第12話 女の敵!

 濃密な殺気の正体は鮎川だった。

 そして、殺気を向けられていたのは俺だった。

 だから優里亜が気付かなかったのか……というか、優里亜は殺気の正体が鮎川だと、分かっていたのかも知れない。


「いざ、勝負!」

「ま、まて鮎川、まず話し合おう、何で俺が女の敵なんだ」

「問答無用!」

 言葉どおり問答無用で鋭く踏み込んでくる鮎川。


 これは、避けられない!


「ぐっ!」

 鮎川の突きはガードするだけで、精一杯だった。……つ、強い!


「はぁ————っ!」

 連続で突きを繰り出す鮎川。日本の女子高生のレベル……半端ない。

 優里亜が今朝、大人しく従っていたのもうなずける。


「ハッ!」

 防戦一方だった。

 ていうか、このままだとやられる。

 戦うしかないのか?


「戦いの最中に、何を考えている!」

 鮎川は、俺の迷いを逃さず、的確に拳を打ち込んで来た。


 回避も防御も間に合わない……そう思ったが、俺は脊椎反射レベルで鮎川の拳をかわし、鮎川の顔面にカウンターを食らわせようとしていた。


 このままではまずい! 鮎川を殴ってしまう! 間に合うか!

 俺は咄嗟に膝を折り、拳の軌道を修正しようとした……すると、


「やんっ!」

 拳は逸れるにはそれたが、見事に鮎川のバストの先っちょをかすめた。

 そして……、


「くっ、クズ井————————っ!」

 ……夏服の薄いブラウスのボタンを引きちぎり、前がはだけてしまった。

 それにしても、……クズ井って。

 ……いや、今はそんな事を気にしている場合ではないな。


「わざとか! この女の敵!」

「悪い……決してわざとではない」


 物凄い形相で睨んでくる鮎川、そして目尻が少し光って見える。……もしかして泣かせてしまったかもしれない。


「許さない、許さない、許さない!」

「ま……待て、鮎川、本当にわざとじゃないんだ!」

「問答無用!」


 鮎川は、はだけるブラウスを手で押さえて、足技中心の攻撃に切り替えてきた。

 鮎川の連続蹴りは、突きほど鋭く無かったが、上段蹴りのたびにモロに見えるパンツのせいで、うまく防御に集中出来なかった。


 ていうか、これは教えてあげた方がいいのだろうか。

 怒りで我を忘れて、パンモロも気にせず、蹴りを繰り出してくるのだが……。


「鮎川やめろ!」

「うるさい!」

「ならせめて、蹴りはやめろ」

「ふん、私の蹴りに怖気付いたのですか!」

「いや、上段蹴りのたびに、パンツがモロに見えるんだよ……」


「にやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 恥ずかしさの反動か、鮎川は顔を真っ赤にして、これまでに無い鋭い蹴りを見舞ってきた。


 ……ヤバい、避けられない!


 そう思ったが、俺は脊椎反射のレベルで勝手に身体が動き、鮎川の足を取り、そのまま地面に叩きつけようとしていた。


 まずい! これはまずい! このまま地面に叩きつけると、鮎川が死んでしまう!


 必死だった。

 このコンマ数秒の時間に俺は必死で、鮎川の身体を引き寄せた。


「「あ痛あっ!」」


 そして気がつくと、鮎川のスカートは見事にまくれあがり、ブラウスの前は全開。

 鮎川は俺の腰にカニバサミになり、両腕は首に回していた。

 俺の左手は、鮎川の頭抱え、右手は鮎川の豊満なバストの上にあった。


 そんな体勢のまま、俺が押し倒すような格好で倒れ込んでいた。

 

「あ、あ、あ、あ、あ、あ」

 鮎川は顔を真っ赤にして、目を泳がせていた。


「だ、大丈夫か鮎川? 頭打ってないか?」

 ……俺の左手に残る痛みの感覚からして、鮎川は頭を打っていないとは思うが。


「く、く、く、クズ井……この状況で言うセリフはそれだけか!」

 胸を触っていることや、スカートがめくれ上がっている事を怒っているのか。

 たかがそれぐらいの事で……、

 下手したら死ぬところだったんだぞ?

 ……俺は無性に腹が立った。


「当たり前だ! あの体勢から倒れ込んだんだぞ! 最悪、俺はお前を殺していたかもしれないんだ! 他に何を言う事があるんだ!」

「こ……こんな……破廉恥な事をしておいて!」

 更に腹が立ったから、右手に掴んでいた胸を鷲掴みにしてやった。


「あんっ」

 何か色っぽい声が聞こえたが気にしない。


「破廉恥が何だ! そんな事と命……天秤にかけられると思うのか!」


 鮎川は目にいっぱいの涙を浮かべ……、

「こんな、辱めを受けるぐらいなら死んだ方がマシよ!」

 と、ほざいた。

 俺は流石に我慢の限界が来て、


 パチィ——ン


 鮎川のほほを平手で叩いた。


「冷静になれ……お前が死んで悲しまない人間がいると思うのか?

 莉緒はどうなると思う?

 一生消えない傷を、心に刻ませるのか?」


 鮎川は叩かれた頬に手をあて、目を丸くして驚いていた。


「こ……こんな、体勢でよくそんな事が言えたものですね……」

 鮎川は横を向き、目を合わせる事なく、そう言った。


「あ……悪い」

 俺は体を起こし、来ていたシャツを脱ぎ、

「これ使えよ」

 鮎川にかけてやった。


 鮎川は地べたにペタリと座り込み、それ以上は何も言わなかった。

 

 思うところがあったのか、鮎川はしばらくそのまま黙りこくっていた。


 あんまりジロジロ見るわけにはいかないが、ぱっと見鮎川は無傷のようだ。

 まあ、よかった。

 俺は……左手と右膝を少しやってしまったが、問題ないだろう。


「楠井……その手」

 ようやく話してくれた鮎川の最初の一言は、俺の怪我を気にしてのことだった。


「ああ、大丈夫だ、気にするな」

「でも血が……」

「ちょっと擦りむいただけだ、気にするな」

「ダメですよ……放っておくと破傷風になります」

 鮎川は今朝と同じ丁寧な口調に戻っていた。そしてハンカチを取り出し簡易的な手当てをしてくれた。


「ハンカチ……汚れるぞ……」

「洗えばいいだけですから、私、洗濯得意ですし」

 表情も穏やかに戻っていた。


「なあ鮎川、今日のところはもう決着でいいか?」

「は……はい」

 鮎川は小さく頷いた……ようやく一件落着だ。


「じゃぁ帰るか」

「はいっ」


 立ち上がった鮎川は、少し足を引きずっていた。人の心配をしておきながら、自分は捻挫をしていたようだ。


「おい、鮎川……あの家に帰るんでいんだよな?」

「え……あ……はい」

「分かった」

 俺は鮎川を抱き抱えた。


「な……何をするのですか?」

「足……やっちまったんだろ?」

 コクリとうなずく鮎川。


「なら遠慮するな」

「だめです……莉緒様に怒られます」

 鮎川……本気でそんなことを言っているのか。


「心配するな、あいつはそんな心の狭いやつじゃねーよ」

 俺はお姫様抱っこのまま鮎川を家に連れて帰った。


 “あいつはそんなに心の狭いやつじゃねーよ”なんて格好つけて言ったけど、帰ったら莉緒にこっぴどく叱られた。


 とにかく、大事に至らなくてよかった。

 

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