第95話 頼もしき援軍
ビュウ・レイストの奮闘虚しくも、彼の抜刀術はブリュンヒルトの攻撃の前に敗れた。
ビュウの技は素晴らしかった。
スピードも、破壊力も申し分ない。
しかし、まるで全然、ブリュンヒルトの技を打ち破るには程遠い。
それだけだった。
もし相手がブリュンヒルトでなければ、必殺の一撃となっただろう。
だが、そうはならなかった。
目の前には自らの血で出来た水溜りに沈む幼い少年と、その後ろで息を飲む二人の少女。
そして、彼らをただ眺めるだけの戦乙女が一人。
これが現実だ。
もはや彼らにブリュンヒルトを止める手立てはない。
待っているのは残酷な結末だ。
巫女の力を利用され、関係ない国々まで巻き込んだ大規模な破壊活動が始まる。
巫女は世界樹へアクセスする端末、道具として扱われるだろう。
ビュウやトールは容赦なく処分されるだろう。
もはやどうしようもない。
ここにいる者にはどうしようもないのだ。
ブリュンヒルトが結界を張っている限り、彼女は無敵の強さを誇る。例えビュウかトールが立ち上がったとしても、勝てる可能性は限りなくゼロに近い。
ここで終わる。
誰もがそのように確信せざるを得なかった。
この場にいる者たちは、だが。
ブリュンヒルトは油断していた。
自分の展開した結界を破壊出来る者などいるはずがないと思い込んでいた。
それは自らの力と、信じる主神の加護を強く信じていた故の考えだった。
間違ってはいない。事実、ブリュンヒルトの結界を破壊出来る人間などこの世界には存在しないのだから。
だが。
だが、もし人間でない者ならばどうだろう。
それが仮に、この世界でも最優の戦士と謳われるある人物だったとしたら。
仮に、その人物が人ならざる力を秘めていたとしたら。
仮に、彼がトール達の危機に駆けつけてこの国に来てくれていたのだとしたら。
そして、この国に来るには大森林を通らざるを得ず、偶然にも結界を目にしていたのだとしたら。
その者は、すぐにでもここにやって来て、この結界を破壊することだろう。
世界にヒビが入る。
空に亀裂が走る。
暗く淀んだ視界が、晴れ晴れとした太陽の光によって暖かく照らされる。
結界は破壊された。
人間には出来るはずのない、神にも届き得る破壊の力を用いて、強引に引き裂かれた。
結界を破壊した男はゆっくりと歩んでいく。
その一歩一歩に強い意志の力を感じさせる。
ブリュンヒルトは目の前のビュウたちから視線を外し、結界を破壊した男に注意を向ける。
ビュウも、ルビアもウルズも。
こちらへ向かってくる男をただ見つめるだけだ。
ビュウとウルズはその男を知らない。会ったことなどない。しかしその姿が、その風格が、彼が何者かを悠然と語るのだ。
その男こそ、この世界最強の冒険者にして戦士の頂点に立つと目される男。
ドラゴンスレイヤーの異名を持つ伝説級の剣士。
男の名は、シグルズと呼んだ。
「遍歴騎士シグルズ、
◆
「シグルズ……かの有名な英雄が助けに来るなんて、これは僕の日頃の行いがいいからかな……なーんて」
「あれが、英雄シグルズ。竜をも屠るその膂力は巨人の如く。放つ魔法は災害級。噂には聞いていましたが、いざ目の前にするとその気迫で押しつぶされてしまいそうなのです……」
「でも、なんでシグルズさんがここにいるの……?」
「ふっ、愚問だ王女よ。私がここにいるのは強敵と認めるトール殿の危機だと知らされた故。ミズガルズの近衛隊長殿に頼まれれば無碍には出来まいよ」
「フレイさんが……!」
ブリュンヒルトの結界を破り、悠然と足を運んで近づくシグルズ。彼の顔は自信に満ち溢れていた。
まるで、目の前のブリュンヒルトなど取るに足りない存在であるとでも言うように、この状況に対する危機感など微塵も感じさせないのであった。
ビュウ、そしてブリュンヒルトはそんなシグルズの様子を見て不思議に感じた。
(おかしい)
二人はシグルズの実力を瞬時に把握し、状況を改めて確認した。果たして、シグルズの介入により戦況は大きく動くのか、と。
答えはノーだ。
ビュウもブリュンヒルトも、シグルズという男の力が強大で、自分と同等か少し上であるという判断を冷静に下していた。
だが、その差は僅かである。五〇と一〇〇の差ならばともかく、大きく見積もっても五〇と六〇程度の差しかない。
確かに、シグルズとビュウが共闘すれば向かうところ敵なしかもしれない。何しろ二人とも大陸でも十指に入る戦士なのだ。
だが、それは強化されたブリュンヒルトの前では通用しない。目の前の戦乙女はもはや個人の力で測れる力量ではなく、至神乙女たちから吸収した力により文字通り数十人分の力を有しているのだから。
しかも、その力の源は彼女が信奉する主神である。ただの人間が勝てる道理などないのだ。
だというのに。シグルズは向かってくる。
「ふふふ、何をやったのかは知りませんが私の結界を破ったのは褒めて差し上げます。私の知らない破魔術でも持っていらっしゃるのかしら? ですが次の一撃は、絶対に破られませんわ!」
「ほう……それは楽しみだ。私は目の前に立ち塞がる障害は悉く打ち破ってきた。破壊しか知らぬ私に、打ち破れぬものがあると?」
「ええ、何せこれはあの雷神様でさえ防げない主の一撃。あなたごときにどうにか出来る技では――ありませんわ! 【ニア・ヴァルハラ】!!」
目にも留まらぬ速さで放たれた槍は、既に槍という形を投げ捨てて一筋の光となった。
ブリュンヒルトの恐るべき膂力と、与えられた主神の力で強化された絶大なる魔力によって、槍は物理攻撃ではなく概念攻撃としての特性を得る。
その特性は、戦士をヴァルハラへと誘う――――ヴァルハラ、戦士の館。伝承に伝わる、死する戦士がたどり着くとされる魂の保管庫ともいる場所。所謂、あの世のことである。
即ち、この一撃は戦士をあの世へと連れ込む絶滅の一撃である。
その攻撃を受ければ生きてはいられない。ニア・ヴァルハラとはその名の通り、あの世へと最も近い場所、仮に何らかの手段で防いだとしても瀕死は確実だ。
「ほう、確かにこれは大した技だ」
しかし、
「確かに私の力では、この技を防ぐことは難しい」
竜殺しの英雄は、目にも留まらぬ速さで向かってくる光の槍をしっかりと両目で捉えていた。
そして、
「そちらが神の力の一部を使った技ならば、私は邪悪なる力を使うとしよう」
その言葉を言い終えると同時に、シグルズから赤いオーラが放たれる。
赤く禍々しい魔力がユラユラと体から出ている。その魔力は、かつてミズガルズ王国の闘技場でトールと戦っている最中、一瞬だけ漏れ出したオーラと同じだ。
あの時はシグルズが使用しないまま終わった謎の赤い魔力だが、その正体が今、明かされる。
その力は――――
◆
「なん、ですって……」
ブリュンヒルトはただ、目の前で起きた出来事に驚愕するしかなかった。
主神の力を最大限まで引き出した自身の最大技ニア・ヴァルハラは確かにシグルズに直撃した。
ならば、死体が転がっているのが道理だ。
だが、これはどういうことだろう。
シグルズは死んでおらず、あろうことかブリュンヒルトの投擲した槍を片手で掴んでいるのだ。
光と化した高速の一撃を、いとも容易く受け止めているのだ。
そして。
そして、驚愕すべきはシグルズの姿だ。その姿は先程までの鎧姿ではなく、鱗に覆われた姿になっている。
全身からは赤黒い魔力がオーラとなって漏れ出し、空間を歪めている。
小さく綺麗に整った口元は大きく開かれ、口の中に見える歯は鋭く尖っている。
青い瞳は赤く変色し、獲物を逃さないようにじっとブリュンヒルトを捉えている。
その姿は、まるでドラゴンのようだった。
「変性開始。我が肉体の再定義を行う。この身は天をも引き裂く悪竜なり。故に、目の前の敵をただひたすらに破壊するのみ」
「あ、れは……
ビュウは感心とも感嘆とも取れない声を漏らす。
ドラゴニュートは竜の姿をした人型の魔族である。その表皮は硬い鱗に覆われており、下手な刃物では傷一つ負うことはない。
また身体能力に優れており、人族の大人を赤子の手を捻るかのように遇らうほどの怪力だ。
太古の昔には戦争で大いに活躍した種族であるが、過去の戦争でその数は少なくなり今は大陸から離れた島々に移住している。
ビュウにとって、シグルズがその竜人だというのは初耳だった。普段は人の姿をしているという噂も聞いたことがない。
「私は竜人ではないよ少年。私はあくまでも悪竜を殺し、その血肉を喰らったせいで肉体の本質が変化しただけの人間だ。決して竜人ではないのだ」
「で、でもその姿は……」
「ふむ、確かにこれでは竜人だと間違われるのも仕方がない。だから、実際に見て判断してもらうとしよう」
そう言うと、シグルズは大きく息を吸った。胸いっぱいに空気を吸い込んで、肺の中を空気で満たす。そして、思いっ切り肺の中の空気を吐き出した。
ただそれだけの行為で、破壊の一撃がもたらされる。
「な……なんて威力……」
「本当に人間なの……!?」
「私を英雄と呼ぶ者には申し訳が立たないが、我が力の一端は邪悪なる竜によるもの。その力を十全に振るうとなれば、今までのように優しくは出来ぬぞ」
鋭い、獲物を狙う目つきでシグルズはブリュンヒルトを見る。
ブリュンヒルトは最初こそ驚いた様子を見せた。しかしすぐに落ち着いてシグルズを見やる。
「うふふ……何かと思えば魔物化が進んだケダモノですか。人でありながら人の領域を踏み外した汚らわしい生き物。魔物にもなりきれない半端者。それがあなたの力の正体とは……随分と惨めなものですね」
「ふっ」
シグルズは小さく笑う。
「確かに私は半端者だ。竜を殺した時に死にきれず、生き汚く生存したざまがこれだ。しかし――」
剣をまっすぐとブリュンヒルトに向けて、シグルズは高々に声を上げる。
「力とは扱う者によりその性質を変える。この悪竜の力、確かに少々厄介ではあるが……眼の前にいる人を守る程度のことは容易いぞ」
「それは、私の攻撃から彼らを守り切ると?」
「試してみるか?」
「面白いですわっ!」
神と悪竜。
人が目にすることなど決して叶わぬ、頂上なる戦いが繰り広げられる。
ブリュンヒルトは神罰術式を発動し、大地を焦土に化すほどの熱量を帯びた光を照射する。
それに対し、シグルズは大きく一呼吸する。そして、その吐息に莫大なる竜の魔力を込めて吐き出す。
俗に言う、ドラゴンブレスを放ったのだ。
破滅の光と地獄の業火が空中で衝突する。互いの技は相殺し合い、爆発を起こす。
しかしあまりの破壊力に完全には相殺しきれず、周囲に莫大な魔力が広がる。
「くうううう!」
「と、とんでもない威力なのですううううう!?」
「お姉さんたち、しっかり捕まってて! 僕の残り少ない魔力じゃ風糸結界を維持するのがやっとだ! ふっ飛ばされたら助けることは出来ないよ!」
ビュウは魔力切れを起こすギリギリの状態で風糸結界を発動する。
風の糸はルビアとウルズをしっかりと捕まえる。
「あ、ありがとうビュウくん!」
「ありがとうなのです! でも無茶は駄目なのですよ!」
「無茶しなきゃ、誰かが死んじゃうからね。ここは無理する場面でしょ」
ビュウは顔面蒼白だ。魔力が残り少ないのだ。
魔力切れを起こすと意識を失う。トールがしばしば昏倒し、病室で目覚めるのが例だ。
「うっ……」
ビュウの体がふらつく。
もしここでビュウが倒れれば、シグルズとブリュンヒルトの戦いの余波でルビアたちは吹き飛んでしまう。
簡単な防御魔法程度なら使えるだろうが、天変地異とも言えるこの戦いの余波に巻き込まれれば命を落としてしまう。
だから、ビュウは倒れるわけにはいかなかった。
しかし――
「びゅ、ビュウくん! 後ろっ!」
「え――」
巨大な岩が、ビュウたちを下敷きにしようと飛んできている。
「これは、流石に……」
岩が激突しそうになった時、赤い人影がビュウの前に現れる。
そして、巨大な岩を片手で粉砕する。
それはブリュンヒルトと戦っているはずのシグルズであった。
「隙ありですよっ!」
「むっ!」
細い、七色の光線がビュウ達の方へと放たれる。
ブリュンヒルトの攻撃だ。
「ちい!!」
光線は文字通り光の速度で向かってくる。魔力が切れて満身創痍のビュウでは見きれない程の速度だ。
速度と貫通力に特化した一撃。明らかにビュウたちを狙った一撃だ。
迎撃が間に合わないと判断したシグルズは咄嗟に岩を砕いた方とは逆の手を伸ばす。
ズガン! と重い音が鳴り響く。
「あらあら、とんだ収穫がありましたわぁ」
「ぐ……」
シグルズの左半身が綺麗さっぱり消え去っていた。
「し……」
「シグルズ!」
「何、問題はない……と言えたのなら格好がついたのだろうな。ぐぬ……不覚を取ったか……」
傷口からは血が流れていない。いや、傷そのものがないのだ。
光線を受けた箇所は、まるで元からそうであったように、人体が形成されていた。
「ふふ、消滅の光は効いたようですねぇ。この光を受けたものは、攻撃を受けた箇所を失う。しかし神は懺悔の猶予を与えます。傷を残すような残酷な仕打ちはしません」
「そうか……しかしこれでは、回復も出来ぬな……」
「ええ。貴方の体は、“最初からそうである”風に書き換えられました。いくら回復しようと、その状態から変わることはありません」
「なんて残酷な魔法なの……」
ルビアの言葉にブリュンヒルトは首をかしげる。
「残酷? この魔法がですか? 不思議なことをおっしゃいますね。神は罪人に罰を与え、その罪の重さを自覚させるのです。むしろ神の御慈悲に感謝するべきでは?」
「だめだよお姉さん、話が通じないよ……」
はぁ……とため息を付き、槍を構え直す。ブリュンヒルトの顔には憐れみの表情が浮かんでいた。
「こうまでしても、あなた方には我らが主の慈悲深さに気付きませんか……」
「申し訳ありません。生憎と、私が信じる神様はいつだって一人だけです」
「それはあの雷神様のことを仰ってるのですか? ふ、ふふ。うふふふふ、あははははは!!!!」
ブリュンヒルトが今まで見せたことのない姿で笑う。おかしくてたまらないという風に、腹を抱えて笑う。
「確かに主の力を色濃く受け継いでいる極神のようですが、所詮はまがい物の神! 極神なんていうのは人の領域を極めた者が、神々の力の一端に触れただけ! 本当の神である我らが主には遠く及びません!」
「その通りだ、戦乙女」
その時、戦場に一つの声がした。
「え……?」
「な、まさか……」
「そんな……」
「貴殿は……」
ルビア、ウルズ、ビュウ、シグルズ。
その場にいるものはその声を知っている。ブリュンヒルトの一撃で吹き飛ばされ、とても戦闘に復帰出来ないと思われていたその人物を。
その人物こそ、
「神の力を少し借り受けた程度で図に乗っている貴様に、真の神の力とやらを拝ませてやる。せいぜい崇め、奉るがいい」
雷神トール
しかし、その姿は金髪蒼眼
知らない彼の姿が、そこにあった。
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