第5話 呪いの魔剣 ダーインスレイヴ

      ◇


 俺達が一次試験で敗北を喫した翌日。グレイの父親であるダーインスレイヴさんから呼び出しを受けた俺はひとり、郊外の丘の上にある鬱蒼とした屋敷に来ていた。

 グレイスアーツ学院理事会のご意見番であり、特別上院議員でもある伝説の魔剣が住むとは到底思えない、まるでお化け屋敷のような佇まい。


(うわ、まだ夕方なのに沢山コウモリ飛んでるし。相変わらずだな……)


 幼い頃からよくお呼ばれして来たことがあるが、何度来ても背筋の寒くなる屋敷だ。玄関扉に付いている錆びついた獅子の装飾。その口に咥えられた輪を三回と一回叩いて鳴らすのが身内の合図。


 トントントン、トン……


 均等なリズムで叩くと、扉がギィィと軋んだ音を立てて開いた。


(自動ドア……じゃ、ないよな……?)


 いつ来ても意味が分からないことだらけの不思議な屋敷。だが、グレイはここが落ち着くと言っているので深く考えないようにしている。闇属性ってみんなそうなのかな? 俺はグレイ親子しか知らないから、よくわからないけど。


「お邪魔しまーす……」


 ――返事が無い。


(あれ……? この時間なら家にいるからって、メールにあったのに……)


「ダーインスレイヴさん? いませんか~?」


 耳を澄ませて屋敷内の気配を探ると、長い廊下の奥から聞き覚えのある声が聞こえてきた。低く響く、それでいて聞いていると落ち着くような優しい声。


「ああ、ケント君か。ここだ――奥の浴室にいる。入浴中で済まないのだが、そのまま入ってくれるかな?」


「えっ。お風呂場にですか?」


 いくら男同士とはいえ幼馴染の父親がいる風呂場にお邪魔するなんてなんだか気まずい。だが、俺の親父がまだいる頃に聞いた話では、幼い頃はダーインスレイヴさんにグレイ共々お風呂に入れてもらったなんてこともあったらしいから、彼としては全く気にする要素が無いのだろう。

 ダーインスレイヴさんにとって俺は娘の幼馴染で、我が子同然のような存在なのだから。俺は会話ができるように、おずおずと風呂場の扉を少しだけ開けた。


「失礼します……」


(うわっ……)


 開けた瞬間、空間に満ちる酒の匂い。よく見ると、ダーインスレイヴさんが浸かっている浴槽のお湯が深紅に染まっていた。


(なんだコレ……血、じゃないよな? ワインの……風呂?)


 怪訝そうな俺の瞳と、グレイによく似た金の瞳が合う。長い黒髪を湯船にゆらゆらと揺蕩わせた、端正な顔立ちをした色白の男性。かつて『白の英雄 ラスティ』と共に旅をしたという伝説の魔剣が、そこにいた。


「お久しぶりです、ダーインスレイヴさん」


「久しぶりだね、ケント君。前に会ったのは秋の剣戟祭ぶんかさいの時だったかな?」


「あのときはお忙しいのに顔を出してくださってありがとうございました。グレイもとても喜んでいましたよ。『ハレの文化祭なんだから、お父様に良いところを見せなくちゃ!』って」


「ああ、例の喫茶店か。我が娘ながら、メイド服がとてもよく似合っていたな。ケント君もそうは思わなかったかい?」


(それはもうハチャメチャに可愛かったし、部屋でもずっと着ていて欲しかったくらいです! 欲を言うなら膝枕で耳かきして欲しかった……!)


 ……と、父親に向かっては言えない。いくらダーインスレイヴさんと仲がいいとはいえ、俺だってそれくらいのモラルはわきまえている。


「はい、そうですね……」


 かろうじてそうとだけ答えると、ダーインスレイヴさんは懐かしそうに目を細める。


「ふふふ、数ヶ月前のことなのに、まるで昨日のことのようだよ。今日はこのような状態で本当に申し訳ない。先程急な貧血に襲われてね、どうしても入浴しなければならなかったんだ。いくら君が身内のようなものと言っても、親しき仲にも礼儀ありと言うのに」


(ああ、それで……)


 魔剣の栄養補給の手段として入浴が効果的というのは、以前に教科書で読んだことがある。


「俺のことならお構いなく。それより貧血って……大丈夫ですか?」


「ここ最近血液を飲むことを怠っていたから、疲労が抜けきっていなかったのだろう。こうしてワイン風呂で皮膚から鉄分や硫黄などを摂取している間は気を失うことはないから安心してくれ」


「ええと、血液ってまさか……人の、血を……?」


 失礼とは思いながらも、ついつい彼が『呪いの魔剣』であることを思い出す。するとダーインスレイヴさんは『きちんと話しておくべきだったな』と口を開いた。


「君に話すのは初めてだったか……怖がらせてしまったならすまない。だが、ケント君ももう中学三年生だ。今後のグレイにも関係ある話かもしれないし、包み隠さずに話そう。聞いてくれるかな?」


「はい……」


「『呪いの魔剣』である私は人の血を糧に力を得る。かつては本能の赴くままに暴虐の限りを尽くし、鮮血浴ブラッドバスすらしたものだが、あの頃の自分を思うと今でも自己嫌悪で眠れなくなるよ。それ故今では病院から輸血を貰って最低限の力を維持しているのだが、少々飲まなさ過ぎたようだ。このような疎ましい習性、できればケント君には知られたくはなかったのだが……娘の大切な友人である君に、これ以上素性を隠すのも忍びないからな」


「ダーインスレイヴさん……」


「……軽蔑したか?」


 そう問いかける表情はどこか寂しそうで、目を離したら遠くへ行ってしまいそうな。ダーインスレイヴさんは、グレイとは違う意味でなんだか放っておけない人だった。俺はその問いを全力で否定する。


「そんなわけ……! だってダーインスレイヴさんは、両親が失踪して行く宛てのない俺を、本当の息子のように育ててくれました! 今だって俺がグレイと学校に通えるのはダーインスレイヴさんのおかげで……! だから、そんな! 軽蔑なんてするわけ――」


「ふふ、君は本当に優しい子だな。このようなバケモノじみた魔剣にそんな言葉をかけてくれるなんて……少し、ラスティを思い出すよ」


「え? それってあの伝説の……『白の英雄』、ラスティ博士のことですか?」


「ああ、ラスティも君のように真っ直ぐな青年だった。共に旅をしていた頃の話だがね。私が君のご両親の祖先に初めて会ったのもそんな折だった。彼には少なからず恩がある。だから、私が君を養うことに関しては気にしなくていいよ」


 ダーインスレイヴさんは穏やかに微笑むと、『ただ、ひとつだけ……』と人差し指を立てる。


「こんな、童話に出てくるような『呪いの魔剣』の私だが……もし許されるなら、本当の家族のように頼ってくれると嬉しいな?」


「ありがとうございます。俺もダーインスレイヴさんとグレイのことは本当の家族のように思っていますから。それで、今日の用件ってなんですか?」


「そのことなんだが……単刀直入に聞こう。進級をかけた卒業一次試験で負けたそうだな? 昨夜グレイから報告を受けたよ」


 びくっ。


「別に怒っているわけではないから、そう固くならないでくれ。私からの用件はむしろその逆なのだ」


「……逆、ですか?」


「ああ。君とグレイは次の二次試験で勝たなければ進級することができない。しかし私はそれを咎めるつもりは無いのだ。むしろ『何が何でも勝たなければ』と思い、無理をされると困る。今日は、そのことで釘を刺したくて呼ばせて貰ったのだよ」


(え? それってつまり……)


「その言い草だと、まるで俺達が進級できなくてもいいみたいな感じに聞こえてしまうのですが……」


「その通りだ」


「!?!?」


 せっかく私立の一貫校に入れてくれたのに、『進学しなくていい』だって!?

 意味がわからない。

 予想外の話に思考が置いてけぼりになりそうな俺に、ダーインスレイヴさんはふと問いかけた。


「なぁ、ケント君。君は……夢はあるのかい?」


「え――」


 急にどうしたのかと呆けていると、ダーインスレイヴさんは遠くを見ながら呟くように続ける。


「将来的になりたい職業や人生の目標だ。もし君にそういった明確な目標があって、そのために高校へ進学することがどうしても必要だというのなら、このお願いはすぐにでも取り下げさせて貰う。友人から預かった大切な君の人生を棒に振らせるわけにはいかないからね」


「人生の、目標ですか……」


「そうだ。ただ漠然と君やグレイが高校へ進学するのが当たり前だと思っているのは理解できる。今の世は大学まで教育を受けて何らかの職に就くというのが一般的なようだからな。しかし、もし君の目標に進学が不要であるというのなら、今回の件は一考の余地があるとも思うのだ」


「それは、そうかもしれませんけど……」


「どうなんだい?」


 まるで俺の本当の父親かのように穏やかに返事を待つダーインスレイヴさん。彼の言う通りただ漠然と進級することだけを考えていた俺には、その思いやりに応えるだけの明確な答えが出てこない。


(グレイに無理をさせたくないダーインスレイヴさんの気持ちもわかる。けど、せっかく学費を出していただいているのに俺達のせいでグレイ共々中卒で終わるなんて申し訳なさすぎる……! それに、高校生活を楽しみにしてるのはグレイだって――)


 言い淀む俺に、ダーインスレイヴさんは諭すような声音で続けた。


「君もよく知るように、私は娘であるグレイのことを大切に思っている。かといって君に『グレイを絶対に進級させろ』とは言えないのだ。もしそれでグレイが無茶をして『呪いの魔剣』としての本性を『覚醒』させることになってしまうかと思うと、私はそちらの方が恐ろしくてたまらない」


「それは――」


「その場合、最悪、対戦相手の子の血を吸い尽くす事態となることもありえる。そうなってしまうと、グレイは二度と『普通の子』としての生活を取り戻すことはできないだろう。つまり私は、君に対して『無茶をするくらいなら進級を諦めろ』とグレイに諭す役割をお願いしたいのだ」


「な――!」


「自分の娘に対して直接強く言えない我が身が情けない。何か言おうにもうまく言葉が出てこなくて、先日も結局喧嘩をしてしまった。グレイも年頃で、最近なんだか避けられているようにも思うし……」


(それはその……グレイはこっそり功績をあげて、お父さんを驚かせようと――)


「だが、私にとっては愛する亡き妻の忘れ形見。どうか幸せに育って欲しい。たとえ進級できずとも、将来的な就職については私からいくらでも斡旋できる。だから、私から君にするお願いは二点だ」


「ふたつ……?」


「ああ。さっきも言ったように、無茶をするくらいなら進級を諦めて欲しい。そしてもう一つは――」


 ダーインスレイヴさんは俺の目をまっすぐに見据えると、懇願するように目を細めた。


「ケント君……君に、ずっとグレイの傍に居てやって欲しい。『呪われた魔剣』である我々がこのようなことを君に頼む権利があるのかはわからないが、もし進級が叶わなければグレイはこれ以上ない程に落ち込むだろう。そんなとき、どうかあの子の傍に居て声をかけてやって欲しい。それほどに、あの子は君との高校生活を楽しみにしていて、君を拠り所としているのだ」


(それは、言われなくとも……)


「そんなの当たり前ですよ。俺にとってもグレイは大切な幼馴染で……家族ですから」


 大きく頷くと、ほっとしたような金の瞳がこちらを見つめていた。まるで救われたような……救われているのはいつも、こっちの方だっていうのに。


「ありがとう、君がそう言ってくれるだけで私は――ああ、そうだ。そんなケント君に、実はもうひとつお願いが……」


「なんですか?」


(この際、二個でも三個でもどんと来いですけど……)


「私がこうしてワイン風呂に浸かって英気を養うように、魔剣は温泉に入ることで皮膚から生命活動に必要な金属物質を補給する。グレイにも毎日入浴剤を入れるようにと言ってあるが、ちゃんと言いつけ通りにしているか心配でな……」


(え? 風呂?)


「たまにでいい。グレイと一緒にお風呂に入ってきちんと栄養を摂取しているか確認してくれないか? あと、入浴後はオイルマッサージをして皮膚からの吸収を促すように身体をほぐしてやって欲しい。あの子はそういう日課メンテナンスを面倒くさがって怠ることが多いから」


 まさかのお願い再び。

 だが、これは想像以上に難易度が高い……の、では?


「え? 俺がやるんですか? その……入浴とその後のマッサージを?」


「不躾なお願いだとは思うが、なにぶん私にもグレイにもそのようなことを頼めるのは君しかいない。元より魔剣のメンテナンスはパートナーの役目だし、君が私を実の親のように思ってくれると言うのなら、親孝行だと思って頼まれてはくれないだろうか?」


(親公認で、風呂に同伴……!?)


 いやいやいやいや意味わからん。


 入学当初に読まされた『魔剣相棒の心得教本Q&A』に『異性同士のパートナーだと天国か地獄だと聞きますが、本当ですか?』というのがあったのを密かに思い出す。だが――


「頼まれて、くれるかな?」


 ダーインスレイヴさんの娘を思いやる父の眼差しから、俺は逃れることができなかった。


「わかり、ました……」


 混乱と動揺でピヨる頭を抱えつつ、俺は風呂場を後にする。そして、思い出したかのようにダーインスレイヴさんの方を振り返った。


「あの! ひとつだけいいですか!」


「なんだい?」


「俺とグレイは、ただ進級を諦めるつもりはありません。要はグレイに無茶をさせないように気を付けながら次の試験に勝てばいいんでしょう? だったら俺達にはまだできることがある。俺はその方法を探します。だって、俺もグレイも一緒に高校に通うのがすっごく楽しみだから」


「……!」


「あともうひとつ、俺の夢ですけど……グレイと一緒にいつまでも笑えるような生活を送りたいです。薄々ご存じかとは思いますが、魔剣差別が無くなった今の世の中でも、『呪いの魔剣』であるグレイに対する風当たりは強い。今は俺が傍に居るからいいけど、できればもう二度とグレイやダーインスレイヴさんみたいに、魔剣の特性による差別や偏見で心を痛める人が出ないようにしたい……と思っているんです」


「ケント君、きみは――」


「具体的に何をすればいいのかはわかりません。でも、だからこそ! 高校に進学して沢山勉強しないといけないと思っています。ぼんやりとした方向性の見えない夢ですけど……俺は――」


「――ラスティみたいに、なりたいんだね?」


「え?」


 不意にかけられた言葉に思わずダーインスレイヴさんを二度見する。だって、あの伝説的英雄みたいになりたいだなんて夢、俺には大きすぎて抱くことすら憚られてしまうから。


「いや、俺はそんなつもりじゃあ――!」


 慌てて否定しようとしたが、ダーインスレイヴさんは思いのほか楽しそうに目を細めた。


「ふふふ……まるで昔のラスティを見ている気分だ」


「え――!?」


「初めてラスティに会った日、私は古城に封印されていた。ラスティは私の力を求めてはるばるやってきたのだが、『呪いの魔剣を仲間にしようなど、夢物語を』と吐き捨てた私に、彼は言ったんだ。『僕と一緒に来れば、楽しい物語になるよ』と……」


「……!」


「嬉しかった。そこに居るだけで絶大な呪いを振りまく存在である私にそんなことを言ってくれたのは、彼が初めてだったから。目を見れば、その言葉が嘘偽りの無いものであることくらいわかる。あのときのラスティもまた、今のケント君のようにまっすぐな瞳をしていたな……」


「そんな大袈裟な……」


「決して大袈裟などではないよ。実際にラスティを知る私が言うのだから間違いない。そして、胸を張りなさい。君のように心優しい少年にこそ、『ラスティのようになりたい』と口にする資格があるのだから」


(……!)


 その言葉は心にスッと響いた。あまりに大きな夢だけど、漠然としていた俺の夢が確かに形を持ったような、そんな気がする。そして、身内びいきかもしれないけれど、ラスティの魔剣であったダーインスレイヴさんに太鼓判を押されたことが純粋に嬉しかった。

 俺は今できる精一杯の返事をする。


「……は、はい! まだまだ未熟かもしれないけど、俺、グレイと一緒に頑張りますから! 絶対『呪いの魔剣は悪くない』って世間の人にわかってもらえるように、がんばりますから!」


「ふふふ、ありがとうケント君。ああそれと、君にもうひとつ頼みたいことが……」


「こ、今度はなんです?」


「私が心から信頼する君に、おつかいを頼みたくて」


「??」


 ダーインスレイヴさんから不意に手渡されたソレは、手のひらに収まるくらいの大きさの、深紅に輝く宝石ガーネットだった。


「コレは……?」


「詳しくは教えられないのだが、私のとても大切なものなんだ。コレを持って、隣町の古い友人の家を訪ねてはくれないだろうか?」


「お届け物、ですか?」


「まぁ、そうだな。とにかく、友人にソレを渡せば事情はわかるだろうから。目的地など、詳細については後日追ってメールするよ」


「わかりました。でも、そんなに大切なものを俺に預けるなんて……本当にいいんですか?」


 確認するように視線を向けると、金の瞳が穏やかに細められる。


「なにを今更。私はもう既に、一番大切なものを君に預けているではないか」


「それは――」


「ああ、それと……ここ最近、『魔剣喰いソードイーター』とかいう凶悪犯がうろついているそうだな?」


「え? 確かにニュースでそんなこと騒がれていますけど……」


 急な話題に面を喰らう俺に、ダーインスレイヴさんは静かに向き直る。


「十分に、気をつけなさい。もし万が一出くわしてしまった場合、コレと……」


「?」


「――娘を、頼む」

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