第27話 フレイを救え
ヴァナハイム共和国の首都、その東側にある闘技場に到着した。
円形の建物は大理石を建材としていて、見るものを呑み込むような不思議な威圧感があった。
入り口には巨大な二つの石像がある。一つは剣士、もう一つは武道家……だろうか。
抱えていたフレイヤを下ろす。彼女は足を地面につけると、その場でふらふらと揺れる。
よほど荒い運ばれ方をしたのか。誰だよ、そんな手荒な真似をしたのは。はい、俺です。
「だ、大丈夫か……? いや、俺が聞くのはおかしい気がするけど、お前が言うんじゃねぇって感じはするけど。気分悪かったら道端で吐いてきな……」
「いえ、大丈夫です……うっぷ。これくらい、どうってこと……うぅ……。それよりも、早く中に入りましょう。お兄様が、早くしないとお兄様が……!」
「ああ、わかってる」
気分が優れず、揺れに揺れているフレイヤの体を気の毒に思い、肩を貸す。
そのまま二人で闘技場の入り口へと入っていく。
入り口を通り、階段を駆け上がると、視界が開ける。
三六〇度すべてに人、人、人。それは観客達だった。歓声と雄叫び、指笛などが鳴り響く空間があった。
広さは野球ドームよりやや小さいくらいか。客席は人で溢れかえっているから少なくとも一万人はいるだろう。ひょっとしたら二万人、いやもっとかも。パッと見じゃわからんけど。
なんてこった、人殺しのショーを見るためにミズガルズ王国の兵より大勢の人間が集まっちゃってるよ。ハハハ、凄いね。いや、全く笑えんがな。
おそらく、というか確実に彼らは今から始まるショーを目的に来ているのだろう。主催は大商人ダティ・ワムだ。宣伝やら何やらで国中の人間を呼び込んだに違いない。
ということは、結構な準備期間があったってことだ。フレイヤから聞いていないが、彼女の兄がダティ・ワムの部下を倒した事件は今日昨日の話ではなく、もう少し前かもしれない。後で聞こうかな、いやそれどころじゃないか。
「あっ! トールさん、見てください。中央のフィールドにいる男性です! 手足を縛られて立っている方です! ああ、お兄様っ!」
「……あの金髪の男か。なんて、酷いことをしやがる……!」
中央のフィールドには男の影が一つ。
男は鎖で両手を縛られており、また両足も同じ様に縛られている。今はまだ立てているが、後ろから押せば倒れたまま起き上がれないだろう。
拘束も酷いが、それよりも男の顔だ。顔は拳で殴打されたような痕がいくつも有り、ひどく腫れ上がっている。それに加え、全身に刃物で切られた傷も見える。俺も喧嘩で集団に襲われた時に似たような怪我はするけど、あの男の傷ははっきり言って加減がない。彼に傷を負わせた人間にはおよそ人の心など無い。
見ているだけで腹立たしい。
ギギ、と歯を噛みしめる音が鳴る。
これ以上見ていると怒りでどうにかなりそうだ。
俺は遠くを見るスキルである【遠見】を解除する。このスキルはこっちの世界に来た時に最初に使ったスキルだ。数キロ先もはっきりくっきりと見ることが出来る。あのときは無意識に使っていたというわけだ。
今は意識してオンオフを切り替えることが出来る。疲れるから非常時以外は使わないが。便利ではあるんだけど、時に不便さも感じる。特に、傷が鮮明に見えてしまう時なんかは。
俺が【遠見】を解除すると、まるで見計らったかのようなタイミングで、観覧席の先頭にいる豚のように肥えた男が立ち上がる。
そして、拡声器の魔道具を使って会場全体に呼びかけた。
「ようこそおいでくださいました皆様! 本日は私ダティ・ワムの開催するショーにお集まりいただき、誠にありがとうございます! まだまだ皆様に対する感謝の言葉は積もりに積もっているのですが、挨拶は短めの方が皆様嬉しいでしょう。早速ではありますが、我々が用意した剣闘士と魔物の勝負を御覧いただきたく思います!」
豚男の言葉に、観客達は雄叫びのような声を上げて返事をする。喝采だ。これは。
「あれがダティ・ワムか。ったく、エタドラとそっくりだけど、リアルになった分醜さも五割増しだぜ。特にあの汗。体中テカテカじゃねぇか。喋り方もねちっこいし、よくもまぁあんな胡散臭いヤロウの見世物なんかを見に来てやがるな、観客たちは」
「ど、どうしましょう……! 私はてっきり、お兄様がダティ・ワムの部下数人に一方的にやられてしまうのだと思っていました。でも、今はっきりと魔物だって……」
「落ち着け、フレイヤ。今からフレイを助け出そうにも、人が多すぎる。それに仮にあそこまでたどり着けても、闘技場を出ていくのも一苦労だ。なにか作戦を立てないと」
今俺達がいるのは観客席の中段。
フレイがいるのは中央のフィールド。
直線距離で数百メートルくらいか?
俺が全速力で走ればおそらく数秒でたどり着ける。
だが、そこからフレイを担いで闘技場の外まで行けるだろうか。
人間一人担いだ状態で行きと同じ速度を維持できるのか。
そもそも観客や階段など障害物がたくさんある。出口に直行なんて出来ないんじゃないか。
なにより。
一緒に逃げるとそれ以降この街で見つかるのはマズい。どこか隠れる場所があればいいのだが、あいにくそんなものは心当たりが無い。
俺が悩んでいる間にも、時間は刻々と進む。
ダティ・ワムは拡声器でその聞くだけで背筋に寒気が走る声をなおも響かせる。
「それでは、フィールドをご覧ください! そこに立ちます男はフレイ! 愚かにも奴隷という身分でありながら主人に暴力をふるい、捕まった男です! 可愛そうなことにその一件で主人に闘技場の剣闘士として売られてしまいました! 腕には自身があるようで、魔物だろうがなんだろうが相手になると意気込んでいます!」
「よく言う……あなたがやったことなのに……!」
「フレイヤ……」
フレイヤの腕が震える。
恐怖ではない。彼女は拳を強く握りしめ、怒りをこらえている。それでも我慢できない怒りが、彼女の腕を震わせている。
「対する挑戦者……おっと失礼。人間ではありませんでしたな。まぁ、フレイも奴隷であるため人とは呼べませんが、はっはっは」
彼の言葉に釣られるように、観客席からは笑いが漏れる。
何を笑ってんだコイツラ。
「それでは登場していただきましょう。我々が独自のルートで確保した魔物、エビルタイガーです! 通常のエビルタイガーとは違い、身体が肥大化しており、凶暴性も増しています! 捕まえるまでにブロンズクラスの冒険者が十数名命を落としています! さぁ、これは強力だ! はたしてフレイは何秒生き残ることが出来るのか!」
フレイの立つ場所から正面にある扉が開く。
中からは赤黒い毛を生やした、体長が約四メートルの魔物が三匹現れる。
エビルタイガー。
その名前はよく知っている。エタドラで出てくる序盤の敵モンスターだから。
ゴブリンやグリンスライムに慣れてきたプレイヤーを絶望の淵に落とす、強力なエネミー。ここで初めて、レベル上げの重要さを学ぶプレイヤーも少なくない。
エビルタイガーはすばやさが高いため、ステータスが低い状態だとろくに反応することすら出来ない、序盤の壁の一つだ。
現れた三匹は俺の知っているエビルタイガーに比べて、些か身体が大きすぎる気はするが。
魔物の登場により、会場の空気は一変する。
緊張感が、闘技場全体を包む。
しかし、この緊張感が、スリルが、この場では恐怖ではなくスパイスとして働いてしまう。
観客席が湧く。
怒号のような声が発せられる。
「いいぞー! やっちまえ虎公ー!」
「奴隷のガキー! てめぇには有り金全部賭けたんだから一分以上生き残れよー!」
「十秒以内に死んじまえクソガキがぁ!」
「は? な、何を言ってるんだこいつらは。なぁ、フレイヤ、こいつら頭がオカシイんじゃないのか?」
「トールさん……この闘技場で行われる競技は大きく分けて2つあるんです。一つは一般向けの普通の武闘会。これは色んな国の実力者が競い合う大会です。トールさんが知っているのはおそらくこっちでしょう。ですがもう一つ、闇武闘会というものがあるのです。勝者と敗者、生者と死者をお金を賭けて予想する悪趣味な大会です。たまに大会ではなく単独の試合でも開催されることがあります。お兄様はこの試合に無理やり参加者にさせられたのです……! ああ、お兄様……!」
人の命を金儲けの道具にしようっていうのか!?
そんな馬鹿なことがあるか……。
俺が知っている闘技場は、エタドラでの闘技場は、パーティ禁止・回復禁止のソロバトルで勝ち上がったらアイテムが貰えるという至極真っ当なものだったはずだ。
それが、この世界じゃこんなことを行っているなんて……。
「俺は手足が食われちまうのに賭けたからよぉぉぉー!」
「喰われろ!」
「仕事がうまく行かなくてイラつくから惨たらしく食べられてちょうだい!」
「死ね!」
「三〇秒は生きてくよねぇー! そしたらどんなに惨めに死んでもいいわよー!」
オイ。
あそこにいるのは同じ人間だぞ。一人の男なんだ。
フレイの兄って話だから、年齢だってそんなに高くないだろう。ひょっとしたら未成年かもしれない。
それが今から、あんな汚らしい豚に処刑まがいの行為をされるんだぞ。それを、笑っているのか?
誰も止めようとはせず?
誰も助けようとはぜず?
ただ、見ているのか?
いや、見ているだけならまだいい。こいつらはここで、賭けをしている。人の命で金銭のやり取りをしているんだ。娯楽として。
気持ちが悪い。
俺の価値観がおかしいのか? おかしいんだろうな、現代日本で育った俺じゃ、ここにいる彼らとは価値観が違うんだ。
だが、それでも。一つ言えることがある。
命の価値観は人それぞれだが、どんな時代でも、どんな世界でも。
それを軽く扱って言い訳がない。
「トールさん……?」
「フレイヤ、先に闘技場の外で待っててくれ。出来れば顔を隠してな。君の兄さんを連れてすぐ出てくるから」
「えっ、どういうことですかトールさん?」
「早く! ここは俺に任せろ!」
「……分かりました。トールさん、お兄様をどうかお願いします。必ずご恩はお返しします!」
フレイヤが階段を降りていく。
闘技場の外に出るまで三分とかからないだろう。
それまで待ってから、外に出ればいい。
中央のフィールドの魔物はフレイを獲物と認識した。
呼吸を沈め、ジリジリとにじり寄る。
フレイは拘束された手足でまともに歩くことさえ出来ず、ただ腰を落として魔物を睨むだけだ。
数秒後には、悲惨な死を迎えてしまうだろう。
「いいぜいいぜ、今月はうちのガキから巻き上げた金が少ないからよォ。ここらであのガキがすぱっと死んでくれりゃ、酒代が出来て最高よぉ……っておい、てめぇ何しやがる!」
「きゃああああ、みんなの賭け金を投げ捨てて、何やってんのよアンタ!」
「怪しいマントなんか着て、どこのドイツだあんた!」
「うるさい、クズ共め。どうせ俺のおかげでクソみたいに溜め込んだ賭け金スカっちまうんだから、こんくらいのことでキレてんじゃねぇよ」
【雷神】を発動しながら、俺は前に出た。
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