第17話 女心は複雑

 ……好きになってもいいかな?

 現在進行形で好きではなく、これからって好きになるって事か?

 つまり奈緒香は、まだ俺を好きじゃない。この解釈で合ってるのか?


 だとすれば奈緒香は凄い……そこまで感情がコントロールできるって事だ。


 でも、好きになっていいとか悪いとかは、俺が決める事じゃない。それを決めていいのは自分だけだ。

 

 だから俺が言える事は……、

「好きにすればいいんじゃないか」

 この言葉だけだ。


「本当にいいの?」

 念押ししてくる奈緒香。いいも何も、そこは自由意思だろう。


「好きにすればいい」

 俺の言葉にムッとしたような表情を浮かべる奈緒香。


「なんか投げやりだな〜」

 ……俺としてはそういうつもりではないのだが。


「悪い、別にそういうつもりじゃ……」

「む——っ!」

 奈緒香の膨れっ面は続く。

 そうか……これが、優里亜の言っていた女心ってやつか。


「奈緒香……とりあえず起きようか」

 通行の邪魔だし、いつまでも通行人の好奇の視線に晒されているのもどうかと思う。

 事情を知らない人間からしたら……“どこで抱き合ってるんだ”ってなっても仕方ない状況だからな。


「あ……そうだね」

 周りをキョロキョロして真っ赤になる奈緒香。

 ようやく状況を理解したようだ。


「痛っっっ……」

 立ち上がった奈緒香が少し足を引きずっていた。転んだ拍子に膝をすりむいたようだ。


「悪い奈緒香……俺が受け止めきれなかったから」

「あ、気にしないで、足を踏み外した私が悪いんだし……でも、その言い方はなんか嫌」

「何故だ?」

「だって、私が重くて支えきれなかったみたいじゃん」

 また頬をぷーっと膨らませる奈緒香。これも例の女心ってやつか……難しいな。


「奈緒香、とりあえずここに座って」

「え、あ、うん」

 とりあえず木陰になっている植え込みに奈緒香を座らせて、応急処置をした。


「え……楠井そんなもの持ち歩いてるの?」

 奈緒香が言ったそんなものとは、傷スプレーだ。止血と殺菌が同時にできる優れものだ。この間、鮎川とやり合った件で、携帯するようになった。


「変か?」

「変ではないけど……」

「まあ、役に立ったからいいじゃないか」

「それも、そうね」

「よし、できた」


 最後に、パンと軽く膝の両サイドを叩くと、

「きゃっ」

 また奈緒香にムッとされ、

「楠井、それセクハラだからね」

 と注意された。


「悪い……」

 とりあえず謝っておいた。


 部隊ではこのパンって叩くのが、治療が終わったって知らせる合図みたいなものだったのにな。

 これも女心ってやつか……なかなか難しい。


「よし、そろそろ行くか」

「うん」

 とは言ったものの、治療しても奈緒香は足を引きずったままだった。

「痛むか?」

「ううん……平気」

 くるぶしあたりを、触ると少し腫れていた。

 階段を踏み外した時に、捻ったのかもしれない。


「ちょっと、楠井……勝手に触らないでよ」

「あっ……悪い」

 また怒られてしまった。

 勝手はNG、断りを入れてからだな……家に帰ったらメモっておこう。


「奈緒香……今日は中止にしよう。捻挫だ。家か病院に連れてってやるよ」

「え————っ! 私、秘密教えてあげたのに……」

 奈緒香はまた膨れっ面になったが、ここは譲れない。


「ダメだ、放っておくと腫れが酷くなって、じきに歩くのも辛くなる。お返しデートは改めて誘うからいいだろ?」


 奈緒香はしばらく考え込んでいたが、

「分かった、絶対誘ってね」

 渋々承諾した。


「もちろんだ」

「じゃぁ、ここでいいよ。送ってもらうのも悪いし」

「それもダメだ、近所なんだろ? 遠慮するなよ」

「え……なんで近所だって分かったの?」

 目を丸くして驚く奈緒香。簡単な理由だ。


「夏休みに私服でこの辺を散策していたのなら、家が近所ってことだろ? 学校に来るなら制服だろうしな」

「お——っ、見事な推理だね! 正解!」

 褒められる程のことでもない。


「奈緒香……抱っこか、おんぶ、どっちがいい?」

「えっ、えっ、えっ、えっ何それ?」

「何って……その足じゃまともに歩けないだろ? 送って行くっていうのはそういうことだぞ?」

「ちょっと待って、ちょと待って、それは流石に恥ずかしい!」

「じゃぁ、タクシーでも呼ぶか?」

「いや、それももったいない!」

「じゃぁ……どうする?」

「うぅ……」

 奈緒香はしばらくうんうん唸りながら考え込んでいた。


「……じ、じゃぁ肩かして」

「却下だ」

「え————————っ!」

 肩をかすよりも、抱っこやおんぶの方がお互いに負担が少ない。あれは歩きにくいからな。


 奈緒香は顔を赤くして唸っていた。

 ……負傷した時に、抱っこや、おぶさってもらうことがそんなにも恥ずかしいことなのか。


「……じ、じゃあ、おんぶで」

 ようやく決断してくれた。


「ちょっと汗臭いかもしれないけど、それは我慢しろよ」

「そ……それは私も」


 背負った奈緒香は、思ったよりも全然軽かった。ていうか……胸の感触はしっかりあるのに、結構華奢だ。

 こんなこと言ったら、殴られてしまうかもだが、鮎川よりも全然軽い。


「重くない?」

「ああ、重くない」

「本当に重くない?」

「ああ、本当に重くない」

「本当の本当に重くない?」

「なんだ、お前は……重いと言って欲しいのか?」

「違う違う! やっぱ私も女の子だし……その辺は気になるっていうか」

 ……この国の女子は大変そうだ。


「俺に気にする必要はない。それより道を教えてくれ。俺が知ってるのはこの近所ってことだけだ」

「ああ、そうだったね」


 ——道中、道案内はしっかりしてくれたものの、奈緒香は言葉数少なめだった。

 喋ると負担が増えると思って、気を使ってくれたのかもしれない。


「あ、私ん家、あそこの黄色い看板のお店だよ」

 奈緒香が指さしたのは、中華料理屋さんだった。


「中華料理屋さんか?」

「うん、この辺では結構評判なんだよ」

「そうなんだな」

「もし、よかったら食べていく? 送ってくれたお礼にご馳走するよ?」

 中華か……食べてみたい気もするが……きっと鮎川が俺の分も夕飯の支度をしてくれてるだろうしな。


「今日は遠慮しておくよ。また改めて来る」

「そっか」

「それに、お返しばっか増えるのもな」

「えっ、それなに? 私に私に貸を作るのは嫌ってこと?」

「いや、そんなつもりで言ったんじゃ」

「へへへ、知ってるよ」

 無邪気な笑顔で答える奈緒香。

 難しい……女心は難しい。どこまで真に受けていいのかわからない。

 

「よし、着いたな」

「ありがとう、送ってくれて……本当に重くなかった?」

 くどいな……重いっていってやろうか……、

「いや大丈夫だった」

 と思ったがやめておいた。


「よかった」

 なかなかの笑顔だ疲れも吹き飛ぶ笑顔ってやつなのだろう。


「ちゃんと、病院いけよ」

「うん」

「またな」

「うん、またね」

 そして俺が帰ろうとすると……、


「楠井、さっきのはやっぱ無しで……気にしないでね」

 意味深な言葉をかけられた。


 今日、奈緒香と一緒にいて思ったことは……、女心は複雑で、俺には理解しがたいってことだ。

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