第21話
目を開けると低い天井が視界に広がる。
今は夜なのか、ろうそくの淡い灯りが部屋を薄暗く照らす。
「ここは、以前運ばれた部屋だ。確か、初めてティウと戦った後だ。ということは、俺はまた治療を受けたのか」
確かハゲ姉さんに背負われて帰りの道を移動し始めたとこまで覚えている。
おそらくハゲ姉さんの広い背中に安心感を覚えて、そのまま寝てしまったんだな。
さて、治療してもらったから怪我は治ってるんだろうけど、体が動かない。
全身に力が入らず、軽い痺れを感じる。
極大魔法の反動だ。
ゲームだとせいぜい十数秒間スタンするだけなのだが、既に数時間経過してるだろうに、全く身体が動く気配がない。
ゲームのリスクに比べて、この世界でのリスクが重すぎないか?
「ああ、体が重い。まるで、何かが乗っかってるみたいな……ってうわ!?」
なんとか首を動かすと、胸のあたりに誰かの顔があった。
極大魔法の反動もあるけど、こいつが頭を胸の上に乗せてるせいで動けないんだ。
でもその程度で動けなくなるということは本当に疲れているんだな、俺。
「ん……。あ……あ~~! とおくん起きた!」
「な、なんだ。ルビィか。てっきり生首が置かれてるのかと思ったよ」
「なんだって何よ。とおくんが倒れたって聞いたから、心配して来たんだよ! もう……」
謎の頭の正体はルビィだった。
ここから見ると、頭頂部しか見えないから分からないのだ。
もう夜だからか、ろうそくの灯りで照らされたルビィの茜色の髪が眩しく輝く。その輝きはまるで夕焼けのようだ。
「そっか、わざわざ来てくれてありがとう。それはそうと、なんで俺の上で寝てるの?」
「そ、それは……えっと。見ての通りベッドの横の椅子に座ってたんだけど……」
「うんうん。そうだな、固そうな椅子だけど、尻痛くないか?」
「うん、お尻は大丈夫……じゃなくて! その、椅子に座って、とおくんの様子を見てたんだけど、二時間くらい経っても起きないから。その、私も眠くなっちゃって……えへへ」
ようするに、看病してる途中で寝落ちしたと。
ルビィらしいと言えばらしい。
彼女の照れる顔を見てると、こっちも気が抜けてしまう。
「寝るならちゃんとしたところで寝なよ。お姫様がこんなとこで寝て風邪ひいたら、みんな心配するぞ。」
「大丈夫だよ、とおくん。とおくんの胸ってとっても厚くて、心地よかったもん。やっぱり男の子なんだね」
「そういう恥ずかしいこと平気で言うなよ……。それはそうと、いい加減どいてくれないか? 流石にキツイんだが」
「それはお、重いってこと!? も、もしそうならごめんねっ。で、でもっ、女の子にそういうこというのはどうなのかなっ」
「寝てる人間の胸元にモノ置かれたら誰だって苦しいって。でもルビィは軽いから平気かな。まだまだ小さいお子様だし」
「むぅ……」
頬を膨らませて拗ねてしまった。
「ごめんごめん、ルビィは子供じゃないもんな。王女としての仕事をきちんとこなせるようになってきたって聞いてるよ」
「それは王族として当然だもん」
「でも恥ずかしくなると耳が赤くなるのは変わらないよな」
「そ、それは言わないで! 大体、私のこと子供扱いしてるけど、とおくんだって子供だよ!」
「いやいや、俺はもうすぐ二十歳だよ。、確かに高校の頃からあんまり成長してないけど、子供は言い過ぎだろう」
「でもとおくん。君、働いてないでしょ」
「な!?」
働いてないでしょ―――ルビィの言葉が、脳内に木霊する。
無職、だと? いや違う。俺は一応ミズガルズ団に所属しているはずだ。
それにステータスの職業だって旅人だから……あれ?
そう言えば、俺ってミズガルズ団の何番隊なんだ? 所属とか言い渡されていないような。
そもそも、ミズガルズ団の一員になっているならステータスの職業も【王国騎士】とかに変わってそうだよな。
つい最近確認したけど、俺はまだ旅人のままだったのだが。
旅人は職業に入るのだろうか。
元の世界だと自営業ですら無いよな、たぶん。
もしかして旅人とはニートなのでは? 俺はこの半年間プー太郎だったようだ。
「俺、無職だったのか……!」
「とおくんこの国に来てずっと他人の世話になりっぱなしなんだもんね」
「ぐっ」
「極神も職に困るんだね♪」
「何を~……ルビィ!」
「あはは、とおくんが怒った~!」
「待て、こらぁ~~!」
ルビィは笑いながら部屋から出ていく。
しかし、決して遠くまで逃げていかない。
俺が追いつくのを待っているかのように、ゆっくりと離れていく。
そっちがその気ならとことん追いかけてやる。
寝起きの頭もスッキリし、体調も少しだけマシになった。
一回だけなら魔法も使えそうだ。
「【ハイクリア】……。よし、しびれがちょっとだけ回復したそ。走るのはキツそうだけど。さてと、ルビィ待て~!」
ルビィは駆け足よりも遅く、歩きよりも早い速度で廊下を渡る。
俺の手が触れそうになるとダンスのように体を回転させて避ける。
ルビィは避けたことに気を良くしたのか、鼻歌まじりに回り続ける。
廊下には月明かりが差し込み、窓の模様が影となる。
まるで照明のように地面を飾る。
この世界には今、俺たち二人しかいない。
そんな中、二人でダンスをする。
そんな錯覚を覚える。
だが本当は追いかけっ子にいそしむだけ。
そうして五分ほど追いかけっこを繰り広げていると、いつの間にか外に出ていた。
花に囲まれ、甘い香りで満たされた空間。
「ふふ、ふふふ。あー、楽しかった」
「病み上がりに無理させるなぁ、まったく」
「ふふ、ごめんねっ。すぐやめるつもりだったんだけど、楽しくなっちゃって。だってとおくんと二人で夜の城内って、なんだかワクワクしたの」
「ああ、ちょっとわかるかも」
小学生のころ、宿題を忘れて夜の学校に取りに行ったことがある。
夜の学校は昼間とは違う、まるで別世界のようだった。
誰もいない空間に異質さを感じつつも、どこか高揚感を感じたのを覚えている。
「だよねっ! さっき廊下を走ってる時、世界には私ととおくんだけみたいに思えて、それってなんだか素敵だよね」
「ははは。俺とルビィの二人だと、ご飯を用意してくれる人がいなくなるな」
「も~……。夢がないなぁ、とおくんは」
「さっきまでぐっすりと夢を見てたからね」
そう言うとルビィはぷく~と頬をふくらませる。
この子は本当に分かりやすいな。
だからだろうか、ついついからかってしまう。
「ところで、ここはいい場所だね。花が綺麗で、手入れもしっかりしてる」
「ここは私のプライベートガーデン。普段は私と侍女たちでお花の世話をしてるの。年に数回、王都の子どもたちを何人か招いたりするんだよ」
「ルビィのお気に入りの場所なんだな、ここは」
「うん。自分の部屋を除けばここが一番落ち着けるんだ。ここでお茶を飲んで、本を読んだりして過ごすの」
「ここにいるだけで安らげそうだ」
「でしょ? 今度一緒にお茶しようねっ」
「うん、楽しみにしてるよ」
こんな場所でティータイムを取ると、落ち着くだろうな。
「それでね、ここは私と侍女……あと、子どもたちが来たことあるくらいでね。お、男の子を連れてきたのは初めてなのっ」
「へぇ、そうなんだ。なんか光栄だなあ。でもいいの? 俺を連れてきたって知られたら、特別扱いしてるみたいに思われないか?」
「特別……。そうだね。……うん、特別。とおくんは、特別だから」
ルビィは、ぎゅっと手を胸の前で握る。顔が赤いのは緊張しているからか。
ルビィは普段の会話とは違う、重要な話を切り出す。
「とおくんは特別だから、私の秘密を話すね。聞いて、くれる?」
真剣な眼差しと、震える唇。
話していいのか不安がる表情。
彼女が何を伝えたいのかわからないが、少しでも不安を取り除いてあげたいと考えた俺は、話を聞くことにした。
「この世界には世界樹があるっていうのは知ってるよね」
「ああ。世界の中心に立つ、天まで届きそうなほどの巨大な木だろ。もちろん知ってるよ」
エターナルユグドラシルのタイトルにもなっている、世界樹ユグドラシル。
この世界が生まれた時から存在していると言われる、全ての生命の源とも言われる木だ。
エタドラのアイテムに『世界樹の雫』や『世界樹の葉』という回復アイテムがあるように、ユグドラシルには無限の魔力が眠っているという。
「世界樹にはこの世界を変えることが出来るほどの力があるの。でも、誰もその力を手に入れたことはない。だって、世界樹は世界そのものだから」
そうだ。世界樹という名前の通り、ユグドラシルが存在する限り世界は存在し続ける。
逆に言うと、ユグドラシルがなくなれば世界は存在できない。
世界樹ユグドラシルとは、すなわち世界と同一である。
「でもね。この世界樹の力を操れる方法が一つだけあるの」
「そんな力が存在するのか?」
「うん……それが、私。ユグドラシルの巫女、それが私の能力なの」
ルビィはそう告白した。
ユグドラシルの力を操れる。
つまり、世界そのものを操作出来る力が、自分にはあるのだと。
「……っ」
不意に漏れる吐息。
自らの秘密を開けることへの恐怖。
ルビィは震えていた。
彼女にとって最大級の秘密を、俺に明かしてくれた。
話すだけでも、こんなに震えるほどなのに。俺を、信頼してくれているのだ。
「ルビィ、安心して。大丈夫、ちゃんと聞いてるから」
「うん……。私、ね。生まれた時の名前は、ルビア・ミズガルズだったんだよ? でも、ね。巫女として目覚めると、……。いつの間にか、ステータスも変わってて、ルビア・シフ・ミズガルズってなってたの……」
「ミドルネーム……洗礼名だって言ってたのは、そういうことか……」
ユグドラシルに見初められ、巫女として目覚めたルビィ。
それにより、本来の名前もステータスも変わり、自分という存在が上書きされたように感じたのだという。
彼女の能力のことを知っているのは国の中でもごくわずか。王様とティウ、信頼できる家臣のみだという。
だが、どういうわけか彼女の力が帝国には知られていた
。そして、帝国が辺境の国であるミズガルズ王国に目をつけたのだという。
「私のせいで、お父さんや国のみんなが危険になって……耐えられなかった……! 死にたいって何度も思った……! でも、死ぬのも怖くて何も出来なかった……。そんなとき、君が現れた」
世界という大きな宿命を背負うルビィ。
幼い少女が背負うにはあまりにも大きすぎる運命に、誰一人として理解者は得られなかった。
自分を心配してくれる家族も、家臣たちも。自分の気持を完全には分かってくれていない。
だが、極神の力を持つ俺が来た。
「初めて会った時からわかった。この人なら、私の気持ちを理解してくれるかもって」
ルビィはそう言って、俺の手を握った。
「ねえ、とおくんは怖くなかった? 極神なんて力を持って、不安で押しつぶされなかった? どうしてこんな力を持ってしまったんだろうって、逃げ出したくならなかった?」
彼女の小さく温かい手から、震えが伝わる。
自分の気持ちを理解してほしい。相手も同じだと言ってほしい。そう思っているのだろう。
気持ちはわかるよ。
俺も怖かった。
そう言えばルビィは喜ぶだろうか。
だが残念ながら、俺は共感者ではない。俺はルビィを助けるためにこの世界に来た。
ならば、俺の返答はこうだ。
「怖くなかったよ」
「……っ!」
ルビィの表情が哀しみに包まれる。
彼も違ったのか。自分の気持ちを理解してもらえないのか。そう物語っている。
その顔を見るだけで、俺の胸も痛む。
だが、俺はこの力を怖いなんて感じたことはない。なぜなら……
「だって、この力のおかげで君を守れるから」
「……えっ」
「確かにこの力は人には過ぎたものかもしれない。でも、この力があったからロキに勝つことが出来た。だから、不安に思ったことなんて無いよ」
「…………」
ルビィはそのまま静かになった。
もしかすると、俺の答えが気に入らなかったのか……?
「とおくんさっき言ってたよね、無職だって」
「きゅ、急に蒸し返すなあ。確かにこのままだと良くないよな。ティウに言って、正式にミズガルズ団に入団させてもらわないと」
「あ、あのねっ。とおくんは初めて出来た男の子の友達だし、私とも対等に接してくれて、仲良くしてくれるからっ……!」
「?」
ルビィの顔がどんどん赤くなる。
急な話題の転換といい、ルビィの言おうとしていることが、イマイチ掴めない。
彼女は一体何が言いたいのだろう。
「だから、とおくんは私にとって、特別……だから……」
もしかしてティウに話を通してくれるとか、そういうことを言いたいのだろうか。
王女であるルビィから直接言ってくれるならありがたい。
俺との修行を終えて、ティウは団長の仕事に専念している。前ほど話す機会もなくなるだろう。
「お父さんとティウもきっと推薦してくれるから、そのね。ええと……」
「もしかして、騎士に推薦してくれるとか? ルビィが言ってくれるならありがたいな」
「う、うん。そう。ただ、とおくんに頼むのはちょっと違うくて。なにより、とおくんに嫌がられたらどうしよって思って……」
「なんだ、どの隊だって選り好みしないぞ。出来れば帝国の調査とかしたいから、自由に動ければいいんだけど。あ、最初のうちは便所掃除でも何でもやるぞ」
「そっか……よかった……」
ほっとため息をつき、落ち着きを取り戻す。
それでも、顔は赤いまま。耳なんて赤すぎて、塗料でも塗ってるんじゃないかって思う。
よく見ると目の端に薄っすらと涙が溜まっている。
ルビィの様子を見ると、それ程緊張しているってことが分かる。
ルビィは口を開き、意を決して、伝える。
自分の意思を、俺に。
「あのね、とおくん。 私の……私の騎士になってください!」
「ルビィの騎士……」
王女の騎士とは、ルビィに忠誠を誓い、命を賭して助けるルビィ専任の騎士だ。
ルビィのそばにいて、ルビィを守るのが主な役目となるはずだ。
「…………っ」
震える唇。スカートを握る手。力強く閉じられた瞳。その端から溢れそうな涙。
……そうだ。俺はこの子の笑顔を守りに来たんだ。決して、泣かせるためじゃない。
俺に用意されている答えは最初から一つ。
俺はルビィの涙を指で払い、頭を撫でる。落ち着かせるように、優しく。
両手でそっと彼女の体を抱きしめる。
ピクリと震える肩。だが拒否されたわけじゃないらしい。
彼女もまた、俺の胸に頭を寄せる。
俺もまた、ルビィを抱きしめる力を強める。ギュッと体を寄せる。
そして、俺がずっと言いたかったこと、
彼女に伝えたかった気持ちを告白する。
「ルビィ。何があっても君を守る。自分の力に不安になったらそばで支える。泣き出したくなったら、どこか遠くへ連れてってやる」
「うん……うん」
「だから安心して。巫女の力なんかに縛られず、自分の思うままに生きていいんだ」
そうだ。世界(ユグドラシル)が決めた役割(巫女)なんかではなく。
世界(ゲーム)が決めた役割(没ヒロイン)なんかではなく。
一人の少女が、思うままに過ごせる世界。
それが、俺の目指す世界。
「ありがとう……とおくん……」
月夜の下、約束を交わす。俺と彼女の、決して破られることのない誓い。
気の利いた言葉なんて言えなかった。
それでも、彼女は笑ってくれた。
流れる涙は悲しいからじゃなく、嬉しいからだよと彼女は言った。
その涙の温かさを、俺はずっと忘れないだろう。
これはほんの序章でしかない。
だが、この時確かに始まったのだ。
少女のために世界を救ってみせる、一人のゲーマーの物語が。
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