第109話 生還
「ィ…………ビィ……!」
聞き慣れた声がする。その声を聞くだけで私は安堵する。
ああ、彼だ。
瞳を開くと光の眩しさで目を細めてしまう。あまりの眩しさで頭痛がしてしまうほどだ。
さっきまで一筋の光さえ射さない暗闇にいたからかな。
「ルビィ……? ルビィ……! 大丈夫か、目が覚めたのか?」
うん、と返事をしてあげたいのに声が出ない。
なんだか体に力が入らないや。せっかくとおくんが手を握ってくれているのに。
とおくんの手は温かくて、火傷してしまうかと思った。大げさかな、いや違うか。私の手が冷たいんだ。
指先の感覚が薄く、手を握り返すことさえ難しい。まるで自分の体じゃないみたい。
「と……ぉ……」
喉も枯れて、声が全然出ないよ。これじゃあ、名前も呼べないや。
体が言うことを聞かない。心はこんなにも動き出したいのに。
全身の感覚が失われて、今私は立っているのか座っているのか。それとも倒れているのかさえ分からない。
――つかれた
心の中に浮かぶ感情は、その一言で埋め尽くされていた。
「おい、聞こえてるか? ルビィ! くそ、しっかりしろ!」
「先生、なんとかならないのか!」
「フレイさん、私も医者として判断させて貰うがルビア様はかなり危険な状態です。さきほどのトールさんと似た容体だ。危篤状態と言っていい……」
「ルビアさん、しっかりしてください!」
「ルビア様、お気を確かに。……トール、君の持ってるマストポーションをルビア様に飲ませるんだ」
「分かってる! でも、ルビィの口に入れても飲んでくれないんだよっっ!!!!」
みんなの声がする。フレイさんにフレイヤさん、ティウもいるんだね。声は聞こえないけど、シグルズさんの気配も感じる。
ということは、ここはさっきまでいた部屋なんだ。
よかった、また知らない場所にいたら怖いもんね。
とおくんが手を握ってくれてるから、心配ないけど。
でも、みんなの話を聞いてると私は昏睡状態になってるみたい。
意識もうっすらと消えていってる。
さっきのとおくんみたいに、死んだように倒れちゃうのかな。
それは、やだな。さっきのとおくんを見てて、私は心が壊れちゃいそうなほど怖かった。
とおくんに同じ心配をかけるのは、いやだな。
だから起きなきゃ。
手を動かして、とおくんの手を握り返して。ゆっくりと体を起こせばほら。
「っ…………」
ほら。
動いて。……起きなきゃ、みんなに心配かけちゃうから。
でも、ダメだった。
体は動かない。糸が切れた人形のように、ただそこにあるだけ。
力なく手足を放り投げてるだけ。
――ごめんね、とおくん
私はそのまま、再び暗い暗い闇の中へと意識を落としていく。
◆
「おい、ルビィ! 起きろ、ほらしっかりしろ!」
ルビィは目覚めない。他のみんなの魂は無事戻ってきたというのに、ルビィだけ違う。
顔は青ざめて、手足は力なく放り投げ出されている。
生気の無いその姿は、まるで死んでいるみたいだった。
「おい、嘘だろ……頼むから返事をしてくれよ……なあ、ポーションを飲んでくれ。頼むから……!」
「先生、ルビア様の容体がさっきのトールと似ていると言いましたね。ということは、仮にマストポーションを飲んだとしてもルビア様は……」
「ええ、ルビア様を助けるにはトールさんに飲ませたあの霊薬が必要となるでしょう。ですが……」
「あの霊薬はトールに飲ませたので最後。一本しかない……」
霊薬? それは一体、何のことだ?
俺を助けてくれた時に、その霊薬とやらを飲ませたのか。
だったら、それがあればルビィを助けることが出来るってことだ。
「ティウ、その霊薬ってどんなものだ。まさかポーションの類いじゃないよな。じゃあエリクサーか?」
「いや、違うよトール。ルビア様が君に飲ませたのは世界樹の雫だよ。ユグドラシルの根から採れる貴重な雫なんだ。君に飲ませた一本しかない。代わりはないんだ」
「世界樹の……ユグドラシルの雫? それを飲んで俺は生き返ったのか……」
一本しかない貴重なアイテムを使ってまで、俺を救ってくれたルビィ。
だというのに、俺は彼女を救うことが出来ない。もどかしさを覚えて死にたくなる。
何か無いのか、ティウは代わりは無いと言うがそれはこの世界の話だ。
俺が持つアイテムで代わりになるものが、何かあるはずだ。
エルに言ったように死んだものは生き返らない。自然の摂理は絶対だ。
ゲームのようにアイテム一つで復活なんて都合のいいことなんて起きない。
だが、逆をつけば死んでいない以上ルビィを救う手立てはあるはずだ。
だって、ルビィは死んだわけじゃないのだから。
「世界樹の雫と同等のアイテムがあれば……死んだような状態から元に戻れるようなアイテムが…………あっ」
「もしかして、何か心当たりがあるんですかトールさん?」
「そうなのか、トール! ルビアさんを助けるためのアイテムを持ってるのか!」
「……ああ。もしかしたら、ルビィを救うことが出来るかも知れない」
あれを使えば、もしかしたらルビィも元に戻るかも。
エタドラのストーリーで仮死ノ華を口にして瀕死状態になり、冥界ニブルデスに潜り込んだことがあった。
そして、ストーリーの途中で冥界に入ったということは後に地上に戻ることが出来たということ。
その方法は鳳凰の涙というアイテムを使うことだった。
鳳凰の涙はストーリー上で入手できる重要アイテムだが、八章クリア後は強敵からレアドロップして入手することが出来る。
効果はHPが〇になった瀕死状態の味方一人をHPとMPの両方を全快で復活させるというもの。
エタドラのストーリーで効果のあったこのアイテムは、きっとこの世界でも同じ効力を持つはずだ。
だが……
「鳳凰の涙……品詞の味方を復活させるアイテム。だけど、俺が持ってるのは一つだけ……」
貴重なアイテムだ。レアドロップなだけあって、俺は合計八つしか手に入れることが出来なかった。
その内七つは高難易度イベントで使用して、残り一つ。
これを使えば、あれほど苦労して手に入れた鳳凰の涙を完全に失ってしまう。
「それがどうした。迷う理由なんてねえよ、ルビィを救えるなら俺は人生を賭けても構わないんだ。たかがレアアイテムの一つ、安すぎるぜ」
俺はアイテムボックスから鳳凰の涙を取り出す。
小さい小瓶に黄金に輝く雫が入っている。
「おお、それが……」
「なんて綺麗な輝きなんでしょう……命の尊さが光になったようですわ……」
「だがトール殿、ルビア様がそれを飲んでくれるか……」
「そうだよトール、ルビア様がこんな状態じゃあその鳳凰の涙も飲み込むことが出来ない……」
「…………」
俺は思いきって鳳凰の涙を自分の口に含む。
それを見てみんなが大声を上げる。
「ちょっ……この馬鹿! なんでお前が飲んでんだよアホ!」
「トールさん、ほらぺっ! ぺっしてください!」
「ん~~~!」
フレイとフレイヤ、この兄妹俺のことを何だと思ってやがる! 首根っこ掴むな揺らすなやめろ!
「トール、正直に言わせてくれ。君は馬鹿なのかい……?」
「トール殿、この状況で悪ふざけとは少々不謹慎ではないだろうか」
「んんん~~~~!?」
ティウとシグルズまで俺のことを冷めた目で見て来やがる。
なんて薄い信頼関係なのだろう。誰も俺が真面目に事態に取り組んでいると思っていない。
俺はいつだって真面目だというのに。悲しくなるね。
「んん、んんん~~~!」
おら、見てろと声にならない声を出す。
すると、みんな俺が何かを使用としていることに気付いたようだ。
俺はルビィの顔に自分の顔を近づける。青白い顔、とてもつらそうだ。
ルビィ、もうすぐ楽になるからな。
「んん……」
「おっ!」
「まぁ!」
唇と唇を合わせる。そして口の中に含んだ鳳凰の涙をルビィに口移しする。
鳳凰の涙がトクトクとルビィの喉を通っていくのがわかる。
よし、これでよし。漫画とかでよくある、意識不明の相手に水を飲ませるシーンを真似してみたが上手くいった。
……不意打ちのように口づけしてごめんな、ルビィ。
「ぷはぁ……! ど、どうだ。ちゃんとルビィの喉を通ったぞ」
「いきなり何をするのかと不安になったけど、ちゃんと考えてたんだなお前」
「私はてっきりやけになったのかと……」
「僕はウケ狙いに走ったんじゃないかと思ったよ」
「お前らマジで最悪だよ……何その俺に対する悪い方向への信頼感。俺がルビィのことでふざけるわけないだろうが」
非常に遺憾である。
「う……んん……」
小さな声がルビィから発せられる。
目を向けると僅かに瞳を開いてこちらを見ているルビィ。
「! 目が覚めたのか!?」
「とおくん……うん、ただいま……」
「ああ、おかえりルビィ……よかった……本当に、よかった……」
「うんん……痛いよとおくん……心配かけてごめんね……」
「そうだぞこの……心配したんだからな、本当に……ばか」
「心配したのは私もだよ、とおくん。……ねぇ、手、握ってていい?」
小さく、まだ冷たい手が俺の手を力弱く握る。
俺はそれを優しく握り返す。
「……あたたかい。安心する……」
そう言ってルビィは眠りに落ちた。
可愛い寝息を立てて、とても安らかな表情のその寝顔は、見ているだけで心温まる姿だった。
◆
ルビィを部屋に連れていって寝かしつけてから、俺は自室で再び物思いにふけっていた。
「生と死、か……」
今回のことで俺は命の重さというものを改めて実感した。
この世界に来てから、何度も強敵と戦ってきた。
その中で命の危険というものを感じ取ったことも幾度となくあった。
死ぬかも知れないって考えたことも当然ある。
だが、実際に死を体感して、そして大事な人が死んだ悲しみを味わって改めて思う。
「死なせたくない……もう、二度と」
元々死ぬはずだった運命の少女を救って、天狗になっていたのかも知れない。
少女を救ったのは自分だが、その力の源は得体の知れない雷神のスキルによるところが大きい。
しかも雷神の力は俺を神という世界の機構に変えてしまう。
ブリュンヒルトの一件で、俺は雷神の力を信用できなくなってしまっていた。
雷神の力はこれ以上使いたくない。だが、その力が無いと俺には大した力などない。
もし俺に雷神の力が備わっておらず、この世界に転移してきたとして。
それで果たしてルビィを救うことが出来ただろうか。
世界の運命を変えるなんてことが、俺一人で可能だっただろうか。
無理だ。
俺には何の力も無い。
エタドラで得たステータスやアイテムを使って、それでようやく戦えるのだ。
世界の運命を変えるなんて、とても出来っこない。
俺には力がない。
一年も山篭もりで鍛えたのに、結局闇ザコ相手に雷神の力を使わないと手も足も出ない。
この世界の歴史は既にエタドラのストーリーから逸脱しつつある。
ルビィとミズガルズ王国は帝国に滅ぼされたものの一つではなく、世界の注目を一斉に浴びる存在へと変わったのだ。
当然、ルビィを狙う者はこれからも後を絶たないだろう。
そんなやつらから、ルビィを守れるのか?
「力が欲しい……」
好きな子一人助けることも出来ない俺に、守り通すことの出来る力が欲しい。
だが、そう易々と実力を伸ばすことなんて出来ない。
大きな力を手に入れるには多大なる犠牲か、堅実に鍛え続けるだけの時間が必要だ。
「足りない……時間も、何もかも……」
今一度、決断の時が来たのかも知れない。
このままルビィのそばにいて、彼女が襲われる度に慌てふためくか。
それとも…………。
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