異世界でも、凄惨な過去から人は学び、そして風化する。(1)
それから一週間、シャルルに数学と科学を教えた。といっても、まだ高校初級レベルくらいまでだが。
シャルルは非常に好奇心旺盛で、興味のある分野についてはとても意欲的に勉強したがるのだが、そうでない分野はからっきしだった。科学はどの分野も興味を持っていたのだが、数学では図形の問題が嫌いで、高次方程式や三角関数の問題視ばかりをやっていた。
そんな一週間だったが、逆にシャルルに数学と科学を教えていて、分かったこともあった。
一つは、この世界には既に対数、微分は存在しているということだ。シャルルはそれらについて詳しくは知らないそうだが、そういうものがあることは知っていたようだ。
また、微分があるということは、必然的に極限も存在するということになる。
俺達の世界でも微分の歴史は積分よりも古かったという。何となく、この世界でも微分があるのだと思うと、少し嬉しくなった。
逆に、一番知っていると思っていた複素数は知らないようだった。虚ろな力を使っているのに、複素数という概念がないのにはとても驚いた。もしかすると、まだ平方根が見つかっていないのかもしれない。
もう一つあった発見は、自然における色々な事象は、こちらの世界では科学ではなく魔法からのアプローチで証明しているということだ。
魔法の観点から見ると、風が吹くのは人々が魔法を使ったり、大地が魔力を循環させることで大気が動くから発生するそうで、実際それが証明されていた。
「…何か、魔法って科学に似てるな。」
「科学を魔法でも証明できるかもって思うと、ワクワクしますね!」
「あ…そうか。魔法の方が普通だとそういう感覚になるよね。俺の場合だと、魔法を科学で証明できたらワクワクするんだけど。」
「どちらでもいいじゃないですか。とにかく、今分かっているだけでも『風』というテーマで二つの観点からアプローチできるということは、何かしらの共通点はあるということですよ!ロマンですね!」
「何かベタだけど、いいよね。科学と魔法の融合って。」
「私達で法則でも見つけましょうか!」
「ヤサカ=シャルルの法則って?…俺の頭で足りるかな…。」
「大丈夫です!ヨシナカはすごく計算できるじゃないですか!」
だめだ…ボイル=シャルルの法則を教えたはずなのに、理系ジョークが通じない…。
「…法則を見つけるのばっかりは、ひらめき力なんだよなぁ…。」
などと話していると、あっという間に一週間が過ぎていた。
「では、行きましょう!」
丁度一週間経った日の朝、起きて耳に入った第一声がそれだった。
「…シャルル…。どうやって家に入ったの…?」
「玄関からです!」
「そうじゃなくてね?鍵が閉まってたでしょう?」
「…?ああ、立て付けが悪くて扉が開けにくかったので、炎で少し焼き切っておきました。これでもう扉の心配はいりません!さぁ!行きましょう!」
くそ…このお姫様め…世間知らずにも程があるぞ…!鍵は人が勝手に入らないようにするために付けてるんだよ…!
「せめて用意させてくれ…朝御飯も食べていないんだ…。」
「大丈夫です!私もです!」
「…女性なら、もっと支度に時間かけないの?お化粧とか。」
「お化粧なんていりません!面倒くさいじゃないですか!」
この人、姫様というよりお嬢様だな…。自由奔放すぎる…。
「さあ!行きましょう!朝御飯は市場で食べます!」
俺はそのままズルズルと引きずられていった。
「今日は家の座標を確認するためのビーコンを立てておきました!その名もコッコ大佐!」
俺の家のポストの上に、鶏のぬいぐるみが置いてあった。かわいい。
しかし、その毛にはやけに現実味があり、よく見ると本物の鶏の羽でできていた。
「…何か…可愛いのか悪趣味なのかグレーゾーンだな…」
「これで帰りも安心です!じゃあ、行きますよ!そいや!」
市場に着いた。
「やはり朝の市場は賑やかですね!この活気!素晴らしいです!」
「何回かここに来たことあるけど、今日は人が多いな。」
「日にちに限らず、朝は活気があるんですよ。この村では、商人は朝に物を売って、昼は都の方に出て物を仕入れたり、村の特産品を売ったりしてるんです。ここは最果てですからね。」
「なるほど…凄く大変な仕事だな…。」
「これでも、簡単な移動魔法が発見されてからは大分楽になったんですよ?昔なんて徒歩ですから。」
「考えただけでもゾッとする…。」
すると、シャルルを見つけた村の人達が話しかけてくる。
「お!姫様じゃないですか!どうです?うちのサンドイッチ食べませんか?オマケしますよ?」
「姫様なんて呼び方するので結構でーす。」
「ハハハ!またまた御謙遜を!気が向いたら寄ってってください!」
「はい。ありがとうございます。」
…このやり取りはお決まりなのか?
「姫様ー!茹でジャガイモ出来立てですよー!お一ついかがです?」
「…姫様と呼ばれるのはちょっと釈然としませんけど、美味しそうなのでいただきます!おいくらですか?」
「いいですいいです!姫様ですから!」
「そうはいきませんよ。100エルサですね。」
…あ、この国のお金の単位エルサなんだ…。
「まいどです!」
「…あ、この人にも一つあげてください。お金は私が出します。」
「この人…?」
と、そのおばさんは俺を見るなり、マジマジと見つめた。
「へぇ~。姫様はこんな男が趣味なんですか?」
「そうですね。私は彼について結構興味があります。」
何言ってんのこの人!?
どうやら、シャルルは俺の魔法や話に興味があるということを言いたかったのだろうが、これでは完全に誤解を生んでしまう。
案の定、おばさんがシャルルに話した。
「姫様。姫様の趣味をとやかく言うつもりはありませんが、金を貪るような男は止めといた方がいいですよ?うちの旦那なんて、朝はろくに仕事に出ないくせに、昼には都に行って競馬三昧ですよ?どれだけ家族に迷惑かけてるんだか。」
「…職業に困っていらっしゃるのですか?それでしたら、私もお仕事を探すのをお手伝いしましょうか?」
「いいですいいです!あのバカ親父は仕事が無いんじゃなくてやらないんですよ!いい仕事を紹介されたところで、ろくに働きませんから!それより、姫様は私みたいにならないでくださいね。幸せになってください。」
「お気遣いありがとうございます。」
すると、俺にジャガイモが手渡された。
「あんたも、しっかり姫様を支えてあげるんだよ!」
「ははは…精進します…。」
俺は苦笑いしながらジャガイモを受け取った。
「さあ!時間が惜しいです!食べながら行きましょう!」
俺はまたズルズルと引きずられていった。
俺は引きずられながらそのジャガイモを観察した。
そのジャガイモは日本のジャガイモと違っていて、日本のものよりかなり大きく、楕円状に細長かった。
一口食べてみると、俺が知っているジャガイモより味が濃く、少し甘味があった。
それでいて、旨い。塩だけの味付けがシンプルで美味しい。バターがあればどれ程美味しいだろうか。
俺は無我夢中でそのジャガイモにかぶり付き、腹を満たした。
ジャガイモを食べ終え、ふとシャルルの方を見ると、シャルルは道で会う人会う人に声をかけられていた。
「…シャルルって人気者なんだな。」
「いえいえ。そんなことありません。私はそこまですごい人じゃないですから。」
「…姫様って呼ばれてるってことは、親がお金持ちとか?」
「…そうですね。お金持ちです。」
やっぱりな…
「この村で成り上がるって、大変なんじゃない?何の仕事をしてるの?」
「…父は都の方で働いているので、この村にはいません。私、一人暮らしなんですよ。…父は人を動かす仕事をしています。」
「人を動かす…企業の社長とか?」
「そんなところです。さあ!着きましたよ!」
シャルルが大きな声で言うと、目の前にはスルクルさんの店があった。
「お久しぶりです!」
シャルルはドアを開けるより若干フライング気味に叫びながら入った。
「おお。これはこれは姫様。すみませんな。今、朝食を食べていたところでしてな。お見苦しいところをお見せしましたわい。」
そう言うと、スルクルさんは食べかけの朝食を片付け始めた。
「いえ。そのままで大丈夫です。…で、出来上がりましたか?」
「ええ。丁度昨日出来上がったところですわい。」
すると、シャルルの笑顔がパッと咲いた。
「早速見せてください!」
「これですな。」
そう言うと、スルクルさんはカウンターの下から箱を取り出した。
「開けてみても?」
「それは彼に聞いてくださいな。」
「いいですか?」
俺は首を縦に降った。
「…おおお!これは…扇ですね!」
「聞いた話じゃと、ヨシナカさんは戦闘よりも味方の支援が得意みたいですな。なので、歴史上の有名な参謀が持っていた扇をイメージしましたわい。」
すると、シャルルはそれを持ってクルクルと回った。
「いいですねー!知将って感じがヨシナカにピッタリです!」
「姫様?そろそろ彼に渡してみては?」
「あ、そうですね!ヨシナカ。これを持ってください。」
俺は扇を持った。
「…軽い…。」
「外国の植物の、竹を使いましたわい。しなやかで軽いから、扇の骨によく使われるんですわい。」
「…いいですね。」
すると、シャルルは目を輝かせていた。
「…何?」
「水銀を…見せてください!」
「ああ…そんな話だったね。じゃあ早速…」
俺は扇を開いて構えた。
「…あれ。そういえば、この扇ってどうやって使うの?」
すると、スルクルさんが手でジェスチャーを加えながら話した。
「閉じて使えば杖と同じですな。先端方向に集中した魔法が飛びますわい。広げると、魔法の効果は若干弱くなる代わりに、広範囲に魔法が飛びますわい。一度に大勢回復するときや、防御するときは広げて使ってくださいな。」
「じゃあ、今広げる必要ないじゃん…。」
俺は扇を閉じた。
「ああ、あと、扇を使う場合なら代償は気にしなくて大丈夫ですわい。その扇の中に、空気の流れなんかの身の回りのものを代償にする機関も組み込まれてるんですわい。」
「おお…それは便利ですね。」
すると、シャルルが待ちきれないとばかりに俺の体を揺すってきた。
「分かったって…。すみません。何か器はありますか?」
「器ですかい?これで良ければ。」
俺はスルクルさんからコップを受け取った。
「じゃあ、いきます。」
「魔法をかける対象は扇ですぞ?」
「それ早く言ってくださいよ。普通にコップに魔法をかけようとしちゃいましたよ。」
「失敬。でも元々道具というのは、かける対象を一度道具に経由することで、自分の魔法を自分自信や相手自信にかけれるようにするためのものなんですな。」
「なるほど。それは便利だ。じゃ、いきます…。てい!」
すると、扇の先端からかなりの量の水銀が流れ出した。
水銀はやがて止まり、コップを半分ほど満たした。
「おおお!すごい!綺麗です!本当に銀色の水です!」
「おお。これはこれは。感激ですな!」
シャルルとスルクルさんはそれなりに珍しがっていた。
「飲んでみても?」
「絶っっっっっっっっ対にダメ。死ぬよ?」
「…でも、どんな味か気になります…。」
「あのね?それ、匂い嗅ぐだけでも結構危険だからね?飲んだら本当に死ぬよ?」
「いや、儂の店でなんて物騒なもの作っとるんですかい。」
「ほんのちょっとだけ!指先だけでいいです!」
「だーめー!」
「むぅぅぅぅ…!」
シャルルは頬を膨らませた。
「そんな顔してもダメ!」
「飲みたいんです!」
「ダメ!死ぬから!」
「ほんの味見程度です!」
「マジでダメだって!味見でトリカブトを食べる奴なんていないだろ!?それと同じだって!」
「じゃあ、私が死ぬ前にプカクが私に回復魔法をかけてください!いただきます!」
「あっ、おい!」
シャルルは水銀の入ったコップに手をかけた。
するとその瞬間、コップの中身が水に変わった。
「…ヨシナカ!何で邪魔するんですかー!」
「いや、俺じゃない…。」
すると、スルクルさんがゆっくりと話した。
「…儂がやりました。姫様。ご無礼を働いたこと、お許しください。」
「スルクルさん!何で邪魔するんですかー!」
「姫様!!!」
スルクルさんが、今まで聞いたことのないような、険しく大きな声に、シャルルは黙った。
「…冗談でも死ぬなどと言わないでください。これで本当に死んだとして姫様は、今まで志半ばで死んでいった者達に顔向けできますか?」
「…すみません…。」
「…好奇心があるのはとても素晴らしいことです。しかし、どうか限度をわきまえてください。」
「…はい…。」
そう言って、シャルルはコップを置いた。
すると、スルクルさんの険しい顔が和らいだ。
「いや、すみませんな。どうしても止めないといかんと思ったんですわい。」
「いえ…謝るのはこちらのほうです…。御免なさい…。」
「姫様のその好奇心はもっと良いことに使えるはずですわい。」
「はい…。」
さっきまでハイテンションだったシャルルは、めっきりショボくれてしまった。
「…朝食は召し上がられましたかな?早くしないと、朝市が終わってしまいますぞ?」
「あ…そうですね。それではそろそろお暇させていただきます。行きましょうか。ヨシナカ。」
「あ、先に行っておいて。後で追い付く。」
「そうですか。では、先程のサンドイッチ屋で待っています。」
「分かった。」
そう言うと、シャルルは店から出ていった。
「すみません。ありがとうございました。俺がやるべきなのに、嫌な役を押し付けてしまって…。」
「いやいや。儂は大丈夫ですわい。それより、姫様の方を心配してやってくださいな。儂もちと言い過ぎましたわい。後で慰めといてやってくださいな。」
「…あの。」
「何ですかな?」
「…また来てもいいですか?」
「無論ですな。またのご来店お待ちしておりますわい。」
「そうですか…。ありがとうございました。」
「気をつけてくださいな。」
俺はスルクルさんの店を出た。
俺は店を出てからシャルルのいる店に向かう途中、ずっと考えていた。
この村の人達は『死』にとても敏感だ。特にそれはお年寄りを中心に。
この世界では60年ほど前に戦争があったというが、それはどれ程悲惨だったのだろう。
少なくとも、この村の人にとっては、もうこれ以上経験したくない位の『死』を体験したのだろう。
(それほどまでに、黒い人は…。)
俺を拾ってくれた爺さんも言っていた。「人は生きてこそだ」と。
(…。)
俺はその言葉を再度深く噛み締めた。
「あ!ヨシナカ!こっちです!」
気持ちの切り替えが早いのか、サンドイッチを食べてすっかり元気になったシャルルが手を振って俺を呼んでいた。
「何を食べますか?羊ですか?牛ですか?」
「シャルルのオススメで。」
「分かりました。うーん…そうですね…。あ!レババターは美味しいですよ?」
「…何それ。」
「すり潰した羊の肝臓とバターを混ぜたペーストと、野菜と肉が入っています。美味しいですよ?」
「…じゃあそれで。」
「分かりました。すみません!レババターサンド一つお願いします!」
そう言って暫くすると、大きめのサンドイッチが運ばれてきた。
「…いただきます。」
俺はそのサンドイッチにかぶりついた。
「…しょっぺぇ。」
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