第22話 風邪にご用心

 身体が怠い、関節が痛い、喉が痛い、そして咳も出るし熱っぽい。


 ……これは、完全に風邪だな。

 この国にきて、もうすぐでまる2年が経とうとしている。だが、季節の変わり目だけは、どうも馴染めない。

 特に夏から秋冬に掛けては、顕著だ。


 毎日のように激しい寒暖差があり、着る服にも悩んでしまうこの季節。

 体調を崩すなって方が無理だろう。

 

 まあでも、動けない程ではない……学校は基本、座っているだけだし、戦闘をするわけでもない。特に問題はない。

 俺はいつものように身支度を整えて、リビングに降りた。


「おはよう、珍しく今日はゆっくりなのね」

「ああ、なんか風邪っぽくてな……」

「ちょっと、それ大丈夫なの?」

「当然だ、風邪ぐらい、どうと言う事はない」

「そう、無理はしないでね」

「ああ、ありがとう」

 うん? 鮎川の姿が見えない。


「鮎川は?」

「麻美ならもう出かけたわよ、姉小路先生と」

「優里亜と……珍しい組み合わせだな」

「なにか頼みたい事があるそうよ」

「そうか」

 それでもしっかり食事の支度は済ませてある。鮎川らしいな……ていうか、基本はメイドだもんな。


「「いただきます」」


 なんて思いながら朝食を口にした。

 だが、いつもと同じ、シンプルな朝食だけど、明らかに味が違った。

 いつものは、いつもので美味しいけど、この素朴な感じ……とても美味い。

 何か、懐かしさすら感じてしまう。

 もしかして、これは……、

 莉緒の方を見ると、若干ドヤ顔だった。

 間違いない。

 これを作ったのは……莉緒だ。


「もしかして、今日の朝食は……莉緒が?」

「ええ、そうよ」

 やっぱりか……メイドが帯同するクラスのお嬢様なのだし、料理なんて絶対に出来ないと思っていた。

 でも……レベル高っ!


「莉緒……美味いよ、お前料理もできるんだな」

 素直に褒めると、もっとドヤって来るもんだと、思っていたが、

「あ……ありがとう」

 思った反応と違った。

 何というか……しおらしい。

 やることは規格外だが、案外中身は普通の女の子。それが最近の莉緒に対する俺の感想だ。

 まあ、その辺りが莉緒の奇想天外なところだったりする。


「今日もバイトなの?」

「今日は休みだ」

「そう……もう馴染んだのかしら」

「おかげさまでな」

「意地悪なのね」

 皮肉っても軽くあしらってくる。莉緒との会話はどこか心地いい。


「ごちそうさま」

 朝食を終え、席を立とうとしたその時だった。


 世界が回った。

 まさか……食事に一服もられたか?

 いや、そんなはずはない……普通に美味かったし、変なところもなかった。

 だったら、これはなんだ?


 俺は意識を保てず、その場に倒れ込んでしまった。


 バタッ……


 ***


「楠井君? 楠井君! しっかりして楠井君!」

 目の前で突然楠井君が倒れた。

 え……どすればいいのこんな時って。


「麻美!」……は居ないんだった。


 どうしよう、どうしよう、このまま死んでしまうなんてことはないわよね?

 ってなにを考えているの、私は……。

 こんな時こそ、落ち着いて……落ち着いて対処しないと。

 確か楠井君は、風邪っぽいって言ってたわよね。

 楠井君の額を触ると、すごい熱だった。

 そして意識はないけど、呼吸はしている。


 こんな時は……救急車よね普通……でも、それだと大事すぎる。

 うちの医療スタッフを呼べば問題ないわね。


 私は爺に連絡をとり、

「爺、医療スタッフを連れてこっちに来て、すぐよ」

 医療スタッフを手配した。


 連絡の後、医療スタッフがすぐに駆けつけて、楠井君の診断がなされた。


 楠井君が倒れた原因は。


 ただの風邪だった。


 心配させないでよ楠井君……目の前で人が倒れたのなんて、はじめてだから、とてもびっくりしたじゃない。

 しかもそれが、あなただなんて……心臓が止まるかと思ったわ。


 ——私は姉小路先生に連絡して、楠井君と私の欠席を伝えた。


 “真が寝ている間に悪戯しちゃだめだよ”と姉小路先生に釘を刺された。

 流石の私も、こんなにも苦しんでいる彼に悪戯なんてしない。

 ……しないわよ。

 ……しないだろう。

 ……しないはずだ。

 ……しなければいいな。


 ダメダメ、なにを考えているの私!

 相手は病人よ!


 でも……、


 微かにだけど、私は覚えている。

 プールで溺れた時、楠井君が私に人工呼吸をしてくれたことを。


 人工呼吸だったけど、楠井君との、はじめての口付けだった。

 むしろ人生を通じてはじめての口付けだった。

 あんな朦朧とした意識の中でのファーストキスだなんて……我ながら寂しすぎる。


 ここは密室。

 私とあなただけの空間。

 そしてあなたは寝ている。

 つまり私だけの空間。


 つまりここで、なにが起こっても……私だけの出来事よね。


 しちゃおかな……キス。

 少しぐらいいいわよね? キス。

 私も意識が朦朧としている中で、楠井君に唇を奪われた。

 だから私もあなたの意識が朦朧としている間に唇を奪っても、なんの問題もないわよね。


 私は楠井君の顔を覗きこんだ。

 楠井君と一緒に暮らしてしばらく経つけど……彼の寝顔を見るのは、はじめてだった。

 

 そしてやっぱり……唇に目がいく。

 

 どうしよう、どうしよう……やっぱ寝ている時はダメよね?

 起きてる時に正々堂々じゃなきゃダメよね?

 でも……でも……でも、でも、でも!


 答えが出ないまま、時間だけが過ぎていった。


 私は思ったよりも……チキンだった。

 結局なにもしなかった。

 いえ、できなかった。


 唯一出来たことといえば、こうやって彼の寝顔を覗き込むことぐらいだった。

 

 でも、奇跡が起きた。


 楠井君に意識があったのかなかったのかは分からないけど、彼は顔を覗き込む私を抱き寄せて、


 唇を奪った。

 

「楠井君……」

 呼び掛けても返事は返ってこなかった。

 事故のようなキス……ノーカンといえばノーカンだ。

 でも、これは……私にとってはノーカンにできない出来事だった。


「莉緒……」

 そしてしばらくして、楠井君は目覚めた。


「風邪ですって、大人しくしておきなさい」

「ああ……そうか……なんか迷惑かけたな」

「いいのよ」


 翌日にはすっかり楠井君の風邪はよくなった。

 でも、翌日から私が三日間風邪で寝込むことになった。

 

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