第102話 death of a sweet dream
「ルンルンルン♪ もうちょっと待っててねトール、すぐご飯の仕度が終わるから」
鼻歌交じりに手を動かすエルの姿は、かわいらしい少女そのものだった。
きっと、遠目から見た彼女は恋する乙女のように映ることだろう。彼氏のために料理をする、献身的な彼女に見えるはずだ。
その手に持つ奇妙な色の液体とも個体とも受け取れる、おぼろげな物質をこねる姿さえ見なければ。
「ほぉら、ここでこの魂を
目の前に出された料理は――それが料理と呼べるものかさえ怪しいが――とにかくそれは紅く紅く煮えたぎっていた。
沸々と音を立てているし、微かにうめき声が聞こえる。
この料理の材料となった者たちの声だ。
「おい、いくら罪人とはいえ酷いんじゃないか。人の魂をこんな風に扱うなんて間違ってる」
「ご、ごめんなさい。あなたはそう思うのね。わかったわ、次から気を付けるから」
「……なぁ、何度目かわからないが言わせてもらうぞ。ここから出せ」
「はぁ……またそれ? こっちこそ何回だって言ってあげるけど、それは無理なの。あなたにとってここにいることが最上の幸せなのに、わざわざ元の場所に帰すことないでしょ?」
「俺はここに幸せなんて感じてないけどな」
誰が好き好んでこんな暗闇だけの世界に居続けるものか。
引きこもりでも少しくらいは光の存在を許容するだろう。
ここには針の孔を通るほどの小さな光さえない、完全な闇。自分とエルの姿だけはっきり見えるのが逆に不安を掻き立てる。
もう我慢できそうにない。ここに閉じ込められて数時間、頭がおかしくなる。
「頼む。実力行使は趣味じゃないんだ」
「まぁ、私もよ! 私も話し合いで解決出来たら素敵だって思うわ。でも、人生って思い通りいかないものね三週間も一緒にいるのに、ちっとも笑ってくれないんだもの。ちょっとだけ傷ついたわ、ちょっとだけよ?」
「は……三週間? まて、俺はここに閉じ込められてまだ三時間くらいしか経ってないぞ!」
「聞き間違いじゃないかしら? 私、三時間って言ったわ。ええ、間違いなく言ったもの。だから、あなたにとって三時間だと感じたなら、それが正しいの……ええ」
「とぼけているのか、それとも何か隠しているのか? どっちにしろ、君のことは信用できない。俺は仲間たちの待ってるところに戻るぞ」
「それなら尚更ここにいたらいいじゃない。私こそ、あなたの仲間よ。こんなゲームじみた世界で出来たNPCのお友達よりも、かつての仲間との絆を優先すべきなの」
「魔法を撃つことだって考えているんだ。俺に君を攻撃させないでくれ……」
「ふふ……♪」
俺が魔法を使う素振りを見せても微動だにしない。
俺の攻撃など歯牙にもかけないといった感じだ。視界に入っているのに、認識すらしていない。
舐められているのか?
「三つ数えるまでに俺を元の場所に帰すんだ。一つ……」
「まぁ怖い! トールのそんな表情を見たのは初めてだわ。あなたって基本争いごとは嫌いだものね」
「二つ……」
「PVPよりもメインクエストの方を優先してたし、配信されてるストーリーを一通りクリアしても世界観を楽しむためにフィールドを駆け回ってたわね」
「…………三つ」
【サンダー】を発動する。
威力を弱めて人体に影響が残らない程度にしてある。直撃しても気を失う程度で済むだろう。
稲妻が走り、エルを貫く――はずだった。
しかし、俺の手からサンダーが放たれることはなかった。不発だ。魔法が発動した感覚がない。
「――だから、暴力が嫌いなあなたなら一番弱い魔法を使うって信じてたわ。とっても優しい、私の王子様」
「なにを、した」
「あなたがゲームで【雷戦士】のスキルを持ってたのは覚えてるし、この世界でも同じスキル構成だったとしたら、やっぱり使い慣れた雷魔法を使うと思ってたの。読みが当たって感激、私たち通じ合ってるわ」
「俺に何をした! なぜ魔法が発動しないっ!」
「死者が魔法を唱えると思う? 思わないわよね。だって死んでるんだもの。幽霊が攻撃してくるなんてゲームじゃありきたりだし、実際この世界でもあるかもしれないけど。でも、
それは強者の勅令。
女神の神託。
主人の定めた掟。
“死者は魔法を使うにあらず”
エルがそう決めたのなら、冥界は――ニブルデスではそうなってしまう。
それこそが、
「この国のルールは冥界の女主人である私の一存で如何様にも変わるの。それこそが【冥魔神】のスキルの力。ストーリーはあまり覚えてないけど、ゲームのヘルより強いんじゃないかしら」
「く……そぉぉ!」
瞬間的に走り出して、エルの襟元を掴む。
「あら、ずいぶん熱血的なアプローチね。嫌いじゃないわ、こういうのもね」
「このまま、お前を気絶させることだって出来る。女の子に言うようなことじゃないってわかってるが、君は度が過ぎてる」
「――――」
耳に届かないほどの小さな声でエルが何かをつぶやいた。
呪文? いや、違う。魔法を使ったならば魔力が流れるのを感じられるはずだ。
エルからは何も感じられない。
「っ……!」
と、エルの様子を伺っているところ、急に体が地面に倒れてしまった。
立ち上がろうとしても足に力が入らない。
いや、それどころか腕にも、体全体にも力が入らない。
「ま、さか……体の、自由、まで」
「ピンポーン♪ 死者は体を持つにあらず。あなたは特別だから肉体を与えているけど、普通はニブルデスに来る人間はさっき見た人魂の状態なのよ? でもあなたまで人魂になったらつまらないから、こうやって体の自由だけ奪ってみたの。初めてにしてはうまく調整できたと思わない? 私、結構器用なのよ。いつか亡者たちの魂を細く紐どいて、それで編んだマフラーをあなたにあげたいわ」
「く……」
冥界の女神の力を持つだけあって、まさに全能とも言える存在となったエル。
彼女にはどうやったって勝てない。勝つ気などないが、戦う気などないが、彼女に囚われた状態から逃げる術がないのだ。
もはや打つ手なし。
実力の差ではなく、生物としての格の差がある。
ゲームのプレイヤーがいくらステータスを上げたところで、運営側にとっては屁でもない。単純な操作でそのプレイヤーのアカウントごと消し去ることができる。
それと同じだ。
俺の力など関係なく、打ちのめされてしまう。
「さぁて。動けないあなたをどう楽しもうかしらぁ。やっぱり以前のように体を……」
エルは不穏なことを言いながら俺の体に触れる。
というか、今以前のようにって言った? 以前って何? 俺、こいつと何かあった?
いやいや、ゲームの中だと特に仲がいいわけでもなかったし、エルのことを男だと思っていた。
アバターを使っていかがわしいことをするわけがない。
じゃあ、リアルで? それこそありえない。俺にJKの知り合いなんていないし、そもそも女の子の知り合いもいない。
じゃあ、誰のことを言ってるんだ?
得体の知れない恐怖が身体中を走る。
「ふふ、うふふふ……」
「くそ、くそ! ああ、こんな時あれが使えたら……!」
移動魔法【トゥゲザー】
ミズガルズ王国が帝国に攻め込まれてる時、俺が王都へと向かった際に使った魔法。
知り合いを強くイメージして、互いの了承があればそこへ移動出来るものだ。
もしそれが使えるのなら、ここから出られるはずだ。
冥界といえど、一応ここは地下の国ということになっている。元の世界の死生観とはかなり違っていて、あの世とこの世が地続きなのだ。
だから、移動するだけならば可能なはずだ。
ゲームの設定ではニブルデスに入ることが出来るのは死者のみと言っていたが、出ることについては特に言及していない。
つまり、脱出は可能なのだ。
もっとも、普通の亡者は肉体が奪われているから魔法なんて使えないのだが、幸い俺には肉体がある。
魔法が使えるのなら、脱出可能なはずだ。
「さぁ、二人っきりの時間を永遠に楽しみましょう……」
エルの手が俺の上着をまくる。
まずい、このままだとマジで一線を超えちまう。
しかも不可抗力で。身動きできない状態で。
俺はそういうのは合意のもとでやるのが理想なんだよ。しかも両思いの相手とじゃないと嫌だ。
こんな状況は願い下げだ。
――そう思っていると、脳内に声が響く
『とおくん……どこにいるの……』
ルビィの声だ。
聞こえる。幻聴じゃない! 脳内に響く声だが、俺の妄想から生み出された声ではない。
確かに、ルビィの声だ。これはミズガルズ王国が襲われた時に聞いたのと同じだ。
つまり、俺とルビィの回線が繋がっている。
なぜだか分からないが、【トゥゲザー】の副次効果の念話が使えている。
『ルビィ……! 返事をしてくれ、ルビィ!』
『とおくん! 幻聴じゃないよね!? どこにいるの? この声は?』
『いいかルビィ、緊急事態なんだ。とにかく、俺のことを強く想ってくれ。そうしたら何とかなるかもしれない!』
トゥゲザーは互いのイメージが大事だ。
ゲームはクリックひとつで移動を可能にするが、この世界は移動先の相手とのシンクロ感が必要となる。
結局、ミズガルズ王国が襲われた時にしか使用が成功していないことから、この世界では移動魔法は条件が厳しくて汎用性が低いのだと納得した。
しかし、俺とルビィの念話が可能ならば!
緊急事態ならば!
俺たちはきっと、互いに互いにを強くイメージすることができる!
『とおくんのことなら、いつでも想ってるよ。いつも、いつまでも。大事なひと、だから』
『うん。……うん! 俺もルビィが大好きだ! だから行くよ!』
魔力を込める。
先程のような不発しそうな感覚はない。
やはり、理由は分からないが魔法が使用可能になったらしい。
「ん? どうしたの、難しい顔して。あ、さては初めてだから緊張してるんでしょ? まかせて、私も初めてだけどきっと上手くやってみせるから。下手でも何回もやればきっと相性もよくなるはずよ。だって、時間は無限にあるんだもの」
「悪いけど、そういうのは間に合ってるんでな。……悪いな、エル。出来れば再会を喜びたかった」
「え? な、何を言ってるのトール。ほら、見て。私の下着、この世界で使われてるんだけど結構派手な――」
「【トゥゲザー】!」
「え? え……?」
目の前の景色が変わっていく。
ぐるぐると目の前の空間が曲がり、揺れて、脳みそがおかしいくらいシェイクされたような感覚になって。
そして。
「とおくん、とおくん……!」
「ただいま……ルビィ」
「どこ行ってたのよ、バカァ! 心配したんだから、もう!」
「うん。ごめん。でも、ありがとう」
力の入らない体に鞭を打って、なんとか起き上がる。
そして、ルビィの唇にキスをして、そこで力尽きた。
あとはいつものように、意識は暗闇の中に沈んでいくのみだ。
でも、帰ってきた。
俺は、俺のいるべき場所に戻ってこれたんだ。
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