二十六話 病院

「さてと……」

 両親を知る人から話を聞くことが出来なかった。幼い頃の記憶しか持ち合わせていないので、彼らから聞く話は自分にとって有益なものだ。今まではクリスから聞こうとしても、そのような空気が殆どなかった。良い人だった程度で終わらされてしまう。

 だが、今はミリの事だ。彼女の体を探し出さなければならない。昨夜の事もあって、姿を消しているが、一人でも捜索は出来る。

 事務所から出て、右方向か左方向、どちらに向かうべきか考える。散々、街の病院を回っても見つけ出すことが出来なかったので、管轄外の病院を回ってみるのもいいのかもしれない。しかし、自分の街以外で行った事があるのはセレカティアが住んでいる街だけで、それ以外では、還し屋の資格書を貰いに向かった都市くらいだ。

 少しでも地理のあるセレカティアの街に趣いた方が、道に迷いにくいだろう。もしもの時は、気は進まないがセレカティアに助けを求めればいい。

「左、だな」

 カイトは左方向へ足を向け、歩きだす。

 セレカティアの街は事務所から歩いて三〇分程度だ。車で向かえば一〇分程度で済むのだが、乗り物が苦手な為、その選択肢は除外される。便利なのは重々承知しているも、体が受け付けなければ、乗る事が出来ない。後々の事を考えると、疲れてでも徒歩が得策だ。

 向かっている最中、店でパンを買い、朝食として頬張った。歩きながらは、行儀が悪いのは分かっているが、こんな所で止まっている訳にはいかない。

 数十分歩き続け、漸くセレカティアの住む街にたどり着いた。しかし、本番はこれからだ。ここから病院を片端から当たり、ミリの体を探し出さなければならない。

「行くか……って言っても」

 数回行っただけで、病院が何処にあるかまでは把握していない。辺りを歩いている人に、病院の在り処を聞き出して向かう他ないだろう。地道な作業だが、彼女の体を探すにはこの方法しかない。

 そう決心してから、すぐに目の前を通り過ぎようとした女性に病院の場所を聞いた。どこの病院なのか、と問い返され、周辺全部、と答えた。だが、それがいけなかった。『全部』という言葉に、女性の顔が怪訝なものへと変わっていき、不審者を見るような眼差しを向けてくる。慌てて、『知り合いが入院しているのだが、何処の病院なのかまではわからないので、手当たり次第探したい』という旨を伝えると、渋々教えてくれ、親切に彼女は紙で病院の住所を書いてくれた。

カイトは女性に礼を言い、紙に書かれた住所へと歩を進める。

 紙に記された住所は四件。一件目は、ここから歩いて一〇分程歩いた場所の病院だった。その病院に赴き、ミリの特徴を受付に伝えてみたものの、該当する女性は居なかった。一件目で見つけ出せるとは思っていなかったので、そこまで落胆する事はなかったが、少なすぎる情報で居るかどうか聞くと、あからさまに怪訝な顔を向けられてしまった。その時は、『助けたが、何処の病院に運ばれたのかまで知ることが出来なかった』等の嘘を並べて凌いでいった。それは二件目、三件も続き、自分は犯罪者なのではないのかと思えてしまう程のゲンナリしてしまう。

 あっという間に残りの病院は一つとなった。特定の一人を探し出すのは、やはり骨が折れ、無駄足という結末が明確に見え始めて疲れがどっと押し寄せてくる

 最後の病院にたどり着き、カイトは病院のドアを開ける。それと同時に、慰謝の診察を待って長椅子に座る人達が本を読んだり、隣の人と会話していたりする光景が視界に広がった。年齢層は老人が多く見られ、定期検診だと思われる。老人の一人が名前を呼ばれると、ふらふらと椅子から立ち上がり、重い足取りで診察室へと向かっていく。

 その光景を数秒見てから、受付に座る女性の下へ歩み寄る。女性はカイトの姿を確認すると、仕事用の笑顔を振り撒いてきた。

「こんにちは、本日はどうなさいました?」

「あぁ……人を探しているんだ。ここに入院していないか?」

「その方のお名前は?」

「フルネームは分からない。ミリ……なんとか」

 特徴だけで、名前を知らないということに不振に思う女性だったが、この三件回って吐いてきた嘘を被せる。そこで漸く納得してくれ、後ろでカルテの整理をしている中年女性に話しかける。

「婦長、入院されている方でミリから始まる女性はいましたっけ?」

 その問いに、婦長である中年女性がこちらを振り返り、顎に手を当てながら歩み寄って来た。

「ミリ?」

「はい、黒髪の方です」

 黒髪ねぇ、と記憶に辿るように視線を彷徨わせる。そして、何かを思い出したのか、パッと明るい表情を浮かべさせると、女性の肩を軽く数回叩いた。

「ミリカ・ハイラントさんじゃない? 二、三週間前に運ばれてきた」

「ミリカ?」

 婦長に問いかけると、彼女は頷く。

「えぇ、頭を強く打って今も意識が戻らないの。お知り合いの方?」

「あぁ。それなりに」

「なら、案内するわ。じゃ、これ頼めるかしら?」

 婦長が整理途中だったカルテを差し、受付の女性に頼む。女性は一瞬渋る動作をとったが、意識不明の患者の知り合いの前では、そんな態度は取れないようで、すぐに頷く。

 婦長は駆け足で受付室から出てくると、こちらに来るように促してくる。カイトはそれに従い、彼女の後ろを付いていく。すぐ近くの階段を上り、二階に着くと、長く続く廊下を歩き続けた。いくつもある病室のドアには、どれも複数の名前が書かれてあり、相部屋の体制を敷いているようだ。途中で、母親らしき女性が付き添われた車椅子に乗った少年と出会い、彼は婦長に向けて元気な声で挨拶してきた。婦長は笑顔で挨拶を返すと、通り過ぎざまに彼の頭を撫でる。

「入院する患者さんには、色んな方がお見舞いに来るんだけどね。ハイラントさんのとこだけは、一人が来ているだけなのよ。それに、身内じゃなくて働き場所の人」

 働いているのは、あの時起きた異変で察することは出来た。しかし、それは望んで働いているのではなく、半ば強制的にさせられているに過ぎない。ミリにとって、働くということは苦痛だったのではないだろうか。見舞いに来てくれているということは、それなりに面倒見の良い人の唯一の救いなのかもしれないが。

「ここがハイラントさんの病室よ」

 廊下の突き当たりに位置する病室で、他の病室よりも少しだけドアの構造が違っているように感じた。ドアの面積が他のものより大きく、綺麗に整っている。表札の方に目を向けると、『ミリカ・ハイラント』の名前のみが掛けられており、ここが個室なのが窺えた。

「重傷患者は個室の方が看病しやすいからね。ちょっと豪勢だけど、特別な理由はないわ。入院費も他と一緒」

 婦長はそう言いながら、病室のドアを開け、中に入るように促してくる。カイトは彼女に軽く頭を下げ、中に入った。

 病室内はクリスの寝室に相当する広さを誇っていた。置かれているのはベッドと椅子、花瓶などを置いておく台くらいしか置かれておらず、その広さを更に広く感じさせていた。開けられている窓から風が吹き抜け、カーテンが手招きするかのように靡かせ、その風が僅かにカイトの頬に触れる。

 そんな室内で頭に包帯を巻いた一人の女性が、ベッドの上で体一つ動かさずに寝ていた。肌はまるで雪の様にとても白く、触れれば独特の冷たさが伝わってくるのではないのかと思えてしまう。しかし、その肌の白さは誰かを魅了する様な白さではなかった。

「おい……なんだよ……」

 静かに眠るミリに歩み寄るなり、カイトは絶句した。 

 彼女の頬は痩せこけ、青白い唇が不健康さを物語っていた。意識を失って数週間で痩せるのは理解できる。十分な栄養を得られないのであれば、誰だってそうなる。しかし、彼女の痩せ方は、数週間で痩せるようなものではなかった。目の下には僅かに残った隈が見て取れ、まるで病を患ったような生気の薄い顔だ。

 今まで接してきたミリの姿からは想像出来ない状態に、思わず一歩後退りする。

「頭の強打の他には、栄養失調が見られたわね。この付近で栄養失調になる人なんて殆ど見られないから、不思議に思ってたのよ」

 ミリの父親は録に食事も与えずに働かせていたというのか。

「娘にやることじゃねぇだろ……」

 父親からの暴力と大した物を食べる事が出来ない両極の辛さ。普通ならば、精神的に参ってしまう筈だ。まさか、それを理由に身投げでもしたというのだろうか。もしそうだとするならば、目を覚ましても再び身投げをする可能性がある。

「ミリ……カさんは、自殺を?」

 振り返り、恐る恐る婦長に問いかける。しかし、彼女は自分が予想したものとは裏腹に、首を横に振った。

「いいえ、階段から落ちたのよ」

 それも、と視線を逸らす。

「父親から突き落とされて、ね」

 その言葉に、カイトは目を見開き、再びミリの方を向く。

 彼女の頭に巻かれている包帯は、自ら招いた傷ではなかった。しかし、その代わりに父親によって傷つけられ、こうして数週間の昏睡状態を強いられてしまった。

「話によると、父親と彼女が口論してたみたいなの。それで彼女が家を出たときに……」

 そこで言葉を切り、辛そうに咳払いをする。

 何について口論していたのかは分からない。だが、その日まで従うことしか出来なかった彼女が反論したのは、それほどに貫きたいものがあったという事だ。

 親ならば、子のしたい事を見守るのが役目だ。しかし、彼は彼女のしたいことを拒み、挙句の果てには命の危機にまで追いやった。

決して、してはならない行為を、彼はした。生きている限り、愛し続けるべき存在に愛の無い力を振りかざした。

 カイトはミリの白い手を握り、歯が欠ける程に強く噛み締める。

「なぁ、父親は今、何処に居るんだ?」

「え……?」

 婦長が疑問の声を上げるのを背中に聞きながら、カイトは小さく言った。

「ちょっと、話し合いが必要みたいだ」

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