第2話 ウブな男 〜莉緒視点〜

 夏は暑いから嫌い。

 ただ暑いだけでイライラして、色々なやる気がそがれてしまうから。

 でも、今日は風が気持ちよかった。

 私はその風の気持ちよさに誘われて、柄にもなく、この炎天下の中、散歩に出かけるという暴挙にでた。


 やっぱり風が気持ちよかったのは最初だけで、夏の殺人的な日差しに、その気持ちよさが奪われていく。

 途中からイライラしかなかった。

 何でこんなに暑いのよ。


 ただでさえ、イライラしているのに横断歩道のど真ん中に車を止めている愚か者がいた。

 わざわざ避けて通るのもしゃくだったから、車の上に乗って横断してやった。

 結果、避けて横断した方が楽だった。

 本当に癪に障る車だった。


「おい、待てコラ」

 車の中から、野暮ったいセンスの男達が出てきた。


「何か用かしら?」

「用かしらじゃねーよ、なに普通に車の上、歩いちゃってくれてんだよ」

 どうやらセンスだけじゃなくて頭まで悪いみたいだった。


「そこは横断歩道よ、人類が横断するための場所なの、そこに駐車するのは、何人たりとも許されない行為なのよ」

 頭の不自由な男達に人類のルールを教えてあげた。


「おい、わけの分からない講釈たれてんじゃねーぞ、コラァ」

 言葉の通じない原始人と関わるほど、時間の無駄とイライラする事はない。

 私は、男達を無視してその場を立ち去ろうとした。

 すると男達は実力行使に出た。

 これだから原始人は嫌いなのよ。


「やめて! 離して!」

「うっせえ、大人しくしろ!」


 でも、残念ながら私に原始人と争うほどの筋力はなかった。

 これが文明人の弱点ね……なんて冷静に現状分析をしていると、都合よくクラスメイトが通りかかった。

 確か彼は楠井くすい しん

 クラスでは目立たないモブのような存在。


 クラスで、むしろ校内1の美少女である私が、わけの分からない原始人達に拉致られようとしている。

 だから当然助けてくれるものだと思っていた。


 でも、彼は横目で私を見て、そのまま通り過ぎようとしていた。

 なぜ? なぜこの九条莉緒を前にして、声もかけずにスルーできるの?

 というより、女の子が拉致られようとしているのに、なんでそんなにも涼しい顔で、何事もなかったかのように立ち去ろうとしているの?


 わけが分からなかった。

 そして私は気がつけば、

「助けて!」

 彼に助けを求めていた。


 彼は私の声に反応して、ようやく立ち止まった。

 そして原始人達と一言二言交わすと、何か癪に障ったようで、次々と原始人達をほふっていった。


 そして彼は、

「こい!」

 私の手を取り、走りだした。


 えっ……私は何が起こったか分からなかった。


 心臓がドキドキするもしかして私……、


「待って……もう、限界」

 体力の限界に達していた。


「ああ、悪い」

 言葉では悪いなんて言いながら、全く悪びれる様子のない楠井くん。

 とりあえずお礼を言うつもりだったけど、

「ううん……はぁ、はぁ……そ、はぁ、それより、はぁ、ありがとう」

 息が乱れて自分でも何をいっているのか分からなかった。

 ていうか、こんな全力疾走……体育の授業でもしたことがなかった。


「気にするな、それより呼吸を整えてから話せ」

「う……うん」

 やっぱり、伝わっていなかった。

 呼吸が整うまでしばらく待って、改めてお礼を言った。


「ありがとう、楠井くん……助かったわ」


 彼は押し黙ってしまった。


 そして彼は一際熱い視線を私に向けた。


「なぜ俺の名前を知っている?」

 なぜ?

 そりゃクラスメイトだからだけど……、

 はっ! もしかして……、

『俺なんかの名前、なんで九条さんみたいな可愛い子が知ってるの? もしかして俺のこと……』

 的な意味で聞いたのね!


 分かるわ、あなたの気持ち!

 手に取るように分かる!

 でも……ここは、あれね……女の余裕、あなたは特別じゃないよ感を出さないとね。


「……何故も何も……クラスメイトだからだけど?」

 完璧。

「そうか……お前は確か」


 うんうん、私は誰かな?

 みんなの憧れの九条莉緒よ。


 でも、彼は私の名前を呼ぼうとはしなかった。

 あれ?

 まさかとは思うけどこの子、

「……もしかして、私のこと知らないとか言わないわよね?」


 この……本当に知らないって言うの?


「悪い、お前のことは知ってるはずなんだが、その……私服姿のお前が可愛い過ぎて、俺の記憶から見つけられないんだ……教えてくれると嬉しい」


 やっぱりだ……やっぱりそうだ、私の可愛さは罪だった。


「私に名前を尋ねるなんて、本来なら重罪だけど、特別に教えてあげる。助けてくれたお礼よ」

 なに、その熱い視線は。

 もしかして、私の名前を一刻も早く知りたいっていうの?

 

 仕方ないわね、

九条くじょう 莉緒りおよ」

 お望み通り名乗ってあげた。


「そっか、莉緒……気をつけて帰るんだぞ」

 い……いきなり呼び捨てぇぇぇぇぇぇっっ!

 今まで男子に呼び捨てなんかされたことなかった。なにこの、あらがい難い衝動は!


「待って」

「なんだ?」

「お礼がしたいから付き合いなさい」

 確かめなくちゃ、この気持ちが何なのか。


「お礼ならさっきもらった。名前を教えてくれただろ、莉緒」

 ずっきゅ—————————ん!

 なに、このドキドキ! 私の名前を呼べたことがそんなに嬉しいの?

 

「待って」

 私は彼の腕にしがみつき引き止めた。

 もっと彼のことが知りたい一心で。 


「怖いの……送っていってほしいの」

 そして上目遣いで彼に甘えてみた。


「どっちだ?」

 ふっふっふ、乗ってきた。


「楠井君の家でいいわ」

 ご褒美に私は彼に大きなアドバンテージをプレゼントした。


「俺ん家の近所なのか?」

 何をすっとぼけているのかしら?

 家に誘いやすいようにしてあげたのに。


「いいえ、楠井君の家でいいの」

 私はもう一度彼にチャンスを与えてあげた。

 彼は色々察したのか、ようやく私を伴い、自宅に向かった。 

 

 そして少し歩くと彼のマンションに到着した。


「ここだ、それでどうするんだ?」

 どう言うこと?

 誘わないの?

 しばらく待っても彼は私を部屋に誘う素振りをみせなかった。

 そして私は全てを理解した。


「ここでいいわ、ありがとう」

 楠井くん、いくらなんでもそこまで甘えちゃだめよ。


「じゃあな……莉緒」

 うっ……また呼び捨て、いきなり呼び捨てなんてするものだから、もっと積極的だと思っていたど……案外ウブな男なのね。


「またね楠井くん」

 でも心配しないで、もっと誘いやすい状況を私が作ってあげるから。


 夏は嫌いだったけど、今年の夏は嫌いじゃないかも。

 だって、運命の彼と出会えたのだから。


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