第108話 消えない繋がり

 昔からそうだった。

 私が好きになったものはいつも無くなる。

 いつも、私の手のひらから零れていく。

 ぽたぽたと、雫のように少しずつ。少しずつ。


 父も、母も。あの犬も、彼も。

 全部、手の中にあったはずなのに。

 いつの間にか、無くなっている。


 私にとって、絆とは液体だ。

 掬っても掬っても漏れていく流体だ。

 手のひらで受ける液体の量は決まっていて、どんどん漏れていく。

 慌てて掬っても、掬ったそばからまた漏れて。


 だから、どうせ無くなるのならと自分の手で片付けて。

 それで結局何も残らなくて。

 今回こそは無くさないようにと気をつけたのに。


 ああ、彼もいなくなっちゃうのね。


 そう思ったけれど。

 手のひらから落ちていったはずの彼が言うのだ。

 私を信じていると。


 かつて共に過ごした時間が、

 楽しかった思い出が、

 私と彼をつなぎ止めた。


 手からこぼれ落ちたはずなのに、

 地面に落ちて、乾いて無くなるはずなのに、

 つながりは残っている。


 それはまるで、天と地を結ぶ雨粒みたいに

 私と彼を繋げていた。


 絆は液体。

 その考えは変わってないけれど。

 もしかしたら、手のひらからこぼれ落ちた後も

 絆は私と地面を繋げていたのかも知れない。


 今更気付いたところで、もう遅いのだけれど。

 少しだけ、後悔した。


 本当に、少しだけ。




 ◆



「エル……?」


 エルはずっと座ったまま黙りこくっている。

 指を組んで顔を下に向けて、何かを考えている。

 そして、ゆっくりと顔を上げて口を開いた。その顔は、先程までとは違い、眉が下がりきっていた。弱々しい、少女の表情だ。


「トール……私、間違ってたのかしら」


「……そうだな。俺なんかのために大勢の人を殺すなんて、やっぱりダメだと思う。ここがゲームと似た世界だろうと、自分たちと関係ない人が大勢いようとな」


「分かってた……。分かってるつもりだった……。でも、結局私は自分の感情に負けちゃった。あはは、チート転生したのに、イキって痛い目見るとかダサいね。……ホント、私ってダサい」


「まぁ、こういう題材じゃあチートして美味しい思いだけして主人公アゲってのが基本だからな。痛い目見る展開なんて求められてない。でもここは現実だ。自分がやったことのツケは自分で払わなきゃいけないんだ」


「うん、そうね……分かってる」


 エルはもう一度深く頭を下げて、手で顔を覆う。

 そして、ゆっくりと立ち上がり、魔力を高めていく。

 魔法発動の準備だ。


 肌がピリピリとざわつく。これほどの膨大な魔力、大がかりな大魔法を発動する前兆だろう。

 そう、それこそ全世界の人間を対象にした大魔法のような。


 エルは俺の方に目をくばり、小さく言葉を紡ぐ。


「最後に、ごめんねトール。あなたのこと、本当に好きなの。どうしても好きで、どうしようもなく好きなの。だから私、こんな強引なことをしちゃったけれど、あなたに言われて気付いたわ。私、酷いことしたわ」


「ああ……。許すとか許さないとか、今すぐ言えることじゃないけど、お前がそのことに気付けてよかったって思うよ。でも、エル。俺もこれだけは言わせてくれ。お前……いや、君が俺に抱いてくれたその感情は決して間違ったものじゃないよ。その感情は本当に大事なものだから、だからこそ大事にして欲しかったんだ」


 人を好きになるってこと。誰かを愛すること。

 それは生きる力を、目標さえも与えてくれる。

 人の人生を変えてしまえるほど、力強いものだ。

 その感情に、間違いは無い。俺はそう思いたい。


 俺も、愛という感情のおかげで頑張ってこれたから。

 彼女の気持ちを否定することは、したくない。

 その結果間違ったことをしてしまったけれど、始まりの気持ちはきっと純粋なものだったはずだから。


「だから、さ。もし全てが終わって、君の罪が許されたのなら、その時はいっぱい話そう」


「ふ、ふふ。好きって言われてフった相手にいっぱい話そうって。まるで子供ね」


「いいんだよ、俺はアホだからな。君の気持ちを汲んでやれてるかも分からない。ただ、俺は君とこれで終わりにしたくないんだよ。大事な仲間、だからな」


「……うん。そうだね。私も、フラれちゃったけどあなたとまた冒険に行きたいわ。……仲間として、もう一度、ね」


「……ああ」


「…………さて、じゃあ最後の大仕事をやるわね。……森羅万象における生と死の理よ。冥府の神たる我が命じる。今一度その理を変じ、冥府より帰還させよ。【リターンフロムデス】」


【リターンフロムデス】

 聞いたこともない魔法だ。だが、その効果は分かる。

 一度殺した相手を復活させる。対象は全人類だろう。すさまじい効果範囲だ。

 エルの魔神としての力は、俺の極神の力など遙かに上回っている。

 だが、世界の理をねじ曲げる大魔法を二度も使ったのだ。果たしてエルに何のリスクもないのだろうか。

 いや、あるはずだ。これほどの力、例え神だろうとそう易々と使えない。

 でないと、地上は神が干渉してあらゆる法則がねじ曲がってしまう。


 大きい力には大きいリスクが存在するものだ。

 神だろうと、例外はない。


「ふう……これで終わりね。死んじゃった人たちはじき元に戻るわ。本人達からしたら一瞬呆けていたように感じるだけのはずよ。冥界の記憶はよほど強い魂を持った者でもないと覚えていないと思うわ」


「そんなことが分かるのか?」


「ええ。この力が頭に直接教えてくれるから」


 どうやらヘラの力は親切心に溢れているらしい。

 雷神の力なんてどんな効果があるか使ってみるまで分からないというのに。


「あ、ほら。光が溢れているでしょう? あれが人の魂よ。……綺麗ね」


 エルは街に続々と出現する淡い光を発する人魂を指さす。

 冥界で人魂は見たが、こうやって地上で見るとまた違う印象を受ける。

 冥界では消えゆく炎という感じだったのが、ここでは燃え盛る火炎といった印象だ。


「冥界に来る魂と現世で生きる魂の光が違うのは当然よ。ここにある魂はどれも、生きようと必死だもの。プラスのエネルギーに溢れて、だからこんなに綺麗に…………こんな綺麗な輝きを、私は奪ったのね」


「エル……」


 エルになんて声をかければいいか、分からなかった。

 ただ、彼女の肩にそっと手を置いて慰めようとした――しかし


 手は彼女の肩に触れることなく、通り抜けた。


「!?」


「ああ、もう時間みたいね」


「エル……その体……どうして?」


 エルの体は透明に透けていた。

 手で触れることも出来ず、まるで亡霊のようにそこにあるだけだ。


 エルの体はどんどん薄くなっていく。

 それは明るく燃える人々の魂とは対照的だった。


「言ったでしょう? 理を変えるって。例え魔神でもペナルティがあるものよ。あなたも予想はついてたんじゃない?」


「でも、それじゃあ君はどうなるんだ!? その体は一体?」


「たいしたことないわ。ニブルデスの最奥、真の暗黒世界で永遠に閉じ込められるだけ。意識を閉ざすことも許されないから、少しつらいかもね」


「じゃあ、君はこれからずっと、一人で暗い世界にずっといるのか? そんな、それじゃあ……」


「いいのよ、これは私の罰。私が自分のやってきたことの重大さを知らなかった……知ろうともしなかったのがいけないの。それに大丈夫、私は一人じゃないもの。例え離れてたって、仲間という絆は残る……でしょ?」


「……おう。俺も、忘れないからな。だから、お前は一人じゃない」


 そんな、月並みな言葉しか送れなかった。

 これから永遠に孤独を味わう少女に、一人じゃないなんて綺麗事を言って、少しでも励まそうとして。

 結局、何も出来ないじゃないか。


「そんな顔しないで。あなたは被害者なのよ? なんで泣きそうな顔してるのよ、おかしな人」


 もうエルの体は胸元まで消えてしまっていた。

 直に顔、頭まで到達し、完全に消えてしまうだろう。


「平気よトール。私、夢見てるわ。一人暗闇の中で、あなたのこと、夢見てる。眠ることも許されないから夢っていうのも変ね。……じゃあ、妄想かしら。ふふっ。私、あなたと冒険に出ることを考えながら過ごすわ。さっきの約束、守れそうにないけれど代わりに頭の中で冒険するの。だから寂しく何て無いわ」


「エル……」


「あ……もうお別れみたいね。……じゃあね、トール。色々とごめんなさい、それと……あなたに会えてよかった、なんていったら迷惑かしら」


 そう言って、少女は悲しそうに笑って。

 顎まで消えかかっていた。


 だから。


「エル!!」


 叫ぶ。声を出して届ける。


「また、冒険に行こうな! 夢の中じゃなく、現実で!」


 約束をする。

 叶えることが出来るかは分からないけれど。

 いや、必ず叶えてみせる。

 だから、彼女に伝える。


「絶対だ! 今度は、エタドラで行ったこともないような場所に行ったり、高難易度クエストで戦ったモンスターがこの世界にいるか確かめたり、やることはいっぱいあるからさ!」


 エルは目を見開いて少し驚いた表情をして。



「うん、約束よ」


 涙を流し、消えていった。




 これが、俺がかつての仲間エルを見た最後の時だった。

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