第105話 生者のいない世界

「あああぁぁああああッッッーーーーーー…………!!!」


「あら、お姫様って叫び声まで可愛らしいのねぇ。手足を端から徐々に闇の眷属達に食べさせているのに、ずいぶん余裕のある悲鳴だわ。やっぱり王族ってそういうところまで教育が行き届いているのかしら? 興味ないけれど」


「くぅ……はあ……はぁ……」


「あらあら、涙を流して鼻水まで垂らしちゃって。そんな顔を見たらトールはきっとあなたのこと軽蔑するわね。汚らしい顔だわ、びっくりしちゃう」


「と……お……く……」


「ん? なーに? 声が小さくて聞き取れなかったわ。もう一回言ってくれるかしら」


 目の前の少女はかすれた声で言葉を紡ぐ。


「あなた、とおくんと、知り合いなの……? なんで、こんなこと……」


「ええ、知り合いよ。あなたなんかよりもずっと前から、私はトールを知ってるわ。かつて旅を共にした仲間だもの。まぁ、ゲームの中の話だけれど。でも、過ごした時間は本物よ。どれくらいの期間だったかしら……確か、一年七ヶ月と三日くらいだったかしら。時間までは覚えてないわ、私ったら忘れっぽいから」


「とおくんと、たびを……」


「そう、私はずっとトールと一緒にいたわ。旅をしている時も、そうじゃない時も。ずぅっと彼と一緒にいたの。だというのに、今彼の隣にいるのは私じゃない。おかしくないかしら、おかしいわよね。ねぇ、あなたもおかしいと思わない? 思うわよね。思いなさい。だったら、いますぐ彼から離れなさい。ああ、ごめんなさいもう離れていたわね。ここニブルデスにいる以上あなたはどうやってもトールに会えないもの。なんだ私ったらうっかりしていたわ。うふふ……」


「ニブルヘル……それじゃあ、ここは冥界……なの? わたし、死んだ……の」


「その通り。あなたは死んだの。いいえ、あなただけじゃない。地上の生物は全て死んだわ。あなた以外の魂は今頃ニブルヘルの奥エーリューズニルという最闇の領域に送られているわ。そこで魂が浄化され、無のエネルギーに変換されて世界樹に還るのを待つの。ただ一人を除いてね」


 エルの言葉にルビアはわずかに反応した。

 その一人に心当たりがあったからだ。


「とお、くん……」


「察しがいいのね。あなたの考えてるとおり、地上には今トールだけが生きてるわ。だってトールが他の女に目移りしちゃうのが悪いんだもの。だったら、他の生物全てを殺しちゃったら目移りする対象もいなくなるでしょう? 私ったら最高に賢いわ♪」


「ひょっとして、とおくんが、いなくなった……のも……」


「ええ、私がやったのよ」


「なんて、ことを……あなたは、とてもひどいことを、してる……。人の命は、そんなに軽いものじゃ……ない」


「……フング!」


 エルが「フング」と言うと、暗闇の中で応えるものがいた。

 闇の眷属の一匹、空腹獣フングだ。

 死者の魂を食す闇の魔獣であり、フングに魂を食われたものはあまりの苦しみにもがき苦しむ。

 そして、魂だけの存在となっているため気絶することも許されず、魂が完全に消滅するまで文字通り地獄の苦しみを味わい続けるのだ。


 そして、フングはルビアの爪先から徐々に、魂を食らう。

 想像を絶する痛みと、自分の存在が消えていく恐怖。

 もしルビアが肉体を有していたならば痛みと恐怖で気絶し失禁していたことだろう。


 しかし、肉体のない今ではただ苦しむことしか許されない。

 意識を失うという逃げ道は用意されていない。


「ああああぁぁぁぁぁぁあああああ!!!!!!!!」


「何もないニブルヘルに、素敵な音色が響きそうね♪」


 エルはフングの捕食速度を最低まで遅くしていた。

 それも全て、自分からトールを横取りしたルビアへの報復。

 死ぬよりも恐ろしい痛みを与えるためである。


 ルビアの地獄は、始まったばかりだ。



 ◆



「ルビィ……ルビィ? おい、どこに……ッ!?」


 突然ルビィが消えて驚いたが、それどころじゃなかった。

 周囲を見回すとフレイ兄妹やティウ達まで消えている。

 これは幻覚か? 死にかけの俺が見る幻か何かではないのか?


「痛つつ……頬をつねっても変わらない。くそっ、夢じゃないのかよ! 何だよこれ、俺がこっちに戻ってきたと思ったら、今度はこっちで俺ひとりっきりかよ! これじゃあまるで……」


 まるで、さっきまでと逆じゃないか――そう思った瞬間。背筋に悪寒が走った。


「逆、さっきまでとまるで逆。まさか、いや……いやいやいや。そんなはずがない! いくらエルが魔神とかいうスキルを持ってても、そんなこと出来るはずが……」


 頭を抱えてその場にうずくまる。

 俺は今、最悪の事態を想像している。そして、より最悪なのはどうも俺の予想は的中しているようなのだ。

 こういう時だけは察しがいいのは、今は無性に空しくなる。

 考えたくない。もし、もしもそうならどうすればいいんだ。


 俺の考えているとおり、もしエルが――


「俺以外の人間を殺したのだとしたら……」


 エルの生者を殺す能力は特級の力だ。

 俺は抵抗する暇さえ与えられずに殺された。

 あんな攻撃――いやエルからすれば攻撃のつもりもないのだろう。あれを防ぐ術があるのか、いやないだろう。

 それはつまり、この世に生きているのは俺一人ということ。


「ルビィ……ティウ、フレイ! フレイヤ! シグルズ! いないのかよ、返事してくれよ!」


 返事はない。

 ただ病室に俺の声がこだまするだけだ。


 恐怖からか、病室から廊下へと飛び出した。

 扉を空ける。誰もいない。

 空ける。いない。

 いない。


 誰もいない。


 窓を見る。

 いつもは聞こえる小鳥のさえずりもない。

 木の枝にある鳥の巣には、親鳥とひな鳥がいたはずだ。

 その傍らに卵もあったはずだ。

 ない。

 親鳥も、ひな鳥も。これから生まれてくる命の、卵も。


 ない。


 ここには生命がない。


「く……【テレポ】! 行き先はヴァナハイム共和国!」


 転移魔法を使用してヴァナハイム共和国へ向かう。

 ヴァナハイムの教会に到着したが、教会には誰もいない。

 教会の外に出ても同じ。国の中心部だというのに人っ子一人いない。


 頭がおかしくなりそうだった。


「あ、ああ……! 嘘だろ。嘘だ嘘だ嘘だ! 何かの冗談だ、こんな……こんなの俺が見てる夢か何かだろ!?」


「夢じゃないよ♪」


「ッッッッ!?」


 耳元から甘い声。

 ここには人はいない。いないはずだ。認めたくないけど、確かに生命は存在しない。

 だというのに、人の声。

 俺は咄嗟に後方へ五メートルほど遠ざかる。

 さっきまで俺がいた場所にいるのは、いないはずの人間がいた。


「どう? おどろいたかしら、トール♪」


「何で、どうして君がここにいる…………エル!」


 冥魔神エルが、そこにいた。

 ニブルデスの女神であり、死を司る魔神。

 しかし、絶大なる権能を有す代わりにニブルデスに縛られているはずの死の女神。

 エルが地上に現れたのだ。


「どうして私がここにいるのかって? うふふ、ふふふふ。簡単なことを聞くのはだめよトール。少しくらい自分で考えないと。何でも人に聞くようになると脳みそが退化するって、学校の先生が言っていたわ」


「どうでもいい。答えろ、どうして君がここにいるんだ! エル!!」


「もう、しょうがないわね。特別に教えてあげるわ。……ねぇ、あなたはヘラが冥界に縛られている理由を知ってる?」


「ヘラ、エタドラのボスのヘラがニブルデスにいる理由? そんなの、冥界の主だからに決まってるじゃないか」


「ええ、そうね。でもそれだと変じゃない? 別に主だからってニブルデスから抜け出せないわけじゃないでしょう。その気になれば地上にだって出られるはずよ」


 言われてみればそうだ。

 ヘラは作中で強大な力を持つ割に、地上には一切干渉してこない。

 それはなぜか。地上には興味が無い? それとも、他に理由があるのか?


「分からない? 私は分かるわ。だって私はヘラでもあるもの。ヘラはね、その強大な力を持っていても地上に出ることは出来ないの。だって、彼女の力は死者あってのものだから」


「それは、つまり生者がいる限り彼女の力は発揮できないってことか?」


「ええ。地上にはありとあらゆる生命がいるでしょう? そんなところに出ればヘラの力は弱まってしまうの。きっと、そこらの虫程度にまで落ちるわ。だから地上に出てこないのよ」


「だが、お前は地上に出てきてるじゃないか。その話は矛盾している!」


 そうだ。仮に生者がいるから力を振るえないのなら、今地上にエルがいるのはおかしい――


「――あ」


「そう、気付いたわよね。私、さっき地上の生物を全て殺したわ。あなたを除いてね。だから今、この世界に生者はいないの。それってつまり、ニブルデスと同じような環境ってことでしょう? だからね、生者のいない世界なら私はこうやって好きに顕現できるの」


「だ、だけどそれはおかしいだろ! そんなこと出来るなら作中のヘラもとっとと地上の生命を殺せばよかったんだ! だけどそれはしていない、出来るはずがないんだ!」


「うーん、ヘラってたぶん何だかんだ言って冥界の女神ってポジションを気に入ってたのよね。最初はいやいやだったのかもしれないけど、やってる内に慣れちゃったんだと思うの。それに、ヘラに地上の生命を好き勝手に殺すほどの権能は無いわ。この力は私とヘラ、二人の力が合わさって初めて可能になるの。魔神ヘラと即死魔法の使い手である私の力、それこそが冥魔神エルなの」


 つまり、エルはボスの能力とプレイヤーのスキルの合わせ技で地上の全生物を殺したのだ。

 異世界転移で貰ったスキルを使いこなせないでいる俺と違い、彼女は自分の特性とボスの特性を巧みに組み合わせている。

 相性の良さがあるにしても、これほど強大な力になるのか。


 勝てない……。

 エルはただでさえ俺なんかより強いガチプレイヤーだ。

 その上、世界全体に干渉できるほどの能力を持っているなんて。

 無理だ。絶対に無理。勝てっこない。


「じゃあ、本当に地上の生命は……」


「ええ、いないわ。誰もね。あなたの可愛いお姫様も、今頃ニブルデスでじっくり魂を魔獣に食べられてるわ」


「――――は?」


「だから、フングってお腹ペコペコな私の眷属があのお姫様の魂をじっくり食べてるの。指先から少しずつね。きっと死ぬほどの苦痛を味わい続けてるわ。でも殺さない。私の屈辱を数千倍にして返すまでは絶対に殺してあげないわ」


「…………」


「ねえ、トール。あんな死者のことは忘れて私と暮らしましょう? ニブルデスがいやなら地上のどこへでも行けるわ。生者がいないこの世界で私は何でも出来る。あなたのために何だってしてあげられる。だから、ここで――」


 俺の手を包むエルの両手を振りほどく。


「……トール? どうしたの、顔が怖いわ。ねえ、どうしてそんな怒った顔してるの? ひょっとしてあのお姫様のこと怒ってるの? どうして、ねぇどうして? あんなNPC、どうなったっていいじゃない。死んだって誰も困らないわ」


「いい加減にしろ」


「え、えぇ?」


「どれだけ人の命をもてあそべば気が済むんだ、この野郎!」


【マファイア】を放つ。

 しかし、不意を突いた攻撃なのにエルには通じていない。


「あら、ひょっとして……もしかして、あのNPCのこと本気だったの? 嘘でしょう? だって、NPCよ? 私たちの世界とは別の、この世界のモブよ? それを殺したくらいでなんで怒ってるの? わからない、わからないわトール」


「うるせぇ! お前とはもう話す言葉を持たない! 一つ言えるのは、俺とお前じゃあ絶対に分かり合えないんだよ! このサイコ野郎がっ!」


「そう……。あなたも結局、あの犬のように私以外に懐くのね。これだけ愛情を振りまいてあげたのに……。そう、ええそうなのね。わかったわ……じゃあ。私のものにならないあなたなんて、もう……いらない」


 エルの纏う雰囲気が変わる。

 さっきまでが氷のような雰囲気だとしたら、今はただ底なしの無。

 冷たささえ感じない。だが心の奥底から湧き出る「やばい」という危険信号が鳴り響く。


「じゃあ、さよならねトール! あなたもあの犬のように、最後はかわいがって殺してあいしてあげる!!!!!!!!」

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