第24話 ドキドキが止まらない

 どんな時も冷静沈着。

 目の前の出来事だけじゃなくて俯瞰で見る。

 直感にたよらず客観的に物事を捉える。

 答えはロジカルに導き出す。

 感情に行動が左右されないようにする。

 これが俺の行動理念だ。


 あとはあれか……優里亜の言っていた、面倒くさそうなことには首を突っ込まない。


 正直、怒りで我を忘れてしまうことはあるが、まあそれは若さ故のなんとやらだ。

 意識さえしていれば、年齢と共に解消していくものだと思っている。


 だが今の俺は、この行動理念から大きく外れている。

 冷静ではない、目の前の出来事しか見れない、客観性もできない、思考がロジカルになれない、感情に……苛立ちに心が支配されている。


 なんだ……この無様は……莉緒に少し素っ気なくされて、莉緒の昔の知り合いが転入してきただけだぞ?

 俺の心は、たったそれだけの事で平静を保てなくなるほど、脆くなってしまったのか。


「あ、こんなところにいたの」


 昼休みに、屋上で1人、うんうんしている俺に声を掛けてきたのは……、

「なんだ奈緒香か……」

 奈緒香だった。


「なんだって何よ! なんだって」

「悪い、悪い」

「悪かったわね、九条さんじゃなくて」

 ぷーっと頬を膨らませる奈緒香。

 なんだろう、こいつのこういうところ、いつも可愛いと思うけど、今日は少し落ち着く気がする。


 ところで、

「なんで莉緒なんだよ」

「そんな顔してたもん」

「どんな顔だよ」

「そんな顔」

 奈緒香に両頬をぎゅーっと引っ張られた。


「にゃ……にゃにゅいしゅりゅんだゃなにするんだ

「ぷっ……可笑しい、こんなふうにされても冷静なんだね」

 奈緒香は声を上げて笑っていた。

 冷静か……、

 確かに今は冷静だ。

 でも、さっきまでは……。


「ねえ、いいの?」

「何がだ」

「今日……2人ずっと一緒だよ」

「……」

 いつも俺にべったりの莉緒が久我と一緒にいる。俺はたったそれだけのことで冷静になれなくなっているのだ。


「いいも、何もそれは2人の自由だろ」

「本当にそうなの? 楠井にとって九条さんは特別な人じゃないの?」

「特別な人……」

 恋人かどうかと問われれば、即否定できる。

 だが……特別な人となると話は別だ。


 確かに莉緒は特別な人だ。


「そうなんだね……だからじゃないかな」

「だからって何だ?」

「うーん、特別な人が他の誰かと一緒だったり、なんか素っ気無かったりしてるから、元気ないんじゃないの?」

「元気がない? 俺が?」

「そうだよ、楠井、今日ずっと元気がないよ」

 そうか……俺の心はそんなにも弱くなっていたのか。本当にバカになってるな。


「奈緒香……しばらく俺は学校を休むぞ」

「え……なんで?」

「山に篭る……心を鍛え直してくる」



「は?」


 しばらく沈黙が続いた。



 そして、

「なんで、そうなるの! バカのなの? ガチなの? 脳みそついてるの?」

 凄い剣幕で俺を罵りだした。


「な……なんで、そうなる」

「いや、それ私が聞きたい! なんで今の話の流れで、心の修行に行くことになるの?」

「いや、だって……こんなことで心が揺れているようじゃ、使い物にならないだろ」

「はぁ————————————っ?

 何の使い物? 楠井はどこを目指してるの?

 自分の気持ちに正直になれないことが、楠井の目指すところなの?」

 奈緒香はさらに捲し立てた。


「前から思ってたのよ、楠井は鈍いよ! 人の好意に! そんなんじゃ、いつか九条さん……本当にど何処かへ行っちゃうよ?」

「奈緒香……」

「まだまだ言いたいことはある……聞きたい?」

「いや……その辺で勘弁してくれ」

「じゃぁ、私の言いたいこと分かった?」


 奈緒香の言いたいこと……それはつまり。

「……素直になれってことか」

「そう! 素直になりなって」


 ……人を愛することは弱みになる。

 そんな世界で生きてきた。

 人は独りでは生きていけない。

 だから仲間は作っても、心は通わせないようにしてきた。

 奈緒香はそんな俺の生き方を否定しているのだ。


 今までの俺には、そんな生き方なんて、ありえない。

 ありえないだった。


 でも……、


「分かったよ奈緒香……ありがとうな」

「どういたしまして」


 あの頃と同じじゃない。


「とりあえず行ってくるよ」

「九条さんのところ?」

「ああ……気になってる事を聞いてくる」


 心を通わせる仲間を作っても弱みにならない。


「分かった、行っておいで」

「いってくる」


 ありがとう奈緒香。


 なんて事を言っておきながら、俺の背中を押した奈緒香が、この場を立ち去ろうとした、俺の手を掴んだ。

「ねえ、楠井……だからってお返しデートは無くならないから……忘れちゃだめだよ」

 奈緒香は奈緒香でちゃっかりしていた。


「分かった、来月のシフトが出たらちゃんと誘うよ」

「いってらっしゃい」

 奈緒香は笑顔で俺を見送ってくれた。



 ***



 一方その頃、莉緒は——————


「なあ莉緒、君の隣の席の彼が、君が想いを寄せるシンデレラボーイなのか?」

「そうよ」

 シンデレラボーイって……いつの時代よ。


「彼は、莉緒に相応しい男なのか?」

 何を言っているのかしら、この男は。


「生意気ね秀馬、私に相応しいか相応しくないかは、あなたが気にする必要はないわ……私が決めるの」

「ご……ごめん」

「いいわ……あなたも役に立ってくれているみたいだしね」


 今日の楠井君……冷静ではなかったわね。

 きっと今頃、嫉妬の炎で心を焦がしているのよね……だってあんな彼の顔、はじめて見たもの。


 秀馬を呼んだのは、正解だったみたいね。


「なあ莉緒……」

「なに?」

「僕とのことは、考えてくれないのか?」

「はあ?」

 秀馬が私の肩をがっしりと掴んだ。


「僕は子どもの頃からずっと、君が好きだったんだ。あんなどこの馬の骨ともわからないような彼より、ずっと僕の方が相応しい……だから」

 な……何言ってるの秀馬。

 私たちは従兄妹いとこなのよ?


「だから、結婚してくれ!」「莉緒!」

 

 へ?


 そして、このまさかのタイミングで楠井君が現れた。


 こ……このタイミングと、このシチュエーション。


 ……流石にまずいわね。

 だって今日の楠井君は……冷静じゃないもの。

 もしかして、ショックのあまり、この場を立ち去ってしまうかもしれない!

 楠井君だめよ!

 行かないで!


 でも、楠井君は立ち去るどころか、ゆっくりとこちらに歩みを進めてきた。


「莉緒……話したいことがある。一緒に来てくれ」

 え……なに、この積極的な感じ。


「悪いな楠井君……今、莉緒と話してるのは僕なんだ」

 え……なに言っちゃってるの、秀馬。


 でも……これって修羅場よね!

 

「莉緒……来い」

 秀馬には目もくれず私に手を差し出す楠井君……何この強引な感じ……かっこいい!


 私たち……これから、どうなってしまうの?

 私はドキドキが止まらなかった。


 

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