健康的なイオちゃんに対して、僕は地味顔だけど背がひょろっと高くて痩せっぽち。髪の毛もオデコだしショートカットのイオちゃんに対して、僕はけっこう長い髪の毛をボサっとさせて対照的だ。

 なぜ僕たちがいっしょに住んでいるか。それはまあぶっちゃけ僕の両親が死んじゃったからだ。よく覚えちゃいないけどあれは僕とイオちゃんが三歳のとき。今僕たちは高校三年生だからもう十五年も前の話になるらしい。

「おかあさん無神経なんじゃないの? そんな話セイくんの前で平気でしてさ」

「ぜんぜんいいよ。たまには話題に出してあげないとかあさんも可哀想だ」

「キミがそういうならいいんだけどね」

 そんなちょっと複雑な家庭に育ったことはこの話にそれほど大きくは関係しない。

 さすがに説明をはぶくわけにはいかないのだが、このことが僕の人格形成に大きな影響を与えてはいない……と少なくとも自分では思っている。だって山口家の両親は十分に僕を愛してくれている。愛情が不足しているなどと思ったことは一度もない。

 僕の人生になにがが足りないとしたら。それはもっと別のことだ。


「あーおいしかった! じゃあ学校行こうぜ!」

 いつものようにイオちゃんにひっぱり出されるように家を出る。

 山口夫妻はその仲良しな様子を見て幸せそうに笑っていた。

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