異世界でも、計算は狂っていく。(3)

暫くして、俺が建物の破壊に手間取っていると、急に周りの空気がヒリつくような感覚を感じ、俺は振り返った。


≪…難解な計算問題に出会ったとき、細かく複雑な計算にばかり気をとられ、単純な足し引きを間違えることがある…。しかも、その間違いに中々気付くことができないのだ。≫


キヤイが、何かを引きずりながらこちらへ歩いて来ていた。


≪そういう時は一から計算をやり直す…。遠回りに見えるが、固定観念を取り払うには実に効率的だ。だからこそ、私もこうして一つ一つ確認して回っているわけだが…。いったい全体、どうして私はこう、これほどの異分子を全く無視していたのか…。呆れてしまう。≫


見ると、キヤイが引きずっているのは気を失った黒い人だった。


≪なるほど…。だから夢の魔法が上手くいかなかったわけだ。≫


キヤイはその場に黒い人を投げ捨てた。


≪…やぁ、アナイ。少し話をしようじゃないか。≫

「…。」


キヤイは口角を上げると、世間話をするかのごとく俺に話しかけてきた。


≪まぁ、そこまで警戒するな。アナイにとっても良い話だ。≫

「信用できないな。それに、俺はアナイじゃない。義仲だ。」

≪…なら、聞いてくれヨシナカ。私の夢の魔法は確かに完成した。何の滞りもなく、完璧に完成した。しかし、いざその能力を使おうとした時、何故か一部が発動しないのだ。≫

「なるほど。確かにそれは良い話だ。」

≪…そこに転がっている彼が私の魔法陣の形を変えたことは知っていた。だから、それに合わせた夢の魔法を発動させたはずだ。しかし、それでも見落としているものがある…。≫

「つまり、お前の計算はガバガバだったわけだ。天才の名折れだな。」

≪そう。粗があった。≫


キヤイは、丁寧に説明し始めた。


≪…私は、夢の魔法は、実現すれば能力が使えるようになると思っていた。だが、実際は発動しなかった。何に原因があるのか…。…まず、私は真っ先に黒い人を疑った。この世界の『最強無敵』の部分を担当していて、かつ私の魔法を破壊しようとしているからだ。だから私は彼を軽く捻って、彼が私の指示に従うようにした。…しかし、それでも夢の魔法は実現しない。…次に私は風車を疑った。風車は『不老不死』の担当をしていて、私が生きていた頃から何十回という改装を重ねて本来の形から変わってしまっている可能性があったからだ。…しかし職人の技術は非常に正確に伝承されており、何の問題もなかった。≫


キヤイは少し歩き、居酒屋の前に立って建物を見上げた。


≪…そして最後に、『絶対防御』を担当しているこの街を見た。この新しい建物を含め、街にも何一つ欠陥がない。…全て完璧だ。夢の魔法は完成している。だが、やはり一部発動しない。何が問題なのか…。≫


キヤイは、俺の方を見た。


≪…そこで私はこう考えた。『発動しない』のではなく、『もう既に発動している』としたら?≫

「既に…」

≪もし誰かがこの世界を、『現実』ではなく『夢』として見ていたなら?≫

「夢の世界…」

≪…もし誰かが、この世界とは別の『もう一つの現実』を持っているとしたら?≫

「…まさか…!」






≪…君だよ。君が、この世界を夢の世界にしている張本人だ。≫






キヤイは、驚いている俺を落ち着かせるように肩を撫でてきた。


≪よく考えれば普通のことなんだ。君にとってはこの世界は夢の世界。現実とは異なるまがいもの。まさに『異』世界だ。そのような世界がどのような結末になろうが、どんなことが起ころうが、夢が覚めれば何も変わらぬ平凡な日常に戻る。…そうだろう?≫

「…それは…」

≪そこで提案だ。もし君が望むのなら、今から君を元の世界に戻してあげよう。君が居なくなれば、私は夢の魔法を完全に発動できる。君は、元の世界に帰ることができる。…両者にとってこれ以上に無いくらい得のある交渉だと思うが。≫

「…。」







俺は、黙ってうつ向いた。


(…俺が…この世界を夢の世界にしている張本人…。)


意味もなく視線を動かしながら、俺は考えていた。


(…俺がこれまでずっと、キメラと交流したり会社を創立したり、頑張ってきたのは元の世界に帰るためだ…。ここで元の世界に帰れば、俺は目的を達成できる…。だが…。)


俺は、無意識に下唇を噛んでいた。


(…こんな終わりかたでいいのか…?この後、シャルルやアニキや長はどうなる…?きっとキヤイに蹂躙されて、この世界はキヤイの思うがままになるぞ…。)


その時、自分の中の異質な人格が語りかけてきた。


H【この世界の行く末はお前にとっては関係の無いことだ。】g

(…。)

【お前は何故、この世界に愛着を持つ?これは所詮幻想。現実においては、何の意味の無い。】Hg

(だけど…。)

Hg【何故迷う。お前の目標はすぐそこだ。あと少し、手を伸ばせば届く場所にあるぞ。】

(…俺は…。)


暫く、自問自答していた。



ふと、北から冷たい風が吹いてきて俺の服を揺らした。

その時、急に爺さんとの旅を思い出した。


(…。)


風に吹かれ、村を目指して走り、馬の生き血を飲み、そして町で別れた時のことを思い出した。


(…。)


知らないおじさんが家にやって来たと思ったらいつの間にか宴が始まっていたことも、初めてキメラに出会ったとき、シャルルが悲しそうな、苦しそうな顔をしていたことも思い出した。


(…。)


アニキと長に出会い、一緒に都へ行き、シャルルとさらに親睦を深めたことも思い出した。


「…。」


会社を作った時の意気込みも、村の人とも右往左往しながら、最終的には協力できるような関係になったとき、嬉しいような恥ずかしいような気持ちになったことも思い出した。


「…。」


17が殺されたとき、目の前が真っ暗になるような気分になったことも、怒りの矛先を何に向ければ良いか分からなくなった感覚も思い出した。


「…。」


目の前で長が黒い人によって改造されているとき、自分には何もできなかったことが腹立たしかったことも、黒い人の目的を聞いて、否定することはできないが17の死を許すこともできないもどかしさも思い出した。






「…確かに、俺にとってその提案は得のあるものかもしれない。」

≪ならば…≫

「だけど、…悪い。」


俺は真っ直ぐに前を向いて、キヤイを睨み付けながら言ってやった。











「俺が迷い込んだ異世界は、異世界と呼ぶには現実的過ぎる。」











≪…そうか…。≫


キヤイも、哀れむような目でこちらを見てきた。


≪…思考のない感情的な行動は、何も益を産み出さないというのに…。≫

「俺は、人間としての本質を棄ててまで合理的に動くことの方が愚かだと思う。心があるから、人間は強くなれるはずだ。」


すると、キヤイは舌打ちをした。


≪…いつもそうだ。私の完璧な式を乱すのは、人の心だ。いくら心理学を学んでも、いくら人間を観察しても、絶対にどこかで読み違える…。私の数式に従っていれば全て上手くいくものを…!≫


キヤイは一つ大きな深呼吸をした。


≪…だが…それももう今日で終わりだ。後は、お前という存在をこの世界から消すだけ…。≫


(…来る…。)


キヤイは、ゆっくりと構えた。


≪…勝負だ、ヨシナカ。この戦いでこの世界の命運は決まる。≫


俺は、ゆっくりと懐の扇子を取り出した。

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