第6話 クラスメイトは秘密のメイド


      ◇


 屋敷から学院の敷地内にある寮まで帰る道すがら、空を見上げるとうっすらと光る星が目に映る。


(もう夕飯の時間か。今日の飯、どうしようかな……?)


 そんなことを考えながらぼんやりと飲食店が並ぶ通りを歩く。どこかから漂うケチャップみたいな甘い香りはオムライスだろうか。


(オムライス、いいな……でも、この辺に洋食屋なんてあったっけ?)


 すると、一本の細い路地の先から女の子が出てきて客引きを始めた。白いホワイトブリムが愛らしい、フリルが沢山ついたミニスカートを纏ったメイドさん。


「いらっしゃいませご主人様! 気になるようでしたら、是非一度奥のお店へどうぞ――」


「あっ、そっか。この奥メイド喫茶か……いやいや! 俺はそんなつもりじゃあ! って……あれ? 君、どこかで――」


 見覚えのあるようなないようなその顔。

 お上品でゆるふわなこげ茶の髪を揺らした、蒼い瞳の――


「御園!?」


「……っ!?」


 メイド服姿でにこにこ客引きをしているのは、見間違う筈もない。先日の試験で俺達をぎたぎたに叩きのめしたクラスメイト、柊御園そのひとだった。

 俺が御劔だと気が付いた御園はぎょっとした表情ですぐさま店へ逃げ帰ろうとする。俺は咄嗟に腕を掴んで引き留めた。


「お前っ、なんでこんなとこいんだよ!? この奥って十八歳未満の客は入れないエリアだろ!? つかその恰好……もしかしなくてもバイトしてんのか?」


「うっ……は、離して……!」


 御園は掴まれた腕をもどかしそうにしながら、もう片方の手で短いスカートの裾をおさえている。いくらここで働いているとはいえそこはお嬢様。流石に知り合いにキワドいメイド服姿を見られることには抵抗、というか羞恥心があるようだ。見たことないくらいに顔が真っ赤だった。


「ああごめん、つい……でも、クラスメイトがこんなところにいるなんて放っておけねーよ」


「……チクるの?」


「えっ?」


 思いがけない上目遣いと怯えて消え入りそうな声音に思わず声が裏返る。

 色んな意味でドキドキしている俺の気も知らず、御園は『ちょっと、こっち』と言って俺を路地裏に引き摺りこんだ。店の裏口まで来ると、御園は俺に向き直る。そして、単刀直入に述べた。


「お願い。みんなには内緒にして」


「『みんな』って……先生や、お前の親御さんにってことか?」


「校則違反もそうだけど、クラスメイトよ。もし知られたら野次馬が押し寄せて、きっと私はお店にいられなくなるもの」


 思いつめたようなその表情はいつもの気高い御園のものとはかけ離れており、余程の理由があることがわかる。


「そりゃあ誰かにチクろうなんて微塵も思ってないけど……どうしてこんなバイトしてるのか聞いてもいいか?」


「それは……」


「言いたくない事情なら、まぁいいや。ただ、俺は心配だよ。クラスメイトの女の子がこんな歓楽街付近のメイド喫茶でバイトしてるなんて……」


 思わずホテル街の方に視線を逸らすと、御園は真っ赤になって否定する。


「べっ、別にいかがわしいことをしているわけじゃないわよ!? ただ、お客さんのことを『ご主人様』って呼んでオムライスにハートを描いたり、じゃんけんしながら『萌え萌えきゅん♡』ってするだけで――」


「ぐっ……!」


 俺は咄嗟に口元をおさえる。

 不覚。あまりにも不覚。

 だって、『きゅん♡』な御園の声が聞いたことのないようなハイトーンアニメボイスで、思わず萌え殺されてしまうところだったのだ。


「頼むから、普通にしゃべってくれ……!」


「は? 何言ってるの?」


「ああ、それでいい……御園はそうじゃなきゃ。で? いかがわしくないのはわかった。なんか理由があるのも理解できる。でも、生粋のお嬢様なお前のことだから金に困るなんてことはないだろうし、誰かに脅されてこんなことしてるとか、困ってるなら相談に乗るぞ? 一応クラスメイトの仲間なわけだし……」


 その言葉に、御園が驚いたように顔をあげた。


「ほ、ほんとに?」


 ぱあっと輝くその顔が不覚にも可愛い。メイド服姿と相まって、その破壊力は思春期の男子たる俺に対し、計り知れないダメージだ。思わず轟沈するところだった。

 俺は今朝の寝起きパジャマで寝ぼけてすり寄るグレイちゃんを思い出し、なんとか踏みとどまる。


「まぁ、それくらい人として当たり前っつーか……言っておくけど、下心なんて一切ないからな? ただの親切心」


 照れを隠しながら吐き捨てると、御園は『ちょっと待ってて。もうあがりだから』と言って着替えに行った。


 相談したいことがあるらしいという御園とふたり、俺は近くの公園に足を向ける。深夜であればイチャつくカップルが目につくその公園は、十九時過ぎの比較的早い今はひと気がなく、内緒話をするにはもってこいだ。

 俺達はなんとなくベンチに一人分の距離を空けたまま腰掛けた。

 気まずいようななんとも言えない空気の中、先に切り出したのは御園の方だった。


「……いいわよね、あんたとグレイさん。仲良くて、いつも一緒で……」


「えっ?」


 てっきり悪い大人にでも目をつけられて無理矢理働かされてるとかそんな内容を覚悟していた俺は、あまりに斜め上の言葉になんと返せばいいのかわからない。


「あのね……私、本当はあなたたちが思うようなお嬢様なんかじゃないの」


 ぽつりと零す御園の表情はチラチラとした電灯に照らされて儚げな雰囲気を漂わせている。やっぱりこんなの、放っておけるわけがない。俺は思い切って相談に乗ると声をかけた数分前の自分を褒めてやりたくなった。

 穏やかに頷く俺に促されるように、御園は続ける。


「ウチが裕福なのは表向きだけで、本当は借金まみれなのよ。可笑しな話よね? 家に帰れば沢山のメイドさんが世話を焼いてくれるのに、彼女たちを雇うお金を稼ぐために私がメイドの恰好をして働いているなんて……」


 自嘲気味にフッと笑った御園は膝の上で拳を握りしめていた。そして、震える唇で予想外の言葉を口にする。


「ウチのレーヴァはね……お金遣いがとんでもなく荒いの」


「えっ。レーヴァって、パートナー魔剣のレーヴァテイン? あのお坊ちゃんが?」


(確かに、見るからに高貴でお育ちの良いボンボンって感じだけど……)


「なんていうか……子どもなのよ。お金の価値がわかりきっていない子ども。少しでも欲しいと思うとなんでもかんでも好きに買っちゃうし、遊んだものもすぐに飽きちゃう。本人は『僕は百歳近く生きてるから大丈夫』なんて言ってるけど、魔剣の性格は外見に引き摺られがちなの。通販を覚えてからのここ数十年の請求書なんて目も当てられなくって――」


「ちょっと待てよ。素朴な疑問なんだが……どうして誰も止めない? レーヴァテインを怒ったりしないのか?」


「言い含めたわよ、お婆様がレーヴァと契約していた頃からお母様、私の代もずっと。でも、いくら言ってもわかってくれないの。『僕を最強に導けない契約者の言うことなんて』って、そっぽ向かれちゃって……」


「うわ、生意気な。魔剣と契約者っつーのはそういうのじゃあないだろ? ふたりで一緒に強くなるもんだって、俺はダーインスレイヴさんにそう教わったけど……」


「ああ、上院誅裁ちゅうさい議員のダーインスレイヴさんか。あの伝説の魔剣の……ふふっ。グレイさんもあなたも良い指導者に育てられたのね? 本当に羨ましい。でも、ウチでのレーヴァは『家宝』なのよ。だから、誰も強く言うことができない」


「そんな……」


「百年近く昔、伝説の研究者ラスティ博士は『最強の魔剣』を造る過程で、その候補となるレーヴァテインを生み出した。当時無名だった柊家は魔法剣に適性が高い血筋であることが認められて、博士からレーヴァテインを賜ったというわ。そうして柊家は貴族の仲間入りをした。貴族なんて肩書き、今ではとうの昔に消え去った風習だけど、レーヴァがいなくなったら柊家は柊家ではなくなってしまうの。だから……」


「でも、間違ってることをきちんと間違ってるって教えるのも、契約者パートナーの務めだろ?」


「それはそうなんだけど……」


 バツが悪そうな御園は制服のスカートをもじもじと弄る。


「レーヴァのあの顔で泣きべそかかれたら、強く言えなくて……」


「ああ、そういう……」


 母性やら姉オーラやらなんとも言えない慈愛に満ちた表情に、そこはかとない愛を感じる。


(御園、案外優しいんだな。つーか甘いわ、甘ちゃんだわ)


 俺の中で御園の株が爆あがりする中、急下落するのはレーヴァテインへの評価。


(レーヴァテインの奴……自分が可愛いことをわかっていてやってるな? 聞いた話によれば、柊家は女系家族で父親は基本婿養子。契約者は代々女だっていうし。ヤロー……可愛いフリした悪魔かよ)


 ちなみに道すがら聞いた話だが、誰にも見つからなくてお金が稼げるバイトをするには、自分の年齢よりも上の人間しか来ないメイド喫茶は都合が良かったのだという。幸い店長はお金に困っている子に理解のある大人で、身分は伏せて、親や学校にも黙ってくれているそうだ。


「それで、メイド喫茶の件は仕方ないとして。相談っていうのはレーヴァテインのことだよな? 俺から強く言おうか? っつっても俺の言うことなんかレーヴァテインが聞くわけないし、ここはダーインスレイヴさんに一発……」


「確かに、ダーインスレイヴさんはラスティ博士と旅をしたという伝説の魔剣。レーヴァも『ラスティ博士の関係者』であるあの方とは旧知みたいだし、彼の話なら耳を貸すかも」


「だったら……!」


 解決の糸口を見つけてテンションの上がった俺に対し、御園の表情は浮かばない。


「でもね、私が相談したいのはレーヴァのお金遣いのことじゃなくて……」


「え? そうなのか?」


 ぽかんとする俺に、御園はぐいと身体を近づけて食い気味に質問する。


「ねぇ……魔剣と仲良くするには、どうしたらいいの?」


「は?」


「あなたとグレイさん、とっても仲良しよね!? 魔剣なのにいつも鞘の外に出て一緒にいるし、寮でも同室なんでしょう!? 話すときも気兼ねなくて、楽しそうで――」


「ちょっと、待って――」


(急になに!?)


「私、前からあなた達のこと羨ましいなって思ってたの! こんなの、他の誰にも相談できない! お願い! 教えて!」


「あ~……え~と……」


 学年最強ペアから受けた、まさかの不仲の相談。


(魔剣と仲良くなりたい、だって? そんなん――)


 俺の口から出た言葉は――


「俺の方が、知りてぇよ……」


「…………」


「傍から見れば仲いいのは本当だと思う。けど、俺にだってグレイとの暮らしはわからないことばっかなんだよ。いくら魔剣のパートナーで幼馴染だからって、年頃の女子と一緒に暮らす俺の気持ちがわかるか? 距離の取り方なんてどうしたらいいかわからない! 昔みたいにいかないことだってあるしさぁ! それなのに、あいつはわかっているんだかないんだか!」


「え……?」


「だいたい、『仲良し』って何だよ!? 俺とグレイが仲良し? そりゃあよちよちハイハイしてる頃から一緒にいるんだから、ある程度仲がいいのはあたりまえだろ!? でも、大きくなればなるほど距離感が掴めないんだ! ダーインスレイヴさんもグレイのこと俺に任せっきりにするしさぁ! どう接したらいいかなんて、俺にもわからないんだよ! 毎日あいつのこと必死に考えながら試行錯誤して暮らしてるんだよ!!」


「あの、ちょっと……御劔君?」


「あ~も~! 俺だってグレイともっと仲良くなりたいよ! でも、あいつがどう思ってるかなんてわからなくて! 近すぎるんだよ! 無防備すぎるんだよ! いっつもいっつも俺のベッドに足放り出してぐうたら寝そべりやがって! そのくせ思い切って踏み込もうとすれば『私は呪いの魔剣だから……』とか言って距離取ったりするし! メンヘラか!? それとも構ってちゃんなのか!? あいつは俺をどうしたいんだ!? 教えてくれよ!!」


「ちょっと落ち着きなさいよ!? 叫びたいのはこっちなの!! 私だってレーヴァと仲良くしたい! 他の子がしてるみたいに気兼ねなく話したいし、『学校面倒くさい』とか言って分身レプリカに全部押し付けるんじゃなくて、本物のレーヴァと一緒に学校に行きたい!」


「あいつっ……! やっぱめんどいからだったのかよ!?」


「鍛錬だって、一日三回の契約じゃなくって沢山して、『一緒にがんばろうね』って、強くなりたい! 一族の悲願とかじゃなくて、私は……私が! レーヴァと最強になりたいの!」


「「はぁ、はぁ…………」」


「御園……」


「ふふふっ……! なんか変なの。大きな声出したら、自分だけうじうじ悩んでたのがバカみたい。形は違えど、皆それぞれ悩みを持っているのにね?」


 なんか、高嶺の花で別世界の人間だと思ってた御園だけど、案外普通の女の子なのかもな。俺と同じくパートナーのことで悩みを抱えているなんてシンパシーを感じる。そして、同じように悩んでるなら答えはひとつだ。

 俺はポケットからスマホを取り出した。


「なぁ、連絡先交換しないか? 俺も学生だからお金のこととかは『頼れ!』って胸張って言えないけど、悩みとか愚痴を聞くくらいならいくらでもできるからさ?」


「え、いいの?」


「もちろん。その気になったら、電話でもメールでもいつでもして来いよ」


「あ、ありがとう……」


 俯きがちにおずおずと自分のスマホを取り出した御園は『えっと、これどうやるんだっけ?』とたどたどしい動きで俺に連絡先を教えてくれた。


「その……こういうの、慣れてなくって」


「スマホの操作? まぁ、お嬢様なのは事実だからどうせ娯楽は制限されてたりとかするんだろ?」


「そうじゃなくて……」


 恥ずかしそうに顔を赤くした御園が、どこか伺うような目線でこちらを見やる。


「私……友達と連絡先とかあまり交換したことがないの。というか、家族とレーヴァとバイト先以外は初めてかも……」


「え?」


「私……友達少ないのよ」


 まさかのカミングアウト。つか、今それ言う必要あった?

 面食らっていると、御園は上目遣い気味に問いかけた。


「ねぇ……これでもう『友達』、よね……?」


「えっ? あぁ、まぁ……そうなんじゃない?」


「ふふふ……!」


 嬉しそうに口元でスマホを握りしめるその様子があまりに可愛くて、俺は一瞬くらりとしてしまった。そんな思春期脳が揺れ動く俺に、更なる追い打ちが。


「あの、今日は話を聞いてくれてありがとう。ちょっとすっきりしたかも。お礼っていっても私にできることなんて――あ、よかったらコレ……!」


 そういって差し出されたのは、小さな包みに入ったクッキーだった。袋には小さな付箋が貼ってあり『ご主人様いつもありがとう!』という可愛い丸文字が。御園はその付箋をぺいっと剥がすと俺の手にその包みを乗せる。


「今日お店で作ったのよ。明日は『メイドさんの手作りクッキーデー』だから。あまりもので悪いんだけど、今はそれしか手元になくて……」


 包みに入った市松模様のクッキーはお店で売っているのと区別がつかないくらいに綺麗で手作りには思えないが……


「これ……御園が作ったのか?」


 尋ねると、御園は恥ずかしそうに首を縦に振った。


「ほら、ウチってお金ないでしょう? いくら稼いでもそれ以上にレーヴァが使っちゃうんだもの。だからおばあ様もお母様もいつも表の人間にバレないように遠くの会社で働きづめで。それでも私が小さな頃は『せめて週に一回のティータイムは楽しみましょう?』って、よく手作りのお菓子を作ってくれたの。私も一緒に手伝っているうちに上達したみたい」


「へぇ、これを手作りで……すごいな! 開けてみてもいいか?」


「今? 別にいいけど……」


「いただきます!」


 ちょうど小腹が空いていた俺は女子の手作りという言葉に胸を躍らせつつクッキーを口に放り込む。


「んんん……!」


 口いっぱいに広がるバターの香りと甘み。そしてほんのりとしたチョコレートのビター加減が最高に美味い! そしてなにより愛情いっぱい(脳内補正込み)っぽいのがイイ!!


「美味い! すごく美味いよコレ!」


 そう言うと、御園は『大袈裟よ』と視線を逸らして顔を赤くした。だが、そんな謙遜なんてしなくていいくらいに事実としてこのクッキーは美味い。そして俺は閃いた。


「なぁ、こういうのって、レーヴァテインにも作ってあげたりするのか?」


「え? レーヴァに? あげたことないけど……だってレーヴァは、ケーキ一切れ三千円の高級パティスリーのお菓子しか口にしないもの。そんなレーヴァに私の手作りなんて――」


 自信のなさそうなその言葉を、俺は真っ向否定した。


「ぜっっっったい!! 食べさせた方がいいって!!」


「え?」


「手作りには店で売ってるものとは違う良さってもんがあるんだよ! 俺が生まれて初めてバレンタインにグレイから貰ったチョコレートケーキなんてコゲコゲで、口にしたら苦みが口いっぱいに広がった。でも、それでも! その奥に僅かにあった甘味に愛情がたくさん詰まってる気がして、どうしようもなく嬉しかったんだ。だから、その……絶対、喜ぶと思う」


「でも……あなたとグレイさんは仲良しだからでしょう? 私とレーヴァじゃあお話にならないわ?」


「そんなことないと思うけどなぁ……? いいから試してみろよ。『魔剣と仲良くなる作戦第一弾!』だと思ってさ!」


「ふふふっ、なにそれ……! でも、御劔君がそこまで言うならしてみようかな? さ、そろそろ帰りましょうか? 長々と引き止めてごめんなさいね?」


「別にいいって。クラスメイト――いや、友達なんだから」


 ふわりと立ち上がった御園は丁寧な所作でスカートをはらい、暗くなって星が見え始めた空を仰ぐ。


「ふふっ……そうね! ありがとう、御劔君!」


 そうして、星よりも輝くような笑顔を俺に向けたのだった。

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