二十五話 繋がり
「おせぇ……」
事務所のソファに寝転がり、日付が変わったばかりの時計を睨みつけて、カイトは小さく舌打ちをする。
ミリと共に彼女の体を探しに病院を片端から当たったのだが、彼女らしき名前はなく、無駄足に終わった。自分達の管轄内にある病院は全て回った筈だ。しかし、影も形もないとなると、ミリの体はここから離れた場所にあるという事になる。翌日探すのは、隣町まで距離を伸ばす必要がある。
『語りたい事があるんでしょうから仕方ありませんよ。セレカさんもクリスさんだからこそだと思います』
「その気持ちがわかんねぇな」
『カイトさんも、ご両親や親しい方に語りたい事もありますでしょう?』
「仲の良い奴なんていねぇし、両親も死んじまってるからそんな事もねぇよ」
『え』
嬉しそうに話していた彼女の表情が、カイトの言葉によって真っ青に染まり、失言だとばかりに口を押さえては涙を浮かべた。
『す、すみませんっ。私……』
「別にいい。気にしてねぇ。孤児院に居た俺を、クリスが引き取ったんだ。身も知らずの女に付いていく俺も俺だけどよ。親に話を聞いていただけで、引き取るって決めたあいつも相当な馬鹿だよな」
以前から話を聞いていたから君を事務所に引き入れたい、と彼女は言った。話を聞いただけで六つしか歳の変わらない者を引き取りたいという彼女の神経を疑った。一五歳の少年となれば、扱うのが大変な時期だ。普通に考えれば、一番避けたい年頃な筈である。そんな時期を抜きで、出会ってすぐの女性に好意的にする訳もなく、会話も少なかった。まともに会話をするようになったのは、彼女と出会って半年くらい経ってからだろう。それまで、二、三往復、良くて五往復が限度だった。
「今となれば、付いていって正解だったけど、な」
『……信頼しているんですね』
言葉に気をつけてといった様子で喋るミリに、カイトは構わないと軽く手を振り、深く息を吐く。
「まぁ、そうだな。大人として手本にはしたくねぇけど、本業としては尊敬してるな。あいつ以上の還し屋なんて、会ったことがねぇ」
自分が還し屋になったのは、一年程前だ。それまで、彼女が何もないところで空に向かって指を鳴らすという動作だけを見てきた。それだけ見れば、『還す』という事は簡単のように見えるが、実際は正しい動作を元に行わければ、上手く還す事が出来ない。神の書に時折記される、十字を象った動作。彼女はそれを傍から見れば適当に、しかし、的確で瞬時に行う。指を鳴らす強弱によって、還す範囲が変わる。本来、数体同時に存在するミストに対して、一つずつ動作を行わなければならないのだが、一度の動作で全てを還してしまう。他の還し屋に聞いても、彼女の行う事は通常ならばそうそう出来ないと唸らせる程ものだった。
『でも、ご両親と過ごした日々は幸せだったのですよねっ?』
「まぁな。詳しい事は知らねぇけど、評判もよかったみたいだ」
『私も早く思い出して、幸せを――』
「そうだな、早く見つけないとな」
ミリの言葉を遮る形で語気を強める。それにより、彼女の表情が少しだけ驚きの色を見せ、少し困った様子で笑みを浮かべさせた。
『ど、どうしたんですか?』
しまった。都合が悪いから無理矢理、話を終わらせようとしていると受け取られたのかもしれない。彼女の口から家族の話をされるのは、あまり良い気分がしない。確実なことを言えるのは親、特に父親がミリに対して暴力を振るっていた、という事だ。思い出せば、最悪な場合、取り乱しかねない現実を抱えている少女から、嬉しそうに家族を話題に挙げられるのは辛い。
「いや、なんでもねぇよ……」
『ん? 何か、私に隠し事でもあるんですか?」
悪戯な笑みを浮かべるミリは、歩み寄ってくると、顔を近づけてくる。
「だから……なんでもねぇって」
カイトは上体を起こし、彼女から距離を取るよう為、後ろに下がる。
笑みを浮かべる彼女の顔と恐怖、憎悪とも言える彼女の顔が重なる事で、胸がざわついてしまい、それを消し去るように手を大きく振り払った。
『か、カイト……さん?』
怪訝な表情を浮かべたミリは眉を僅かに上げる。
『やっぱり、何か隠しているのではないんですか?』
「…………」
『私は――』
珍しく苛立たしげに語気を強める彼女だったが、突然に開かれたドアによって、それ以上の発言は強制的に遮られることになった。
二人はドアの方へ目を向けると、開かれたドアを支えにもたれ掛かっているクリスの姿があった。彼女は顔を赤くさせ、とろけた目をカイトに向けるなり笑みを浮かべる。
「留守番ご苦労ぅ、カイトちゃぁんっ」
仕切りを笑うクリスは、ふらついた体でカイトに歩み寄り、否応無しに全体重でのしかかってきた。彼女の胸により、顔面に痛烈な痛みはない代わりに、ふくよかな感触を顔全体に伝わってきた。男ならば、このような事に喜びを得るものだろうが、カイトにとってこの状況は死に直結しまいかねない。
息が出来ない。
「ふ……が……っ!!」
カイトはクリスの両肩を手探りに掴み、押し返す。
「お、お前……っ」
思わない出来事に十分な酸素を取り込んでいなかったが為、あっという間に酸素不足に追いやられ、危うく上司の胸に殺されそうになった。これで死んでしまったなら、本当に情けない。
しかし、ミリとの気不味い雰囲気に酔っ払った人が入ってきてくれたのは、有難い事だ。あのまま続いていれば、彼女の記憶の事が暴かれなかった。
ミリの冷たい視線を浴びながら、カイトは酒臭いクリスを向き、鬱陶しそうに自身の部屋へと人差し指を振る。
「ほら、自分の部屋で寝ろよ。連れてってやるから」
「やだ、一緒に寝よ」
「寝ねぇよ。ガキじゃあるまいし」
「私から見れば、ガキですぅ。あんたに拒否権はなぁい」
差した指を掴んでは引っ張ってくるクリス。ここまでくると、何を言っても無駄だろう。再びミリと二人だけになれば、話題が引き戻される恐れがある。今回ばかりは彼女の我が儘に付き合う方が得策だ。
(あいつの頭が冷えて、クリスが寝たら帰るか……)
短く息を吐き、立ち上がるとクリスに手を引かれて、寝室へと向かう。
クリスの寝室は他の部屋とは違い、片付いている。それでも、あくまで他の部屋と比べてなので、読んだ本や既に片付いた仕事の書類が部屋の隅に積み上げられていた。それ以外は女性らしいものもなく、むしろ男性の部屋なのではと勘違いするほどに殺風景だ。何度も入ったことがあるカイトにとって、この風景では男すら連れてこれないだろうと懸念してしまう。連れてこられ、ばったり会っても困るが。
クリスはカイトの指を離し、ゆらゆらと頭を揺らしながら、下着を服の下から取り出す。そして、それとジャケットを適当な場所に放り捨てると、ベッドの右端で横になった。
「おい……」
脱ぎ捨てられた下着を一瞥し、拾うべきなのか悩む。彼女の身内として、片付けておくべきなのだろうか。男として、無視するべきなのだろうか。
『えっちですね』
棘のある言葉が後ろから聞こえ、答えが一つに絞り込む。拾わない。
カイトもジャケットを脱ぐと、彼女のジャケットと一緒に傍に置かれていた椅子にかけて、ベッドの左端で横になる。一人で眠る事が常なのにも関わらず、セミダブルベッドである彼女のベッドであり、窮屈さはなかった。
仰向けになり、天井を見上げていると、左手を掴んでくる感触が伝わってきた。握ってきた人物は一人しか居ない為、目だけでクリスを見る。すると、嬉しそうに笑みを浮かべ、何度も何度も握り締める彼女の姿があった。酔っているが為に、幼稚な行動するのは理解出来るが、彼女となれば呆れしか出てこない。
「なんだよ、暑いから手ぇ離せって」
「いぃや、このまま寝るの」
握る力を強め、まるで子供の様に頬を膨らませる。酔うだけならいいが、周りを巻き込むのだけは止めて欲しい。これを他人にやっているのであれば、迷惑極まりないだろう。これに魅力を感じる男性は少なからず存在するのかもしれないが、あまりの違いに衝撃を受けるに違いない。
「……今日だけだぞ」
寝るまでの我慢だ。
『シスコン、マザコン?』
またしても、棘のある声が聞こえ、カイトは目だけでミリを見る。
「どっちでもねぇよ……」
『なら、私はシスってやつ? 親バカ?』
「どっちでもねぇだろ……」
血は繋がっていないのだから、親子でも姉妹でもない。
しかし、信頼出来る人なのは変わりない。
寝息を立て始めるも、緩められることのないクリスの手の温もりとミリの視線を感じながら、ため息を吐き、目を閉じた。
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