第32話 らしくない

「真、あなたを、迎えに来たのよ」


 ……というのがジェシカの来日目的らしい。

 そんな予感はしていた。


 最終的には笑顔で送り出してくれたジェシカだが、俺が日本に帰ることには随分反対していた。


 だからいつか、こんな日がくると思っていた。



 ***



 ——ジェシカとの出会いは3年前に遡る。

 当時の俺は、とある作戦の一環で仲間と共に、ジェシカの護衛の任についていた。


「ジェシカ様、紹介しておきます。彼は今日から護衛の任に加わる、シン・クスイです。どうぞお見知り置きを」


 第一印象は最悪だった。


「あなたみたいな、子どもに私の護衛が務まるのかしら?」

 

 挨拶をしようとした俺に、最初にかけてきた言葉がこれだ。


「ジェシカ様、彼は我が隊でも一二を争う優秀な戦士です。ご安心ください」

「分かったわ、隊長のあなたを信じます」


 俺の方もジェシカのことを、なに不自由なく育った金持ちのいけすかないガキ。

 そんな程度にしか思っていなかった。


 しかし俺は、すぐにジェシカに対する認識を改める事になる。


 確かにジェシカが望めば、何でも手に入るのかもしれない。

 だが、それはジェシカの表面的なことで、実情は色んなしがらみに、がんじがらめにされた、誰よりも不自由な少女だったからだ。


 食事をする時も、トイレに行く時も、風呂に入る時も、寝る時も専属のSPが警護し、学校へ行く時も、買い物へ行く時も、友達と遊ぶ時にも、俺たちのようなボディーガードがついた。

 生まれてからずっと、こんな息の詰まるような生活を送っているのだ。

 本当に頭が下がる。


 ある日ジェシカは俺に言った。

「ねえ真……私をここから連れ出してくれない?」

「ダメだ」

「ケチね……少しぐらい考えてくれてもいいのに」

「………………考えたけど、やはりダメだ」

「え……なに、それ?」

「考えてくれと言っただろ」

 ジェシカは声を上げて笑った。


「真は、私の言うことを考えてくれるのね」

「そりゃ、考えてくれって言われたらな」

 ジェシカは優しく俺に微笑みかけ、窓の外を見つめた。

「……誰も私の言葉になんて耳を傾けない。私はただ生かされているだけのお人形なの」

 遠くを見つめるジェシカの目が……とても哀しげだった。


「……お前も大変そうだな」

「そうでもないわ……こんな事を考えられるだけ、私は幸せなのだから」

 それでもジェシカは自分の置かれている立場や状況、それらをきっちり理解していた。

 ただのお人形だなんて、とんでもない。

 大した人物だと思った。


「真……話すぐらいはいいんでしょ?」

「隊長にバレなかったら大丈夫だ」

「じゃぁ、隊長にバレるまで私の話し相手になってくれる?」

「ああ、任務の期間はずっと話し相手になってやる」

「あら? 隊長にバレるまでじゃなかった?」

「隊長が言ってたろ? 俺は優秀だって」

 

 そんなアメリカンジョークを交えつつ、俺とジェシカは親交を深めていった。


 そして俺は……ジェシカと仲良くなって、さらに認識を改めることになった。


 俺はジェシカのことを高貴な生まれ故の、悲しい宿命を背負った可憐な少女、そんなふうにすら思っていた。

 

 だが、違った。

 ジェシカは猫をかぶっていたのだ。


「なあ、ジェシカ」

「なーに?」

「お前『誰も私の言葉になんて耳を傾けない』なんて言ってなかったっけ?」

「あれれれれ? そんな事、言ったかな?」

 まず俺の配属がジェシカのネゴシエーションで変更させられた。作戦の一環での護衛のはずだったのに、いつの間にか専属のSPになっていた。

 誰も耳を傾けないどころか、誰もが一言一句逃さず、ジェシカの言葉に耳を傾けた結果だ。


「なあ、ジェシカ」

「なーに?」

「お前『私はただ生かされているだけのお人形なの』なんて言ってなかったっけ?」

「あれれれれ? そんな事、言ったかな?」

 俺はSPを兼務しながら、彼女の通う学校にも、いつの間にか入学させられていた。

 ただの人形どころか、ロックウィード家の権力をフル活用し俺のジョブチェンジまでさせやがった。


 確かに俺を含め、四六時中ジェシカにはガードがついている。恐らく気の休まる暇など無いのだと思う。

 だがジェシカはそれに悲観せず、それらの状況を楽しんでいるかのようにすら思えた。


 俺はSPでありながら、ジェシカの家族にも紹介された。

 立場的にどう挨拶すれば、いいのか分からない俺を尻目に、ジェシカは俺のことを親友だと言ってのけた。


 なにがどうなって、そうなったのかは未だに分からないが、俺はジェシカに謎に気に入られていた。



 ***


 

 ——ジェシカとの出会いはそんなところだ。


「真、喜んで……パパが正式に認めてくれたわ……あなたを私の結婚相手として……ロックウィード家に迎え入れてもいいと」


「「えっ!」」

 喜んで……って言われてもな……いきなり勝手に迎えに来て結婚とか……やっぱぶっ飛んでやがる。


「楠井君……結婚ってどう言うことかしら?」

「さあ……俺に聞かれてもなんのことだか」

「そう……で、あなたは理解しているの? ロックウィード家に迎え入れられるって事を?」

「悪い……正直、よく理解していない」


 ジェシカの親父おやじさんには、会うたびにいつも言われていた。『君が大人になったら、あのお転婆娘をもらってくれ』と。


 とはいえ、本気にはしていなかった。

 リップサービスだとばかり思っていた。

 しかし、まさか本気だったとは……金持ちという人種はやっぱり喰えない。

 それに俺は、まだ大人じゃないっていうのに。


「九条莉緒、あなたならわかるでしょ?

 ロックウィード家の一員になるということが、どれほど栄誉なことなのか……、

 そして彼の未来がどれほど輝かしいものなのか」


 珍しく莉緒が何も言い返さなかった。

 そればかりか……、


「いくわよ、麻美」

「え……いいんですか莉緒様?」

「いいのよ」

 あっさり引きさがってしまった。


 ……ジェシカがロックウィードだからか?


 だとしたら、らしくない。


 あいつがヤバイやつなのは、決して九条莉緒だからじゃない。


 莉緒だからだ。


 

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