(死が二人を分かつまで、)煙草を吸う

コトリノことり(旧こやま ことり)

殺されそうな少年は殺し屋を説得する


「ねえ、お兄さんは、僕を殺しにきた殺し屋さん?」


 王都フラディール行き魔導飛空艇の第三等客室の一部屋で、ビタールは同室の男に問いかけた。

 男は18歳のビタールよりも年上だろう。見た目は20代の青年に見えるが、実は50歳だと言われても信じられる老獪な雰囲気を持っていて、いまいち見た目からは年齢がわからない。とはいっても他人の年齢を当てようとしても、大体的外れなことが多いから、あまりそこを考えても意味はないだろう。

 煙草の紫煙をくゆらせていた男は、扉の前にいるビタールを眼鏡のレンズごしに瞳だけを動かして、目にとめる。

 男は艶やかな長い黒髪を一つに束ねている。ビタールの銀髪とは違う。母から「あんたは顔はいいけど、口と性格とその髪の色がねえ」と言われ続けていたビタールからしたら、濡羽色の黒髪はちょっとだけうらやましい。

 細いフレームの眼鏡に裾の長い黒のコート、神経質そうな白の手袋をはめているさまは、どこぞの執事か高級飲食店のオーナーのようだ。でも、そこに『殺し屋』というフィルターをかけたら『それ』っぽいな、と思い直せるくらいの格好だ。あと、無愛想で表情筋が死んでそうなところがなおさら怪しい。

 顔は今までビタールが見てきた中でも、最上級の部類に入る造作をしているだけに、その無表情がもったいない。


「……なんでそう思う?」

「僕、一応は血のつながった兄ってひとに『殺してやる』って宣言されててね、それが冗談じゃなくホントに殺し屋を雇ってるみたいで。それで、さっき甲板の上でお兄さんが人殺してるの見ちゃって。すーごくあっさり殺してたから、ああこれは慣れてる人なのかなぁと思ってたところで、自分の部屋に戻ってきたら本人がいるからびっくりしちゃって。命を狙われている状況で、二人部屋の相方が殺し慣れてる人ならそう思っちゃわない?」

「なるほど。それは確かに、そう思ってもしかたがない」


 温度のない声で同意を返される。耳に心地のいいテノール。顔も整っているから、殺し屋以外の職業でも十分にできそうなのに、とビタールは思ってしまう。だけど殺し屋ではないかと疑われている状況で表情を変えず、ただ煙草を吸うだけの男は、まともな表の職業につくことは難しい気もする。


「やっぱり殺し屋さんなの?」

「結構な数の人間を殺してきたことは、否定しない」

「さっきの人はなんで殺したの? お仕事?」

「あれは星をながめてるのを邪魔されたからだ」

「ほし」 

「飛空艇は雲の上だから、地上よりも近くで星が見える。それを見ていたのに、あの男がぶつかってきた。そのうえ臭かった。だから殺した」

「そっかー、それで殺したのかー。まあー、空から死体を落としたら、死体がないんだから殺人しても捕まらないよね」


 星空をながめるロマンチストの殺し屋。

 イメージにあわない気がするけども、邪魔されたからと簡単に殺せてしまうのはやっぱり殺し屋らしいのかもしれない。

 それにしても、魔導飛空艇は落下防止で結界が張られているはずじゃなかったろうか。地上からはるか高い飛空艇から落ちたなら、指輪一つでも地上の人間にとっては当たれば即死するような凶器になる。だから、魔導飛空艇は球状の結界がはられているはずだ。とはいっても、ビタールは魔法に詳しくない。

 そもそも、魔法とは、人間の『隣人』である魔法使いのものだった。魔法使いは人間に似た別の種族で、人間の国に属してはいないが、対価や信頼があれば人間に協力をしてくれる。

 ただ、最近では魔法をもとにした魔導技術が発達して、ただの人間には『隣人』としての魔法使いという種族は遠い存在になっている。まあ、魔法と魔導の違いなんてこともビタールにはわからない。世界だってきっと魔法のことを研究していても、よくわかってないにちがいない。

 だけど、魔法。そうか。


「もしかしてお兄さん、魔法使い?」


 魔法使いとは、長命で、魔法という不思議な現象を扱う隣人。絵本で見たことのあるような知識しかないけれど、彼らは人間にない機能を持っていることがある。例えば、魔眼、だとか。

 甲板で目の前の男が誰か――本当に全く誰かわからない。体格的に男性だったろうことくらいしかビタールには検討がつかなかった――を殺した時、それはあまりに静かで、早く、コーヒーのカップを持ち上げるよりも容易く行われた。

 あの時、甲板はそこそこ明かりがあった。とはいってもそれこそ『星空』とやらを眺めるために明るすぎないように、絶妙な調整がされていた。いつもならもっと人がいるのかもしれないが、その時第一等客室――ビタールが使っている平民向けの三等客室ではなくお貴族様向けの豪華な客室――のほうが騒がしかったから、そっちに人が集まって甲板は人気がなかったのかもしれない。

 ビタールが見たのは本当にただの偶然だった。さらに言えば、それが殺人だということに気づくのに遅れすぎて、目の前の男が立ち去ってだいぶ経ってから、「あ、今のって人を殺したんじゃないか?」とようやく思いついたくらいだった。それくらいあまりにも自然に行われて、気づけなかったのだ。

 あの時。男がかけていた眼鏡を外した。その一瞬のうちで哀れな誰かさんはガクリと人形のように意識がなくなったように見えた。そして音もなく、男は指一本も動かさないまま、その人形のごとき死体を飛空艇の外へ、夜空の雲へと放り投げた。


「あれって魔眼で殺したの? 動かないでポーイって空に人を投げたのって魔法だよね? 魔法使いの殺し屋さんなの? ただ投げただけなら今頃死体が結界にひっかかってて騒ぎになってるはずだよね? 魔法で結界に穴かなにかあけて、夜空にポイってしたの?」

「そういうお前は、新聞記者か探偵かなにかなのか?」

「えー、僕はつとめてたお屋敷の旦那様に襲われかけて、金玉蹴ったら解雇されたかわいそうな無職だよ。しかも今まで会ったこともなかったオニイサマに命を狙われてるっていうおまけつき!」

「それにしては悲壮感がないな」

「これでもだいぶ困ってるし悩んでるし未来を悲しんでるんだよ? だって同室の人が魔法使いの殺し屋なんて。ああ、お金ないからって二人部屋にしなきゃよかったな」


 そうはいっても、自分が王都にいくためにはこの飛空艇に乗るしかなかったし、セキュリティ対策ができている第一や第二等客室の部屋代を払える金などビタールはもちろん持っていない。第四以降は四人部屋になるから、ほんの少し警戒度をあげて二人部屋の第三等客室にしたのにどうも裏目にでたようだ。とはいっても、魔法使い相手じゃ何をしても結局は意味がないことかもしれないけど。

 煙草を吸い終わった男はベッドサイドの灰皿に吸い殻を押しつけて、懐から新しい煙草を取り出してくすんだ金色のライターで火をつけた。そういうところで魔法は使わないのだろうか。魔法使いは見た目は人間に似てるけど、その常識や理屈は大きく違うものだと聞いたことがある。

 ふう、と男は新しい煙草の煙を吐き出す。


「お前は兄とやらに殺される理由があるのか?」

「あれ、殺し屋さんってそういうの事前に聞いてるもんじゃないの? あ、でも仕事でうけてるだけなら聞かないこともあるのかな。まあ、とりあえず、僕の兄ってひとはクソホモ野郎なんだけど。あ、これは男性が男性を好きになることに対してクソって言ってるんじゃないよ? 他のかたがたに迷惑になるようなクソだからクソホモ野郎って呼んでるんだけど」


 ビタールは自分を平民だと思って生きてきた。一週間前までは。

 丁度その時、別のクソホモ野郎の勤め先の主人を蹴りとばして解雇されたころだった。退職金どころか紹介状ももらえなかったので、新しい就職先を見つけるのも難しかった。残り少ない貯金でどう生きていくか悩んでいる真っ最中だった。

 そんなときに、自分の父親が実は王都でも有力な貴族だと、そしてその父親が死んだから遺産相続のために王都の屋敷にきてくれと連絡があったのだ。

 そういえば、5年前に死んだ母が「あなたの父親はとっても偉いひとだったのよ。性格はクズだったけど」とよく言っていたが、少なくとも前半は真実らしかった。「クズ野郎だから、関わってほしくないんだけどね」と父親からもらったという指輪と、珍しい銀髪がビタールが確かにその偉い貴族の息子だという証拠になった。

 その連絡をもらって、はて顔も知らない父親、しかも繰り返し母親が「クズ野郎」と呼んでいた男が死んだからといって、のこのこと遺産をもらいにいっていいものなのか。しかし、自分は現在無職で、金もない。呼ばれている屋敷がある王都フラディールは、田舎の自分の家からでは魔導飛空艇に乗らなくてはいけないほど遠く、片道の乗車料だけで貯金がなくなる可能性がある。

 だけども、まあ、お貴族様なら遺産を相続しなくても使用人として雇ってもらえないかな、ということでフラディール行きの魔導飛空艇に予約をいれた。丁度、新王の即位式を前に王都では祭りもやってるというから観光にもなると考えていた。

 そして出発の準備をしていたら、唐突に『兄』を名乗る男が現れた。

 ビタールが一度も着たことがないような、御大層な服を着た男はビタールと同じ銀髪だった。


「兄ってひとはたまたま旅行で僕の田舎の近くにきてたらしいんだけどね。自分の父親が死にそうな時に旅行してるってのもどうなんだろうなって思いはしたんだけどさ。それで、なんかまあ父親が死んで遺言が発表されて、それを旅先で聞いた兄ってひとが、母親違いの弟が旅行先の近くにいるって知って、帰り際にうちに寄ったみたいなんだよね。お貴族様ってさあ、そんな気楽に腹違いの弟に会いに来るものなのかな?」

「さあな。お貴族様は魔法使いとも別の血が流れてる生き物だからな」

「青い血っていうよね。魔法使いは紫だって聞くけどホント? そんな感じでうちにやってきて。開口一番『お前を弟なんて認めない。相続権を放棄しろ』って言いだして。まあその言い分はわかるよ。平民混じりの血の弟の存在が認められないのも、そのうえそれで遺産の取り分が減るっていうのに納得がいかないのも。そこまではわかるんだけどね。けどさ、『ただお前が私の永続所有奴隷になるなら存在は許してもいい』って言って尻を触ってきたんだよね」

「なるほど、クソホモ野郎だな」

「そうでしょう?」


 ちなみに『永続所有奴隷』というのは通常の奴隷とは少し違う。

 魔導具を介した契約で、『死ぬまで主人の所有物』であることが決められる。人間としての権利もすべて奪われるから、そのまま遺産相続権もなくなるというわけだ。

 ただし、主人側も奴隷に対して衣食住を保障しなくてはならない。これは自分の生活に対して8割程度の水準を用意することが推奨される。奴隷が働いても働いてなくても、だ。人間ではないので、常に働ける状態にあるかわからないからだ。年をとって働けなくなった場合も同じだ。人間は労働に対して対価をもらうけれども、永続所有奴隷は道具なので、メンテナンスは主人の仕事なのだ。

 そういうわけで、場合によって永続所有奴隷の契約を交わすというのは、必ずしも非道な選択肢というわけではない。特に貴族の場合なら、8割の水準でもだいぶいいものを着て食べて暮らせることが約束される。しかし、あのクソホモ野郎のシモの世話をしなきゃいけないというのは、『場合によって』にあてはまらない。当たり前だろう。


「一応半分は血が繋がってる弟をさ、永続所有奴隷にして相続権放棄させて、自分で飼うなんてのを会って5分で言ってきたんだよ。父親の性格がクズ野郎っていうのはホントなんだなって、母さんの言ってることは正しかったんだなってわかったよ」

「そうなるとお前も半分はクズ野郎の血が流れているわけだ。おめでとう」

「僕はあんなクソホモ野郎ほどのクズじゃないよ。とりあえず『誰がてめぇみたいな租チンのもんになるかよ』っていって、お茶用に沸かしてたお湯を租チンに当たるようにぶっかけたんだけどさ」

「結果は?」

「コントロールばっちり、熱湯がオニイサマのオニイサマにクリーンヒット! 慌ててズボンを下げて冷まそうとしてて、それが本当に祖チンだったから見て吐きそうになったけど。で、まあ激高したオニイサマは『お前なんて殺してやる!』って顔とオニイサマを真っ赤にさせてうちから出てって。それでこの飛空艇に乗る前に手紙が来てさ、『殺し屋を雇った、こっちに来るまでにお前を殺してやる』って」

「お前はそれでなんでこの飛空艇に乗ったんだ?」

「だってもうキャンセル料金の払い戻し期間、過ぎてたし」

「なるほど、お前も父親の血が流れてるんだとよくわかったよ」

「僕は聖母のような母さんに似てるって言われてるんだ」

「聖母は襲われかけても金玉を蹴ったり熱湯をかけたり図太く飛空艇に乗ったりしないもんだ」


 そうだろうか? 『こっちにくるまで』ということは、飛空艇に乗ってあちらのお屋敷につくまでが危険だと思ったから、そこをやり過ごしさえすればとりあえずクズ野郎の家には行けると思ったのだ。後は上手いこと立ち回って、帰りの飛空艇の代金と、いい感じの貴族様のところで働けるように紹介状をもらえたらラッキーだなと思ったのだ。少なくとも家で震えて殺し屋を待つよりかはマシなほうを選んだつもりだ。


「これでお兄さんもさ、僕が殺されそうになってる理由はわかっただろうけど、僕はちっとも悪くないっていうのもわかったでしょ? クソホモ野郎が大体悪いんだよ」

「煙草一本分くらいの話のネタにはなったな」

「え、これで同情して殺すのを思いとどまってくれないかなーって期待したんだけど」

「殺し屋が仕事で受けてるとしたら、同情で仕事を止めることはないと思うが」

「えぇー……でも魔法使いの殺し屋さんから逃げられる気なんてしないしなあ……依頼料より高いお金を払ってやめてもらうことなんてできないし……なんとか同情してもらって、やめてもらう必要があるんだよ、僕が生きるためには」

「オレが生きるためには特に必要のない行為だ」


 そういって彼は煙草を灰皿で押しつぶそうとする。これはまずい。煙草一本分の気は引けたけども、つまりは二本以上の価値はなかったということだ。時間切れでこのまま殺されてしまう可能性がとても高い。


「あとは……そうだなー、僕の体をあげるから見逃してもらえないかな?」

「……今の話で、2人の男性器にダメージを与えてるヤツをベッドに上げようと思う男がいるか?」

「それは2人とも性格がクズでクソだったからだよ。お兄さんは違うし」

「人を殺してるところを見ても?」

「だけど、僕の話を聞いてすぐに殺さないでくれたし、襲ってもこない。僕が出会ってきた人の中でもだいぶ理性的なひとだなって思うよ。魔法使いに対しても『ひと』っていう言い方でよかった?」

「お前の周りは動物以下の脳味噌の人間しかいなかったのか?」


 魔法使いにはわからないかもしれないけれど、意外と人間は会話ができない生き物なのだ。

 いつだって自分の欲望を優先させて、それに忠実に生きる。そういう生き物とまともな会話が成り立つことは稀だ。聖母のような母さんと、その聖母のような母さんに似た僕は別だけど。


「こう見えても後ろは処女だよ? 鉄壁のガードで守ってきたからねっ」

「お前の処女なんて煙草一箱分の価値もない」

「一本か二本分なら価値があるってことですね? やった!」

「だがオレはお前をベッドにあげるつもりはない。自分の股間は大切にしたいからな」

「だからー、お兄さんにはなにもしないですよってー。うーん、でも困ったなあ」


 ビタールが差し出せるものなんて少ない。

 だってビタールは自分の命と、それに付随するものしか持ってない。

 その中で魔法使いの殺し屋に差し出せるものがあるだろうか。そもそもビタールは貰ったりすることはあっても、自分のものを人にあげたり与えることが好きじゃない。

 ビタールがあげてもいいと思えて、殺し屋も満足できそうなものの妥当なところを見つけなくてはならないのだ。


「ああ、そうだ、お兄さんが僕を永続所有奴隷にしたらいいんですよ!」

「……………は?」


 いままでずっと無表情だった殺し屋がようやく表情を変えた。

 それがおもいっきり眉間にしわを寄せて「こいつ何言ってんだ」と蔑むようなしかめた顔であっても、表情筋を動かせたという達成感がある。


「そしたら実質的に『殺人』じゃないですか。僕は人間から道具になるわけですし。お兄さんならひどいことしないだろうなーっと」

「お前、クズなんじゃなくて、バカなんだな」

「えぇー? 起死回生の一手になる最高の思いつきだと思うんですよ。だって、僕はお兄さんみたいな凄腕魔法使いの殺し屋から逃げられない。つまり死んじゃう。そんな中で生き残るためには、お兄さんの仕事を達成させつつ、『人間』として死んでも、『道具』として生きるっていう道しかないと思うんですよ」


 話しながらなんて名案だろうとビタールは自画自賛する。むしろコレしかないという勢いだ。

 兄の依頼はビタールの殺人だが、まあ、永続所有奴隷になれば人間として認められなくなるわけだし、相続権も放棄となる。穏当な殺人と言える。

 永続所有奴隷になってもビタールの自我は残るし、くくりが人間でなくなるだけだ。『場合によって』は永続所有奴隷は悪いものではない。魔法使いの殺し屋なら、そこそこ稼いでいるだろうから、ヒドイ暮らしをすることもないだろう。


「それをしてオレになんのメリットがあるんだ?」

「そうですねー……あ、そうだ、煙草がなくて口寂しい時にいつでもキスして紛らわせてあげられます!」


 コレでどうだ! と満面の笑顔でビタールは堂々と宣言する。

 男はポカン、と間抜けな顔をする。また新しい表情が見られて嬉しい。ビタールは彼の整った顔も、その顔を崩させるのもどうやら楽しく感じているようだ。

 そんな彼にだから、永続所有奴隷になってもいいと思えた。

 男は新しい煙草を取り出すこともせず、あっけにとられた顔のままビタールのことをまじまじと見つめる。それから、ビタールの予想外なことに、なんと、笑い出したのだ。

 押し殺しているが、くぐもった笑い声がしっかりとビタールには聞こえた。唇の片端を上げ、目を細めてまでいる。


「くっ……お前、自分の価値を煙草代にして、オレに『永遠』を誓おうなんていうのか」

「ええ、そうですよ。僕は一生、お兄さんの煙草になります」

「はっ……長いこと生きてきたが、そんな馬鹿げた契約聞いたこともない。初めてだ。――そうだな、今日は星の位置もいい……わかった」


 男はすっと笑い声を引っ込める。

 そして無表情とは違う、真面目な顔で、いっそ睨むといっていいほどの鋭い眼光でビタールを見つめた。


「いいだろう。お前と『永遠』の誓いを結ぼう」


 そして、彼は自分の眼鏡をはずした。

 露わになった裸の瞳は、片方が金色、もう片方が血のような赤い瞳だった。

 その瞳に――魔の瞳に見つめられて、ビタールの体はドクン、と熱くなる。


「お前がこの先、オレと共に在るというのなら、お前の意思で、ここへきて、誓いを」


 男は右手の手袋をはずし、手の甲をビタールへと掲げる。

 魔眼のせいなのか、ビタールの頭はうまく動かない。単語単位でしかものを考えられない。



  こわい。

(きっとそれは魔眼のせいだ)

  いかなきゃ。

(なんで?)

  でもこわいよ。

(自分の意思で、って、いってた)

  それでもいくんだ。

(あの瞳の恐怖に負けないで、操られてるわけでもなく、自分の意思で)

  あのてに、あのおとこに、ちかいを。



 気づいたら、男はものすごく近くにいた。

 いつの間にか、自分の足で歩いてここまできていたらしい。

 ベッドに座ったままの男を見下ろしているはずなのに、自分が見下ろされている感覚。魔眼から視線をはずせない。


「誓いを」


 男が、手を持ち上げて、ビタールの前に差し出す。

 その手の甲に、ゆっくりと、ビタールは顔を近づけて、口づけを落とす。

 ふっと、男が優しく笑ったのがわかった。


「――いい子だ。さあ、誓いの儀式を始めるぞ」


 そういった数瞬後に、ビタールは男にベッドの上で組み敷かれていた。

 男は自分の長髪を束ねていた紐をほどく。ぱさり、と流れる長髪は、男の顔とビタールの顔を閉じ込める帳のようになった。

 漆黒の帳の中で、欄々と光る、金色と赤色。

 まるで、夜空の中にいるようだった。


「言っておくが、人間にはかなりきつい筈だ。それでも、お前はオレの眼を見続けていれば、それでいい。――ビタール」


 テノールの声が自分の名前を呼ぶ。

 ああ、きっと極上のワインを飲んだら、こんな風に、きもちよく酔うのだろうなと、そんなことを思った。


「――だい、じょうぶ。それより」

「よく喋られるな? なんだ」

「おにいさんの、なまえ、教えて」


 夜空の中の二つの星が瞬く。その星の瞬きが近づいてきて、そっとささやかれる。


「――、だ」


 ささやきと同時に、唇が、夜の唇と重なる。

 そのあとは、ただ、ただ、翻弄されただけだった。

 自分のものではない、星に直接触れたような熱を注がれて。

 ビタールの体が書き換えられていくのだけは、途切れそうな意識の中でわかった。

 そのあいだ、うわごとのように、ビタールは教わった名前を何度も何度も、繰り返した。




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