第99話 とあるネトゲプレイヤーの幕間

 ガチャリ、とアパートの玄関から音が鳴る。彼が帰ってきたみたい。

 手元のスマホを見ると時間は夜の一時を過ぎていた。うふふ、こんな夜遅くまでバイトなんて頑張ったのね。


「あ~~疲れた。早く飯くいたい」


 そうよね、こんな時間だもの。きっとおなかもペコペコよね。あなたがいつもバイト帰りに買ってるコンビニ弁当、美味しく食べてね。

 私が料理を作ってもいいんだけど、あなたはきっと驚いちゃうからダメね。残念、でもいつかはあなたに私の料理食べてほしいの。本当よ?

 そんな風に言ってると、あなたはもうご飯を食べ終わってお風呂から上がってた。


 引き締まった体が素敵……綺麗に割れた腹筋がまるでダイヤモンドみたい。

 ねぇ、ちょっとだけ触ってもいいかしら? いやいや、ダメよね。ごめんなさい、私ったらはしたないわ。


 でも、それくらい魅力的なのよ、あなたって。


「よし、飯食って風呂入ったし、明日は昼まで空いてるな。じゃあ……ダイブスタート」


 来たわね。

 あなたはいつもこの時間になるとエターナルユグドラシルにログインする。

 バイトが終わって、次の日学校があっても、決してログインは欠かさない。大学生の一人暮らしだもの。好きなことして遊びたいわよね。


 だから、私も……ね?

 好きなことをしてるのよ?

 でも、もっと。もっとしたいの。あなたがエタドラにログインしてるこの時間、私は好きなことを思う存分できる。


「ねぇ、トール?」


 押し入れから抜け出し、トール――リアルでは雷門透って名前なのよ――の眠るベッドまで近づく。


「フルダイブ型のVRMMOも考え物よねぇ。こうやって、寝ている隙に色々なことされちゃうんだから……うふっ♪」


 トールの上着をまくる。鍛え上げられた肉体があらわになる。それを目にして私の心臓の鼓動は一段と速くなる。

 はぁ……はぁ……いい、いいわ。あなたってとっても素敵。

 初めてあなたを見たとき、この胸が張り裂けそうなくらいときめいたわ。運命だと思った。だってそうでしょ? 私の乾ききった心に、あなたが潤いをくれた。

 それって素敵よね? だから、私にはあなたしかいないの。あなただけが私の心を癒してくれる。


 でも、無理強いはしないわ。付き合いたいとか、そんなこと言わない。私はそばで見てるだけで幸せ。

 だから、で見てるわ。いつだって見てる。


「ふふ……あら? エタドラのメッセージが」


 エタドラ内でフレンドからメッセージが来たみたい。ログアウト中だからスマホにメッセージが届いたのね。

 相手は目の前にいるトールから。内容はどこかの城の廃墟を探索しないかというもの。スマホから返信をするとしよう。


 他のフレンドが断りのメッセージを入れていたため、私もそれに便乗しよう。

 文面はこう、「僕も興味ないかな。このゲームストーリーよりもその後のやり込みが本番だし」と。


「ごめんねトール。私エタドラのストーリー自体にはあまり興味ないの。このゲームを始めたのだってあなたと面と向かって話せるからだしね」


 もっとも、ゲームの中の私は男性アバターを使用してるのだけれど。仕方ないのよね、だって女主人公でキャラクリしても可愛くないんだもの。

 リアルの姿ならともかく、かわいくない姿で会うくらいなら男性アバターで会ったほうがいいわ。


「でも、最近少しゲームの方も楽しくなってきたのよ。本当よ? ただ――」


 ――あなたとの時間を無駄にしたくないだけ


 私はいつもあなたがバイトに行ってる間に部屋に入って、エタドラを始めたら押入れから出てきてあなたの体を触る、舐める、舌を這わせる。

 その行為が、時間がとても幸せ。

 でも、私も学校があるからずっと一緒にはいられない。今日もこの後家に帰って寝て、朝には高校に行かなきゃダメだもの。

 あぁ、私も大学生だったらもっと時間を合わせられるのになぁ。

 でも今は無理。この僅かな時間を大事にしないとね。


「ん……はぁ……んん……ちゅ……」


 トールの上半身に舌を走らせていく。私の唾液が軌跡のようにキラキラと体につく。

 それを見て、まるでトールが私の所有物になったかのような錯覚を得て背筋に熱い熱が走る。


「ん……はぁっ……これだけしても起きないなんて、そのうち規制が入りそうね、このヘッドギア。ま、私にはこの方が好都合なんだけど」


 ズリズリと、しゅるしゅると舌を這わせていく。次第に胸元は唾液でいっぱいになる。これ以上舐めても自分の唾液の味がしそうだし、意味がないわ。

 別の場所を舐めようかしら。


「…………」


 視線が下の方へ向く。

 胸の鼓動がこれまでにないほど大きく脈打つ。


「いや、ダメ……はしたないわ。そこは、ダメ……」


 自制して、トールの胸元に顔を埋める。大きく深呼吸して、肺の中に男の人の匂いをたっぷりと吸い込む。

 パパの匂いってもうちょっとおじさん臭かったなぁ、と死んだ父のことを思い出す。

 トールの匂いは加齢臭とは程遠い、不快感もない匂いだったけど、やっぱり男の人というのはどこかしら似た香りを出すのかしら。


「男の人の匂いでパパを思い出すなんて、私ってひょっとして寂しがりやなのかしら」


 ママは毎日知らない男の家で寝ているから、家族というものに飢えているのかも。

 じゃあ、私はトールに父性を求めたのかな。……いや、それも違うと思う。

 私は単に、トールに一目惚れしたんだわ。だからこうして、彼の家まで来てるんだから。これは家族愛に飢えたわけじゃなくて、一つの恋なんだわ。


「ああトール……あなたって本当に愛おしいわ……」


 そう言ってトールの体に思い切り抱きついた時、異変が起きた。

 トールの体が輝いているのだ。

 もちろんトールの鍛えた体はとても素敵で輝いて見えるけど、比喩的な意味じゃなく、物理的に光っていた。


「な、なに……どうなってるの……? きゃっ!」


 そうして、トールの体に抱きついていた私も光に飲み込まれ、気がつけば……


 ◆


「んん〜〜……よく寝た。今いつなのよ? えっと、【エリアマップ】」


 眠りから目覚めた私は、地図を表示させて周囲の地形を確認する。

 地図の端には今が何年か、何月何日何時何分かまで分かる時計が表示されている。


「神樹暦七七七年弥生の二五日……? あれ、私がこの世界に三百年くらい経ってる!?」


 トールの部屋で光に包まれた後、目を覚ましたら私は異世界にやって来ていた。

 おまけにエタドラで使ってたキャラのステータスをそのまま引き継いで、も持っている状態で。


 でも、私が転移した場所は真っ暗な牢獄だった。暗闇の中に閉じ込められて、魔法とか使っても全然変化がない暗黒世界だ。

 異世界だとわかったのは、最初はゲームの中だと思い込んで色々魔法を唱えていると、リアルな炎とか出た。

 そして、運営に連絡しようにもそれらしいウインドウが無かったし、何よりゲームの中じゃあり得ない食欲と睡眠欲が発生したからだ。


 異世界に飛ばされたと分かると、最初のうちは恐怖で錯乱しそうになったけど、大丈夫。

 私は死なないということがわかった。理由はわからないけどとにかく、まるでゲームのキャラのように私は年も取らなければ死にもしなかった。


 だから、私は眠ることにした。身動きが取れない以上やることもないし。

 何か異変が起きれば目を覚ますようにして、深い眠りについた。


「そして今目が覚めたってことは、世界に何か面白いことでも起きたのね」


 そして、私は一つの縁を感じとる。

 それはかつて愛して止まない彼の匂いだ。


「間違いないわ……あなたもこの世界にいるのね、トール!」


 動く時が来た。

 大地の下にある暗黒世界、冥界と呼ばれるこのニブルデスから抜け出す時が来た。


 冥界に降臨したこの私、【冥魔神】のスキルを持つエルが会いに行こう。

 待っててね、トール。

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