異世界でも、過去と向き合うのは辛く苦しい。(1)

次の日、俺は予定よりも大分早く調査を切り上げた。調査する気にならなかった。

それから自分の家に着いたのは次の日の夕方だった。自分の家につくと、何故かシャルルが夕飯を作っていた。


「…あれ?もう調査は終わったんですか?」

「…ああ。とりあえずな。」

「すみません…こんなに早く帰ってくると思わなくって…夕飯を一人分しか作っていないんです…。」


いつもなら、『そもそも家に勝手に入って料理している方がおかしい』と言うところだが、今日はそんな気力は起こらなかった。


「大丈夫。乾パンの残りがあるし。」


俺は荷物を置いて寝室に向かった。


「…あの!」

「…何?」

「あの…何か…分かったんですか…?」

「…さぁ。」

「…?どういうことですか?」


俺はその質問に答えることなく部屋に入った。





俺はベッドの上で、昨日のキメラを思い出した。

明らかに喋っていた。何度記憶を練り返しても、何度聞き間違いだと錯覚しようとしても、その事実は覆らないと思うほどに、はっきりと話していた。

もし、俺の推測が正しければ。もし、本当にあれが会話だったのだとしたら。キメラの正体は…


(…。)


そう思うと、俺は寝るに寝れなかった。

ベッドの上でのたうち回りながら、俺はキメラと人間の関係について考えていた。

キメラを野に放ったという科学者はこの事を知っていたのだろうか。まあ、恐らく知っていただろう。

もし知っていたとするならば、それは最早人間のすることではない。

しかしながら、キメラによる被害が出ているというのも本当なのだろう。それだと、キメラを人から遠ざけたいという思いも分からなくない。


(俺はどうするべきなんだ…。)


俺は枕に『うーん…』と顔を押し付けて悩んだ。


(そもそも、動物と人間を違うものと考えていた時点で間違っていたんだな…。)


やがてそうやって考えているうちに、俺は一つの解決策を思い付いた。


(…交渉できる相手なんだ。話し合ってみるか。)


キメラは喋るのである。すなわち、言葉を覚えれば交流もできるはずである。

言葉を覚える為には、まず、俺がこの街で一番最初に行ったあの居酒屋のお婆さんに頼むしかないだろう。


(…これで上手くいかないなら…キメラの事業からは手を引こう。)




次の日の朝、俺はシャルルが来るのを待つことにとした。

が、既にシャルルは家の中にいて、朝食を準備していた。


「…シャルル。いよいよこの家が俺の家じゃなくなってきたんだけど。」

「すみません…。でも、あなたの昨日の様子が少し気になって…。」

「あぁ…その事なんだけど、また少しお金を貸してほしい。…ごめん。借りてばっかりで。」

「いや、それはいいんですが…何に使うんですか?」

「…確信が持てたら話す。推測で話していいようなものじゃない。」

「あの…キメラを殺すんですか…?」

「殺さない。むしろ保護しないといけないかもしれない。」

「保護ですか…。」


そう言うと、シャルルは大きく息をついた。


「良かった…。」

「え…急に何で?」

「いえ。下らないことではあるんですけど、私、動物が死ぬのは好きじゃないんです。羊や牛は、私達が生きるために殺さないといけないのは分かっているんですが、農作物が荒らされるという理由で動物が殺されるのは、とても悲しいと思っていたので。」

「…農家だって生活がかかっているんだ。だから、そういう動物を殺すのは別に悪いことではないだろ。」

「はい。その通りだと思います。でも、やはりその土地は決して人間のものでもないというのも事実です。…自然に生きる動物が人間の都合で殺されるのは…嫌なんです。だから、今回のことで、あなたがキメラを殺しちゃうんじゃないかとずっと心配していたんです。キメラだって、人間と同じように必死に生きているんですから。」


俺はシャルルのその言葉に少し敏感になった。


「…シャルルはキメラの正体を知ってるのか?」


すると、シャルルは一瞬ビクッとしてから答えた。


「…いえ、知りませんが。どういう意味ですか?」

「いや、知らないならいい。」


そう言って少し間が開いた後、シャルルがパンッと手を叩いた。


「あなたにお金を貸すんでしたね。すみません。今手持ちが少ないので、一度家に帰って取ってきますね。」

「いや、俺がシャルルの家に行くよ。こっちが頼む側なのに申し訳ない。」

「いえいえ。お気になさらず。私は移動の魔法陣が描けますから。」

「いや、半分は俺も行ってみたいんだ。何気に俺、シャルルの家に行ったこと無いから。」

「いいですけど…何もないですよ?」

「いや…お金があるのに物がないことはないでしょ…。」




シャルルの家に着いてみると、本当に何もなかった。

お金持ちだと聞いていたので、一人暮らしとはいえ流石に大きい家に住んでいるのかと思っていたが、予想以上に小さい。下手をすると俺の家よりも小さいかもしれない。


「…驚いた。もうちょっと大きいと思ってた。」

「この村は魔法陣の形をしているので、新しい建物を作るのが難しいんです。できて精々リフォームですかね。」

「あぁ…そうだったな。」

「まあ、何もないですがどうぞお上がりください。」


シャルルは家の中に入れてくれた。


「いくら位欲しいですか?」

「そうだな…。10000エルサくらいかな。」

「それだけで大丈夫ですか?」

「え…足りない?」

「いや、あなたが何をするかも知らないのに、私に聞かれても…。」

「…じゃあ、20000エルサ位で。」

「分かりました。」


そう言うと、シャルルはタンスからお金を出して俺に手渡した。


「…タンスなんだね。」

「お恥ずかしながら…。この家とても狭くって、収納スペースに余裕がないんです。なので、やむ終えず…。すみません…収納場所が下着と一緒だと嫌ですよね…。いい加減、近いうちに金庫でも買いますね。」


下着と一緒!?


「いや、俺は気にしてないから。収納スペースに余裕がないならそのままでいいと思う。」


むしろ推奨。


「そうですか?…あ、このまま街まで出ていかれますか?丁度今、私も買い出しをしたかったので、今から行くなら一緒に送っていきますよ?」

「うん、頼む。」

「じゃあ、行きましょうか。」


俺とシャルルは外に出て、魔法陣を使って市場に出た。


「どこか行きたい場所があれば案内します。」

「ありがとう。でも大丈夫。場所は分かってるから。」

「そうですか。では、ここでまた待ち合わせましょう。」

「分かった。じゃあ、またここで。」


シャルルと俺は反対の方向に歩きだした。

俺は歩きながら前の記憶を思い出していた。


「確かここを曲がって、まっすぐ行った所にある、やけに新しい建物…あった。」


俺は居酒屋についた。俺が爺さんに連れられてやってきた店と確かに同じだ。

俺はその扉を引き、中に入った。

中は朝なのに相変わらず賑わっていて、酒の匂いが飛び交っていた。

俺は少しその様子を観察しながら奥のカウンターまで行った。


「あの…すみません。」

「はいはい。ご注文?」

「いえ、そうではなくて…あの…お婆さんはいらっしゃいますか?」

「おや、婆さんに用があるのかい?それまたどうして?」

「えっと…ちょっと言いにくいんですが…キメラの言葉を分かるようにしてほしいんです。」


すると、マスターの顔が若干引きつった。


「…キメラの言葉…それは、どういう理由だい?好奇心かな?」

「好奇心でもありますが、キメラと人間の関係の現状を変える鍵になるかもしれないんです。」


すると、マスターは俺を暫く見つめると、ゆっくりとため息をついた。


「…それは、君が生きるためにどうしても必要かい?」


そういわれて、俺は少し詰まってしまった。

すると、マスターはゆっくりと、低い声で話した。


「…婆さんの魔法は確かにそういうこともできるだろう。ただ…私は婆さんにあまり無理をさせたくないんだよ。婆さんはね、戦争中、都で敵国の暗号解読や敵国語の解読のために散々魔法を使ったんだ。そして、それによって奪われてしまった命も沢山ある。…もちろん救った命もあるだろうけどね。婆さんはいつも魔法を使った後、戦争のことを思い出して気分が落ち込むんだ。言葉にはしないけど。…だから、すまない。君の頼みが君の将来や命に関わる重要な事柄でない以上、その頼みは聞けないよ。ごめんね。」


俺はその話を聞いて、かつてあった戦争の悲惨さを、また認識させられた。

この村の人々には、深く戦争の傷跡が心を抉るように付いているのだ。

それは決して軽率に扱ってはならないほど繊細に、そして鮮明に。記憶として、記録としてこの村に存在している。

そしてその記憶がこの村の考え方の根底を『生』から『死』に変えてしまったのだ。

俺はその事を理解し、先程までお金を使ってどうにか頼もうなどと考えていたことを恥じた。


「…すみません。軽率でした。」

「こちらこそすまないね。わざわざ来てくれたのに。」


すると、店の奥から声が聞こえた。


「ちょっと待ちな。」

「…婆さん。」


奥からお婆さんが出てきた。


「…あんた、さっきキメラの言葉を分かるようにしてほしいって言ったね。」

「はい。」

「…キメラの言葉を聞いたのかい?」

「はい。」

「そうかい…。じゃあもう気付いてるんだろうね。」


するとお婆さんは少し黙り、やがて話した。


「…私が都にいた頃、暗号解読の仕事でキメラの情報について解読したことがあるんだよ。」


俺はそれを聞いて少し身構えた。


「…本当ですか。」

「ああ…。悲惨だったよ。あれは人がやる研究じゃない。恐ろしい実験だった。…あんたは、もうそれが何か分かっているから、キメラの言葉を喋れるようにしてくれ、なんてことを言ってるんだろう?」


とても曖昧に。抽象的に。漠然と。

このような遠回りな表現をするのはきっと、それを言ってしまえば完全に思い出してしまうからだろう。

それで逆に、俺はキメラの正体を確信した。


「…はい。」


すると、お婆さんはササッと手を動かした。


「…喋れるようにしたよ。」


俺はその時、キメラと喋れるようになったことよりも、お婆さんがキメラの真実を知っていたことに気をとられ、一瞬、言葉が出なかった。

そうしている間にお婆さんは店の奥に戻ろうと振り向いた。


「あ…!ありがとうございました!」


店の奥の暗闇に消えていくその背中からは、少し哀愁が漂っていた。


「…婆さんが自分から話しかけるなんて、珍しいな…。」


すると、おじさんが、急に思い出したように言った。


「…そういえばお前さん、あの人と一緒に来た坊やかい?」

「あの人…?」

「ほら。あの白い髭のお爺さんだよ。」


白い髭という言葉にピンときた。


「ああ。その人とここに来たことはあります。」

「なるほど。…名前を聞いてもいいかな?」

「八坂義仲です。」

「ヤサカヨシナカ…か。…折角婆さんにキメラの言葉を使えるようにしてもらったんだ。何に使うかは知らないが、有効に使いなさい。」

「はい。」



居酒屋を出て、俺はシャルルと合流した。

シャルルは両手でパンと果物の入った紙袋を抱えていた。

何か…絵に描いたような買い物袋だった。


「目的は果たせましたか?」

「終わった。」

「では、行きましょうか。今日は荷物が多いので、流石に魔方陣を使って帰りましょう。やっとコッコ大佐が役立ちますね。」

「荷物が少なくても使っていいと思うんだけどな。」


俺とシャルルは魔法で家に飛んだ。


家に帰り、荷物を置き、ハーブティーをいれると、シャルルはコップを渡しながら聞いてきた。


「あの…そろそろ教えていただけませんか…?キメラのことについて…。」

「ん…?ああ。そうだな。もう確信が持てたから教えるよ。」

「…キメラの正体がどうとか言っていましたが、結局のところ、キメラはどういう生き物なんですか?」



「人間だ。キメラは。」



「え…?」

「キメラは人間とその他の動物を元に作られた。だからキメラは喋ることができるし、広大な平野で生き抜く知恵をつけられた。」


シャルルの顔がどんどん青ざめていった。


「…もしかして…今まで私がしてきたことは…私が恐れていたキメラは…!」

「人間をあのような歪んだ姿にしておきながら、必要が無くなれば動物としてキメラを野に捨てていたってことだ。戦争が生んだ負の遺産とは、正しくその通りだな。」


シャルルは急に口に手を当てた。

シャルルは吐き気を止め、呼吸を荒げた。


「…じゃあ…!」

「だから、俺達で保護しないといけなくなった。そんな事実を知っておきながら、見逃すわけにはいかないからな。俺は確かにこの世界の人間じゃない。でも、だからと言ってこの世界の住民を無下にもできない。」


俺がそう言うと、シャルルは一度呼吸を止めて呼吸を整え、真っ直ぐに俺の方を見た。


「…やりましょう。ヨシナカ。私も協力します。」

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