第18話 もう少し私に優しくしてくれたっていいじゃない

 奈緒香と別れて家に帰ると、莉緒はリビングでくつろぎ、鮎川は夕飯の支度をしてくれていた。莉緒の目はまだ少し腫れぼったかったが、今朝の状態と比べると随分マシになっていた。


「今日の夕飯は中華か?」

「はい、そうですよ。特製天津飯です」

 中華……もしかしてまた監視されていたのかと疑ってしまうようなタイミングの良さだ。

 とにかく奈緒香ん家でご馳走にならなくてよかった。


「楠井君、今日は随分と遅かったのね……寄り道でもしていたのかしら?」

 目は腫れたままだが、莉緒はいつもの調子には戻っているようだった。


「ああ、ちょっとな」

 説明すると面倒なことになりそうだったから、軽く流した。

 だが、それがよくなかった。


「奈緒香とかしら?」

 莉緒の機嫌が明らかに悪くなった。


「ああ、奈緒香とだ。何故そう思った?」

「女の匂いがプンプンするからよ」

 匂い……昨日は俺が匂いで気付いたが、今日は俺が匂いで気付かれたか。皮肉なものだ。


「奈緒香がな、階段で足を挫いたから、家まで送ってきたんだ」

 莉緒は大きく表情は変えなかったが、右の眉をピクつかせているのが分かった。


「楠井君……まさかとは思うけど麻美の時のように、お姫様抱っこで、送ったのではないでしょうね」

 皮肉たっぷりの莉緒。


「違う、おぶったんだ」

「お……おぶったて、おんぶ?」

「ああ、そうだ」

 莉緒は目を見開いて固まった。

 奈緒香と話している時も思ったが、異性とは言え、怪我人をおんぶすることが、そんなにダメな事なのか。


「ていうか、なんでそんな事になったのよ!」

 語気を強め、詰め寄る莉緒。


「この間のお返しデートに誘ってな、道中の階段で奈緒香が足を挫いたんだ」

「デート……」

 デートという言葉を聞いて、莉緒がうつむいてしまった。


「……なぜよ」

 うん?


「……なぜなのよ」

 どうしちまったんだ、莉緒のやつ。


「……なぜ、奈緒香をデートに誘うの」

「り……莉緒」

 莉緒が、涙を流して取り乱していた。


「私が休みの日になぜ誘うの?

 なぜ、奈緒香にそんなに優しいの?

 もう少し私に優しくしてくれたっていいじゃない!」


「莉緒……」


「もういいっ!」

 莉緒は泣きながら2階へ上がり、部屋に閉じこもってしまった。

 

 ……なんだっていうんだよ。


「どうしたんだ? 莉緒のやつ」

「今のは楠井様が悪いですよ」

 鮎川にばっさり切って捨てられた。

 

「そうか……」

 まいったな……なんか今日は分からない事だらけだ。

 ソファーにどかっと腰を掛けて項垂れていると鮎川が続けた。


「楠井様は莉緒様のことを、どう思われているのですか?」

 ……莉緒の事か。


「悪い……わからない」

「分からない? 何故です?」

 心配そうな表情を浮かべる鮎川。その心配は莉緒の為のものだな。莉緒の事が好きなんだな鮎川は……。


「鮎川が聞きたいのは、人としてじゃなくて、色恋の話だろ?」

「……まあ、そうですね」


「人としては好きだ。あいつの打算的な行動も、手段を選ばないところも、非合理的なところも、俺は好感が持てると思っている」


「あはは……楠井様は変わってますね」

「何故だ?」

「今のって欠点ばかりじゃないですか?」

「そうだな……遊び半分でやっているなら、欠点だ。でも莉緒は本気だ。俺は持てる力の全てを使ってでも、目的を達成しようとする莉緒に、人としての魅力をとても感じている。だから、好きか嫌いかで二分したら俺は莉緒が好きだ」


「楠井様も莉緒様に負けてないぐらい変人ですね……」

「お前また……莉緒に聞かれたら怒られるぞ?」

「し……失言でした!」

 ……うん?


 なるほど……、

 そういうことか……俺は続けた。


「買いかぶりだ過ぎだ鮎川、俺には莉緒みたいな変人にはなれない。信念が無いからな……だから俺は密かに莉緒をリスペクトしている」


「そこまで、なのですね……」

「ああ、でなければ、ひとつ屋根の下で暮らせないさ」

「……そうだったんですね……私はてっきり弱みを握られたからだと」


「それは、半分正解で半分間違えだな……確かに莉緒の脅迫は切っ掛けにはなったが、それが決め手ではない」


「でも、まだ出会って日も浅かったのに、莉緒様の事をよくそこまで理解できましたね」


「理解はしていない。あんな頭のネジがぶっ飛んだ女の考える事なんて、理解できるわけないだろ? 俺は今までの莉緒の行動に理解を示しているだけだ」


「……言い得て妙ですね」

「まあ、人としてはそんなふうに考えることができても、色恋沙汰になって来ると話しは別だ……いずれお前達には話すつもりだったが、俺はこの国ではない別の国で兵士として育てられたんだ」


「兵士……だから、あんなにも戦い慣れを?」


「そうだな……何故兵士になったのかも分からない、両親も分からない、分かっていたのは楠井真という、名前だけだ」


「楠井様……」

「色々あった。出会いもあれば別れもあった。良い出来事も嫌な出来事も沢山あった。……でもな、俺は短い人生の中で色々ありすぎて、自分の感情が処理しきれなくなって、感情がバカになっちまったんだ。

 だから、今の俺は……色恋の感情がどうとか分からないんだ」


「悪いな鮎川」

「い、いえ」


「ただ、ひとつ言えるのは……俺の心はお前らが思っているほど強くもないし、寛大でもない。すごく矮小な存在だよ」


「楠井様……」



 ***



 ちゃっかり盗聴していた莉緒の部屋————


 く……楠井君……あなたにそんな過去があったなんて知らなかったわ……ごめんなさい今まで気付いてあげられなくて。


 斎藤から奈緒香とデートすることや、あなた達が知り合った気っけかけは報告を受けていたけど、まさかおぶって帰るだなんて知らなかったから、ついつい取り乱してしまったの……ごめんね楠井君。


 でも、今日でよく分かったわ。

 私はあなたを相手に、手を抜く必要はないってことなのよね?

 私があなたのバカになった感情を呼び起こせば私の勝ち。

 それが出来なければ私の負け。

 あなたがしたいのは、もっと刺激的で心が踊るような勝負なのよね。

 

 いいわ楠井君その挑戦受けてあげる。

 私に任せなさい。


 どうせあなたのことだから、盗聴されている事を知っていて、わざわざ私を挑発するようなことを話したのでしょ。

 

 あなたのバカになった感情。

 私が呼び起こしてあげる。

 覚悟なさい。


 自分で自分のことを、矮小な存在とか言ってしまうような悲しい過去は、私との思い出で塗り替えてあげるわ。


 ***

 

 ちょうど話の腰が折れたあたりで、

「莉緒様」

 莉緒がケロンとした表情で二階から降りて来た。


「麻美、食事にしましょう」

「え……もう大丈夫なのですか?」

「なんのことかしら?」

「それより、あの店の味が再現出来ているか、楽しみね」


 挑発的な莉緒の態度。

 どうやら俺の意図を汲み取ってくれたようだ。

 お前なら俺の心を動かせる。

 俺はお前に期待している。

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