第100話 冥界ニブルデス
城内を歩いていると曲がり角の先からにぎやかな声が聞こえて来る。
鈴のような凛とした声と、太陽のような明るい声。二人の少女が向かって来ている。
「ルビア、こっちなのですよ」
「待ってよウルちゃん、速いってばー」
「あ、トール。トールもご飯食べに行くのですか? 今日のランチはソルティグレイフィッシュバーグと聞いたのです! 私の好物なので今からよだれが止まらないのです!」
「ウルズ、お前の嫌いな食べ物が想像できないよ」
アスガードの代表のウルズは現在ミズガルズ王国にいた。建前上は食客という名目だが、実際は人質ということになっている。
アスガードの暴挙は結局戦士派の至神乙女たちの独断専行であり、アスガードの総意ではないということになった。
だが、国として責任は取らなければならない。強硬派が勝手にやったことだ、で済まされないのが国家間の政治というものだ。
「ミズガルズは食事もおいしいし、王都は綺麗だから最高なのです。最初に連れてこられた時はどうなることかと思いましたが、行動もいくつかの制限がある程度で比較的自由にさせてもらってますし、快適なのです」
本人は割と楽しくやってるが、やはり住み慣れた故郷から異国に連行されたら多少は息苦しく感じるだろう。
その様子を微塵も感じさせないのは能天気なのか肝が据わっているのか。どちらにしても大物に違いない。
まぁ、楽しんでいるっていうのもある程度本当なんだろうな。案外巫女って立場から解放された今のほうがいいのかもしれん。
ちなみに今のアスガードの代表は暫定で大司教がやっているようだ。至神乙女が瓦解したので、妥当だろうな。
「ウルちゃんってば、食事の時間になるといつもこうなんだよ。本当にご飯が大好きなんだね」
「腹ペコキャラで個性を出そうなんてせこいやつだ。二一世紀初頭のラノベか?」
「らの……べ? よくわからないけど、それって美味しいのですか?」
「言ったそばから腹ペコキャラ前面に押し出してるんじゃねぇ!」
大体こいつ、食に貪欲のくせして大食漢ってわけでもないのが中途半端なんだよな。
腹ペコキャラだから大食いというわけじゃないって、そりゃ言われてみればそうだけど、キャラとしてみれば薄いにも程がある。
そんなにしょっちゅう飯食いたいなら携行食でも持っていればいいんじゃないか?
「……アスガードには携行食なんて文化なかったので。アスガードは他国に遠征に行くことも少ないですし、周りには大森林があって一般人は容易に旅にも出ないので」
「なるほど、確かにアスガードに行く時もかなり日数かかったしなぁ。携行食より現地で狩りをしたほうが効率いいかもしれん」
「聖都は食が発展してるんですけどね。それ以外はなんとも……」
寂しそうな顔をしているが、こいつ故郷の食事情を憂いているだけなんだよな。
なぜ死に別れた肉親を想うような表情をしているんだろう。どんだけ飯好きなんだ。
「ウルちゃんは少なくてもあと三年はミズガルズ預かりになってるんだよね。故郷に帰れなくて、やっぱり寂しいかな」
聞きにくいことを聞くルビィに対して、ウルズは嫌な顔一つせずに答える。
これもルビィとウルズの間に確かな友情がある故だろう。二人は共に世界樹の巫女という世界を覆す可能性があるほどの力を持つ。
その立場と、何より本人同士の気の合いようから二人は親友と呼べる関係になっていた。
「寂しい、と聞かれると正直わかりません。あの国にはたくさんの思い出があります。いい思い出も、悪い思い出も。アスガードの巫女という立場から離れて、安堵したと感じることもありますし、優しくしてくれた司祭や使いの者たちに当分あえないと思うと寂しくもあります」
「そっか……うん」
ルビィはウルズをぎゅっと抱きしめる。慰めるというよりは、安心させるため。
ウルズもそれに応えて細い腕をルビィの背中に回す。
「いっぱい甘えていいからね、ウルちゃん。ここにはウルちゃんの知らないことやもの、知らない人がいっぱいだけど、私たちのことはウルちゃんの家族だと思ってね」
「ありがとうなのです……ルビア」
◆
「ルビィとウルズ、か……」
ユグドラシルの巫女が二人、このミズガルズ王国にいる。ルビィにも同年代の、同じ悩みを持つ友達が出来た。それは喜ばしいことだと思う。
だが、世界の理を意のままに操ることも可能な力、その四分の二が集まっているというのは、他の国の眼にはどう映るだろうか。
戦略兵器なんて枠を超える、天の力だ。自由に扱えるというわけではないが、それでも他の国には脅威だろう。一国が持つには過剰な力なのだ。
「これまでよりも更に苛烈になるかもしれんな……。帝国も、いつまでも黙ったままというわけでもないだろうし」
ミズガルズ王国に敵対していない他の国も、今回のアスガードのように突然敵に回るかもしれない。
世界が変わり始めているのだ。ミズガルズ王国を中心に、ユグドラシルの力を求める大陸全土を巻き込む流れに変わっていく。
「ルビィもウルズも、狙われる頻度が多くなる。それを守りきるためには力がいる。だが、数が足りないんだよな。でも、戦力を増やしたら増やしたで巫女を独占するために軍を拡大したとも受け取られるわけで……ううん、ややこしいな」
俺とティウ、ユングヴィ兄妹にシグルズ。大陸内でも十指に入るだろう一騎当千の猛者がいても、世界を相手にするなど土台無理な話だ。
ミズガルズ団にしても、国中の全兵士を集めたとしても他の国よりも少ない部類に入る。やはり足りない。
「あークソ!」
パンと乾いた音が響く。俺が自分の両頬を叩いたせいだ。
「くよくよ迷うな、俺。俺がやることは最初から変わってねぇ。ルビィを守る。そのついでに他のみんなも守るだけだ。簡単なことだろ、透」
そうだ。俺はこれまでルビィを守りたい一心でやってきた。その結果運命だって変えたのだ。
今後もそうしていくだけだ。ただ、まっすぐ突き進むだけ。
「大体俺が考えたって答えが出るわけないじゃないか。俺はあほだからな。誰かに手伝ってもらわないと何もできないダメな奴さ。けど、だからこそ一つのことに集中出来るってもんさ。どんな奴が来ても、この俺の力で……」
俺の力。雷神の力。それはとてつもない爆弾で、あと数回使えば、俺はきっと自我を失ってしまうだろう。
もう一人の俺はきっと、ルビィを守ることなんてどうでもいいと思っている。自分を神とか言う痛いやつだ。人間を見下しているに違いない。
奴に肉体の主導権を渡すと、俺の目的を無視して勝手に行動するだろう。そんなことは許されない。
「皮肉だな。皆を守ってきた力が、逆に皆を危険にさらすことになるかもしれないなんて……」
そうやって、自室で一人落ち込んでいた時。そう、俺は一人だったんだ。周りには誰もいない。だというのに――
『み・ぃ・つ・け・た』
声。少女の声だ。
聞き覚えのない、ルビィともウルズとも違う少女の声が聞こえた。
耳に聞こえたのではない。脳に直接響くこの感覚はまるで、エタドラのオープンチャンネルではなく、フレンド同士でしか聞けないボイスチャットのようだ。
『さぁさおいでませ。【ニアデス・テンプトゥ】』
足元に黒々とした魔法陣が現れたかと思うと、次の瞬間にはもう俺の視界は闇に包まれた。
呼吸が出来ず、息が止まる。全身の血管に氷を詰め込まれたような、絶望的なまでに生から離れた感覚が走る。
いや、もはや感覚などなく、むしろ全てが薄れていく。
そして、思考さえも途切れ――
◆
「……………………ッ!」
意識が戻り、呼吸も再開する。酸素が血液中を駆け回り、冷え切った体内を巡る。
周囲を確認すると、真っ暗で何も見えない。瞳を閉じているとかではなく、光が一切ない完全な暗闇だ。
夜よりも暗く、闇より黒い。生命の気配もなく、氷のように冷たい空間だ。
「な、なにが起こったんだ? ここは一体……」
「ようこそ、私の領域へ。歓迎するわトール」
少女の声、意識を失う前に聞こえたのと同じだ。つまり、俺をここに連れてきたのはこの声の主ということだろう。
「誰だ……俺に何をした?」
「まぁ、ごめんなさいね。私ったらあなたをここに呼ぶのにはしゃいじゃって、姿を見せるのも忘れてたわ。ほら、これで見えるでしょう?」
パチンと指を鳴らす音がする。そして、目の前に亜麻色の髪の少女が現れた。白い肌はきめ細かく、傷みを知らない絹のようだ。瞳はこの世界では珍しい黒色で、かすかに茶色も混ざっているように見える。
端的にいうと、日本人的な美少女であった。
「こんにちはトール。ようやく会えたわ。私ずっと待ってたのよ、あなたもきっとこの世界に来ていると思って、会えるのをずっと待ってたの」
「
「ええ。エタドラそっくりよね、この世界。まぁ、私はエリアマップやワールドマップでしか世界を眺めたことがないから、実感がまだ湧かないのだけど。あなた、エタドラの背景とか設定好きだったものね。最後に声をかけてきたのもほら……なんて言ったかしら、どこかの廃墟に行こうって言ってたわよね」
ドクン――
心臓の鼓動が早くなる。情けないことに掌は汗でびっしょりだ。
この子は、目の前の少女は俺のことを知っている。エタドラのことを知っている。
オーディンのような神だろうか、いや違う。この少女はエタドラのプレイヤーだ。そうでなければエリアマップなどの単語が出てこない。
神ならば、そんなことしなくても世界のことなんて見通せそうだしな。
「君は誰だ。どうして俺のことを知っている」
「酷いわ、あなたってとっても酷いのねトール。私のこと忘れちゃうなんて」
「悪いけど、全く記憶にないな。君みたいなかわいい子と知り合いなら、元の世界の俺の生活はもうちょっと彩り豊かだっただろうさ」
「わぁ! かわいいって言われちゃったわ! あなたってとっても優しいのね。うん、そうよねそうよね。あなたは一見そっけなく見えるけど、本当は優しい性格だもの。バイト帰りで疲れた時だって、フレンドといるときはいつだって楽しそうだったわ」
確信した。この子はプレイヤー、しかも俺のフレンドの内の誰かだ。
だが、本当に記憶がない。俺のフレンドは全員男だったし、みんな社会人だったはずだ。
こんな女子高生くらいの美少女がフレンドにいたなんてあり得ない。
「もう、いい加減気付いてくれないと寂しいわ。じゃあヒント、あなたのフレンドの中で一番【デス4】を使ってたのはだーれだ?」
デス4とはエタドラ内にある魔法だ。効果は即死。
一見強力だが、即死攻撃というのはかなりの制限がある。ボスには効かない(実際は効くがボスの即死耐性のせいで、成功率は小数点以下)とか、自分よりレベルが上には効かないとか。
デス4は呪術師の上位スキルで、相手のステータスの下一桁に四という数値があれば即死判定が入る。ピンポイント過ぎるため、他の即死技よりも成功率が二倍と高い。
「よくみんなに【ランダムビルドアップ】使ってもらってたわよね」
【ランダムビルドアップ】、これもエタドラの魔法だ。
相手のステータス――攻撃や魔力などランダムで一つ、数値を一だけ上げる。
相手を強くする、おまけに数値もわずか一だけと実装当初はごみ魔法と言われていたが、前述のデス4との組み合わせで猛威を振るった。
そう、仲間全員が相手に【ランダムビルドアップ】をかけて、一人は【デス4】を唱え続ける。
そうすれば相手のステータスの下一桁どれかが四になる。そうすれば高確率の即死攻撃が発揮されるというわけだ。
デス4が発見された直後に呪術師をマスターするプレイヤーが激増し、すぐに下方修正されることとなった。
しかし、下方修正されたのはランダムビルドアップの方で、効果時間を六〇秒から五秒にされるというものだった。
さすがに五秒では仲間が大勢いても重ね掛けも間に合わず、デス4は下火となった。
「多くのユーザーが呪術師を辞めるなか、俺のフレンドに一人呪術師一筋のやつがいた……」
「ふふっ」
ユニークスキル。それが彼――いや、彼女の力を唯一無二の存在に昇華させた。
【契約破棄】というユニークスキル、それは魔法の発動条件を無視して力を行使できるSS級のスキルだ。
簡単にいうと、極大魔法の発動リスクである一ターンスタンを無視できるのだ。この力を彼女は即死魔法に利用したのである。
即死判定の高いデス4を、ステータス下一桁に四があるという条件を無視するという形で。
この強力無比なスキルを引っ提げて、彼女は俺のフレンド内で唯一、対人戦ランキングトップ一〇に入るガチ勢となった。
彼女の名は――
「お前、エル……か?」
「うん、正解よ♪ リアルの姿で会うのは初めてね、トール」
「まさか、俺の知り合いがこの世界に来てたとはな。それも、君が女だったなんて」
「あら、私一言も男だなんて言った覚えないわ。エタドラの女性アバターってかわいくないんだもの」
「確かに……」
エタドラってゴリウーデザインばっかりだったからなぁ。男キャラのバリエーションに比べてバタ臭いことこの上ない。
外人受けを狙ったのでは? という指摘もあったが、外人にも大不評だったりする。
結局キャラデザ・モデリング班のデザインセンスがないというのがファンの中で常識となった。
「君のリアルの姿を見たら、確かに女アバターを使う気にはなれないな」
「ありがとう♪」
「で、感動の再会を果たしたのはいいけど、こんな真っ暗闇に閉じ込めてないで、外に出してくれないか?」
「え? どうして?」
エルはかわいらしく小首をかしげる。ルビィのような天然のかわいさとは違い、計算されたかわいらしさを感じるような、そうでもないような。
このわずかな時間、エルと話した印象は小悪魔というものだった。どこまで狙ってやってるのかわからないが、その姿に魅力を感じる者も多いことだろう。
俺もルビィと出会ってなかったらきっと彼女にドギマギしてたに違いない。
「いや、こんなところで二人って嫌じゃないか? それに、なんだか体も寒いしさ」
「外へは戻れないわよ、ずっとここにいるの」
「な、なに言ってんだよ。冗談言ってないでさ」
だが、エルはにっこりと笑ったまま返答しない。
俺は背筋に寒気を感じとり、咄嗟に移動系魔法の発動を試みた。
しかし、発動は不発に終わった。
「まあ、せっかく会えたのにもう帰ろうとするなんてつれないわ。でも無駄なのよ。あなたは決して、ここから出ることはできないの。あなたはもう、私の領域の中なの」
「俺に何をした……」
「ここに呼んだだけよ? 私、あなたに危害を加えるつもりなんてないもの。本当にただ、会いたかっただけなの」
両手の指を合わせて可愛らしいポーズを取るが、もう不審さしか感じ取れない。
そもそも、俺はどこに呼び出されたんだ。
「ここはどこだ、なんでこんなに真っ暗なんだよ」
「そういえば言ってなかったわ。ごめんなさいね、忘れちゃってたの。言うつもりだったのよ? でもあなたに会えた感動で、頭から消えちゃってたの、本当よ?」
「だから、ここはどこだよ」
声を抑えて、平静を装う。
だが、指先が震えて、嫌な汗が背中に溜まる。
「あなたなら聞いたことあると思うわ。ここはニブルデス、大陸の地下に位置する国よ」
「に、ニブルデスって、じゃあここは……!」
ニブルデス。それはゲームの八章で訪れる国だ。ある特殊なアイテムを使うことで主人公はこの国に侵入するのだが、この国の主はそれをよしとせず敵対することとなる。
あるアイテムとは、仮死ノ華という瀕死状態にするアイテムだ。この国には健康な人間は入ることを許されないのだ。
そう、この国はニブルデス。
ヘルという女王が支配する、冥界だ。つまり、あの世ということであり、俺がここにいるということは……。
「俺に仮死ノ華を使ったのか? お前もそれを使ってここに連れ去ったんだな!」
「流石、設定好きなだけあってすぐに状況を推理できるのね。でも残念、外れ。仮死ノ華なんて使ってないわ」
「じゃあどうやってニブルデスに連れて来たんだ。ここは死者しか入ることを許されないはずだ」
「そうよ? だから殺したの、あなたを」
「……………………は?」
今、こいつはなんて言ったんだ? 言葉は聞こえていたはずなのに、上手く聞き取れなかった。
「ほら、私エタドラで即死技得意だったじゃない? それのおかげかこの世界でも即死技が得意なのよ。あなたの気配を感じ取って、殺した後に魂をここに連れて来たの♪ そうすれば私とあなた、二人っきりになれるでしょ?」
まるで学校の修学旅行から二人で抜け出したカップルのようなことを、照れた表情で言うエル。
なんだ? 俺がおかしいのか? こいつはさも平然と俺を殺しておいて、なんも悪びれず普通に話そうとしている。
意味がわからない。
「あなたと面と向かって会うのは初めてだもの。誰にも邪魔されたくなかったの。だから殺して、あなたの魂を独り占めしちゃった! キャッ、言っちゃったわ!」
かつての仲間との再会は、絶望の味がした。
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