第19話 連絡先を入手せよ

 楠井君がヘタレじゃなくて、バカになってる……じゃなくて感情がバカになっている事は、よく分かったわ。

 そんな楠井君には、案外オーソドックスな戦法が有効だと思うの。


 もっと初歩の初歩から、つまり連絡先の交換よ。


 色々すっとばして、同棲までしちゃって、今更、連絡先の交換かよって……って思うかも知れないけど、これから毎日のメッセージで、少しずつドキドキのリハビリをしていくのよ。

 まあ、今の環境は、今の彼には刺激が強すぎったってことね。


 それにメッセージは自分から消さない限り記憶ではなくて記録に残る。

 ……仮に楠井君が消しても私の記録に残るわ。


 今、楠井君に必要なのは、自らの存在を示すエビデンスよ。

 この先、彼が居場所を失わないためにも、必要な事なの……この連絡先交換は。


「と言うわけで麻美、楠井君の連絡先を聞いて来てくれるかしら」

「え……何で、私が……」

「今、理由は説明したでしょ? 分からなかった?」

「聞きましたし、理解しましたけど、何で私なんですか?」

「そっそれは、ほら……あれよ」

「何ですか?」

「あれよ……」

 今更感が凄すぎて、少し恥ずかしいからじゃない……察しなさいよ麻美!


「莉緒様……もしかして、直接聞くのが恥ずかしいのですか?」

「そ、そ、そ、そんな事ないわよ!」

 な……なんで正直に恥ずかしいって言えないの! 私のバカ!


「では、ご自身で聞かれた方が、楠井様も喜ぶのでは?」

 え……何故?


「そ……そうかな?」

「恐らく……」

 恐らくってなに?

 もしかして、楠井君も今更聞き辛くて私から聞いてくるのを待っているってこと?


 いや……違うわね。

 その辺の感覚を含めてバカになっているってことだものね。

 何が言いたいの麻美? 分からないわ?

 でも……それを聞いたら、私より麻美の方が楠井くんのことを理解しているみたいになるわよね?

 

 そんなこと絶対聞けないし!


「分かったわ……私が聞く」

「頑張ってください」

「頑張らなくても聞けるし!」


 ——というわけで、麻美に笑顔で見送られ、私が連絡先を聞きに行く事になった。


「楠井君」

「なんだ?」

「楠井君と緊急で連絡取りたい時ってどうすればいいのかしら?」

「うん? 普通に部屋をノックしてくれればいいんじゃないか?」

 ち……違—————————うっ!

 そう言う意味じゃない!


「そ……それもそうよね」


 ……でも、聞けなかった。


***


「何やってるですか莉緒様! もっとガッツリ行って下さいよ!」

「だっ……だって」

「同棲した時の勢いは、どこに行っちゃったんですか!」

「わ……分かったわ……もう一度行ってくる!」

「頑張ってください!」

「頑張らなくても聞けるし!」


 というわけで、麻美にエールを送られ、もう一度、連絡先を聞きに行った。


「ねえ楠井君、あなた友達と連絡を取る時はどうしているの?」

「友達なんていない。それに、連絡を取る必要もない」


 ***


「……悲しい話を聞かされたわ」

「違——————————うっ!」

 な……なに麻美……どうして、そんなにテンション高いの。


「だからなんで、そんな簡単に引き下がっちゃうんですか!」

 か……簡単に引き下がってるわけではないわ……だって彼。


「……なんか、俺に聞くな的なオーラがあるのよ」

「だぁ————————っ! そんなのあるわけないじゃないですか!」


「あるのよ!」

「ないです!」

 きょ……今日はいやに突っかかってくるわね……麻美。

 だったら……。


「そこまで言うなら麻美が聞いてみなさいよ」

「え」

「“え”じゃないわ。どうしたの? できないの?」

「だから、それは莉緒が聞いた方が……」

「あら麻美、あなた人に偉そうな事を言っておいて、まさか自信がないとか言わないわよね?」

「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ!」


 ***


 鮎川です。

 今回は、莉緒様の安い挑発に乗ってあげることにしました。

 たまに突飛な……いえ、頻繁に突飛な行動をとることがあっても、何やかんや莉緒様は純情です。

 でも私的には、莉緒様がこのように乙女な一面を覗かせるのは、喜ばしい事だと思っています。


 ……今までだったらこんな場合。


『さっさと連絡先をよこすか、この国から連絡先がなくなるか選びなさい……3秒待ってあげるわ』


 ぐらいの事は言ってのけたのに……、

 楠井様と暮らすようになってから、莉緒様は随分変わられました。


「じゃ、莉緒様! 手本を見せてあげますわ!」

「期待してるわよ」


 ***


「楠井様、連絡先……私の連絡先これなんで!」


 人は与えられたら、お返しをしなくてはならないという感情を抱く

 これは……その“返報性の原理”をうまく利用した作戦ね。


 さ……さすが麻美!

 先に連絡先を書いたメモを渡せば、自分も教えざるを得ない。

 恐ろしい手を考えるわね。

 それよりも……あの子が、あんなにも“あざとい”子だとは知らなかったわ。

 これは私の負けね……。


「ああ、ありがとう」

 受け取った! さあ楠井君……あなたも麻美に連絡先を教えるのよ!


「……」

 でも、いつまで経っても楠井君は連絡先を教えようとしなかった。


「うん? どうしたんだ鮎川?」

「あの……連絡先……」

「うん? どうした? メモに間違いでもあったのか?」

「い……いえ」

「どうした?」

「いえ何も!」


 ***


「わ——————ん! 莉緒様の仰った通りでした!」

 今の手が通用しないなんて……手強いわね楠井君。


「ヤバイですね……あの聞くなオーラ」

「だから言ったじゃない」

「うぅぅ……」

 まあ、ここで不毛な言い争いをしていても始まらないわ。

 重要なのは彼の連絡先を手に入れることよ。


「どうします? 諦めます?」

「そんなわけないじゃない! 今考えているのよ!」


 そうね……これはタイミングの問題もあるかもしれないわね。

 今までの失敗は、私たちが唐突過ぎたのよ。

 楠井君がスマホを見ている時に……、

『あ……そうだ、連絡先聞いていなかったわね。交換しない?』

『ああ、いいぞ』

 こんな感じで聞くぐらいのさり気なさが必要なのよ!


 うん?


 ていうか……、

 

「麻美……いま重要なことを思い出したのだけれど、楠井君がスマホを手にしているの……見たことなくない?」

「あ……そう言えばそうですね」


 私たちは一緒にそれの確認にいった。


 ***


「スマホ? 持ってないぞ、そんなもの」


 やっぱりだ。


「まあ、連絡取り合う相手なんて、優里亜ぐらいしかいなかったしな……勿体ないだろ」


 完全に失念していたわ。


「やっぱ、スマホって必要か?」

「そうね……あった方がいいかもね」

「そうか……ちょっと考えてみるよ」


 連絡先を聞くことよりも、

 連絡先を作ることがミッションだったなんて……今の時代……そんな人がいるなんてさすがに思わないわよ!


「「あはは」」

 麻美と2人……苦笑いしか出なかった。 

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