第104話 death & rebirth

「急患だァー! みんなどいてくれ!! 道を空けてくれェーー!!」


「すみません、通してください!」


 担架にとおくんを乗せて廊下を走る。

 医務室に向かって全員が全速力で担架を運んでいく。


「とおくん……しっかりして!」


「…………」


 とおくんが突然部屋に戻ってきて一安心したのもつかの間、とおくんは危篤状態だった。

 心臓が止まって、呼吸もしていない。

 生命活動がほぼ停止している状態だった。

 あの時、一瞬でも言葉を交わせたのが不思議なほどの状態だ。


 医務室に到着し、医師がとおくんの容態を見る。

 医師の表情から、とおくんの容態が非常に危険な状態であることは言葉を聞くまでもなく察せた。


「先生、トールは大丈夫なんですか? 助かる見込みはあるんですか?」


「わかりません……。こんな状態を診るのは初めてだ。肉体は完全に死んでいるのに、意識はかろうじて残っているのです。まるで死者が動いているみたいだ」


「アンデッドになる呪いをかけられているのでしょうか……」


 アンデッドは墓地に眠る死体が魔力を帯びて動き出す魔物の一種だ。

 土地に漂う魔力の質と量によっては死体が魔物化するのも珍しくはない。

 そのために墓地の近くに教会を建てて、魔力を浄化するなどの対策が立てられているのだけれど。


「でも、アンデッドになるにはかなりの時間が必要なはずでは? とおくんがいなくなったのは三週間ほどで、アンデッドになるには少なくとも年単位の時間が必要なはず……」


「姫様、私はこれまで様々な患者を診てきました。時には魔物の死骸も診ることがあった。もちろん、アンデッドも例外ではありません。ですが安心してください、彼の肉体は人間のままです。決してアンデッドにはなっていません」


「そうですか……よかった」


 アンデッドになった者は元の人間には戻れない。

 いや、正確にはある手順を踏めば元に戻れるのだけれど、その方法というのがかなりきつい条件なのだ。

 だから、基本的には無理という認識で間違いない。

 けれど、アンデッドじゃないのなら、とおくんはいったい……。


「仮死状態……」


 シグルズさんが不意にその言葉を呟いた。


「仮死……極度の衰弱で心拍も呼吸も止まって、まるで死んでるように見えることだよな」


「水中に溺れた人間が岸に上げられた時、心肺が停止して死亡と判断された後に生き返ったという例を聞いたことがありますわ。トールさんはその状態にあるということでしょうか」


「あくまで、私の推測にすぎないが。だが当てはまるものとしては仮死状態しか思いつかぬだろう」


「確かに仮死状態とは似ているのですが、ですがこれは……」


 医師が言葉を濁す。

 おそらく通常の仮死状態ともまた違ったものなのだろう。

 しかし、今は正しい病名よりもとおくんが死んでしまったわけではないという事実が大切だ。


「どうでもいいじゃないか、そんなこと! 先生、この馬鹿を起こすには要するに衰弱状態から戻せばいいんだな?」


「そ、それで正常に戻るかは分かりませんが現状ではそれしか手の施しようがないでしょう……」


「そうですか……なら、あれを使います」


「ルビア様、まさかあれを? あれは国宝級の一品ですよ。よろしいのですか?」


「ティウ、あなたはとおくんが死んでしまってもいいの? あれは確かに値段をつけられないほどの価値があるけど、大事なのはそこじゃないわ。どう使うかが大事でしょ?」


「ルビアさん? 何か考えがあるのかい。この馬鹿を起こすための策があるっていうのかな」


 フレイさんの質問に私は首肯して答える。


「王家に伝わる秘蔵の霊薬を使います。あらゆる傷、病を治す万能の薬と言われる品です。きっととおくんも元に戻るはずです」


「そんなものがあったとは、驚いたな。でも、いいんですか? 国宝級の薬ということは、そんじゃそこらのポーションじゃ話にならないくらいの効力があるんじゃ」


「だからこそ、ですよフレイさん。瀕死の状態でも蘇らせると言われるあの霊薬の役目はここです。価値を惜しんで大切な人を失うなんて、そんなこと私は耐えられませんから」


「それで、ルビアさん。その薬とはどういったものなのですか?」


 フライヤさんが薬のことについて質問する。

 当然だろう、この状態のとおくんを治せるほどの薬、最上位のポーションであるマストポーションでも不可能なのだから。


「世界樹の雫です」


「世界樹……それは、あの世界樹だと思って間違いないですか?」


「はい。我が国の地下に根を下ろす世界樹ユグドラシル。その根は頑丈で、人の手で傷つけることは不可能です。しかし、ある一部はまるでナイフで切られたかのように根が裂けている箇所があります。そこから垂れる雫こそ、件の霊薬です」


「世界樹は名前の通り世界を変える力があるのです。それはつまり、この世界の万物と同等のエネルギーを内包するということ。根から吸い出した泉の水は、ユグドラシルの内部を通って高純度のエネルギーを得るのです」


 ウルちゃんが説明を継いでくれる。

 ウルちゃんも世界樹の雫のことを知っているみたい。

 おそらくアスガード国でも同じように根から霊薬を取っているのだろう。


「そうか、だから口にすればあらゆる傷が治るってことか。生命力に溢れてるもんな」


「ただ、瓶一本分貯めるのに数年の歳月を要するんだ。だから、おいそれと使えないんだけど……」


「今がその時、ということですね」


 私は急いで宝物庫に向かい、そして奥に置いてある小箱を取り出した。

 厳重に保管されている小箱からは、実際の重さ以上に重みを感じさせられた。


「……うん」


 これならきっと、とおくんを元に戻せる。

 これがあれば、仮死状態なんてあっというまに治って、いつものとおくんになる。

 ケロっとした顔で「どうしたんだルビィ」なんて言って。

 私たちがどれだけ心配したかなんて気にも留めないで。


 そうだ。

 きっと。必ず。


 医務室にたどり着き、小箱のふたを開ける。

 中には綺麗な透き通った翠色の液体が入っている。

 白く、血の気の引いたとおくんの口に小瓶の中身を注ぐ。


「とおくん……」


 液体が喉を通ることを確認する。

 元気になって……! 死ぬなんて、絶対に許さないんだから……!

 もしあなたがいなくなったら、私はこの世界でどうやって生きていけばいいの?

 あなたのいない世界の風を、私は浴びたくない。

 あなたのいない世界の景色なんて、きっと灰色にしか映らない。

 あなたのいない世界の明日なんて、私はいらない。


 だから、お願い。

 目を。目を開けて。


「ん……」


「あ、目が覚めたっ!」


「おお! 霊薬というのは本当だったんですね!」


「さすがはミズガルズ王国。私のような一冒険者では考えもつかぬ秘薬があるのだな」


「ほら、ルビアさん。トールさんが何か言おうとしていますよ」


 とおくんの固く閉ざされた瞼がゆっくりと、けれど確実に開かれていく。

 その姿を見ただけで私の心臓の鼓動は跳ね上がる。

 さっきまでが動いてなかったかのように、ドクンと脈を打つ。

 これじゃあ、私まで死んでたみたいだ。いや、みたいじゃない。

 きっと私にとって、とおくんがいないことは死んでるのと同じなんだ。


「る、びぃ……」


「ねえ、大丈夫? 意識ははっきりしてる? 私のこと、分かる?」


「あ、ああ……。はっきり分かる、よ。わりぃ、寝ちゃってたみたいだ……」


「あ、無理しないで! 安心して、ね?」


 ゆっくりととおくんの手を握る。

 なんて力のない手なんだろう。あんなに強いとおくんの手が、こんなに弱り切ってるなんて。


「ルビィ……俺……」


「大丈夫。大丈夫だから。ほら、落ち着いて……」


 とおくんは弱った体を無理やり起こし、そのせいで体が倒れそうになる。

 私はとおくんの背中まで手を回して、彼の体を支える。


「もう、無理しちゃダメだってば」


「うん……ありがとな。みんなも、心配かけたようだな」


「ったく、お前は何も言わずに勝手に消えやがって。みんな心配していたんだぞ」


「そうだよトール。僕なんて心配で心配で、君の部屋にあるとっても素敵な本を……」


「あー! ストップストップ!」


「とおくん……?」


「な、なんでもないから……」


「もう、ふん!」


 本当は怒ってないけど、少し頬を膨らませてみる。

 するととおくんは慌ててごめんと謝ってきた。その姿に安心して、少し笑っちゃった。

 うん、いつもどおりのとおくんだ。


「で、トール。いったい君の身に何が起きたのか教えてくれないかな」


 ティウが本題を切り出した。

 私たちが一番気になっていることだ。いったい、とおくんに何があったのか。


「ああ、俺もそれを話そうと思っていた。みんな聞いてくれ、実は」


 とおくんの口から真実が告げられる。

 その言葉の続きを息を飲んで待ち構えていると、


「実はぁぁぁぁ――――」


「え?」


 とおくんの声が遠ざかっていく。

 え? どうしたの? なんて声をかける間も無く、突如、視界が闇に染まった。

 冷え切ったような感覚に、体の芯まで凍えそうになる。

 まるで巨大な魔物に睨まれているような寒気。

 体が危険信号を訴えるけど、一歩も動けない。


 ここは、いったい。


「こんにちは、NPCのお姫様」


 いきなり目の前に現れた女の子に、私は心臓を掴まれたような衝撃を受ける。

 否、それはようなという比喩表現では収まらない。

 現に、私は目の前の少女に胸の心臓を掴まれていた。

 少女の手はまるで砂の中に手を伸ばすかのように、柔らかくスムーズに私の胸を貫き、そして心臓に手をかけていた。


 少女は告げる。


「あなた以外の人間はみーんな、冥界の奥に送ってあげたけどあなたはダメ。だって、あなたは私からトールを奪った泥棒さんだもの。ねぇ♪」


「う、ぁぁ……」


「ふふ、うふふふ……。いいわぁ、NPCのくせに豊かな表情で呻いて。とっても素敵! ……でも、あなたに与える痛みがこの程度で済むと思わないでね。私、あなたのせいでとっても傷ついたの。だから、あなたには私の痛みの一〇〇〇〇倍味わわせてあげる♪」


 地獄が、始まった。

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