三十話 二人きり
カイトとミリは本来予定していた、クリス同行の下、ミストの還す作業を二人のみで行うことにした。
「ったく、仕事あるってのに帰ってこねぇのはどうかと思うぞ。なぁ、ミリ」
『クリスさんもクリスさんでお忙しいんですよ、きっと……』
後ろでミリが苦笑いする中、カイトは路地裏に漂うミストに歩み寄り、十字を切るために手を挙げる。
『カイトさん』
手を横に振ろうとしたところで彼女に呼び止められ、動作をやめ、振り返る。
「どした?」
『この方は、どなたなのですか?』
「ん? あぁ、身寄りのない爺さんらしい。夜にこの辺りふらついてて、そのままな。餓死とかじゃないみたいだし、寿命だとよ」
『ミストになられたということは、何か未練おありだったということですか……』
「だろうな。けど、それが何なのかは俺達にはわからねぇ。ただ、還してやるのが救済だ」
カイトはそう言い、大きく腕を振り、十字を切った。
十字を切る最後の、腕を振り上げると同時にミストは揺らめき、天に昇っていくように消失する。
それを見送り、背後を振り返る。すると、ミリが両手を組んでは祈りを捧げるように俯いていた。
「……なにしてんだ?」
カイトの問いに、ミリは閉じていた目を開け、微笑んでくる。
『あの方が、素敵な人生を送れるようにと願っていました』
「……その考えはなかったな」
還すのはただの作業になりつつある。それを生業にしているのだから仕方のないのかもしれないが、彼女の言った通り、数十年生きた人生をやり直す事になる、新しい人生の幸先を願う気持ちも必要だ。
「お前、良い還し屋になれそうだな」
心の優しい彼女だからこそ生まれる感情は、素直に尊敬出来る。彼女こそ、還し屋になるべき存在なのかもしれない。
『そ、そんな……ありがとうございます』
照れくさそうに頬を掻き、表しようない喜びにゆっくりと笑みを浮かべさせていく。
「じゃ、次行くか」
『はいっ』
カイトとミリは次に、ここより二〇〇メートル程離れたところにある空き家へと訪れる。
築数十年経っているという事で、外壁の所々が補修されている跡が見受けられ、家としても限界が近付いているようだった。
今から二ヶ月程前からただの劣化のものとは違う腐食が始まっているという事が、当時の住人の親族から依頼を受けた。当時の住人というのは老婆で、彼女の様子を見に来た親族が亡くなっているのを発見したそうだ。
亡き人の場所にミストが巣食うと信じている人間からすれば、非常に近寄り難いものとなっている。所有物である家から遺品の回収、空き家の処置を進めるには、かえしやから安全と言い切ってもらってからにしたいようだ。
「次はここだ。還し次第、ここの所有者のトコにいくからな」
『で、私はカイトさんに話しかけない、ですね』
「そうだ。たのむぞ」
『はい。……ですけど、その間は寂しんですよね……』
ミリが口を尖らせ、文句を言ってくるのを他所に、カイトはさっさと家の中に入っていく。その後ろで『あ! ひどい!』と彼女の怒っているのかどうか分からない声が聞こえてくる。
中に入り、リビングの方に向かうと、生活感のある空間に一面広がる。無人となってからは誰も寄りつかなくなったために埃が溜まってしまっており、やけに鼻がむず痒い。
『掃除されてないみたいですね』
「誰も近付いてないしな。ここまでくるとたまんねぇよ……」
『埃に敏感なんですか?』
鼻を押さえるカイトにミリは首を傾げさせる。
「まぁな。俺がクリスんとこに来た時も酷かったからな。徹底的掃除したくらいだ」
身の回りの事を疎かにしやすいクリスに掃除を習慣している筈もなく、初めて事務所を訪れた時は埃が所々に被っていた。少量ならともかく、あまり触れない所は積もってしまっているレベルだったので、一人で掃除したくらいだ。
そこからは、定期的に二人で掃除をする様に約束をさせた次第だ。
『乗り物酔いに埃が苦手。弱点が大きいですね』
「元の体に戻ったら嫌でも分かる。二人であいつを常識人に変えてやろうぜ」
『……ですね』
カイトは依頼人から言われていた、ミストが居ると思われる寝室へと向かった。
ドアを開けると同時に床に溜まった埃が舞い、カイトの鼻腔を刺激し、大きくくしゃみをしてしまう。
寝室には、ミストの淡い光を確認する事は出来ず、埃っぽい部屋だけだった。微かな光りも見逃さないように隈なく周囲を見渡すが、それらしき存在を見受けられない。
「いねぇな……」
鼻の下をなぞり、カイトは眉を顰めながら呟く。
『私、他の部屋も見てきます』
「あぁ、頼む」
ミリは壁をすり抜け、別室へと移動する。
残されたカイトは内ポケットから小さいサイズのライトを点灯させ、周囲に当てる。
灯りから多く舞う埃に舌打ちしつつ、寝室に異常が無いか確認する。
依頼人が寝室にミストが居るという情報はあくまで予想であり、確定ではない。ミストを視る事の出来ない人の情報はあくまで参考にする程度で鵜呑みにするものではない。
「けど、居たのは確かか」
ある一点を照らし、呟く。
照らした先は、他の物よりも不自然に老朽が進んでいる床。そして、椅子。椅子の方は床に面する四つの足の内、一つが変色していた。
この状態で居ないとなると、ミリのように生前の姿をしている可能性が高い。管轄外の還し屋が還したという可能性も捨てる事は出来なくもないが、そうだとしたら、男の話し合いをしなければならない。
『カイトさん、どの部屋にも居ませんでした』
突然、壁から顔だけ出してきたミリにカイトは僅かに体を震わせ、彼女を睨む。
「……おう、ありがとな」
『もしかして、びっくりしました?』
「ちげぇよ。寒かっただけだ」
『ほんとですか?』
「そうだよ」
『ほんとにぃ?』
にやにやするミリはその時のカイトを真似するように体を震わせる。その姿が腹が立ち、静かに睨みつける。
「あんまふざけてると、口聞かねぇからな? 嫌だろ?」
『うっ……すみません……』
彼女にとって、話が出来ないのは途轍もない苦痛なのが分かる。その証拠に、背筋をぴんと伸ばし、謝罪してくる。
『おばあさん、何処に行ったのでしょうか?』
「お前みたいだったら何処かふらついてるとは思うが、そんな感じもなかったか?」
『念の為に外の方も見て来ましたけど、姿はありませんでした』
「そうか……。とりあえず、外に出るか。此処にいても埒があかねぇ」
『埃っぽいですもんね』
「それが一番きつい。外の空気が早くすいてぇ……」
外に出ると、先程の埃まみれの空気とは打って変わって澄んだ空気を吸う事が出来た。呼吸をするのも辛いあの時間が嘘のようで、美味しく感じた。
『この事はクリスさんに伝えるんですか?』
「あぁ。還るのは良い事だが、還し屋としては仕事の邪魔をされたって事だからな」
『でも、お金は貰えますよね?』
「貰えるには貰えるんだけどよ……。あいつとしてはやってもないのに金を貰うのは良しとしねぇし。それこそ、詐欺ってもんだろ?」
『そう……ですね……』
複雑な心情を抱いている様子で眉を顰めるミリに、カイトは小さく咳払いする。
「ま、俺も労力使わずに金を貰えるならそれにこしたことはないと思うんだけどな。あいつ、頭かてぇよな? この事黙って、俺たちがやりましたーって言えば金は貰えるよな?」
賛同を得ようとする語りかけに頷きそうになるミリ。だが、寸でのところで首を不自然に左右に振ると頬を膨らませる。
『共犯にしようとしても駄目ですよ!? わ、私はクリスさんの意見に賛成です! 働いてお金をもらう事に意味があるんですから!』
「そうかっかすんなよ。とにかく帰るぞ。どうするかは相談だな」
還してもいないのに金銭を貰うのは、クリスも嫌がるかもしれない。それなら一度、所長である彼女に指示を仰いでから動いても遅くはない。報告は多少遅くなってもさほど影響はない。
夜の冷たい風が頬を撫でる中、カイトは事務所へと歩を進める。
クリスが帰って来る前にお気に入りのコーヒーの豆を何処かに隠してやろう。彼女が謝るまで絶対に場所を教えないし、買いに出かけさえさせない。
ちょっとは反省して、いい加減な部分を直してもらわなければならない。
そこでミリの体から照らされる淡い光が遠くなっているのがわかった。
振り返ると、ミリが先程の空き家を眺めていた。
「ミリ?」
ある場所一点を見据えて微動だにしないミリに違和感を覚え、カイトは彼女の下へ歩み寄る。
「どうした?」
『カイトさん、あそこ』
指差す場所には彼女のように淡い光を放つ老婆がゆらゆらと佇んでいた。
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